二.攻防
「――もう、百年ほど前になりますか。その節は、うちの国の騒動に貴国を巻き込んでしまって……。大変だったと思います。心苦しい限りだ」
遠珂の神妙だが軽快な言葉を受けて、外交官の青年の眉が微かに寄る。遠珂はにっこりと笑みを浮かべ、あえて彼を正面から見つめた。
遠珂の言葉を聞いた自国のお偉方が、血相を変えてこちらを睨む気配を感じたが、今は無視する。
一方、相手国の外交官である青年は、すぐさま表情を立て直した。あちらの国の通訳士が、遠珂の言葉を訳して伝えているが、あちら側は皆、冷静な面持ちだ。
礼国語で話し続ける遠珂に対し、外交官も、自国語で応じることに決めたようだ。通訳士に合図を送っている。
張り詰めた空気の中、青年が口を開いた。
「……そうですね。田畑を荒らされるぐらいで済めば、当時の為政者も、ここまでの措置は取らなかったと思うのですが。歴史ある建物はことごとく破壊され、婦女子には手当り次第襲いかかられ、年寄りたちは憂さ晴らしのなぶり者にされ……。
あの時の被害に対する賠償金は、きっちり請求すべきだと、今でも国内の過激派は申していますよ」
普段は能天気で通る遠珂も、その目線の鋭さには一瞬怯んだ。ちなみに、こちら側の通訳士が自国語に必死に直してくれているが、遠珂には不要だった。相手の怒りも含めて、しっかりと理解できている。
礼国内に伝わっていた暁国民の行跡は、まさに「田畑を荒らした」程度のものだった。
当時の錚雲の為政者たちはもちろん、被害を正確に訴え、抗議したのだろう。だが、暁も礼も、まともに取り合わなかったことは、想像にかたくない。
恩義と理を何より重視する、根っからの商人気質の錚雲国民にとって、そんな姿勢は何より受け入れがたかっただろう。
(ここまでやらかしておいて、謝罪もなく、「いつまで拗ねてるんだ。さっさと今まで通り、破格の安価で米を寄越せ」はないわな。そりゃ、百年でも二百年でも、怒り狂って国境閉ざすわ……)
頭を抱えたくなる。
遠珂個人としては、謝罪してしまう方が話が早いのだが、それは国として、皇帝陛下のお決めになることだ。今は殊勝に受け流すより他にない。
遠珂は口元に浮かべた笑みを崩さず、じっと目の前の青年を見つめ続ける。
しばしの沈黙のあと、彼は嘆息し、遠珂に向けた視線を幾分緩めて続けた。
「……温殿は、かつて我が国から暁へ派遣された、駐在士の一族の子孫に当たるそうだな」
「はい。祖先は暁とシャグンの架け橋になるべく、粉骨砕身していたそうです。うっかり国境封鎖に間に合わず、暁に骨を埋めることになりましたが。……それが何か?」
今度は青年が押し黙る。遠珂は思わず苦笑いを浮かべた。
暁からの暴徒流入を防ぐため、錚雲が国境を閉ざすことを決めた際、当然、暁側にも通達がなされた。
ただし、錚雲以上に混乱していた暁国内に、その通達が届くまでには、かなりの時間を要したらしい。遠珂たちの祖先をはじめ、暁の皇都に滞在していた商人の大半は、国境封鎖の刻限に間に合わず、暁に取り残されたという。
錚雲国内で準王族の扱いだった遠珂の祖先が、帰国出来ずに異国に取り残されたことは、彼らの想定外だったのだろう。あるいは、錚雲側でも何らかの思惑が働いた可能性も、否定は出来ない。
今となっては、誰も正解を知らず、知ったところでどうしようもないことではあるが。
遠珂は重くなりかけた空気をさらりと流し、話を強引に元に戻した。
「ありがたくも、礼の始祖より家名を頂戴し、今まで続いております。
……それで?」
中央に座っていた青年官僚も、肩を竦め、幾分砕けた物言いで返した。
「……あの駐在士のご子孫が、使節団の中核を担っておられると聞いた以上、お会いしないわけにはいかないと思いましてね」
錚雲の官僚たちの本音は、「同じ被害者みたいなものだから、仕方なく会ってやっている。顔は立ててやったから早く帰れ」だろうか。
殊勝な面持ちになったとはいえ、相変わらずの喧嘩腰に、遠珂は笑顔のまま高速で思考を巡らせた。
暁と礼、そして錚雲の歴史に触れずして、会話を始めることは不可能だった。だが、いつまでも続ければ、双方の恨みつらみを引き出すだけで終わってしまう。この辺りで話題を変えるべきだろう。
遠珂は頭を切り替え、再び正面を向いた。
「……そういえば、先日は市場視察を快諾いただき、ありがとうございました」
ピリっとした空気が互いの間に漂うが、遠珂はあくまで微笑を崩さない。錚雲の官僚も、薄く笑みを浮かべたまま、微かに首を傾げて応じる。
「いえいえ、お楽しみいただけましたでしょうか?」
「はい、とても」
笑顔のまま目線を鋭くし、遠珂は前方の官僚の青年を見据えた。
「ところで。街中で、咳や発疹など、具合の悪そうな方々を度々お見かけしたのですが……。失礼ですが、何かお困り事でも?」
「……温殿。何が仰りたい?」
鞭打つような鋭い声が、遠珂に問う。
会話はずっと錚雲語で行われていたので、自国側の面々は、通訳の言葉に遅れて息を飲んでいる。使節団の長が瞬時に顔を険しくした気配を感じ、遠珂は咄嗟に右手を掲げた。ちらりと横目に見遣った父は、息子の言動に、今にも倒れそうな真っ青な顔色をしている。
(そんなに、心配されずとも良いのに)
心配性な父に、遠珂は内心で苦笑する。
錚雲の官僚たちも、顔を顰めているが、実際はそれほど気分を害していないはずだと、遠珂は思う。
本気で怒りを覚えているなら、彼らは早々に席を立つか、完璧な外面を維持しながら、問答無用で遠珂たちを叩き出すはずだ。
遠珂は落ち着いた声音で、表向きはあくまで冷静に、険しい表情の錚雲の面々に答えた。
「いえ。ただ……昔、あれらの症状が顕著に現れる流行病があったと、異国の書物を読んだことがあったもので」
「――仮に、我が国にその病が流行っているとして。……貴殿は何をおっしゃりたいのか」
不愉快そうな声音は、聞かれたくない点を突かれた証拠だろうか。遠珂は確信を深め、真剣な表情で言葉を返した。
「……その病の対処薬について、我が国の古い文献で読んだことがあります。材料の一つは、我が国の寒村部や北の連合国にのみ見られる野草だと。――温暖な貴国では気候が合わず、成育は難しい植物です」
淡々と言葉を紡ぐ遠珂に、錚雲の若手官僚はピクリとその黒々とした眉を動かした。
「……それで?」
「――ラナ殿。例えば、我が国の野草、および調薬の解説書と、貴国の豊富に育ち過ぎる米。
何か、お互いの利になるとは思いませんか?」
一気に核心に切り込んだ遠珂に、自国の上官たちも相手の官僚たちも──名指しで呼ばれた正面に座す青年ですらも、息を飲んだ。不穏な空気が両国の間に横たわる。
一方で、遠珂は一人、目を瞬かせていた。
(何故、皆驚いている……?)




