六章2
紅葉館の温泉は砂峰の中でも五本の指に数えられるほど有名だった。大浴場から一歩外へ出ると、露天風呂が現れる。
そこからは館の名の通り、見事な紅葉が満喫できるのである。
勿論それは秋のみではあるが、四季によって山々が多彩な顔をみせてくれるで、飽きることはない。
温泉事態も源泉から引いてきたもので、美容効果もあるとか。
しかし、これらは砂峰のどこに行っても体験することはできるのだ。
なら、なぜ紅葉館が人気なのか。それは―――
「第一に混浴場が存在することが大きいでしょうね。そして、紅葉館の浴場〔大浴場は除く〕全てに仕掛けがあるそうなんです」
影里はちゃぽん、と指でお湯を弾いた。
先に着いた御川たちは、まず、脱衣場から繋がるシャワー室でさっと身体を流し、曇りガラスの嵌め込まれた扉を開けて外に出る。視界には砂峰の町とその奥に広がる海が一望できた。
「ここは浮く(・・)のだそうです」
「浮く、だって?」
「浮く……ような感覚になるだけよ」
珍しく、御川たちの会話に桜花が加わった。
このメンバーに慣れてきた証だろう。
実はこの館、建設にはM・Lが全面協力しているのである。
対魔術壁はもちろんのこと。実は露天風呂は景色を綺麗に見せるために他の宿よりも仕切りが少ないのだ。四隅に設置されている不可視の魔術発生装置がそれをカバーしているので、外から中を見ることはできない。それに遊び心を付け加えて、お風呂全体を不可視にすることあたかも空中に浮いているように見せることができるというものだった。
「感覚だけでも楽しいのならいいじゃない」
長瀬は湯に浸からず、縁に腰を下ろしていた。
彼女の容姿はバスタオル越しでもくっきりと浮かび上がっていて、どこか煽情的に思えてくる。
一人ですらこれなのに、今回は三人もいるのだから、男性陣にとってはなかなか刺激的でもある。こういうものに慣れていないあの人は湯に浸かったきり口をつぐみ、一人外の景色を眺め続けていた。
「しかし、今回の旅行で薫君は遅れての登場が身についてしまったようだね」
「今回は忍のせいだけれどね」
などと冗談を交えながらいると、薫がやってきた。
「いらっしゃい」
いち早く気づいた長瀬はこちらに手招きをしてきた。
彼はすたすたと石で囲まれたお風呂に向かい、空いているスペースに落ち着いた。
「ふむ、これでそろったな」
「……薫、遅い」
「ご、ごめん……って何で謝ってんだ!」
どっぷりと肩まで浸かると薫はようやく一息ついたのだった。
「では八城君も合流しましたので、浮く浮かないの話しは後にして話題を変えましょうか」
「浮く……?」
「蒸し返さんでよろしい」
「後でって言ったばかりじゃない」
「は、はい」
先輩二人に突かれたため、素直に従った。
「ではこんなのはどうでしょう」
彼女は語り出す。
この砂峰市が温泉地と呼ばれるようになったのはわずか二十年前のことである。
それまでは海に面したことから水産業を生業としてきた伝統的な町だ。
ある日、産地直売店を営んでいた男が裏山にある畑に品を収穫しに向かった。
舗装はされておらず、獣道状態となっている道を歩いていると、わずかながら水音がどこからともなく響いていたのである。
最初、男は獣でも出たのではと警戒しつつ音源に近づくと、そこには湯気を纏った岩が存在していたのである。
そっと手を差し伸べるとやはり暖かいを通り越して熱かった。
沸騰中の薬缶を直に触った感覚が――つまりやけどだが、彼を襲った。
しかし、彼はやけどの痛みよりも温泉を発見したことのほうが勝ったので痛みはなかった。
のち、妻に指摘されて痛みが復活したのだが。
畑のことはすっかりと忘れ、すぐさま山を降りると家族にそのことを伝えた。そると家族は歓喜の声を上げ、町中は温泉の話題で持ちきりになったのだとか。
その後、市長などとの会合の末、砂峰は温泉地へと発展していったのである。
「と言うわけだそうです」
一通り話し終えた彼女はぴんと人差し指を立てた。
「しかしまあ、よく調べたね」
御川は苦笑しつつ呟く。
「得意分野ですから」
と控えめな胸を張ってみたが視線が気になったのかお湯の中で両足を抱える彼女だった。いつも落ち着いた彼女雰囲気とは違う一面に少々驚いた。
それからも談笑を交え、空の色が変わり始めた頃合に旅館へ戻ったのだった。




