サバ女と、公爵令嬢と、王太子殿下
わたくしエミリア・アーネストは婚約者と結婚式の招待客について相談する予定を立てておりました。
ですが、目の前のこれはどういうことでしょう。
「あんたがエミリアちゃん? 可愛い顔してるね、やるじゃんオーギュスト!」
王立学園の騎士科に通う生徒のみが着用を許される制服の第三ボタンまで開け、デコルテだけでなくバストの上半分が露出している女性が、馴れ馴れしくわたくしの婚約者の肩を抱いています。
ストロベリーブロンドの髪色から察しますに、今話題の『あたしってサバサバしてるから』が口癖の特待生シャルルノアでしょうか。
「よせって、ノア。あ、俺のケーキ食うな!」
「もーらいっ!」
オーギュスト殿下の腕に、シャルルノアの胸が触れました。殿下ったら頬を赤らめて初々しいですわ。
学園内のカフェテリアですので、あちらこちらから令嬢の視線が突き刺さります。殿下は周りからの視線をご存知の上で、シャルルノアのこのような振る舞いを許しているのでしょうか。
「……殿下、ここは学園内とはいえ他の方の視線もございます。王太子として適切な振る舞いを────」
「えー、嫉妬してるのエミリアちゃん! かわいー! でもさ、誤解だよ。わたくしとコイツはそういう関係じゃないって。ただの学友だよ! 黒のドラゴンスレイヤーに誓うって、なあオーギュスト!」
ばんばん、と容赦なく殿下の背中を叩くシャルルノア。彼女の言葉を聞いた殿下は……
「……あ、ああ。ただの、クラスメイトさ」
見たこともない切なそうな顔で、寂しそうにそう呟いたのです。
その表情を見ただけで、わたくしは殿下の心がどこを向いているのか分かってしまったのです。
政略結婚ですもの。
婚約者の心が向かないこともあると、貴族の娘ならば誰もが教え聞かされるものです。
覚悟はしておりました。
ですが、目の前でこうも目の当たりにしてしまいますと、心の奥底が痛みます。
……わたくしは、殿下を慕っておりました。
この国をより良いものにしたいと語る殿下の、その遠くを見つめる横顔を見て、『お側で支えたい』と思い、厳しい王太子妃教育に耐えてきました。
「左様でございますか」
なんとか絞り出したわたくしの声は、みっともないほどに震えておりました。
ですが、目の前のお二人には気づかれませんでした。
◇◆◇◆
公爵邸に戻ったわたくしは、父上に学園での出来事を報告しました。
わたくしが口を噤んでも、いずれは噂や使用人たちから脚色されて報告されるでしょう。ですので、先に報告したのです。
「エミリアを軽んじるなど、殿下は……何を考えておられるのだ……!」
父上は、血縁上は叔父にあたります。
わたくしの実父は、黒竜戦争で亡くなられました。
「あなた、国王陛下に直訴しましょう。エミリアはわたくしたちの娘です。このような扱いをされる謂れはありません!」
母上は、まだ乳飲み子のわたくしを引き取るよう、方々に手を回してくださったと聞きます。血のつながりはないというのに、わたくしのことを実子のように可愛がってくださいます。
「申し訳ありません、わたくしが殿下の心を繋ぎ止められなかったばかりに……」
「エミリアに落ち度は一切ない。件の女学生シャルルノアは、俺の学年にまで悪評が届いている。令息に取り入っては夜鷹のように飛び回っていると」
兄上がわたくしを庇ってくださいました。
なんと優しい方たちなのでしょう。
「あたしも賛成だけどさ、ちょっとシャルルノアって奴は気をつけた方がいいかも」
妹のリノアがボソリと呟きました。
みなが彼女に注目します。
「これまで令息に媚び売って取り入る女生徒は何人か見たことがあるんだけどさ、シャルルノアは違う気がするんだよね。なんかそういう人たちとは別の理由で動いていると思う」
リノアの突拍子もない発言ですが、父上と兄上の雰囲気が少し鋭さを増しました。なにやらお二人でアイコンタクトされています。
リノアは妙に勘の鋭い所があります。過去に何度かまるで未来を見てきたかのように物事を言い当てたことがありました。
わたくしも、シャルルノアの動向を少し探る必要がありそうです。
◇◆◇◆
麗日な陽光が差し込む学園の特別庭園。
高位貴族のみが予約した上でしか利用できない場所になります。
「ごきげんよう、エミリア様。貴女様の体に流れます英雄の血が地底の竜を退けますことをお祈りしますわ」
「ごきげんよう、サーシャ様。貴女様の体に流れます父君の叡智が子に受け継がれますことをお祈りしますわ」
突然のお誘いにも関わらず、サーシャ伯爵令嬢は快く手筈を整えてくださいました。
侍女さえ下がらせて始まるのは、学園内にまつわる様々な問題や噂話。
「エミリア様、いくつかお耳にお入れしたいことがございます……」
サーシャ嬢は、わたくしが秘密裏に頼んだ情報を調べてくださる優秀なお方です。
殿下とシャルルノアの振る舞いについて、いつから始まったのか調べてもらいました。
「シャルルノアは黒竜戦争で両親を失っております。正確には父が戦争で死に、数年後に母を後遺症で……と表向きはなっております」
「母は違うのね」
「ええ、母は自害しております。その理由については第一発見者の娘であるシャルルノアは頑として口を開かなかったと」
黒竜戦争。それは、地底に封じられていた黒竜が這い上がり、地上の生き物を喰らい尽くそうと侵攻を始めました。わたくしの父は命を賭して黒竜を地の底に追い詰め、封印を施したのです。
その戦争の爪痕は未だ色濃くこの国に影を落としています。首都より遠い地は、野盗が徘徊しているとも聞きます。
「それだけではないのでしょう、シャルルノアを取り巻く妙な気配というものは」
「……さすがでございます、エミリア様」
シャルルノアは、その悲劇的な出身と抜きん出た才能で特待生として王立学園に招待されました。
男爵家の養女として迎え入れられ、本人の強い希望で騎士科のコースに進みました。成績優秀だったのです、この半年間は。
「優秀な女騎士というものは、どの貴族も欲しがります。護衛騎士が令嬢を手籠にしようとすることがありますからね。男漁りなどせずとも、女騎士として仕事を得た方が、良い条件での婚姻を得られます」
「その通りでございます、エミリア様。シャルルノアは入学時点でいくつかの名家から就職の打診がございました……その全てを本人が書面で署名の上で断っております」
「妙ですね」
そう、妙なのです。
シャルルノアの成績であれば、男漁りなどせずとも立身出世は可能なのです。殿下に取り入れば王妃になれると思ったのでしょうか。
「シャルルノアは、令息から貰った金品の全てをその日のうちに換金しています。その金さえ、孤児院に寄付しています。金や名誉に執着しているようでもないのです」
「ならば、何故……」
得体の知れない不気味さが増すばかりでした。
シャルルノアの背後に貴族の意思が見えないのです。その場の勢いで行動しているには、動機も不明。
「申し訳ありません、我が伯爵家の総力を駆使して調べたのですが、この程度の情報しか手に入らず……」
項垂れるサーシャ嬢の手を握ります。
「いいえ、よくぞ調べてくださいました。シャルルノアの目的は以前として不明ですが、彼女の人となりを調べるならばよく知るものに聞くべきでしょう」
わたくしの言葉にサーシャ嬢の目が光ります。
「なるほど、幼い頃から面倒を見ていた孤児院の長ならば何か知っているかも知れません」
サーシャ嬢が使用人を呼び寄せ、なにやら耳打ちしました。
「使用人によりますと、あと五分ほどでこちらにお越しいただけるそうですわ」
優雅に紅茶の香りを楽しまれるサーシャ嬢。
彼女に倣い、わたくしも紅茶を口元に運びました。
相変わらず、手際の良いこと。
敵に回したくないわね。
◇◆◇◆
特別室に佇むサーシャ嬢とわたくしの姿を見た孤児院の長マーガレットは深々と頭を下げました。
「突然の呼び出しに応じてくださってありがとうございます、マーガレットさん。この場にはわたくしたちしかおりません、どうか楽になさって?」
「エミリア様がこうおっしゃっておりますから、ね。ご安心なさって、質問に正直に答えてくださればよいの」
マーガレットは、皺だらけの顔に大粒の汗を浮かべておりました。
いきなり連れてこられた先に高位貴族の令嬢が二人。萎縮するのも無理はありませんわ。
「マーガレットさん、あなたが昔に面倒を見ていたシャルルノアについてお話を聞きたいの。話してくださるかしら?」
「……シャルルノア、ですか。もしやノアのことでございましょうか」
貴族の養子として迎え入れられる際、庶民としての名を好まない者もいらっしゃいます。親から貰った名を、養親の身勝手で奪う……なるほど、シャルルノアの悲劇的なエピソードを補強しておりますわね。
「ノアは、周りをよく見る聡い子でした。新年の時さえ、孤児院の経営が芳しくないことを悟って、野菜の苗を強請り、それを裏庭に植えておりました。せっかく採れた野菜さえ、己より幼い子に与えてしまうようなどうしようもなく優しい子です」
マーガレットの語るシャルルノアの幼少期の話は、ますます今の学園における振る舞いと乖離したものです。
「マーガレット、今のノア……いえ、シャルルノアが王立学園でどのような振る舞いをしているのかご存知で?」
「いえ、今は孤児院の長ではありますが来週には引退する身でございます。最近は体調も悪く、教会の務めすら満足に果たせておりません……ノアに、何かあったのですか」
サーシャ嬢は、扇で口元を隠しながら、学園でのシャルルノアに関する噂を語ります。
マーガレットはその話を最後まで静かに聞いておりました。
「信じられないことでございます。そのような恥ずべき振る舞いをされているならば、正さねばなりません。ですが……」
マーガレットは細く、長い息を吐きました。
「ノアは、裏庭で野菜を育てる為に自ら鍬を持ち、掌から血を流しても黙って耐える子でした。剣術の訓練で手の骨を折っても、顔色一つ変えません。……目的の為なら、あらゆる苦難があろうとも必ず成し遂げようとするでしょう」
また、これです。
シャルルノアについて調べるたび、背中を這い回る不気味な感覚です。
殿下に近づく意図はなんなのでしょう。
別の国のスパイではないことは、既に確認済みです。そのような人は学園に入学できませんからね。
女騎士としての立身出世、令息からの貢物さえ凌駕する『何か』を、シャルルノアは貪欲に求めているのは分かっているのです。
その『何か』を、わたくしたちは推測することさえできていない。なんと悍ましいのでしょうか。
「ありがとう、マーガレットさん。孤児院への手土産にいくつかの宝石を持たせましょう」
「ありがとうございます」
いくつかの宝石を使用人たちと見繕いながらも、わたくしの頭にはシャルルノアがずっと居座っておりました。
◇◆◇◆
「エミリアちゃんから誘ってくるなんて珍しーね!」
約束の時間にやや遅れて、シャルルノアが屋上テラスに姿を現しました。
強風が吹くたびに、折り曲げた短いスカートの裾が舞い上がって筋肉質な太ももが覗き見えます。
相手がどのように振る舞ったとしても、高位貴族として、未来の王太子妃として礼を失するわけにはいきません。
「この度は突然の────」
「あー、いい、いい! そういう、堅っ苦しいの苦手だからナシでいこ!」
カーテシーをするため、スカートの端を摘もうとした瞬間にシャルルノアは止めました。
「ですが……」
「あたしってさ、サバサバしてるからそういうのマジ苦手なんだよね。学園内は平等って規則にも書いてあるじゃん? だからさ、エミリアちゃんもあたしのことは気軽にノアって呼んでよ。ね?」
人懐っこい笑みを浮かべるシャルルノアの顔を見て、なるほどこのような振る舞いをされる方は令息たちにとって新鮮に映ることに気づきました。
令嬢はもちろんこのような発言はしません。並の平民ならば貴族の怒りを恐れ、関わることすらしないでしょう。
「では、単刀直入に聞くわ。あなた、何が目的なの?」
「さあ。そういう回りくどいことは貴族の専売特許でしょ。まあ心配しなくてもエミリアちゃんがオーギュスト一筋だってのはよおく分かってるし、きみのお兄ちゃんやお父さんが心配性だって言うのも“色んな人から聞いてるからね”」
なんて食えない人でしょうか。
わたくしの質問に答えないどころか、公爵家を牽制してきました。
……何人か大怪我をした公爵家の騎士を見かけましたが、もしや父上と兄上の差し金だったのでしょうか。事前に共有して欲しいのですが、過保護な二人ですからね。何度言っても無理でしょう。
それにしても、シャルルノアは高位貴族を前にしても顔色一つ変わりません。
このような相手は策を弄しても利用されるだけな気がします。ですが、彼女の思い通りにするわけには。
「シャルルノア、あなたという人はどこまで────」
その時でした。
……りん、ごおん。
青空の彼方、王都の中心にある慰霊の鐘が鳴り響きます。
ああ、そうでした。
黒竜戦争終結から十年が過ぎたのです。
今日の午後には、死者の魂を宥める慰霊祭があります。
わたくしの実父が亡くなったのも、ちょうどこの時間でした。
習慣と化した黙祷の祈りを、黒竜が封じられた洞窟の方角へ。
「……へえ、そっちか」
隣から聞こえたのは、ゾッとするほどに冷たい声でした。
にこにこと微笑んでいたシャルルノアの顔からは笑みが消え失せ、代わりに何の感情もない表情だけがありました。
「じゃあ、あとはよろしく。オーギュストの足止め、頼んだわ」
そして、これまで令息たちの肩を叩いていたように、優しくポンとわたくしの肩に手を置きました。
護衛の騎士が反応するよりも早く、ひらりと短いスカートが揺れます。
「なっ!」
シャルルノアは、十階建ての校舎から平然と飛び降りました。
柵をヒラリと越えた体を追って、柵から身を乗り出して探します。
たん、たん、ぴょん。
まるで人形が糸に操られて踊るように、シャルルノアの身体は窓枠やベランダの手すりを巧みに使って移動していきます。
そして、あっという間に校門を飛び越えてしまいました。
わたくしは騎士ではありません。
ですが、あれほどの身のこなしができる者など、王国を探してもいないということは分かります。
「シャルルノア、あなたという人は、いったい……」
わたくしの呟きは風に攫われ、誰の耳にも届きませんでした。
◇◆◇◆
私は、昔からサバサバしていた。
湿っぽいやり取りは嫌いだし、相手を騙すのもなんか情に合わない感じがずっとした。
両親が死んだ時も、その葬式で泣かなかった。
その姿が不気味だと親戚中をたらい回しにされた挙句、孤児院に捨てられた。
悲しいと思わなかったんだ、本当に。
だって、生きているものはいずれ死ぬ。
木から落ちた林檎が地面で砕けても誰も泣かないのに、人が死んだら泣くのは変な話じゃないか。
マーガレットは、孤児院の前に捨てられていた私を見つけて、親戚中をたらい回しにされた話を聞いて、辛そうな顔をしていた。
その理由は分からなかったけど、その人に抱きしめられた時、『この人が本当の母さんだったらいいのになあ』と思った。
あったかいし、ご飯をくれる。殴らないし、怒鳴らないし、分からないことはなんでも教えてくれる。
ある時、マーガレットがうなされていた。
黒竜が来る、と何度も呻いていた。
マーガレットが苦しいと、私も苦しいから、どうにかしたかった。
黒竜。
地の底に眠る、悪いやつだ。
私の両親もそいつに殺されたし、私を助けてくれたアーネストという騎士も死んだ。
黒竜を倒そう。
八歳の頃に、そう決めた。
決めた日から、がむしゃらに体を鍛えた。
足の爪が剥がれるまで街中を走り回り、掌の皮が剥けるまで枝を剣に見立てて振った。
十歳の頃、貴族が私を養女にした。
庶民の名前を捨てろといわれたけど、面倒だったからシャルルノアというそれっぽい名前にした。
王立学園に特待生として招待された。
貴族のマナーはなかなか覚えるのが大変だったが、教えたがりの令嬢たちのおかげでなんとかなった。
しかし、問題があった。
名家から勧誘されるようになると、監視や脅迫が相次ぐようになった。水面下での引き抜きが滞ると、他に奪われる前に消してしまえというのが貴族の考え方らしい。
面倒になったので、貴族たちの理想とする女騎士とは真逆の振る舞いをすることにした。
名家からの勧誘は途絶えたが、今度は中位貴族の令息が露骨に誘ってくるようになった。断ると陰湿な嫌がらせをしてくるようになったので、困り果てたところだった。
『きみたち、やめなさい。学園内で身分を振りかざす行為は学園で禁止されているはずだ』
王太子オーギュストと出会った。
それまで傲慢に振る舞っていた令息たちがいっせいに引き下がるのを見て、これは使える、そう思った。
私が学園に入ったのは、二つ理由がある。
剣の腕を高めること。そして黒竜の居場所を掴む。
学園にいる強者はだいたい倒した。
残るは黒竜の居場所だったが、これが難航した。
黒竜に挑んでは糧になった連中のせいで封印が破られたから、誰も食われないよう秘密裏に隠されている。
王太子に聞いても素直に答えるわけもなく。
これは虱潰しに王国中の洞穴を探すしかないかと覚悟した矢先だった。
慰霊祭の日に鳴らされる弔いの鐘。
その音色を聞いた公爵令嬢エミリアが、そっと身体の向きをずらして目を閉じた。とある方角に黙祷を捧げたのだ。
エミリア・アーネスト。
公爵家の養女であり、実父はルーク・アーネスト。王弟の娘としてやんごとなき血筋に生まれの姫。
入学初日で目を通した貴族名鑑で、恩人たる方の娘であることは知っていた。
黒竜の居場所を掴んだ。
もはやこの学園に用はない。
学園を抜け出し、頭の中にある王国の地図から黒竜の場所を探し出す。
そして、思い出した。
百年前に崩落の事故があって以来、立ち入り禁止にしていされている危険地帯。その中央に洞窟がある。
黒竜は、そこにいる。
◇◆◇◆
シャルルノアが行方不明になって一年。
初めは下世話な噂話に興じていた社交界でしたが、次第に話題は豊作続きの領地に移ろっていました。
「殿下、お加減はいかがでしょうか」
シャルルノアが失踪してから、オーギュスト殿下は心身を壊してしまいました。
心から慕っていた方が、何も言わずにいなくなる。そのお気持ちを考えるだけで、わたくしの胸は張り裂けそうに辛いのです。
「……いつも迷惑をかけてすまない、エミリア」
「殿下をお支えするのが、婚約者というものです」
わたくしたちの婚約は、変わらず続いております。
一時期は婚約破棄まで話が進んだのですが、わたくしの方から継続を願い出ました。
たしかに殿下はシャルルノアの振る舞いを止めませんでした。彼女に向けた思いに対して複雑な気持ちはあります。
ですが殿下は、自ら過ちを認め、わたくしに謝罪をしてくれました。そして胸の内を告白してくれたのです。
『シャルルノアに惹かれる気持ちがあったのは本当だ。しかし、彼女と結ばれることはないと理解している。彼女は一度も俺を見ていなかった』
選ばれない辛さを、わたくしは知っています。
なので、殿下に問いました。
『殿下はシャルルノアの事をどこまでご存知なのですか?』
『……彼女は、俺に何も教えてくれなかった。好きな色、好きな食べ物、好きな景色。嫌いなものも、俺は知らない。あいつは、いつも遠いところを見ていた』
『もし会えるならば、会いたいですか』
『俺は彼女を救ったつもりでいた。逆だった。俺が追い詰めていたんだ。だから、何も言わずに消えた』
わたくしは、あらゆる力を使ってシャルルノアを探しました。
許せなかったのです。殿下の心を奪っておきながら、行方を眩ませた泥棒猫が。そして永遠に殿下の心に居座ろうとしているのが。
けれど、まるで煙のように痕跡さえ見つけられないのです。
ああ、なんて腹立たしい。
そう爪を噛んでしまった時のことでした。
「やあ」
王太子の寝室という最も厳重に守られた場所に、シャルルノアは姿を現しました。
しかし、その可愛らしい顔はすっかり焼け爛れ、いくつもの傷が体に刻まれていました。
「エミリアちゃん、相変わらず君の一族は心配性だね。おかげであたしは裏でも表でも人気者だ」
なのに、口ぶりは学生の頃から変わらずそのまま。
殿下を背に隠して、わたくしは立ち塞がります。
「シャルルノア、あなたという人は────」
ずいっ、と顔の前に掲げられたのは、黒いもの。
部屋の明かりに照らされて、どこか妖しい雰囲気を放っています。
「黒竜の鱗、あんたの実父の墓に供えたいんだが、あたしはどうも湿っぽいのが苦手でさ。ほら、あたしってサバサバしてるだろ?」
「は?」
間抜けな声が口から出てしまいました。
黒竜の、鱗?
「黒竜の鱗は、本体の竜を倒さない限り消える。シャルルノア、久しぶりに会う君がこんな笑えない冗談を……」
「倒したよ、黒竜」
「……え?」
シャルルノアは、さらりと言い放ちます。
「だから、ついさっき黒竜を倒して、急いでここに来た。今日、慰霊祭でしょ?」
「シャルルノア、どうやって黒竜を倒したのですか」
「攻撃しても治るから、治る前に倒した」
ずきり、と頭痛がわたくしを襲います。
「シャルルノア、まさかあなた、黒竜を倒すために学園であのような振る舞いを?」
いつか見た、大輪の花が咲き綻ぶような美しい笑顔を浮かべてシャルルノアは頷きました。
「そうだよ! いやぁ、貴族同士のしがらみとか女騎士とか黒竜を倒すのに邪魔だったからさあ、オーギュストのおかげで厄介な誘いが減って大助かり!」
殿下は、水面に群がる魚のように口を何度もぱくぱくしています。
わたくしも呆れて笑うしかありませんでした。
「シャルルノア、あなたって本当にサバサバした女ね」
「よく言われる!」
「そう……」
シャルルノアは要件は済んだと寝室の窓から出ていきました。
ここまで来ると、いっそ尊敬できるほどに清々しい方です。
「どうやら俺は、あいつの眼中にすら入ってなかったようだな」
「殿下が惹かれるのも分かるほどに、潔く清々しい方でしたわね……」
その日以降、シャルルノアはまた行方不明になりました。
殿下は二日ほど寝込みましたが、三日目には立ち直り、わたくしに再度謝罪されました。
婚約破棄にも応じるとおっしゃってくださいましたが、わたくしはそれでも殿下との婚約継続を願いました。
殿下は、忙しい公務の隙間を縫って、わたくしの元に訪れるようになってくださいました。
シャルルノアから貰った黒竜の鱗を、わたくしの実父の墓に供え、この一年の報告を済ませました。
「殿下、わたくしはあなたと結婚したいです」
ふと、そう思ったのです。
「エミリア、どうしてそこまで俺を……」
「お慕いしております、心の底から」
殿下は、シャルルノアの変わりようを見ても態度はそのままでした。そして、彼女の心が己に向いていないと知り、引き止めることなく見送りました。彼女の行方を探すことすら、していないのです。
わたくしにとって、それで十分だったのです。
「わたくしを愛さなくて構いません。シャルルノアを想っていても良いのです。わたくしは、殿下、あなたのその気持ちごと愛しております」
「エミリア……」
殿下は驚いた顔をしたあと、ぽろりと一筋の涙を流されました。
「す、すまない。泣くつもりは、なかったんだが……」
袖で拭こうとする手を止め、ハンカチで拭ってやります。
「エミリア、すまない、俺は今になって、やっと君の気持ちを……俺は、なんて酷いことを……」
心身を壊されてから、殿下はよく泣くようになりました。医師の投薬である程度は改善しましたが、やはりストレスがかかるとこうなってしまうのです。
「申し訳ないと思われるなら、殿下、これからはわたくしのことも見てくださいませ?」
殿下が震える手でわたくしを抱きしめます。
そのぬくもりを全身で感じながら、墓に供えた鱗に視線を落とし、ようやく欲しいものが手に入ったと一人微笑むのでした。




