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「おっさん、——バカ? 」
第一声がこれだった。自信満々に胸を張ったまま、俺は氷の像のように固まる。皆の衆、いや、この俺の素晴らしい演説を聞いていた、たった1人の観客の言葉に、俺は身動き取れなくなってしまっていた。
「おい、このクソ餓鬼。大人に向かって馬鹿とは何だ。馬鹿とは」
「バカじゃん。どう考えても。……それとも、それさえも気付かない、バカ? 」
なんだろう、このこめかみがプルプル震える感じは。ああ、俺は怒りを感じているのか。
「まあ俺は寛大だからなあ! クソ餓鬼の言うことなんて少しくらいなら水に流してやろう! ああ! 」
「……おっさん、そんな怖い顔したままそれ言っても説得力ないけど」
癖っ毛の強い黒髪坊や。顔立ちは良い方だと思うのだが、くっそ生意気な言葉しか出てこないその口と、目つきの悪さが玉に瑕。それが、俺の目の前で頬杖をついている少年、高田 隼人だった。
「ねえ、おっさん。面白い話してくれるって言ってたじゃん。そんなどうでもいい話はいいからさ、早く話してくれよ」
「何を言っている。今の話が面白い話だ」
「……あっそ。感想、つまらなかったです、まる」
つくづく腹の立つ餓鬼だ。こいつは。
「隼人、お前なあ、人の話を最後まで聞かないでつまらなかったですはないだろ」
「最初っからくだらなすぎ。俺くらいになればサンタクロースなんていねーって知ってるし。それにおっさんがサンタクロースだとか。嘘にも程があるわ」
「よーし、言ってろよ。サンタはいるんだぞ! 」
「うわあ……何、おっさん、サンタとか信じてんの? うわありえね〜……」
若干、いや思いっきり引いた目でこちらを見てくる生意気少年。警戒するような目つきで俺を見ながら、さっき運ばれてきたクリームソーダをずずずっと吸っている。ちなみに緑色の炭酸飲料の上に乗っている、白色の甘くて冷たいアレは、運ばれてきて数秒も経たないうちに、クソ坊主の腹の中へと姿を消していた。
なんでも、バニラアイスとメロンソーダが混ざるのが嫌だそうだ。それならメロンソーダとバニラアイス、それぞれを頼めばいいと思うのだが、それをこの生意気っ子に提案すると「何言ってんの? スピード勝負出来ないだろ! 」と凄い形相で反論されてしまった。全く、クソ小学生の考えていることは、さっぱりわからない。
俺はため息を吐きそうになるのを必死に抑えて、目の前に置かれたブラックコーヒーを飲んだ。ほら、だってため息をつくと幸せが逃げていくって言うじゃない。ただでさえ、こんな生意気坊主の世話をしてやんないといけないのに、これ以上不幸を呼び込んでも俺、困るし。
コーヒーをもう一口飲む。俺は砂糖もミルクも入れない派だ。言うまでもなく苦い。苦い。苦い。苦い……ここのコーヒー苦くね? ほら、丁度このクソ餓鬼を相手しているみたいにさ。
「ねえねえおっさん、今日の晩飯何? 」
「んん? ああ、昨日お隣さんからハタハタもらったから煮つけ作ったんだ。今旬だし、美味しいぞう? 」
「ええー、魚あ〜? 」
「食いたくなかったら食わなくていいぞ」
俺はニヤリと笑って言ってやった。生意気少年は一瞬固まったあと、「いや、食べる」と言う。魚料理にすると決まってこいつは嫌な顔をするのだが、まあ食わなくていいぞと言って、食わなかった試しがない。一応、何でも食べるのだ。好き嫌いしないで食べるのはエライと思うぞ、少年よ。
「さあて、あとはレンコンのきんぴら作ってーと、そんなもんでいいだろ」
「ずっと思ってたんだけどさ、おっさんって何気料理うまいよね」
頬杖をついて、窓の向こうを眺めながらカッコつけて言っているクソ餓鬼。何? 馬鹿言わないでくれよ、こんなクソ餓鬼に褒められてもときめかないし、嬉しくもない。何だって? 口元が緩んでる? そんなわけないだろ。この俺が幼男にたぶらかされるわけないのだ。え? それを生意気な餓鬼が、この世の汚点を見るかのように眉間にシワを寄せてそっぽを向いてるって? それは、ほら言うだろ、ツンデレだ。ツンデレ。
てか、こいつ絶対ナルシストだな。頬杖ついて窓の外見ながら「お前の料理、美味いよ」ってさ。どっかの恋愛シュミレーションゲームじゃないんだから。ああ、男向けじゃなくて、乙女ゲーの方ね。——よし、決定。こいつのもう一つのあだ名は生意気ナルシ。クソナルシー。うんうん、いいぞ。
「……おっさん、俺の悪口考えてないでさ、どうせ話も面白くないんだし、さっさと帰ろうよ」
「なぬっ⁉︎ おぬし何故……! さては読心術の使い手か⁉︎ 」
「おっさん、いまだに中二病とかなの? 俺、そういうの興味ないから、他の奴にやってよ」
こ、こいつ、危険だ。人の心を覗きやがった! まさか日々のアレも? 綺麗な女性の方とか見て、あんな事とかそんな事を思ったことも、ダダ漏れなのか⁉︎ ——はっ! 今の俺は誰だ? この純粋無垢な俺が、そんな不埒な事を考えるわけないではないか! 心の中に勝手に住み着いている悪魔めっ、さっさと出て行くがいい!!
「…………おっさん、ねえおっさんってば! 」
「うわははいっ!! 」
「何その返事。早く帰ろうよー」
「ああ、そうだな……」
いつもより心拍数が多い。心臓が、告白する前のようにドクドク言ってるよ。うう、この馬鹿ナルシーの前では絶対に不埒な事を考えないようにしよう。うん、そうしよう。
俺は丸められている伝票を持ってレジへ。メガネの巨乳のお姉様がレジをピッピッとかやってお勘定している。ふむふむ、——Eだな。ナイスバスト。
——はっ! そうだ、このクソガキナルシーの前では不埒な事を考えてはいけないのだった!
「おっさん………………」
生意気ナルシストが何かを言いかけて、やめる。え、何? 何その哀れむような目は。いや、マジで読心術使えるとかやめてね? 違うよね??
「640円です」というお姉様の抑揚のない声音。おいおい、もうちょっと愛想よくしようや。お客様には営業スマイル、だろ? ここのファミレスの教育はどうなっている。
俺は黒いくたびれた革サイフから、金貨一枚と銀貨一枚と銅貨四枚を出すと、レジカウンターの上へと置いた。くそう、これでもうちょっと笑ってくれれば、俺の胸へのドストレートになるんだけどなぁ。
そんなわけで、俺と小学生ナルシーは小さなファミレスをあとにしたのだった。