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四.未来へ

 交易条件の大まかな詰め合いが終わったところで、その日の会談はお開きとなった。詳細については翌日、改めて話し合われることとなり、夜には会食の場が設けられた。


 話し合いがまずは一歩前進し、両国の官僚たちは安堵の表情を浮かべながら、目の前の料理に舌鼓(したつづみ)を打った。献立も、今までは錚雲(しょううん)式一色であったものが、暁の影響を受け継ぐ品々に変わった。

 食べ慣れた鴨肉などの食材が、錚雲独自の香辛料で味付けされ、懐かしくも目新しい料理となっている。

 遠珂(えんか)は父と卓の隅に座り、美食を存分に楽しんだ。その目の下に隈がくっきりと残っているのは、昨夜、父に一晩中説教されたためだ。


「無茶をするなと、あれほど言ったのに……!」


 そう涙目で叫んでいた父は、遠珂の隣で、普段はあまり口にしない酒の杯を次々と空けていた。


 会食は和やかな空気で終わり、今は皆、部屋のあちこちで思い思いに言葉を交わしている。

 錚雲側の官僚が、滑らかな礼国語を話すので、礼の二名の通訳士も、今晩はお役御免となっていた。彼らはゆったりと椅子に腰かけて、食後の酒を楽しんでいるようだ。

 その横には遠珂の父と、錚雲側の書記官を務めていた、初老の男性がいる。彼は実は、ラナの秘書官でもあるそうだ。耳をそばだててみれば二人は、「よく()く胃薬は何か」という話題で、熱く盛り上がっていた。遠珂はそっと、視線を逸らした。





 室内の様子を一人眺めていた遠珂は、不意に近づいてきた人影に気付き、慌てて立ち上がった。


 赤と紫の混じった不思議な色の酒で満たされた杯を両手に持ち、遠珂に歩み寄ってきたのは、錚雲の官僚たちの中心に座っていた青年──ラナであった。

 あとで聞いたことだが、彼は三十四という若さで外交部署の長に就いた、錚雲の現国王の懐刀の一人だそうだ。

 そんな彼に、気安く「ラナ殿」と呼び掛けてしまったことに、今更ながら遠珂は肝を冷やしていた。


 おっかなびっくり頭を下げる遠珂を揶揄(からか)うように笑い、ラナは持っていた杯の一つを掲げる。

 恐る恐る受け取った遠珂と杯を合わせ、ラナは実に美味そうに酒を含んだ。遠珂も彼に(なら)って、杯に口をつける。


 それは甘さと渋さ、僅かな苦みの同居する、不思議な酒だった。飲み下して目を見開く遠珂(えんか)に、ラナはまたひとしきり声を上げて笑う。酒が入ると、笑い上戸になる気質のようだ。

 ただし、酒に酔っても、彼の口から零れる礼国語は完璧だった。


葡萄(ぶどう)を使った酒だ。貴国にも入っていると聞いているが?」


 流暢な礼国語の問いに、遠珂はしげしげと杯を満たす酒を見つめた。


「富裕層の飲み物ですから、私などにはとても手が出ません。……初めて飲みました。どうやって作るんだろう?」

「……君は本当に、知りたがりなんだな。うちの五歳の息子も、『なぜ』、『なに』ばかりだよ」


 幼児並みの好奇心と笑われても、遠珂は否定出来ず、黙り込む。

 気になる本は一晩中読みふけり、引っかかることは寝食を忘れても調べつくしてしまう。そんな性格は、子どもの頃から全く変わっていない。今回、錚雲の市場に赴いたのも、自分の中の「気になる、知りたい、見てみたい」という、単純な衝動に突き動かされてのことだ。

 父の説教を受け、誰も錚雲側の意図を把握していなかったと知った時には、遠珂は思わず頭を抱えていた。


 苦い顔を浮かべる遠珂を不思議そうに見やり、ラナはおもむろに微笑んだ。


「いつか、息子に会ってやってくれ。礼国語の講師を頼もう」

「……ならば、私にも、シャグンの言葉を教えて下さい」


 錚雲語で告げた遠珂に、ラナは穏やかに頷いてみせる。

 そして、また唐突に笑いだした。


「──いや、でも、君の使うシャグン語は不思議だな! 意味が通じなかったり、今時ご老人でも使わない言い回しをしたり……! よ、よりにもよってあんな……!」


 思い出した内容が余程面白かったのか、酒が零れそうな勢いで、ラナは笑い転げている。遠珂は顔を真っ赤にしながら、そんな彼に追い(すが)った。


「ラナ様! いったい私は、何をどう言い間違ったのでしょうか!」

「はははっ、知りたければもっと飲め! ほら!」


 年甲斐もなく大騒ぎする二人を、室内で(くつろ)ぐ面々が、どこか呆れたように視線で追う。

 息子の醜態(しゅうたい)に、遠珂の父は頭を抱えて項垂(うなだ)れていた。悲壮なその雰囲気に、どっと周囲が沸く。


 長い長い断絶の果て、ようやく交わり始めた二国の官僚たちによる宴は、夜が更けるまで続いた。







 綿密(めんみつ)な打ち合わせが終わり、遠珂(えんか)たちはついに、帰国の途に就くことになった。

 個人的に親しくなったラナから、帰国前、彼の祖先に関わる話を聞いた。

 彼の曾祖母(そうそぼ)は、錚雲(しょううん)の片田舎に暮らす純朴な少女だったが、(ぎょう)から錚雲に逃げ込み、のちに暴徒と化した男に襲われ身ごもったそうだ。その時に生まれたのが、彼の祖父だったらしい。

 ラナが礼に対して抱いていた敵意の起源を知り、遠珂は俯くことしか出来なかった。

 そんな遠珂に、ラナは穏やかに笑って告げた。


「歴史は、なかったことには出来ない。だが、これからの歴史を変えることは出来るはずだ。

──変えていくんだ、私たちが」


 当初からは考えられない柔らかな声音に、遠珂は弾かれたように顔を上げ、それから強く頷き返した。






 馬車に乗り、祖国への道を一歩一歩進みながら、遠珂(えんか)は窓から遠くを見晴るかした。

 次にこの国を訪れる時には、次にこの道を辿って祖国に戻る時には、互いを悩ませる問題が、少しでも解決されていると良いと思う。両国に暮らす民たちが、少しでも互いを理解できるようになっていれば良いと願う。


 その一助となるため、遠珂も礼の官僚として、力を尽くすつもりだ。


 次にこの地を訪れる時、自分はどうなっているのだろうか。もしかしたら、妻を得て、子を抱いての旅になるかも知れない。そうなったら、ラナの息子は、その子の友になってくれるだろうか。

 婚姻など、考えたこともなかった。だが、酒に酔い、延々と息子自慢を繰り広げるラナを見ているうちに、遠珂も我知らずその言葉を意識してしまうようになっていた。


(ラナ様のご子息とも、いつかお会いできれば良いな……)





 やがて訪れるその日を想像するように、遠珂は小さく微笑んだ。


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