ついてこないでよ
読者の皆さま。
このお話はシリーズの前作「弱虫のてのひら」のネタばれを含みます。ご注意ください。
この話だけでも読めます。
僕の日課は、朝から僕の部屋で眠る奴を叩き起こす事から始まる。
「いい加減に起きてよっ!僕だって忙しいんだからね!」
居候の男、シンは寝返りを打ちながら擦れる様な声で答える。
「うーん、今起きるからぁ~」
寝起きの悪さは始末に終えない。毎日ウンザリするんだもの。
僕の名前はラビエルド・クレイ。今年の初めから村の学校に通う五歳。
皆、僕の事をとてもしっかりしていると言う。
けれど僕自身は、本当は凄く甘ったれで意地っ張りだと思う。そうシンに言った事があるが、彼は笑ってそう思えること自体がしっかりしている事なのだ、と言った。
部屋から出て階段を下りると、朝食の準備をしていたオリビアが振り返った。
彼女は従姉で事実上僕を育てている親のような人。
「おはよう。シンはまた寝てるの?」
頷くと、呆れたようにため息を吐いてオリビアは椅子に座る。
「食べちゃおう。すぐ起きて来るわよね。」
「さぁ?シンってばいつも僕に起こされるんだもん」
拗ねたように呟くと、オリビアが笑う。
「まぁ、シンも近頃忙しいみたいだし許してあげて。」
ついふた月前に王都からやってきた彼は、本来隣国への旅の途中で行き倒れて、オリビアに拾われたのだ。
彼は出て行くつもりだったらしいが、オリビアに引き止められて居ついてしまった。
「今日は学校休みだけど、どうするの?」
オリビアが、首をかしげながら尋ねる。
「オリーが手伝って欲しいなら、館のほうに行くよ」
「大丈夫、今日はシンに手伝ってもらうから。遊んで来ていいわよ」
「・・・」
シンが来てから僕の仕事はあまり無くなってしまった。
まだ小さい自分にできる事は少ないのだけれど、少し寂しい。
シンは、村を治める為に働くオリビアの手伝いを実に良くこなす。
「どうかした?」
沈黙を破り現れたのは、寝起きのシン。
乱れた髪の毛が凄くだらしない。
それに階段を下りてくる彼は…
―――ガッツン!ガタガタガタッ!ゴン!
凄く凄くすっごく、ドジなんだ。
見事に階段の途中から転げ落ちたシンは、むくりと起き上がると、あくびをしながら椅子に座る。
「またタンコブ増えたよ」
暢気にそう告げる彼が実のところあんまり信用できない。
体中にどこかにぶつけた痣が沢山あるのを知っている。一緒にいると自分まで怪我しちゃいそう。
「オリー、僕は今日外に遊びに行くよ。」
スープを口の中に流し込んで、立ち上る。
「そう。あんまり遅くまで遊んじゃダメだからね。」
オリビアは、いつも口にする言葉を言うと頷いた。
テーブルから離れると、二階の自分の部屋に駆け込む。
オリビアはいつもの通りに、いつもの言葉を言っただけなのに、とっても素っ気無く感じる。
オリビアの隣に居るのが、僕じゃなくてシンに変わってしまったからなのかな。
壁一面を埋る今はいないオリビアの兄キフィが残した沢山の本を前に僕は立ち尽くす。
「キフィ…」
キフィの代わりに自分がオリビアを助けてあげようと、沢山の勉強をして来たけれど、もう必要が無いのかな。
目の前に並ぶ本棚から、まだ読んだ事のない本を一冊と、大事に何度も読んでいる本を手に取って、机の上においてある鞄に詰め込む。
そうだ。
久しぶりにお母さんに、会いに行こう。
こんな弱虫な僕を、抱きしめてくれるかな。
台所から、オリビアが焼いたビスケットとジャム、それからミルクを持ち出して家の外に出た。
村で一番大きなお屋敷に住んでいるのに、オリビアは僕の知る限りではお屋敷のほうには住んでいない。
裏庭にある使用人の家の隣にある小さな家に僕たちは住んでいる。
前に尋ねたら、あまりにも広すぎてみんな迷子になっちゃうから、と冗談めいた事をオリビアは言った。
広場の噴水の前には、いつも遊ぶ友達が集まっていた。
ボールで遊んでいた輪の中から、仲良しのココが出てきた。
「ラビ!一緒に遊ぼうよ!」
「僕、今日は遊ばないよ」
そう答えると、二つ上のはずのココがいじけて、口を尖らせる。
「どうして? 今日は畑も学校もお仕事も無いじゃないの」
「うん。僕、お母さんに会いに行くんだ」
不思議そうな顔をしてココが口を開く。
「…でもラビのお母さんは…、私も一緒に行っていい?」
「ダメだよ。僕、一人で会いに行くんだよ」
首を振ると、ココは肩を落として頷いた。
「気をつけてね」
手を振りながら別れる。
広場から対角線上に綺麗に伸びる通りを北西に進む。
そちらには、村の畑が広がっている。
沢山の野菜が育てられていて、いつもオリビアに皆が分けてくれたりする。もちろん、僕たちも野菜を育てているんだけど。
僕には能力者としての能力がある。
決してこのプレセハイドの村では珍しい訳じゃないけど。
けれど、僕やオリビアは能力者一族の直系だから、とても力が凄いんだ。ふふ、自分で言っちゃった。
何の能力かと言うと、それ自体は多くの人が持っているアマゴイなんだ。
でもね、雨を降らせるのに普通は三人とか人が必要なんだけれど、僕は一人でできるんだ。この前、村の長老に褒められたんだよ。
考え事をしながら歩いていくと、村を取り囲む高い塀が見えてきた。
それは本当に高い高い塀で、昔、悪い人から村を守るとために造られたと聞いた。
この高い塀を僕は、もちろん越えることができない。
ここには無論、扉が隠れているわけじゃなかった。村の出入り口は、西側に正門が一つ、南側に隠し扉が一つだけ。その両方からは僕が行きたいところへは遠回りなんだ。
だけどね、僕なら出られる所があるの。
壁沿いにある木の陰を歩いていくと、木の根元に大きな板が置いてある。それは、塀の下を潜り抜ける小さな穴だった。
僕は、板をずらして穴に身体を捻じ込む。
中は、たいして広くないし、落ち葉なんかが沢山入り込んでいた。
けれど、僕はいつも村から出るときはここを使う。
この道を教えてくれたのは、隣に住む使用人家の息子スターチだった。
彼は冗談半分だったし、本当に僕が使っているなんてきっと知らないだろうな。
身体を滑り込ませていると、急に頭の上に影が出来る。慌てて顔を上げると、
「危ないよ」
にっこり笑うシンが居た。
「大丈夫。いつも使ってるから」
「そうみたいだね」
大していけないことではないようにシンは頷くと、淵にしゃがむ。
「ついてこないでよ」
上目遣いにシンを睨んだ。
「そうだね。僕はその抜け道を抜けることが出来ないなぁ」
「じゃあね」
シンに手を伸ばされる前に僕は体を森に全て押し出した。