不思議な少女
『公園のライラックが見ごろだし。行ってみたらどうかしら。きっと気分も晴れるわ』
そう両親に送り出されたルシアンはそのまま公園へと向かった。
だが、特に見ることもない。
ライラックの花は確かに咲いているが、何とも思わない。ただ咲いているなと認識するだけで心が全く動かない。
親に言われてとりあえず公園に来た。ただそれだけだ。
午後の公園には老若男女問わず人が談笑しながら歩いている姿があちこちにあった。
だがなんとなく人を見たくなくて、静かなところを彷徨っていた。
(はぁ……疲れた)
久しぶりに歩いたせいか、だいぶ体力が無くなってしまったようで、少し歩いただけなのにゼイゼイと息が切れた。
(少し休みたいな)
そう思ったルシアンの視線の先にはひっそりと東屋があった。
あそこであれば日陰だし、ベンチもある。
ルシアンは重い体を引き摺るようにして東屋へと向かった。
なんとか辿り着いて目の前にあったベンチへと重い腰を下ろせば、同時に「はぁ」という深いため息が漏れてしまう。
背もたれに寄りかかるようにしたあと、がっくりと項垂れた。
「どうすれば……」
王太子補佐官を引き受けるべきだと分かっている。
だが、この世界が「セレントキス」の世界で、ルシアンの意思とは関係なしに決められたルートを行くことを考えると、踏ん切りがつかない。
そんな想いから思わず口にした言葉に反応があった。
「死にそうなお顔ですけど……お悩みなら聞きますよ」
その時初めて先客がいることに気づいた。
ルシアンより年下の女性。
いや、少女と言うべきか。
プラチナブロンドの髪に程よい高さの鼻梁に、ピンクに色づいた唇の横顔。
服は華美なものではないが、清潔感があるものだ。
少女はこちらを見ることなく、なにやら熱心に書き物をしているようだ。
テーブルにコーヒーと食べかけのサンドウィッチが乗っているのを見ると、食事の途中だったのかもしれない。
「ほら、吐き出せば少しは楽になると思います。赤の他人、偶然居合わせただけの人間ですし、お互い知らない者同士でしょ?大様の耳はロバの耳の穴に言うとでも思ってください」
彼女の視線の先には咲き乱れるライラックの花。
花を見るというより敢えてルシアンを見ないようにしてくれているのかもしれない。
大人の男が弱り切っているのを見てじろじろ見るのを遠慮しているのだろう。
年下と思われる少女。
そんな全くもって面識のない年下の少女に自分の悩みを話す必要はない。
むしろ何故自分の悩みをこの少女に言わなければならないのか。
そう思う一方で少女が言うように他人だからこそ言えるかもしれないと思った。
ルシアンがルシアン・バークレーであることを知らない人間であるのならば、多少の恥をかいたところで痛くもかゆくもない。
そしてなによりも彼女の纏う雰囲気は穏やかで、その周りだけ輝くように見えた。
まるで陽だまりのような明るさと暖かさを感じた。
だからついつい弱音が口をついてしまった。
「詳細は話せないんだが……」
そう言って語ったのは今までルシアンが答えを見つけることができないで思い悩んでいた話だ。
自分は絶対的な何かの意思によって動いているだけで自分の意思というものはないのではないか。
決められた運命になるのが既定路線で、努力してもしなくてもその結果になるのではないか。
そんなことを最初はぽつりぽつりと話してしまった。
だがどんどん感情が溢れて吐き出すように、答えを求めるように尋ねていた。
(……こんな女の子にそんなこと言ってどうするんだ)
全てを出し切ってから我に返り、こんな意味不明な話をしてしまったことを後悔した。
いくら自分が弱っていたからと言って他人が聞いたら頭がおかしいのではないかとも思われるような内容だ。
少女もしばし無言でいた。
物を書いていた手は止まっていて、少女の戸惑いが伝わってくる。
だからルシアンは先ほど言ったことは忘れて欲しいと言って、その場を去ろうと口を開いた時だった。
「私は……」
「え?」
「私はあなたに説教したり答えを導くことができる高尚な存在じゃないただの街人その1に過ぎないんですけど……ちょこっとだけ言ってもいいですか?」
「あぁ」
突然言葉を返されて驚いたルシアンは立ち去るタイミングを逃してしまい、そのまま座って少女の話を聞くことになった。
「運命って言うのは、一つじゃないんです」
「一つじゃない?」
「はい。いくつもある選択肢の一つにすぎません。いくつか示された選択肢を自分で選んだ結果の上を人は歩いているんです。だから、あなたは決まったレールの上を歩いているんじゃないと思うんです」
少女が言う言葉がいまいち理解できなかった。というより、ルシアンの考えを否定する根拠が分からなかったのだ。
首を捻るルシアンに対し、少女が補足の説明をしたが、それはルシアンが考えもしなかった内容であった。
「はい、そうです! 先ほど言いました通り、運命って選択肢です。運命は決まっているわけではなくて、自分で選ぶものなんですよ。だから大丈夫です。貴方は貴方の意思で生きているんです」
静かに、だがはっきりと少女は言った。
その言葉は不思議な力が宿っているかのように、ルシアンの心に染み渡った。
息を呑んで目を瞠って少女を見つめていた。
「まぁ……上手く言えないんですけど、全然自信を持っていいんです!」
横顔しか見えないが、少女は笑っているようだった。
「そうか……運命は自分で選ぶものなのか……」
思わずぽつりと声が漏れていた。
すると自分の中にある不安や恐れ、戸惑い……そういったものが、すっと消えていくのが分かった。
心の中で心地よいざわめきが起こる。
「ありがとう。少し、元気が出た」
「いえいえ、どういたしまして! 貴方に妖精様のご加護がありますように!」
不意に少女がこちらを見た。
柔らかな笑みは包み込むように優しいもので、今まで出会った女性からは感じたことのない純粋な笑みだった。
そして何より目を引いたのは少女の瞳だった。
強い光を宿したそれは、空に輝く一番星の様に美しく、そしてルシアンを導いてくれるような鮮烈な印象を残した。
ボルドーの深い赤い色。
気づけばその瞳に心が奪われていた。
少女はそう言った後、再び書き物を始めた。
その瞳がもう一度見たくて、少女に何か声を掛けようとしたがうまい言葉が見つからない。
(だけど……救われた気がする)
ルシアンはそのまま一礼して東屋を後にした。
屋敷に帰宅すると談話室では両親が紅茶を楽しんでいた。
「ただいま帰りました」
「あぁ、ルシアンお帰りなさい」
母カテリーヌがそう言って迎えるが、ルシアンの顔を見て何かに気づいたようだ。
「ルシアン、顔色が良くなってるわ」
「そうだな。それに、お前が笑っているところを久しぶりに見た」
カテリーヌの言葉に続き父親もそう続けた。
「俺は笑っていなかったですか?」
「あぁ、お前は元々そんなに笑う子ではないけど、なにか嬉しそうだ」
「そう、ですか」
「ふふ、何かいい出会いでもあったのかしらね」
カテリーヌが冗談めかして言ったその言葉をルシアンは反芻し、そして答えた。
「いい出会い……。そうですね。はい、素晴らしい出会いがありました」
そしてルシアンは久しぶりに安眠を得ることができた。
翌朝起きて、体が嘘みたいに軽くなっていた。
心も体も軽く感じながら、カーテンを開けて窓の外を眺める。
庭の木々は深い緑で、雲一つない空は抜けるように青い。
庭師が撒いている水が日光に反射してキラキラと光って煌めいて見えた。
(外は、こんなにも鮮やかな色をしていたんだな)
ルシアンの脳裏に昨日の少女が蘇る。
もう一度会いたくなり、ルシアンは急いで外出の準備を始めた。
ブクマありがとうございます!
励みになっております。
引き続き楽しんでいただけたら幸いです