もう一度会いたい
ルシアンは考えた末、王太子補佐官になることにした。
だがこれはゲームで決められたものではなく、自らが自らの意思で選んだものであり、ルシアンの論文や能力が評価されたものであると今なら信じられる。
(あの子のお陰だな)
少女がたどたどしく一生懸命に紡いだ言葉により、ルシアンは救われたのだ。
大人の男があんな弱音を吐いたのに、親身になって寄り添うように伝えてくれた。
最後に見たボルドーの瞳に浮かぶ光は、ルシアンの心にも光を灯してくれた。
昨日は礼といった礼もしなかった。
大人の男としてはちゃんと礼を伝えるべきだろう。
(今日もいるだろうか?)
たまたまあの場所にいたのかもしれない。
だが行ってみなくては始まらない。
あの時はふらふらと歩いて偶然見つけた場所だったので、記憶が定かではなかったため、公園内をぐるぐると回ってしまったが、漸くそれらしい道があった。
ライラックの花を辿るようにして抜けた道の先にはあの東屋があって、そして人影が見えた。
(昨日の子だ)
プラチナブロンドの髪の少女は昨日と同じように何か書き物をしていた。
片手にテイクアウトしたコーヒーを持って、時折サンドイッチを頬張っては難しい顔をしている。
そんな少女に声を掛けようと思ったものの、なんと声をかけていいのか、きっかけが分からず、ルシアンは足を止めた。
(やあ! って話しかけるのもなんか突然すぎるよな。かと言って名前は分からないから呼べないし、お嬢さんと声をかけたらナンパみたいで警戒されてしまうかもしれない……)
そもそもあんなに訳の分からない愚痴を溢してしまった後だ。
その上、あんな年下の子に励まされるなど男として情けなさすぎる。
そう思うと急に恥ずかしくなってきて、また顔を合わせるのも躊躇われた。
だがそんな気持ちの一方で、もう一度少女と話したいと何故か思ってしまう。
何故かは分からないが、あの鈴のなるような優しくて軽やかな声を聞きたいし、綺麗なボルドーの瞳を見たいと思った。
しかし今更ながら男として格好よく見られたい、情けない姿を払拭したいという妙な欲が出てきてしまい、声をかけることがなかなかできなかった。
そんなことを考えているうちに少女が突然立ち上がった。
「あ! もうこんな時間だわ。早く帰らないとバレちゃう」
そう言って慌てた様子でテーブルの上の紙の束を素早く集めて封筒に入れると、少女はあっという間に東屋から出て行ってしまった。
「あっ!」
ルシアンが思わずそう言って追いかけようとしたが時すでに遅し。
少女の姿は見えなくなっていた。
(仕方がない。今日はもう帰るとしよう)
ルシアンは肩を落として屋敷へと戻った。
※
そんなことを何度か繰り返したものの、ようやくルシアンは覚悟を決めて東屋への道をずんずんと歩いていた。
少女の言葉に救われたのに、まともな礼もしないなど紳士の風上にも置けない。
それどころか、大人の男としてもいかがなものかと思う。
とはいうものの何か声を掛けるとっかかりは欲しいものだ。
いきなり声を掛けたら驚かしてしまうだろうし、礼を言ってさっさと帰るのも味気ない。
その時、屋台でコーヒーを売っているのが目に入った。
(そう言えば、あの子もコーヒーを飲んでいたな)
ルシアンの前世の感覚で言えば飲み物を差し入れて会話をするというのは割と普通な気がする。
それに作業をしているときに飲み物を貰えると小休憩にもなるし、コーヒー好きならばもう一杯貰ったところで迷惑にはならないだろう。
(要らないと言われたら俺が飲めばいいか)
ルシアンはそう考えてテイクアウトのコーヒーを買うと、東屋へと向かった。
ライラックの花で彩られた東屋までの道を進み、東屋の近くに来ると最後に立ち止まって呼吸を整えた。
そして意を決して小路を再び歩き出すと、直ぐに東屋が見えた。
そこには昨日と同じように、プラチナブロンドの美しい髪の少女が書き物をしている姿があった。
「……君」
少女の隣まで近づくと、ざりっと足元の砂が鳴った。
ルシアンの声と気配から、少女は自分が呼ばれたことに気づいたようにふっと視線を上げてルシアンを見た。
綺麗なボルドーの瞳がルシアンを捕らえる。
一瞬、見惚れそうになるのを自覚して、それを誤魔化すように小さく咳ばらいをした。
「こほん……その、この間はありがとう。すごく……助かった」
「えーと?」
少女は何やら考えるように首を傾げている。
(あぁ、そういえばこの間はこっちを見てなかったな)
あの時、ルシアンに遠慮したのか少女は自分をあまり見ないようにしているようだった。
だからルシアンがこの間助言をした人間だとは分からなかったのだろう。
「あ! ……もしかしてこの間のお兄さんですか? すみません、こちらこそ知ったかぶって変な事を語ってしまいました」
「いや、全然問題ない。本当助かった。お陰で色々吹っ切れた。ありがとう」
「そうですか? でも、元気が出たのなら良かったです!」
少女は朗らかに笑った。
見ているこちらが元気が出るような温かな笑顔。
この笑顔を見るのは心地よい。
「あの?」
まじまじと見てしまったので少女が今度は戸惑った様な表情を浮かべた。
ルシアンは慌ててコーヒーを勧めた。
「あぁ、すまない。よかったら、飲んでくれ」
「ありがとうございます! ちょうど飲み物が無くなってしまったので、ありがたく頂戴しますね」
少女はそう言ってコーヒーに口を付けた。
お互い無言になり、遠くから鳥の囀りだけが聞こえてくる。
(なにか話した方がいいよな)
その時テーブルの上に置かれた紙に目が行った。
何か数字が羅列している。
決算書類のような、家計簿のようなものに見える。
ルシアンの視線に気づいたようで、少女が説明を始めた。
「あぁ、実は今度下町にお店を出すんです」
「店を?」
そう言って少女は店の場所を言った。
確かにあの辺りは下町で色々な店がある。
「実家の手伝いというところか?」
「いえ……実家は関係ないんです。事情があって、自分でお金を稼がなくちゃならなくて、自分のお店を出そうと思ったというか……」
歯切れの悪い言い方だった。
この間、滔々と自分の考えを伝えてきた人間とは思えない言い方だ。
自分で金を稼ぐ必要があるということは、実家はあまり裕福ではないのかもしれない。
だが、きちんと文字を書いて算術もできているということはそれなりの教育は受けているということだ。
(商人とか没落した貴族の娘……とか?)
深く追求するのも気が引けて、ルシアンは「そうか」だけを口にした。
その時、少女が何かに気づいたように声を上げた。
「あっ! すみません。今、何時ですか?」
「2時少し前だが」
「! この後大家さんのところと契約に行かなくて。すみません」
「いや、こちらこそ邪魔をした」
「コーヒーご馳走様でした!」
少女は慌てた様子で身の回りの物を手早く片付けると、ルシアンに再度深々と礼をしてあっという間に去って行った。
急いでいるにも関わらず、ちゃんと礼をしていくあたり、律義さを感じる。
(あの子ともう少し話がしたかったな。……あれ?)
その時、ルシアンは少女の名前を聞いていないことに気づいた。
いや、むしろ自分の名前さえ伝えてなかった。
別に少し話をしただけの関係で自己紹介する必要はないかもしれないが、少女との繋がりが無くなってしまったようで、なぜか寂寥感が胸を占めていた。
※
少女にはもう礼を言ったし、会う必要もない。
なのにどうしてもまた会って話したくなる。
不意に少女が笑った顔が思い浮かんだ。
可愛くてもっとそれが見たくなった。
そんなことを思って、あの後何度かこっそり東屋に少女を見に行ったこともあった。
(……何を考えてるんだ。これじゃストーカーだよ)
ちょうど、明後日から補佐官として登城することになっている。
仕事が始まればなかなかあの東屋に行くこともできなくなるだろう。
(最後にもう一度だけ、会いたい)
せめて名前を知りたい。
そうすれば、僅かながら少女との繋がりができるような気がした。
「どうしたんだ?」
急に声をかけられて、ルシアンは飛び上がるほど驚いた。
「父上」
「すまない。何度か声を掛けたんだが返事がなかったから、どうしたかと思ってな」
「すみません」
気づけば明後日に向けて準備をしていた手が止まっていた。
ぼうっとしていたのだろう。
「浮かない顔をしてどうしたんだ?」
「え? あ……その、公園で顔見知りがいるのですが、もう会うこともなくなるなと思って」
「それは寂しいな。せっかく出来た友人なのに」
「友人?」
「違うのか?」
「いえ……まぁ……」
友人と呼ぶにはあまりにも希薄な関係だ。
自分が一方的に見つめている相手なだけなのだ。
(うわ……俺、本当にストーカーじゃないか。気持ち悪いな)
父親に少女との関係を指摘され、冷静に自分の行動を考えるとストーカーじみていて自分でも引いてしまう。
そんなルシアンには気づかないようで、父親は気軽な口調で提案してきた。
「せっかくだ。本格的に仕事が忙しくなる前に、食事にでも誘ってみたらどうだい?」
「食事……」
いきなり食事に誘うのは相手も面食らってしまうかもしれないが、このままではルシアンは本当にストーカーになってしまう。
これからも会いたいのであればやはり行動するしかないだろう。
「分かりました。そうします」
「うん。せっかくの縁は大事にした方がいいよ。あぁ、昼食が出来たそうだから区切りが付いたら降りてきなさい」
「はい。あとで行きます」
(よし、じゃあ明日にでも誘ってみるか)
父親を見送ったルシアンはそう思ってふと書棚のガラスに映った自分の姿に目が行った。
「な……」
そこには絶句するような自分の姿があった。
無精して伸ばしっぱなしにした髪。それを無造作に括っただけでぼさぼさになっている。
前髪は目を隠すほどに伸びている。
いくら無精をしていたとはいえ、これで女性を食事に誘うのはまずいだろう。
ルシアンは気合を入れると、早速長くなってしまった髪を切り、身だしなみを整えた。
そして翌日、ルシアンは再び東屋へと向かった。
(今日もいるだろうか?)
そわそわしながらルシアンは公園を進む。
なぜこんな気持ちになるのか。
今まで感じたことのない胸のざわめきを感じる。
だがそれは決して嫌なものではない。むしろ心地よくもあり、心が躍るようなものでもあった。
(なんだ……この気持ちは)
まるで恋をしているような。
(恋……)
その時、ルシアンは自分が少女に執着している理由を理解した。
少女の事が好きなのだと。好意を持っているのだと。
自覚してしまうと、余計に少女に会うのに緊張してしまう。
ドキドキと高鳴る気持ちを押さえつつ、東屋を目指した。
だが、そこに少女の姿は無かった。
(どうしたんだ? 今日は来ないのか……)
気合を入れていたぶん少し肩透かしを食らってしまった。
だが明日また会えるだろう。
そんなことを思っていたルシアンだったが次に少女と会うには2年も経ってしまうとは……
ルシアンは思いもよらなかったのだった。




