表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

二人の妻に初めから裏切られている男

作者: 瀬崎遊

 ただ彼が好きだった。理由を聞かれても自分でもわからない。ひと目見た瞬間に恋に落ちた。彼のこと以外考えられないくらいにカッツアーネのことが好きなだけだった。

 

 カッツアーネの目に私が映っていないことも知っていたので、たった一度の思い出だけでも欲しかった。

 遊び慣れたふりをしてカッツアーネの視界に入るようにした。

 カッツアーネは薄い笑みを浮かべて私を口説いた。


 カッツアーネの心は伴わない。慣れた手つきで私のドレスを脱がしていく。

 カッツアーネの手が触れたところが熱くて燃え上がっているような気がした。

 ああ、どうしてこんな誠意の欠片もないような人に恋してしまったのか。

 自分で自分に問いかけるけれどその答えは出てこない。


 カッツアーネを身の内で感じたときはただ痛くて仕方なかった。私の恋と同じで痛みを伴うのだと思った。

 それでも私は多分笑顔を浮かべていたと思う。だってこれほどの幸せを感じたことはなかったから。


 カッツアーネが私の中からいなくなった途端寂しさを感じた。

 初めての印がシーツと彼に(まと)わりついて、カッツアーネは目を見開いた。

「初めてなのか?!」


 カッツアーネの慌てる姿を見てそんな姿が見たかったのではないと思ったけれど、カッツアーネは頭を抱えて私を見てくれなくなってしまった。

「どうしてなんだ?」

 何がどうしてなのか解らない。


「どうして初めてだって言わなかった?!」

「言ったら抱いてもらえないでしょう?大好きなあなたに一度でいいからあなたに触れられたかったの」

「責任を取れというのか?!」

「そんなこと言わないわ。私は今日を思い出に生きていくだけ。だから嫌な思い出にしないで。素敵な思い出として終わらせてほしいの」


 カッツアーネは罪悪感なのか、責任逃れがしたいからなのか、困っているからなのか、私が立ち去るまで頭を抱えたままだった。

 素敵な思い出に水をさされたような気分になって、私は初恋に終止符を打った。






 アレイス・ホーンバック伯爵令嬢は学園を卒業して最初の休日に十五歳年上のシールス・ドンガーデイ侯爵と結婚させられた。

 入籍はアレイスが15歳になったその日に提出されていて、結婚式が卒業してからだっただけで、名実ともに十五歳の誕生日にシールスの妻になっていた。


 十五歳の誕生日、祝われることもなく生まれ育った家から放り出され、ドンガーデイ家へと連れて行かれた。シールスの二番目の妻として迎え入れられ、日の高いうちからベッドに連れ込まれた。


 初めての印をなんとかうまくシーツとシールスに纏わせることができてホッとしたのも束の間。シールスはアレイスが立ち上がれなくなるまで求め続けた。

 執着されている。それは幸せなことなのかもしれないけれど、年の離れた男に体をいいように扱われるのは苦痛でしかなかった。


 どんなに嫌でも笑顔でシールスを受け入れなければならない。

 伯爵家への援助は勿論のこと、弟が学園に通えるのはシールスのおかげなのだから。


 当初の約束では学園を卒業するまでは妊娠させないという約束だったのに、卒業前にアレイスは妊娠した。

 卒業まで後一ヶ月というところだったので、退学ではなく卒業させて貰えることを学園長に感謝した。


 普通ではありえない膨らみを隠すためにウエディングドレスは変更され、お腹周りに余裕を持たせなければならなくなった。

 そのドレスを半日ほど着るとシールスの手で脱がされた。

 湯船の中でシールスを受け止め、シールスが果てると侍女たちに体を洗われまたベッドに連れ込まれた。


 アレイスはシールスに体を愛されていく内にシールスを少しずつ愛するようになっていってしまった。

 シールスには前の妻との間にエリーナという女の子が一人いて、アイレスは嫡男となるオリットを生んだ。エリーナのことが気に掛ったけれどエリーナは近づいてこようとはしなかった。

 エリーナとは夫とより年が近いせいかエリーナがアレイスを受け入れられないのかもしれなかった。


 夫はエリーナに興味が無いようで侯爵家の娘なのに「学園の卒業と同時に侯爵家から嫁がせると話がついているから気にするな」とアレイスに伝えた。

 たとえそうであっても六年は一緒に暮らすことになる。だから少しは仲良くなりたいとアレイスは思っていた。


 アレイスが子供を生むと夫はオリットと名付け、オリットを可愛がった。

 同じ子どものエリーナとは全く違う反応でアレイスは戸惑った。

 オリットを可愛がるのにエリーナを疎んじることが理解出来なかった。

 シールスが機嫌のいい日にエリーナをなぜ可愛がらないのか聞くと「私の子ではないからな」と答えた。


「正確に言うとどちらの子か解らない」

 アレイスは驚いた。エリーナの顔立ちはシールスによく似ていたから。

「私に似ていると思ったんだろう?似ていて当然だ。前の妻は私の弟と浮気していたんだ。だから私に似ていて当然なんだ。エリーナもそのことを知っているから私のことを父とは呼ばない。だからアレイスのことも母とは呼ばないだろう?」


 アレイスは色んな意味で衝撃を受けた。

 エリーナが実の子ではないかも知れないことにも、シールスに弟がいることは知っていたけれど、結婚式にも来なかったし、それ以外でも紹介されたことがなかったので前妻と弟のことにも。


 前妻の方とは離婚して実家に帰られたと聞いていた。

「弟さんはどうされたのですか?」と質問すると「隣国へと追いやった」と見たくないものを見てしまったような顔をしてシールスはそう答えた。

 またベッドに連れ込まれてその後の話は有耶無耶(うやむや)になった。







 アレイスの弟、ヴェンバーが学園を優秀な成績で卒業できることになり、ドンガーデイ家の文官として雇われることになった。

 シールスもアレイスも王宮の文官になるように勧めたのだがヴェンバーの意思は固く、譲らなかった。


 優秀な成績の通り、ヴェンバーは文官としてとても優秀だとシールスが褒めてくれるのでアレイスはとても誇らしかった。

 ヴェンバーにもシールスが()めいていたと伝えると薄らと照れているヴェンバーが可愛らしかった。


 ヴェンバーさえホーンバック家から取り上げることが出来たらアレイスの心配はなくなる。

 アレイスとヴェンバーは実の姉弟だけれど、異母兄と異母妹とは母親が違う。

 父の浮気で生まれたのがアレイスとヴェンバーだった。

 

 母は貧乏男爵家の娘で、父にお金で買うようにして無理やり愛人にされた。

 せめて愛人に子供を生ませなければいいのに、父は子供に利用価値があることを理解していたので、母に私たちを生ませた。

 母によく似た美しいアレイスを見て日々どこが一番高く買ってくれるかだけを考えているのは父の視線から感じられた。


 アレイスが九歳になる少し前に母が三人目の子を妊娠して、出産時に赤ん坊と一緒に亡くなってしまった。

 父は舌打ちをして「せっかく女の子が生まれたのに!!」と悔しそうにしていたのを今でも夢に見る。


 母方の祖父母はアレイスとヴェンバーを手放すのを嫌がったが、実父(じっぷ)が生きている限り法律的にも実父の方が養育者として認められてしまい、泣く泣く私たちを手放すことになってしまった。


 父に引き取られてから育ての親になった義理の母にはいい思い出はないけれど、特別悪い思い出もない。

 義母は忌々しいとは思っていただろうけど、アレイスを高く売りつけられることが解っていたので目をつぶることにしたようだった。


 けれど、実の子と義理の子では待遇は大きく違った。

 アレイスは市場価値を高めるために学園に通わせてくれたけれど、ヴェンバーには価値を見いだせなかったようで学園へ通う費用は出さないと父に言われた。


 そんな折に引き合わされたのがシールスだった。

 アレイスに一番高い値段をつけて、その上アレイスのお願いを聞いてくれた(弟の学園費用を出す)

 私に(いな)やと言う返事はなかった。


 ヴェンバーを学園に通わせる費用を持つ代わりに出された条件が、結婚したら浮気をしないことと、アレイスの十五歳の誕生日に嫁いで行くことだった。

 アレイスは一も二もなくシールスと婚約の書類にサインした。

 

 だからアレイスは結婚前にカッツアーネとのたった一度の思い出を作った。

 結婚して浮気が禁じられるならとあの時大好きだったカッツアーネと思い出を作った。

 最後にいい思い出ではなくなってしまったけれど、恋をしてそれが報われたことは後悔しなかった。



 ほんのりと昔を思い出していると、シールスが「ヴェンバーの婚約者を探さないとな」と言ってくれて、何人かの女の子をヴェンバーに紹介してくれて、その中の一人でいい関係を結べた人と婚約することになった。

 初々しい二人を見ているとアレイスはカッツアーネをまた思い出し、アレイスにとってそれは()うの昔に思い出に変わっていることに気がついた。




 アレイスが二人目の子を生む頃、エリーナは学園の寮へと入りドンガーデイ家の屋敷には二度と戻ることなく嫁いでいくことになった。

 アレイスとは知り合いよりも遠い存在のままになってしまった。

 相手の方はエリーナの三つ上で、伯爵家の嫡男。見た感じ優しそうに見えるけれど、優しいのか優柔不断なのか、はたまた見せかけだけなのか判断はつかなかった。


 式が終わり披露宴で沢山の人から挨拶を受けている新郎新婦にドンガーデイ家の誰も祝いの言葉をかけにいかなかった。

 祖父母もシールスも弟であるフェルスまでもが言葉をかけないのは何か異様に思えた。

 結婚式にはエリーナの母親も出席していたけれど、母親ですら言葉を交わすことはなかった。


 シールスの子であれ、弟の子であれ、孫には変わり無いはずなのに、アレイスが生んだ子供たちとは全く違う態度で、弟の子供かも知れない以外にも何かあるのかもしれないとアレイスは考えた。

 せっかくの結婚式だと言うのに、身内の誰とも言葉を交わすことなく嫁いでいかなければならないエリーナが(あわ)れだとアレイスは思ってしまった。







 アレイスが四人目の子供を生んで(しばら)くすると三人目の子が高熱を出して死んでしまった。

 この時代、よくあることと言えばよくあることなのだが、我が子を失った悲しみはアレイスにもシールスにも大きかった。

 今までも大切に育てていたけれど、尚一層子供を大切に育てるようになった。


 子が一人亡くなるとその悲しみを癒やすためにシールスと支え合う内に五人目が双子で生まれた。

 アレイス以上にシールスが育児に手を貸してくれるようになり、双子が生まれたのにも(かかわ)らず、育児はとても楽だった。

 まぁ、侯爵家の子育ては乳母がするものなので、可愛がるだけが親の勤めのようなものだったけれど。

 

 子供を亡くしたことでシールスとの距離が一層縮まり、夫婦らしい夫婦になれた。

 愛されていると思えるようになったし、深く深く愛していることにも気が付いた。

 今まで話さなかったようなこともシールスは話してくれるようになり、互いに様々なことを話した。



 エリーナにも子供が生まれたとアレイス宛に手紙が届き、そこには子供の名前は書かれていなくて、名前を教えてとお祝いを送るついでに手紙も添えた。

 アレイスが祖父母とフェルスに手紙を送ったが誰からもエリーナに関する(いら)えはなかった。


 エリーナに関する無関心さが気になり、シールスには聞きにくかったので執事のナックと侍女長のウェナに尋ねたが、口は堅く「色々ありました」としか教えてくれなかった。




 下の双子が四歳になった頃、エリーナが双子より小さな子どもと手を(つな)ぎ片腕に子供を抱いてドンガーデイ家の門の前に立っていた。

 知らせを受けて門まで急いでいくとエリーナは涙を流して「アレイス様」と小さな声でアレイスを呼んだ。


 中に入るように(うなが)すけれどエリーナは一歩が前に出ないようだった。

「シールスのことを気にしているの?」

 エリーナは小さく頷く。

 よく見るとエリーナの口元が切れていて、顔の左半分が()れていた。

「誰に叩かれたの?!」

「夫に・・・」


「いいから入りなさい!!」

 エリーナが抱いている赤ん坊を取り上げると、その途端エリーナは意識を失った。

 赤ん坊を抱いていたことでギリギリに張り詰めていた緊張の糸が、アレイスが赤ん坊を取り上げたことで切れてしまったのかもしれない。


 アレイスは門番に馬車を呼ぶように伝え、シールスの許可を得ないままエリーナを屋敷へと引き入れてしまった。

 エリーナが目覚める前にシールスが先にヴェンバーと一緒に帰ってきた。

 シールスはアレイスを苦い顔で見て、アレイスからの説明を聞いてくれた。


 とは言ってもアレイスに説明できることはなく、呼んだ医者が言うには疲れから気を失ったのだろうと言うことだった。

 ただ、見えないところは顔より酷く殴られた(あと)があり、痣のないところを探すほうが難しいとのことだった。

 医者は痛ましい顔をして、殴られた痕を手当して「ゆっくり休ませてやりなさい」と言って帰っていった。


 アレイスはシールスに取り()えず謝らなくてはならないと思った。

「勝手なことをしてごめんなさい。エリーナは梃子(てこ)でも門の中には入ろうとしなかったのだけれど、意識を失ったまま門の外に放りだしておくわけにはいかなくて・・・」

 シールスはアレイスを抱きしめて「解っている」と(なだ)めてくれた。

 

 エリーナの赤ん坊は双子の乳母たちに預けて面倒を見てもらっていて、上の子はエリーナの傍で意識を失うように眠りについた。

 エリーナの服を離さなかったので、エリーナのベッドに一緒に寝かせている。


 そう言えば上の子の名前すら教えてもらっていないことに気付き、赤ん坊に至っては生まれたことも知らなかったと気がついた。

 シールスがエリーナの夫の元に手紙を送り、エリーナがドンガーデイ家にいることを伝えた。


 考えてみればエリーナはまだ二十歳にもなっていないのだ。

 夫にも実家でも大切に扱われるべきなのに、エリーナは誰にも大切に扱われていないのかもしれないと思うと胸が痛くなった。

 せめてエリーナの母親が親身になってあげていればと思うけれど、人の心はどうしようもない。


 エリーナの目が覚めるのを祈りながらアレイスは目覚めないエリーナの頭を撫でた。

 眠り続けたエリーナが目を覚ましたのはエリーナが門の前に立ってから二日後のことだった。


 目を覚まして()ぐに子供の事を心配するので、二人を連れてきてもらうとエリーナは子供たちをぎゅっと抱きしめた。

 子供たちの分も食事を部屋に届けると、エリーナは上の子に食べさせてから自分の食事を始めた。


「アレイス様・・・ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。私を屋敷に入れたことでシールス様に叱られませんでしたか?」

 シールスのことを父ではなく名前で呼んだことに驚いた。

 そう言えば一緒に暮らしていた時、互いに話しかけることも、気にかけることもなかったと思い出す。


「気にすることはないわ。シールスはそんなことで私を叱ったりしないから」

「シールス様と確かな愛を育んでいらっしゃるんですね」

 弟よりもまだ若いエリーナにそんな風に言われて少し恥ずかしかったけれど、今はそんな時じゃないと思い直し「何があったのか教えてもらえるかしら?」と聞いてみた。


「どこにでもある話です。夫が妻の妊娠中に浮気して、それを(なじ)ったら殴られただけです」

 エリーナは冷めた目をしてアレイスを見ていた。

「心苦しいのですが、夫との離婚を取りまとめてもらいたいのです。子供たちは私が引き取るということで、慰謝料と養育費を子供たちが成人するまで支払うよう話をつけてもらいたいのです」


「離婚しか方法はないの?」

「浮気相手にも子供が出来て、浮気が本気になったらしく私に出ていくように言われました。子供のことだけ合意できなくて・・・」

「でもエリーナと一緒に出ていったら子供たちもあなたも平民になってしまうわよ?」

「浮気相手の女性が屋敷に乗り込んできていて、私の子供たちにも暴力を振るうのです。置いていくとどんな目に遭わせられるか解りません」


「そう・・・」としか答えられなかった。

「シールスと話してみるわね」

「お願いします」

 エリーナは上の子に「ジャン、皆さんの言う事をよく聞いていい子にしていてね。下の子の名前も教えてくれる?」と聞いた。


「上の子はジャンシール、下の子はドライクといいます」

「ジャンシールにドライクね。名前が解らなくて困っていたの」

「すみません・・・」

「子供たちのことは心配せずにもう少しゆっくり眠ってね」

 アレイスはエリーナが横になったのを見てからジャンシールとドライクを連れて部屋から出た。


 シールスにエリーナから聞いた話をすると、互いに言っている話が全く違うとシールスが言った。

 シールスはエリーナが来た二日後にエリーナの夫の元へと行っていた。

 エリーナの夫はエリーナが浮気をしたと言ったが、女主人の如く振る舞うお腹の大きな女がいたことで夫のほうが浮気したのだろうと予想はついていたそうだ。


 シールスはエリーナに「本当に離婚して子供を引き取ることでいいのか再確認してくれ」と言われ「直接話はしないの?」と聞くと「話したくはない」とシールスは答えた。

 エリーナに再三(さいさん)尋ねてもエリーナの答えは変わらなかった。

「本当にいいのね?」

「はい。お願いします」



 シールスに「エリーナの子供たちが成人するまでこの屋敷に居てもらうことはできないの?」と尋ねたがその答えも「それはしたくない」だった。

 シールスとエリーナの(かたく)なな態度を問いただしたかったけれど、今は過去の話を聞いている場合ではないとアレイスは自分に言い聞かせた。



 シールスが動くと物事は簡単に片付いた。

 エリーナの夫は最初は子供を手放すことに難色を示したが、子供たちに暴力をふるったことを盾にこちらの要求をすべて呑ませた。


 小さな家を買い与えること、調理人一人とメイド一人をエリーナが死ぬまで永年雇うこと。慰謝料に資産の半分を支払うこと。その資産はシールスが調べた金額の半分で、エリーナの夫はしばらく金策に奔走しなければならない金額だった。

 それと、子供たちが成人するまで一人あたりの養育費✕2を支払うこと。

 会いたい場合は会わせるが、エリーナが指定する第三者が立ち会いの下でしか会わせないことなどが織り込まれた。


 エリーナとその夫は顔を合わせることなく離婚が成立して、エリーナの元夫が買った小さな家へとエリーナは移り住むことになった。

「エリーナが家を出ていく前に伝えて欲しいことがある」とシールスに頼まれ、エリーナに尋ねた。


「シールスが伝えて欲しいと言ってたの。再婚する気になれば紹介できることもある。そうよ」

「そう、ですか。ありがとうございますと伝えてください。その気になった時はよろしくお願いします。アレイス様にもお世話になりました」

 門の前に立った時とは全く違う顔でエリーナはドンガーデイ家からも出ていった。


 子供たちはジャンシールとドライクがいなくなったことを寂しがったが、数日経つとすっかり忘れてしまったようで、アレイスのほうがエリーナたちが居なくなって寂しさを引きずった。

 いつかはシールスにエリーナのことを聞きたいと思いながらも聞けないまま時は流れた。







 下の双子が学園に通う(とし)になって屋敷の中が寂しくなってしまった。

 そんな頃、シールスの前妻の実家から一通の手紙がアレイスの元に届いた。

 アレイスは首を傾げて手紙に目を通すと、前妻が病気で亡くなったという知らせだった。

 エリーナの居場所が解らないのでエリーナに伝えてほしいということだった。


 葬式は既に済んでおり、墓の住所が書かれていた。

 どうしてアレイスを通して連絡を取るのか首を(かし)げるが、アレイスは最近手に入れた小さな花のエンボス加工された便箋に色々なことを書いて、その後にエリーナの母親が亡くなったこと、墓の住所を書いて二度読み直して封蝋を押して侍女に手紙を出すように頼んだ。


 フェルスに知らせるべきか一瞬悩んで、出すのを止めた。

 もし会うことがあったらその時なにかのついでのように伝えればいいと思った。

 シールスが帰ってきて前妻が亡くなったことを伝えると「そうか」と答えて何の感慨もなく日常に戻った。



 四年前に母方の祖父が亡くなり、ヴェンバーは男爵家を継いだ。

 それを機にシールスの文官を辞めた。シールスにとって有能なヴェンバーがいなくなるのは大変だろうけれど、シールスはとても喜んでくれた。

 ヴェンバーが男爵家を継ぐのを見届けると、祖母も祖父の後を追うように亡くなった。


 貧乏男爵家は手の入れ甲斐があるとヴェンバーは張り切っている。

 アレイスには内緒にしているけれど、シールスが結構な金額をヴェンバーに投資してくれていることをアレイスは知っていた。

 そのおかげで男爵家は廃爵せずに済んでいる。



 アレイスが嫁いできた時、荒っぽい扱いにどうなるかと思ったが、シールスは付き合ってみると心の温かい人で、人の心が分かる人だった。

 三人目の子供が亡くなった時はアレイス以上に悲しんでくれて、互いに支え合うことができるようになった。

 辛い結婚になるかと思ったのにそんな事は無く、愛に溢れた毎日だ。


 そんなふうなことを考えて、エリーナのことだけは理解ができないままだった。

 アレイスはシールスと二人きりになった時に前妻とエリーナとの間に何があったのか聞いた。


 シールスは「もういいかな」と言ってぽつりぽつりと話し始めた。


 前妻、イレイアと結婚したのは二人が学園を卒業したその翌年の春だった。政略結婚ではあったが幼い頃からの婚約者で、きちんと互いに愛情があることは確認し合ってからの結婚だった。

 シールスは愛するイレイアとの結婚を喜んだし、イレイアも勿論喜んでいた。


 結婚してすぐに子供が生まれた。少し子供が生まれるのが早い気がしたが、シールスによく似ていたし、このくらいの誤差ならよくあることだと医者に言われたので気にしなかった。

 エリーナと名付け、シールスはとても可愛がった。 

 イレイアはシールスと反対に、生んでしまうとエリーナに興味を抱かなくなった。


 十日間領地に行かなければならなくなって、フェルスと使用人たちにくれぐれもイレイアとエリーナを頼むと言って、後ろ髪を引かれる気持ちになりながら領地へと旅立った。

 領地での案件が思うより早く片付き、何の知らせもせずイレイアが待つ屋敷へと急いだ。


 屋敷に到着して驚かそうと寝室の扉を開いたらイレイアとフェルスが裸で事の真っ最中だった。

 イレイアに喜んでもらおうと思ったお土産がシールスの手から落ち、その落下音で夫婦のベッドから二人が振り向いた。


 シールスは腰に下げていた剣でフェルスを切りつけると腕で支えていた体がイレイアの上にドサリと落ちた。

 イレイアの体にフェルスの体が覆いかぶさって、その下からはみ出すように(あらわ)になったイレイアの乳房が目に入り、瞬間にカッと血が頭にのぼり二人を串刺しにしてしまった。


 運良く二人の大事な内臓は()けることができて死ぬことはなかったが、イレイアは二人目の子供に当たって流産して、二度と子どもの生めない体になった。

 一時(いっとき)シールスは騎士団に逮捕され留置されたが、イレイアもフェルスも両親に説得されて、訴え出ない事を騎士団に伝えた。


 釈放されて帰ってきたシールスは人が変わったようになってしまっていた。

 両親が調べ、シールスも調べると、イレイアとフェルスの関係はシールスよりも前からだったことが判明した。


 その上、イレイアはフェルスだけではなく学園でそこそこ有名な相手とは関係を持っていて、エリーナは本当にドンガーデイの血を引いているのかも疑わしかった。


 イレイアの傷が良くなってくると泥沼の争いになった。

 フェルスは「殺されてはたまらない」と早々に手を引き、エリーナの父親かも知れない責任からも逃げた。


 残されたシールスとイレイアはエリーナを(なす)り付けあって、話は一向(いっこう)に前に進まなかった。

 イレイアは進まない話に痺れを切らして、フェルスと同じように「いつ殺されるかわからないのにここには居られない」と言ってエリーナを置いて出ていってしまった。


 シールスはとてもじゃないがエリーナを育てられるような状態ではなかった。

 イレイアの実家にエリーナを送りつけたが、向こうもエリーナを送り返してきた。

 帰ってきたエリーナをシールスが殺しそうになって、エリーナをここに置いておけないと両親が領地に連れ帰った。


 エリーナが物心つく頃になると両親が「エリーナは可怪(おか)しな子だ」と言ってエリーナを育てるのを拒否するようになった。

 どちらの息子の子供か解らなくても今まで育てた可愛い孫だろうに、エリーナを見る目は(おぞ)ましい者を見る目だった。


 シールスはエリーナをイレイアの実家に送りつけて何があっても連れて戻るなと伝えて馬の尻を叩いて旅立たせた。

 御者は手紙をエリーナに持たせてイレイアの実家の少し手前で降ろし「あそこに立っている人にこの手紙を見せなさい」と伝えて、辿(たど)り着くのも見ずに鞭を入れ引き返した。


 それから三ヶ月はイレイアの実家で面倒を見てもらっていたが、イレイアの実家でもエリーナは普通の子ではないと手紙が送られてきた。

 シールスは誰の子か解らない子を育てる義理はない。

 イレイアの子供だということだけははっきりしているのでそちらが育てるのが筋だと返答した。


 それから裁判になり、誰もがエリーナを引き取ることを拒否して、最終的にイレイアが親権を持ち、イレイアの責任で修道院に預けることに決まった。

 イレイアには修道院に預けるための支度金が払えないので、イレイアの実家が支払うことになり、エリーナの行方は決まった。


 そして預けられた修道院でエリーナは預かれないと一年で修道院から(ほう)り出された。

 イレイアの両親は近くに小さな家を買い与えてイレイアとエリーナをそこに押し込めた。


 イレイアは奔放(ほんぽう)に男を連れ込み、エリーナの前でも気にせず男と絡み合っているところを見せていたらしい。

 それを知ったイレイアの父親が「エリーナがこんなふうに可怪しな子になったのはお前のせいだっ!!」と言ってイレイアの足の腱を切ってしまった。


 イレイアの家にメイドを一人入れてイレイアとエリーナを誰にも会わせず生活させたが、イレイアの足は完治ではないが歩けるようになってしまい、また男を連れ込むようになった。

 ただ今回は何人もの男たちではなく、一人の男だけだったのでイレイアの両親は目を(つむ)ることにした。


 ただ、その男は小さな子供が好きな男で、メイドの目を盗んではエリーナと風呂に入ったり、着替えさせたりする男だった。

 エリーナはその男に異様に(なつ)き、その男に触れられると嬉しそうにしていたのだと。


 それは父親を求めてのことだったのかも知れない。

 けれどメイドの目には異様なこととして映った。

 メイドから報告があり、イレイアの父親が小さな家に様子をうかがいに行くと、男とイレイアとエリーナが裸でベッドの上で三人で触れ合っていた。

 イレイアの父親は激怒して男を刺殺し、イレイアの顔が倍に腫れ上がるほどに殴りつけた。


 イレイアの父親は騎士団に逮捕され、事情を説明すると釈放されイレイアが逮捕された。

 イレイアは実刑になり、エリーナの親権を取り上げられ、エリーナの親権はシールスのものとなってしまった。


 嬉々としてイレイアの両親がエリーナをシールスに送りつけてきたのは、シールスがアレイスと結婚する一年前のことだった。

 このときにはまだシールスはアレイスのことを知らず、結婚も考えてはいない頃だった。


 エリーナはシールスの下にやって来ると目を輝かせて喜んだ。

「こんなに素敵な殿方を見たのは初めて。エリーナと申します。これからよろしくお願いします」

 それは女が男に()びる時に使う声色(こわいろ)だった。

 十歳にも満たない子供が出すような目つきと声では決してなかった。


 その言葉に鳥肌が立ったシールスはエリーナを平手で強く叩いた。

「今まではそれで生き抜いてきたのかも知れないが、次そんな事をしたら女しかいない修道院に入れるからなっ!!」

 叩かれた頬を押さえながら憎しみのこもった目でシールスを(にら)み、シールスとエリーナは互いに距離を取って暮らすことになった。


 エリーナも直接的な暴力は初めてで、母親を真似て生きるのは駄目なことなのだと初めて知って、二度と母親の真似(まね)はしないと心に誓った。


 シールスの両親が、イレイアの両親が、修道院がエリーナを可怪しいと言ったのはきっと小さな頃から女が男に媚びるような態度をとってきていたのだと想像はついてしまった。

 そんな事を言えないので可怪しいとだけ言っていたのだろう。


 エリーナもシールスを避けているようなので知らぬふりをしてこのまま生活することにして、問題を起こしたら即修道院へ入れることに決め、シールスはエリーナのことを忘れることにした。





 そしてアレイスの父親からアレイスと婚約しないかと連絡が来て、十五も齢が離れた男に嫁がせたい理由を尋ねると、少しでも娘を高く売りつけたいのだとホーンバック伯爵が言うので、シールスは学園にアレイスを見に行った。

 アレイスはイレイアとは正反対で健康的で、女を感じさせるよりか男でも女でも友情を感じさせる女の子だった。


 話してみると弟の将来を心配していて、そのために自分を犠牲にすることを(いと)わなかった。

 その潔さがシールスの心に何かわからないけれど何かが届いた。

 他の誰かにアレイスを渡したくないと思えた。


 けれど、エリーナで子供は()()りだったので断ろうとしたら、シールスの次に高値をつけたのは三十も年上の成金子爵だと知って、それならアレイスのためにも自分のほうがマシかと考えアレイスの意思確認はされないまま婚約を交わすことになった。







 アレイスは長い話にため息を吐いた。

「エリーナはそんな風に女を感じさせるような子ではなかったですよ」

「エリーナは変わったのかも知れないが、悍ましい仕草とその声色は今でも忘れられない。私の子なのか、フェルスの子なのかはたまた誰かの子なのか解らない子、自分に言い寄る仕草を見せるのは本当に気持ち悪かったんだ」


 シールスが受け入れられない理由は前妻の方を憎んでいるせいもあるのかもしれないとアレイスは思った。

 ただアレイスはエリーナの話は今まで通り、しないほうがいいと判断した。

 今までそれで生活に困ることがなかったのだから、このドンガーデイ家にエリーナはいてはいけないのだと改めて思う。


 それはエリーナが今は一人で二人の子供を頑張って育てているのを知っているからかも知れない。

 エリーナにはドンガーデイ家と関わらないまま幸せになってもらいたい。



 けれどシールスは最初に女性に裏切られる人なんだと心の中だけで思った。

 でも私は結婚してからは裏切ったことはないので許してね。と心の中で謝っておく。

 初恋の思い出も(ふく)めて今の私だからね。



「シールス。あなただけを愛しているわ」

「私もアレイスだけを愛しているよ」


 死ぬまで今の関係を続けられればいいなと思いながらシールスの腕の中で眠りについた。


 シールスはアレイスの寝息を聞いて額に一つ口づけを落として、目を閉じた。

名前の間違い多くて本当にすみませんでした・・・。

訂正をしてくださった皆様に感謝を!!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ