偽装婚約の相談
占い師の名前はリディ・ラングレンと言い、信じがたいことにルシアンと同じ転生者だった。
妹から又聞きでしか「セレントキス」の知識のないルシアンとは異なり、リディはゲームをプレイしているだけあって、「セレントキス」に詳しかった。
同じ転生者ということでリディが「セレントキス」のヒロインかと思いきや、どうやらモブキャラらしい。
その時、リディの名前を聞いてラングレンという家名を最近耳にした気がして考えると、あのシャルロッテと同じ家名であることに気づいた。
話を聞くと、シャルロッテはリディの義妹で「セレントキス」のヒロインだという。
(あいつがヒロイン……それでどこかで見た気がしたのか)
言われてみれば確かに前世で妹に見せられた「セレントキス」のトップ画面で見たビジュアルのような気がする。
ゲームの強制力であの気持ち悪い女に恋することが無いことにルシアンは安堵してしまった。
そしてリディの前世でゲームをした知識と占いの知識によってルシアンは無事シャルロッテとの縁が切れたのだった。
本来ならばリディとはそれだけの縁であったが、共にお茶を飲んで過ごす時間はルシアンの心の癒しになっていた。
多分同じ転生者ということで気が楽なのだろう。
それに一緒にいると安心するし、何故か心地よくも感じる。
だから「なんでルシアン様は毎日いらっしゃるんですか?」と尋ねられた時にこの関係を続けていたくて、ボルドーの瞳の少女とまだ出会えていないから、出会えるまで手伝ってくれと頼んだ。
少女との再会に協力して欲しいというのは本心である。
ルシアンが厚かましくそうお願いすれば諦めたように合意してくれた。
(断ってもいいのに、お人好しだなぁ)
時折ずり落ちそうになる眼鏡を直しながら紅茶を飲むリディを見てルシアンはそう思った。
(そう言えば転生者ってことはリディも俺と同じ悩みとか持ったのか?)
ルシアンが自分の自我などなく全てゲームの強制力で作られている人生を歩んでいるのではないかという、あの悩みだ。
リディがどう思っていたのかを聞きたくてルシアンは尋ねた。
リディは自分の考えを纏めるようにしながら、強制力はあるかもしれないが、それは変えられるものだと答えた。
「運命って常に変化するものなんです。数ある選択肢から選んでいるというか。多分設定がどうであれ、ルシアン様がそれを選ばなければその結果にならないんですよ。今ルシアン様がある能力はルシアン様が努力した結果で、積み上げてきた成果だと思いますよ」
驚いた。
リディはあの少女と似たようなことを言ったからだ。
同じような考えに再び触れて、ルシアンはリディを好ましく思った。
転生者同士、そして考え方も似ていることに、ルシアンはリディに親近感を持ち、まるで親友の様に思えるようになっていた。
こうしてリディと茶飲み友達となったが、問題は更なる事態へと転換していく。
それはシャルロッテの件が片付いてからひと月ほど経った時だった。
突然、ルシアンは国王に呼び出された。
(なんとなく嫌な予感がする)
そしてルシアンの予感は当たった。
ルイスの放蕩振りを見かねた国王はとうとう次期国王になる心づもりをしてほしいとルシアンに言ってきたのだ。
元々補佐官の打診があった際にもそのような事を言われてしまっていたが、ルシアンはその件については丁重に断っていた。
国王もルイスは自分の子供であり、多少の事は目を瞑りたいようだし、このままルイスに王位を継いでほしいという気持ちはあるようだ。
だが最近のルイスの放蕩は目に余ることは確かだった。
公務を堂々とすっぽかし、なんとか執務室に連行しても「疲れている」とのたまって殆ど手に付けることはしなかった。
(そもそもその疲れだって遊んでるからだろ!)
最近はとある未亡人の貴族女性とねんごろになって、その女に貢いでいる状態だ。
暇さえあればその未亡人と共に過ごしている。
まぁ相手はあくまで火遊びと割り切っているらしいのでそこまで深刻ではないものの、この国の行く末を思うと頭が痛い。
「ルイスは放蕩息子ではあるが曲がりなりにも私の息子だ。可愛いと思う気持ちもある。だが私は国王なのだ。国の益を考えねばならない。一応聞くが、そなたに王位を継ぐ意思は……」
「ありません」
ルシアンは国王の言葉を最後まで聞く前に遮るように答えた。
それに対し、国王もその回答を予想していたようで、諦めたようにがっくりとうなだれた。
「ではな……ルイスを支えるためにはそなたを支えてくれる人間が必要だと思うのだ」
確かにこれ以上仕事を引き受けるのはルシアンとしてもキャパオーバーだ。
秘書を派遣してくれるのは嬉しい。
「そうですね」
だが国王の提案は予想外のものであった。
「だから、身を固めてはどうだろうか?」
「は?」
「相手はソフィアナ・ロッテンハイム侯爵令嬢などどうだろうか。そなたたちは恋人との噂もあるし、家柄も釣り合うだろう」
その名前にルシアンの血の気が引いた。
シャルロッテのルシアンルートは消えたと思う。
だが、確実にそうなのだろうか?
もしソフィアナと結婚したら彼女が断罪されるルートが再び発生するかもしれない。
そもそもルシアンはソフィアナを恋愛対象と見ていない。
(嫌だ……)
ルシアンの脳裏にボルドーの瞳の少女が浮かんだ。
もう二度と会えないかもしれない、既に恋人がいるかもしれない。下手をしたら結婚しているかもしれない。
ひと時会って、言葉を交わしただけの少女なのにどうしてこんな風に恋焦がれてしまうのか、理屈では語れないが、ルシアンの心中にはあの少女以外とは結婚したくはないという強烈な思いが生まれた。
「心に決めた女性がいるのです。ですからソフィアナとは結婚できません」
気づけばそんな言葉を口を突いていた。
「ほう、堅物なそなたにそのような相手がいるとは意
外だな。では、その女性と婚約して、今月末には婚約発表して、私を安心させてくれ。そなたは私の従甥。大事な血縁者だ。そなたの幸せも祈っておる」
「え……でも……」
「いいか、これは王命だ」
確かにこのような機会が無ければルイスの尻拭いで忙殺されているルシアンは婚期を逃す可能性もある。
親族であるがゆえに国王は心配して、そう強く言ってくれたのだと分かった。
(分かってるけど……いや、無理だろ?)
動揺するルシアンを国王は下がらせた。
王の前を辞したルシアンがまず向かったのはリディの店だった。
あの少女への恋心を知っているし、互いを親友だと言いあっているので恋愛関係に発展してあとでごたごたすることはないだろう。
そう考えるとリディがルシアンの計画の協力者としては最適なのだ。
馬車を急かせて店へと急ぎ、そして逸る気持ちを押さえつついつもの白いドアを乱暴に開けた。
「どうしたんですか?」
その様子のルシアンにリディは目を丸くして迎え、いつものように紅茶の準備をしてくれた。
そして言葉少なにルシアンは紅茶を飲んだ後、覚悟を決めて提案した。
「婚約してくれないか?」
ルシアンの言葉にリディは5秒ほど固まったまま、勢いよく立ち上がった。
大きな眼鏡が斜めになってずり落ちてしまっている。
「意味分からないんですけど!? 婚約? え? どういうことですか!?」
「いや、婚約といっても偽装だ」
「偽装、ですか?」
ルシアンは詳細をリディに説明して、色々と交渉した結果、偽装婚約の提案を受け入れてもらえることに成功した。
本当にお人好しである。
ルシアンとしては助かったのだが、頼みを断ることなく難題も受け入れてくれるお人好しぶりに、今後変な男に騙されるのではないかとちょっとだけ心配してしまう。
「じゃあ、契約書を作ろう」
そう言ってルシアンとリディは話し合った結果次の内容で合意をした。
一つ:お互い好きな人ができた時点で契約解消
一つ:婚約解消後は連絡を取らない
一つ:契約解消後に占いの店舗を提供すること
一つ:お互いに恋愛感情は抱かない
「よし、そういうことでよろしくな、相棒!」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
硬く握手をしたルシアンだったが、まさかこの契約がルシアンを苦しめることになるとはその時には思わなかったのだった。