泣くのはもう止めましょう
「エ、エ、エリ……ス」
動揺して、どもってしまったのは仕方がない事でした。
エリスは今まで一度も泣いた事などありません。
お義母様に幾度となく嫌みを言われ、嫌がらせをされ、それでも私の前で泣いたことは無く、困った顔で、それでも笑いながら私にお茶を用意してくれるのが常でした。
そんなエリスが泣いているのですから、動揺するなという方が無理な話です。
「申し訳ありません、お嬢様。お目出度いお話だというのに、涙など。ですが、嬉しくて」
「ありがとう。エリス」
私がビーン様をお慕いしていると、知っていたのはエリスだけでした。
学園で、私と親しくしてくれた方は数人だけ、後は敵ではなくても味方でもない、ほんの少しの気の緩みからどんな言い掛かりを付けられるか分からない。
常に気を張って、常に警戒して過ごす毎日。
ビーン様に助けていただいた、たった二度の思い出だけを大切に、エリス以外の誰にも気付かれないように、そっと胸にしまいこんで暮らしてきたのです。
「もう泣かないで。ビーン様が私を望んで下さったのよ、どうしてなのか分からないわ。でも、私を思って下さったなんて図々しい事は、考えないようにしなくてはね。きっと気紛れか、第一夫人の事を思っての事かもしれないわ」
「お嬢様は、あの」
「お父様は何もおっしゃらなかったけれど、私が第一夫人の筈がないでしょう? 家柄が釣り合わないもの」
平成生まれの日本人の記憶がある私には理解し難い事ですが、この国の貴族は第二夫人まで持つことが認められています。
王家なら正妃と側妃と呼ばれますが、貴族は第一夫人、第二夫人と呼ばれます。
男性しか家を継ぐことは許されない為、正妻に男の子が産まれなかった場合の保険の為の制度なのだと聞いたことがありますが、両親を見る限りあまり良い制度とは言えない気がします。
「ですが」
「私は子爵家の娘でしかも庶子。その上母親は平民よ。お飾りの夫人に丁度良いと思わない?」
「お嬢様、そんな風に考えるのはお止めください。旦那様は奥様を本心から思っていらっしゃいました。その事はこの屋敷で働くすべての者が存じております。あの方が無理矢理嫁いで来られなければ、きっと奥様は」
エリスは私を励まそうとしてくれますが、長年培ってきた後ろ向き思考はそう簡単にはいきません。
前向きになるどころか、お母様の悔しさを思い出し涙まででてきてしまいました。
「お、お嬢様」
「私が笑顔でいることが、亡くなったお母様の望みだと知っているのに、私って駄目ね」
お母様が亡くなった時も学園を退学することになった時も、私は無力でした。
幸せが近づいたと、あと少しで幸せに手が届くと思った私を嘲笑う様に、絶望がやってくるのです。
「もう泣かないわ、理由は分からないけれどビーン様が私を望んで下さったのですもの」
泣いている場合ではありません。
考えなくてはいけないことが、沢山あるのですから。