二章2
それから談笑を交えつつ一時間ほどで食事を終えた後、薫は二人に風呂に入ってくると伝えてリビングを出た。
自分の部屋に着替えを取りに行き、風呂場へと向かう。
風呂場に着くと瞬時に扉を閉めて鍵をかけた。
「……ふう。これで進入してこれないだろう」
なぜ鍵をかけるかというと、月菜が入浴中に背中を流しに入ってくるのである。それだけなら大歓迎なのだが、どうも妹は加減を知らないらしく、僕の背中を完膚なきまでこすってくる。それはもう、垢だけでなく新たな皮膚を作り出す細胞まで落としてしまうくらいに。だから役得ではあるものの一種のトラウマでもあるためご遠慮する次第だ。
今、妹と一緒に風呂に入れるのになんてもったいない! なんて思ったやつ、一度食らってみるといい。それでも一緒に入りたいと思う奴は正真正銘Mだ。僕が保障しようじゃないか。
……なんか会長っぽいな。
「月菜、桜花、風呂空いたぞー」
有意義な風呂に入った後、リビングで談笑している二人に声をかけた。
少しでも節電しなきゃな。
「うん。分かった」
「はーい」
二人とも笑顔で頷く。
「いこっか、お姉ちゃん」
「うん。そ、その薫?」
「何?」
「そ、その……」
歯切れの悪い桜花。その態度から薫は一つの推測を立てる。
「大丈夫。心配しなくても覗かないよ」
心配をかけないよう笑顔で言う。
「……なんだ」
「ん? なんか言ったか?」
「ううん。いこ、月ちゃん」
桜花は露骨に表情を曇らせて、月菜の手を引いてリビングを出て行った。
「何か悪いことしただろうか?」
*
翌日。
結局、昨日は全員風呂に入った後寝てしまった。
「……ん」
外から差し込んでくる日の光は朝であることを示していた。
〔……眠い〕
薫は目線だけで机の時計をチラリと見る。現在六時半。
〔もう少し寝れるか……起きたら寒そうだし〕
そう思いつつ、薫は布団を引っ張り、包まろうとしたその時、フニャっとした触感とぬくもりが腕――いや、体全体に伝わってくる。
〔あったかいけど何か重い!〕
体が謎の重みで動かないので腕だけで布団を捲る。
「はあ……お前かよ、桜花」
体の上には、昨日突然やってきて、居候することになった幼馴染。神奈崎桜花がすやすやと寝息を立てていた。
さて、僕がなぜこんなにも冷静でいられるのかというと、もうお分かりだろう。
「仕方ないな。……桜花、起きろ!」
ゆさゆさ……反応なし。
「おーい」
ゆさゆさゆさ
「……?」
「おはようさん、桜花」
「おはよう、薫 ……お休み」
桜花は僕に朝一番の笑顔を見せてくれた。しかしまだ眠いのか、再度眠りに入ろうとする。
「相変わらず可愛いな、お前は」
よしよしと桜花の頭をなでる。桜花は猫のような目をして、さらに身をよせてくる。布団がなくとも体温で十分に暖かった。しかし、薫は朝の支度があるので、長くそうしてはいられない。
「よしじゃあ――ちょっとどいてくれません?」
「?」
その言葉に目を開けて首をかしげる桜花。その行動に苦笑しつつ言う。
「? じゃなかろう。僕の上からどいてくれないと起きられないって」
「やだ」
「……やだってお前な。もうすぐ僕は朝食の支度を……」
「月ちゃんにやらせれば」
おもいっきし、わがままをぶつけてきた。彼女にしては珍しく譲らないようだ。
「でもそれはダメだ。これは二人で決めた約束だからな」
朝からそんな会話を繰り広げていた時、「ドンドン」と扉が叩かれた。
『お兄ちゃん起きてる? 今日の当番お兄ちゃんだよ!』
そんなことは分かっていますとも!
「月菜もああ言っているしさ、どいて」
「ぶー」
「わがままは嫌いだぞ」
と親のような口調で言った。
すると、今の言葉が効いたようで桜花は膨れっ面のままではあるが薫の上から降りてくれた。
起き上がり、布団をたたんでクローゼットに押し込む。
「さてと、朝食作りに行くか」
「お兄―ちゃーん」
……何をそんなに急いでいるんだ? 月菜は美術部だから朝錬とかは無いと思うが……。
「行ってあげた方がいいか」
薫は桜花を引っ張って部屋を出る。すると、目の前で月菜が限界まで口を開けて愕然としていた。
「お、お姉ちゃん! な、なんでお兄ちゃんの部屋に居るの!」
うん、月菜。それには僕も同意見だ。
と薫は思いつつ、後ろにくっついている桜花を見る。彼女は少し間をおいてから
「……おはよう」
ごまかした―!
「え? あ、うん。おはようお姉ちゃん。……じゃなくて! どうして答えてくれないの?」
月菜が怒りながら言うと、桜花はさっと薫の背に隠れる。
「も~、なによ! お兄ちゃんもデレデレして!」
「デレてない! というか月菜ストップ! それと、桜花も影から睨まないの! ……で、月菜。今日はなんで急いでるんだ?」
ヒートアップしそうなところだったので、話をそらした。
「あ、そうだった。お兄ちゃん、今日魔術試験あるんだよね? 八時から」
月菜の言葉を理解するのに、たっぷり十秒かかった。
「……え? ギャー忘れてたー!」
碌な確認をせず寝てしまったのは失態だ。
テスト開始まであと一時間と十五分。朝から騒々しい八城家であった。
*
薫たちは急いで準備をし、なんとかテストの始まる時間に間に合った。
このテストは新入生のクラス決めの参考とするものらしい。書類ではどうしても図り切れない実技の部分の計測だ。
南星学院は珍しくもクラスの力量を平均に保つことで有名だ。
授業の質もさることながら、切磋琢磨する環境を整えることにも力を入れている。そのために格差をなくすことはできないが、格差差別を極力減らすことに努めている。今日のテストは書類に書いた各々の技能を披露し判定するというものだ。
一番広い競技場に集められ、学籍番号順に能力を発動していく。
薫はこれから一緒に学んでいく仲間の力を知りたくて、観察していた。
やはり、新入生というだけあってインパクトは少ないが、綺麗な魔術を使う生徒が多い。この学院に通える資格を持っているだけのことはある。
そんな観察をしている傍ら、自分はどうするべきか迷っていた。薫は実質魔術が使えない。よって、彼にはこのテストの意味は無い。
召喚獣を出せればいいのだが、生憎とメンテナンスのため手元に相棒も、桜花も別の場所でいないし、発動するためにかなり時間がかかってしまう。
「次の方」
そうこうしているうちに、順番が回ってきてしまったらしい。
「あ、はい」
「って、おや君は……」
薫の顔を見るや、教員は手元の資料と薫を往復する。そして教員は申し訳なさそうに苦笑した。
「わざわざ来てもらってすまないね。君はテストの必要がなかったな。次の人と交代してもらえるかね?」
「あ、そうですか。 ……ありがとうございます」
教員の配慮によってテストが免除されたのだった。
そのせいか、順番待ちしていた生徒から奇異の目で見られるが、体質上仕方ないので許してほしい。
薫は速足で列から抜け、桜花のいるであろう会場に回る。
すると競技場一帯が薫の知る魔力で包まれた。そして会場の温度が急激に低下したのだった。何事だと、全員の視線がその原因に向けられる。薫もそちらに顔を向けると案の定、幼馴染の姿がそこにあった。目をつむり、注目されていることを感じなくすることで自然体を保っていた。そして今度は低下した室温が逆に上昇し、蒸し暑さが会場を埋め尽くす。
「はい、そこまで!」
一人の教員が叫ぶと、会場の気温は適温へと戻った。
目を開けた桜花は多くの視線にびくつくと、その場から逃げ出し、まっすぐこちらに向かってきた。
「おいおい、まじかよ。本当にあれ、俺らと同じ新入生かよ」
近くにいた男子生徒が呟いた。
「なんでも、M・Lのお嬢様とか」
「それ、ほんとかっ!」
「憧れるわね。将来の有望じゃない」
「けっ、俺もあれくらい」
「やめとけって、恥かくだけだぞ」
この日、桜花の存在は一瞬にして学院中に広まったのだった。
続きです。