九章1 決戦前の早朝
澄み切った空気を肺いっぱいに吸い込み、其れを薫はゆっくりと吐いた。口元は一瞬白く染まり、霧散した。
時刻は午前六時を回るころ、日の出とともに光ははっきりと世界を照らし出していた。
そっと目を開けて、自然に囲まれた先の街並みを学院の屋上から眺める。
一通り見終えた薫は視線を上げていき、街を越えてその先にある海、そして水平線を見つめた。火の光を浴びて水面が光り輝く様は、精神が引きこまれそうになるほど幻想的な光景だった。
この依頼を始めるまで、この景色を知ることはなかった。
薫はこの景色が気に入っており、最近の密かな楽しみと言って過言ではない。
依頼内容は見張りであり、何も起こらないに越したことは無いが、基本暇な仕事である。景色を楽しむくらいの役得は在ってもいいと思う。
「っと、そろそろ戻らないと全員来ちゃうな」
荷物は生徒会室に置いてきていたので、もし先に誰かが来ていたとしても薫が学院内(?)にいることは分かるだろう。例え気付いていようとも、遅れれば影里あたりに怒られそうではあるが。
薫はフェンスから離れ、反対側へと移る。
最後の確認だ。
ざっと見る限り、練習している生徒はいないようだった。
中間試験が明けてから今まで大きなことは起こらず、規則委員会は営業休止状態だった。それにより皆、生徒会活動に専念することができた。
しかし、平穏とは瞬く間に瓦解するものであって。
ここ一週間、生徒会……いや、学校中がざわつきというか慌ただしさを見せている。今週が過ぎれば七月であり、本来であれば期末試験がやってくる時期にも関わらずだ。
その原因は夏休みに行われる四校対抗戦、通称フロンティアである。
南星市をはじめ東星市、西星市、北星市にある姉妹校四校が合同で行ういわば体育祭だ。とは言え、内容はランク別のリーグ戦がメインで、あとは学校が決めたメンバーによる団体戦の二種目だけと聞いている。一般の体育祭とは内容がかけ離れているし、項目も少ない。それでも生徒たちはフロンティアに向けて他校以上に熱を入れて準備に取り組んでいた。
なぜならフロンティアは期末試験でもあるからだ。全ての評価は魔術力によってつけられる。
魔術師の本来の目的は人間と悪魔の共存、研究、戦闘など実技が中心となっていく。
だからか、学院の決まりで中間は筆記、期末は実技で評価されることとなる。
薫がここにいるのも期末に向けて腕を磨こうと人の目を盗んで練習している生徒がいないか発見するためである。
「実技試験、どうなるんだろう……」
先週まで期末試験に筆記は存在しないことを薫はすっかり忘れていた。
中間ではトップを独走した薫だが、実技となるとそうはいかない。
魔術どころか魔力を持たないとされる自分は正直なところ出られるのかさえ分からないのが現状だった。一応桜花とともに出ればダウゼスを呼ぶことは出来るので召喚士としては認められそうだが、個人戦においてはそうもいかないだろう。
更には魔術を無効化する体質がゆえ、相手が魔術を発動しても薫が避けない限り効果や威力すら分からず、評価がつけられないのだ。
そうなれば、相手側の成績も必然と悪くなるため、こちらとしても申し訳がない。だから薫自身参加はしたくとも参加できないという事情があった。
ただ、薫の成績も関係してくるのでその件について総一郎が掛け合ってくれている。だからあまり心配してはいないのだが、それはそれで総一郎に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。あまりこちらに手を割いてもらっては本来の業務に影響が出るだろうから。
しみじみ思っていると、背中に軽い負荷がかかった。首に腕が回される。頬にくすぐったい感触を覚えた。ほのかに甘い香りが漂い、背中から伝わる柔らかさと体温がその存在を主張していた。
こんなにも自分に身体を押し付けてくるものなどこの学校には二人しかいない。ましてや柔らかい肢体と香りから振り向かずとも相手が分かるほど慣れ親しんだ行為だった。胴に回された腕にそっと触れる。
「どうしたの、桜花? もうみんな集まっちゃった?」
さすがに早い時間から桜花を連れてくるわけにはいかないので、いつもの時間に登校してもらうことにした。とはいえ、生徒会の登校時間はずば抜けて早いため、生徒で歩道が溢れることはなく、桜花も一人で登校できる。
ゆっくりと、力を入れれば折れてしまいそうな細い腕を撫でる。きめ細かい肌は何度触っても飽きない。くすぐったかったのか、腕がかすかに震えるが嫌がるそぶりを見せないためそのまま撫で続ける。
「ううん。まだ会長たちが来てないよ」
ふるふると首を横に振られた感触が肩越しに伝わってくる。
となると、また木逆先生を起こすのに時間がかかっているのだろう。毎日生徒に起こされる先生など今まで聞いたことがないが、事実彼女は毎日会長コンビに起こしてもらっているというのだから驚きだ。
しかし、もうすぐ二ヶ月の付き合いだというのに木逆先生のことを全く知らなかった。
薫は彼女が授業を受け持っているのかどうかすら分からない。知っていることといえば生徒会顧問という肩書があることくらいだ。それ以外は生徒会室で寝ているかコスプレしているところぐらいである。
「桜花、木逆先生を生徒会室以外の場所で見たことある?」
またもや否定が返ってくる。下手したら職員室でも寝ているのではないかと薫は思わずにはいられなかった。いや、最悪生徒会室から出ていないのではないか?
「さすがに無いか」
あくまでも南星学院はエリート校として知られている。そんな学院がだらけきった教師を採用し続けるはずはないだろう。
彼女について薫が知る範囲でまとめるとすれば、無口でコスプレ好き。睡眠がなによりの友達である先生……うん、十分変人だった。ある意味変人集団の生徒会にマッチしているが、それでいいのだろうか。
「さて、いつもならくる頃だろうから戻ろうか」
「うん」
屋上へと通じる扉を施錠し、二人は生徒会室へと向かった。
第三部のプロローグ
いつも通り短いです。
次回投稿は来週を予定




