ユタの夏
ある菓子を見るたびに、「私」は遠い夏を思い出す。ユタと呼ばれる沖縄の霊能者、あるいは占い師と会った、ほんの一時間の出来事を。
ユタを買う、という表現がある。
ユタとは沖縄の霊能者あるいは占い師のことで、守護霊と話ができたり霊障の原因を視てくれる人を指す。私が知るかぎり、そこらにショップを構えているような人たちではなく、会うことも簡単ではないという。
何年も前、ひどく心が弱っていた時期があった。そんな折、たまたま友人から沖縄旅行に誘われた。その話を知人にしたところ「それならユタに視てもらってはどうか。つてがある」と教えてもらった。
霊障があるとかないとか、そういう話ではない。心の状態を視てもらい、アドバイスを受ければすっきりするかもしれない。今の貴方にはそういうことも必要かもしれない、という理由だった。
沖縄の日差しはまぶしく、滞在中はサングラスを外せなかった。
私は半日ほど友人たちと別行動する時間を設け、紹介されたユタに会いに行った。年配の女性だった。秘密厳守の約束なので名前や住所はもう手元にないし、風貌についても公開はできない。
面会できるのは一時間だけだった。私は話したいこと、誰かに聞いてほしかったことをポツポツと話した。ユタはあまり質問を挟まず、静かに話を聞いてくれた。
ひととおり思うところを打ち明けると、彼女は紙とペンを私に差し出した。
「貴方の家の周りを地図に描いてください。簡単で構いませんが、方角だけは正確に教えてください」
言われた通りに当時の住居周辺の地図を描くと、彼女はそれをじっと見つめた。静かだが気圧されるほど真剣な表情だった。
やがて彼女の口が開いた。
「信じるかどうかは貴方次第です。気休めにしかならないかもしれません。それでも、貴方が少しでも楽になれたら嬉しいです」
彼女はそう前置きし、地図に赤エンピツで色々と書き加えていった。方角が関係するところを考えると、風水の類だったのかもしれない。
そして道路に面した南西の角に、大きく丸がついた。
「ここに花とお水を供えてください。もし何かが貴方に悪さをしているなら、ここに原因があります。花を供えたら、この言葉を三回唱えてください」
ユタたる彼女は、紙にカタカナで長い呪文のようなものを書いてくれた。どこの言葉かまったく分からなかった。
正直に言えば、眉唾ものだと思う気持ちもあった。とはいえ、アドバイスを実行したところで損があるとも思えない。まずは信じてみようと決め、料金と事前に用意しておいたお礼の品を差し上げた。ちなみに料金は数千円と、とても安かった。
後でこの話を友人にしてみると、「風水とイタコは別の系統だよ、なんか怪しいな」と言っていた。それでも構わなかった。信じて気休めになるかどうかが問題だからだ。
ユタのもとを去る前に、もう一つだけ聞いてほしいと打ち明けた。
実は沖縄へ来る前、北海道へ何日も一人旅をして、「とほ宿」と呼ばれる小さな旅人宿をいくつも泊まり歩いた。
その旅ではどういうわけか、泊まった宿で必ず心に傷を抱えた旅人と出会った。「今日はどこへ行くんですか」などと気楽に雑談しているうちに、彼らはごく自然に心の傷を話してくれたのだ。
仕事のストレスでうつを患った人。
家族と折り合いが付かず、旅先でアルバイトをしながら道内を転々としている人。
自分が率いる団体のメンバー間に軋轢があり、団体存続の危機を前に飛び出してしまった人。
彼らと語らい、心の重荷を聞くたびに「気が楽になった。ありがとう」とお礼を言われた。ある若い女性に至っては泣き出し、何度もお礼を言ってくれた。
あの旅で私自身も救われたし、心に力をもらえたと思う。しかし今でも不思議でならない。あれは一体どういう巡り合わせだったのだろう?
彼女は静かに答えた。
「それは貴方の力です。貴方には、そういう人たちを助けられる縁がある」
本当か嘘か、根拠が何なのかも分からなかった。それでも、はっきりと言葉にされて勇気付けられたことは確かだ。
去り際に大きなビニール袋を渡された。袋には沖縄の名産菓子、手作りのサーターアンダーギーがぎっしりと詰まっていた。
「お友達の皆さんと召し上がってください。そして、一緒に食べることができるお友達がいることに、感謝を忘れないでください」
私は深く頭を下げ、ユタの家を辞した。
帰りの飛行機で友人たちと食べた菓子は少し固く、甘かった。
帰宅してさっそく花と水を捧げ、まじないを唱えた。
それと分かる出来事は何もなかった。それでも気休めにはなったし、誰かに何かをしてあげられる縁や力があると断言されたのだ。悪い気がするわけもない。
あれから十年近くが経った。
私の人生は、その後も安定しているとは言えない。
しかし、私以上に辛い人たちとは数多く出会った。そのたび、彼らに自分の体験談や気付いたこと、助言めいたことを伝えてきた。
知らなかった。気付かなかった。そんな考え方もあるのか。ありがとう――
私自身は大したことをしていないと思うのだが、なぜかそのたびに感謝される。
ユタが教えてくれたことが真実だったのかどうか、今でも分からない。
それでも、私には誰かのためにできることがあると断言してくれたことに感謝しているし、その言葉は今でも私の力になっている。
彼女はもう、お婆さんになっていることだろう。そして時おり訪れる人々に、袋一杯のサーターアンダーギーをふるまっているに違いない。
どこかの店でサーターアンダーギーを見かけるたびに、あのまぶしい夏を思い出す。