一章3
「ちょうど―」
「調度よかったー。薫君に会えて。ねえ、私このビルに用があるんだけど、ついて来てくれない? ねっ、ねっ、行きましょう! そうしましょう!」
長瀬副会長は僕に発言権をくれず、子供みたいに僕の腕を引っ張って、ビルに引きこんで行った。
結局、考えていなかった選択肢四番目。〝僕が連れて行かれる〟となった。まあ何より、入る手段が確保できたからいいか。あと、先輩。女性なのに僕より力が強かったのには驚いた。
実際に中へ入ってみると薫が想像していたものを遥かに超えていた。
このビル一階の広さは大規模スーパーと同程度でだろう。外見から大体の大きさは把握していたが、中に入って直に見ると外より広く感じる。
それが何層もあるのだから驚きだ。
どうやら一階は流行品売り場らしく、値札に「今流行している品」などと書かれている。
「今日は珍しくタイムセールだったのよ。駅が込んでいたのはきっとこれのせいよ」
「そうだったんですか」
と、適当に聞き流しておく。僕が欲しい情報は別のものだ。
「ところで先輩。1Fのトイレ、どこにあります?」
先輩は目を丸くして、きょとんとしていた。
「へ? 何を言ってるの薫君。ここにあるのは女子トイレだけだよ?」
予想通りの答えが返ってきた。
だが……同伴の男性は如何するのだろうか? 我慢することを強制されるお店とは何ともリスキーだった。
「ええ、それは知っていますよ。……ただですね。そこに友達が待っているので……助けに行ってあげないと」
「はい? 何を言っているの?」
「まあ、行けば分かりますので、お願いします。先輩」
と言って、薫は頭を下げた。僕達を見ていた周囲のお客さんが何あれと奇異の視線を向けてきているのが分かる。
「しょうがないな~。かわいい後輩のためだと思えばいいか」
と、折れてくれた。そして僕らはこれ以上注目を浴びぬよう早足でトイレに向かった。
*
場所は変わってトイレ前。1Fのトイレはここしかないとのことなので、間違いないだろう。
ここでも僕は悩むことにあった。トイレまで来たはいいが、肝心なことをすっかり忘れていた。それは、
「僕が女子トイレに入れるわけが無い!」
と、自分につっこんだ。
なんで忘れていたんだ? さっき先輩が女子トイレだけだと言っていたのに。こんなの、考えればすぐ分ったのに!
「君っておもしろいねー」
慌てふためく薫の横で奇行を見ていた先輩がケラケラ笑いながら僕に言う。自分でもそう思いますよ、先輩。
「何かいい案、ないかなぁ」
つい声に出してしまった。
「……それじゃあさ、私が中に入って人がいないか確認してくるっていうのはどう?」
先輩が提案してきた。
「先輩、やってもらえます?」
「うん。いいよいいよ。……というより、提案したのは私だしね」
と、明るく答えてくれた。ありがたい。
「じゃあ、お願いします。……ああ、すいません。もう一つお願いしたいことがあって、僕に連絡したあとどこかに隠れていてもらえますか?」
「はい?」
「いやですね」
と僕は桜花について説明し始める。主に人見知りの件について。
それを先輩は腕を組み、うなずいて聞いていた。
「じゃ、行ってきまーす」
先輩はトイレに入っていき、しばらくして
「誰もいなかったよー」
「そうですか。ありがとうございます、先輩」
運がよかったらしい。
先輩にお礼を言ってから、携帯を取り出した。そして桜花の番号をコールする。
『もしもし、薫』
「待たせてごめん、桜花。今、トイレの前にいるから、出てきてほしいな。中には誰もいないから」
『……薫、中に入ったの?』
「い、いや入ってないからね! 入ってません! 信じて!」
速攻で否定する。というより桜花。今それを言う?
『じゃあ、なんで誰もいないってわかるの?』
「知り合いに教えてもらったの! 本当だから出てきてお願い」
『本当に誰もいない?』
「本当本当」
先輩が出てこなければ。
「分かった。信じるからね」
「うん」
と短めに答える。裏切らないでくださいよ、先輩。
ガチャと、鍵が開く音がした。足音がだんだん強くなって、トイレから桜花が飛び出してきて、僕に抱きついてきた。薫は桜花を受け止め切れず背中から倒れる。それまではよかったのだが、
「ぐぼっ!」
抱きついた拍子に桜花の持っていたカバンが薫のわき腹に直撃! 薫選手、一発K・O! 桜花はそんなこともおかまいなしに
「怖かった」
と、力の無い声でつぶやいて、薫の胸に顔を埋めた。
「……ごめんな、一人にして」
痛みに耐えつつ、震えている桜花を力強く抱き返す。
「ごめんな」
特に謝る必要もないのだがそれで彼女が安心するならと、もう一度謝った。
「あのー、お取り込み中失礼しますが~」
「うわっ!」
「ひっ……」
安心していた桜花の顔が次第に青く引きつっていき――、
「そんなに驚かなくても……お姉さん傷つくな~」
ケラケラと笑いながら、副会長が出てきていた。
出てきちゃったんですか、先輩。
「へえ、桜花ちゃん可愛いじゃあない。でも、うーん、美人の方がしっくりくるかな!」
先輩もかなり美人だと思います。
「と言うか、先輩! 急に話し掛け――」
「キャァァァァァ!」
僕の目の前で盛大な叫び声が響いた。
うー、耳が痛い。
*
数分後。
「こうなるから出てこないでくださいって言ったのに……」
「いやさ、こうなるとは言ってなかったと思うよ?」
うっ、先輩につっこまれた。立場逆転?
「しかしまあ……、ここまで酷いとはね。流石に私もビックリだよ」
「ええ。無言で横を通るまでは平気らしいのですが、話かけられると無理なようで」
追加で説明する。
それで、叫びを上げた本人はというと、僕の肩を力強く握り締めて背後で震えていた。
「仕方ないので桜花を連れて帰ります。では先輩、また」
「あ~、うん。そうした方がいいね」
「ええ。それでは」
僕はおびえている桜花を立たせ、悲鳴にたかってきた野次馬をかき分けて店をあとにした。
一章終了です。