馬鹿は嫌いだ
それはシャルロッテとか言う令嬢と出会って間もなくのことだった。
ここ最近ルシアンは提案されている相続税の算出方法の兼ね合いで測量の本を求めて、何度か王立図書館を訪れていた。
だが、図書館へと足を踏み入れてすぐ、男女の声が耳について思わずそちらを見た。
「ふふふ」
「そんな、君程綺麗な女性はいない。本当、あの女を選ばなくて良かったよ」
「まぁジル様ってば」
図書館には不似合いな男女の囁き。
それは静かな図書館内に響いていて、何人かの利用者が顔を顰めて不愉快そうに遠巻きに見ていた。
しかも会話の内容は恋人同士が愛を囁くようないちゃついたもので、ルシアンは近くにいた司書に思わず非難めいた苦言を呈してしまった。
「あれを注意しないのか?」
「あぁ、いつものことで。最近ああなんですよ。何時間も居座って、何度注意しても聞かないので最近はもうお手上げ状態なんですよ」
眼鏡のツルをくいっと上げながら、背の低い男は説明してくれた。
「でもあの女性……確か、シャルロッテ嬢は誰か待っているようでしきりに入口を見ているので、誰かとお待ち合わせなのかもしれません。それにジル伯爵が付き合って時間を潰しているのかもしれませんね」
まったく迷惑ですよね、という司書の言葉にルシアンも同意して頷いた。
(ったく、TPOを弁えろって感じだな。さて、本を取りに行くか……)
ルシアンはその後司書と別れると、気を取り直して目的の本棚へと歩き出そうとした時だった。
不意に、ほんの一瞬だけシャルロッテがこちらを見たような気がした。
「ジル様。私、用事があるので失礼しますね」
「あぁ」
シャルロッテはそう言ってどこかへと消え、それを期に再び図書館内に静寂が訪れた。
ようやく静かになり、周囲の人間も司書もほっと安堵したように再び銘々の目的に戻っていった。
ルシアンもまた、測量の本を得るために本棚へと向かった。
のだが……そこには予想外の人間がいた。
シャルロッテだ。
(……なんで測量の本棚にいるんだ?)
普通の貴族令嬢が読みたがる本ではない。
だが、もしかして本当に測量の本が必要なのかもしれない。
驚きと戸惑いを覚えて見ていると、どうやらシャルロッテは本棚の上にある本が欲しいようで、その場でぴょんぴょんと跳ねながら手を伸ばしている。
ルシアンは見かねてシャルロッテに声を掛けた。
「シャルロッテ嬢、どうされました?」
「まぁ、ルシアン様! こんなところで奇遇ですわね」
「そうですね」
「実は……あの本が欲しいのですが手が届かなくて」
これは遠回しに本を取れということだろうか。そんな色が瞳から滲み出ている。
無視することもできずルシアンは仕方なく手を貸すことにした。
「どれでしょうか? お取りしますよ」
「それ、臙脂のカバーの本ですわ」
その本には『THE 測量学~応用編~』とタイトルが書かれていた。
「珍しい本をお読みになるのですね」
「え? ええ。最近興味がでましたの」
「そうですか」
見た目に反して実は理学が強いのだろうか。
貴族令嬢には珍しいが算術ができることも、ルシアンでさえ苦戦している難しい測量学を学ぶのも、素直に凄いと感心してしまう。
「あぁ、そうだわ。ルシアン様は頭がよろしいと伺いましたわ。少し勉強で分からないところがあるのです。その本の……あ、2章の部分が分からないので教えて欲しいのですが……」
「すみませんが、今日はこの後会議が入っているので難しいです」
(……なんでこんな顔見知り程度の人間に懇切丁寧に教えなくちゃならないんだ)
もちろん本当にこの後会議が入ってはいるが、それが正直な気持ちだった。
そのため婉曲に断ったのだが、シャルロッテはそれに気づいていないのか、あるいはあえて気づかないふりをしているのかは分からないが、食い下がって来たのだ。
「明日でいいのです! お願いします! 頼れるのはルシアン様だけなのです」
懇願するシャルロッテにルシアンは折れた。
確かに一人で測量の勉強をするのは難儀だろうし、互いに教え合うこともできるかもしれない。
「分かりました。では明日」
「はい!」
シャルロッテとルシアンはそうして別れた。
そして翌日約束通り、ルシアンはシャルロッテに勉強を教えるために城の近くのカフェに来ていた。
「お待ちしておりましたわ!」
シャルロッテはそう言ってルシアンを迎えた。
その服装は「これからオペラでも見るのか?」というほど気合の入ったもので、ピンクブロンドの髪は美しく整えられ、それが映えるような真っ赤なドレスに大ぶりの宝石の入ったネックレスをしていたので、ルシアンは一瞬ぎょっとしてしまった。
「えっと、ではどこが分からないでしょうか?」
「そう急がないでくださいませ。まずは一緒に紅茶でも飲みませんか?」
「この後予定が詰まっているので、申し訳ないですがご遠慮いたします。それで、どこが問題ですか?」
「え? ええと、この問題です。これができないと家庭教師の先生に怒られてしまいますの?」
家庭教師……建築関係の者だろうか。
もしあの『THE 測量学~応用編~』を読める人物であれば是非登用したい。
ルシアンはそんなことを考えつつ、シャルロッテから教本を受け取って絶句した。
(……嘘だろ。測量学どころか九九の問題じゃないか……)
確かにこの世界の学術レベルは決して高いとは言えない。
それに女性教育は必須ではなく、すぐに嫁入りのために行儀作法レベルで終える家もあると言えばある。
男性に従順に従うべしというような男はそう言った女性が好きだというのもルシアンの知り合いにいるが、ルシアン自身はそう思っていない。
中身が21世紀男性だったこともあり男女平等は当たり前という感覚で、むしろ対等に話が合った方が嬉しい。
故にルシアンは馬鹿は嫌いだ。
(それに小学2年生程度の計算もできないというのは……)
流石にありえない。
繰り返すがルシアンの中身は21世紀男性であり、九九ができないことに若干ながら引いてしまう。
その上、勉強を教えて欲しいと言われ、ルシアンは頭を抱えてしまった。
(教えろって……九九をか?)
悩んだ挙句にルシアンはなるべくやんわりとシャルロッテに今日のことを断ることにした。
「シャルロッテ嬢」
「まぁ、ルシアン様。私のことはシャルロッテとお呼びくださいませ」
「いえ、それは流石に。それに申し訳ありませんが、シャルロッテ嬢には教えることは致しかねます。この宿題はご自分でされたほうが貴方のためです」
「そんな……でも、あの!」
その時、見知った顔――部下のダートがカフェの入口できょろきょろと店内を見回している姿が見えた。
「ダート君。どうした?」
「あぁ、ルシアン様。実はルイス殿下が腹痛がすると言って執務を止められてしまい……」
「なんだって!?」
また頭が痛いことだ。
大方相続税改正の法案を見るのが嫌になって逃げたというところだろう。
だがこれはシャルロッテから逃げるいい口実が出来た。
「シャルロッテ嬢。急な仕事が入ってしまった。失礼する」
「えっ! そ、そんな! ではまた明日!」
「申し訳ないが、さすがに九九は暗記の問題です。ご自分で反復練習して覚えてください」
ルシアンはそう言うと一礼してカフェを出た。
その後ろでシャルロッテが何かを言う声がしたが聞こえないふりをした。
「いいのですか?」
「あぁ、気にしなくていい」
振り返って心配そうな顔をしているダートの視線を無視してルシアンは城へと戻った。
(あの少女は一人で店を出すと言っていた)
思い出したのはボルドーの瞳のあの少女のことだった。
サンドイッチを食べながら帳簿をつけて、どんな店かは分からないが一人で経営しようとしてた。
少なくとも算術は出来ることになる。
それに加えて少女一人で出店し、切り盛りするのはさぞかし大変だろうし、そもそも出店するために色々と算段を付けていた様子を思い出すと、更に好感が持てた。
経営手腕はどこまでかは分からないが、店を出そうと思う位なのだから少なくともそれなりに経営の知識はあるのだろう。
そのことを考えると、掛け算もまともにできないというのは……シャルロッテの知識レベルの低さに思わず笑ってしまった。
(あぁ、会いたいな)
こんな小さなことまで少女と比較してしまう自分にいささか笑いもこぼれてしまう。
もう会えないからこそ美化されているのかもしれないが。
「ルシアン様、なにか楽しそうですね」
「そんなことはないと思うが」
「いいえ。まるで恋人を想ってらっしゃるようで」
「恋人……か」
そもそも恋人どころか名前も知らないのだが。
ただ、あのバカ女のお陰でまた少女への恋心を思い出す自分に、今度こそ苦笑いをした。
だが、この小さな「笑い」が大事になってしまうのだった……
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