試練を超えて
ルシアンは途中で馬を替えながら、不眠不休でオベロンがいる黒い森の古城を目指した。
体は疲れているはずなのに、それすら感じられない。
ただただリディに一刻も早く会いたかった。
贄となって命を落とす前に何としてでもリディを救い出さなくては。
焦燥感と共に、リディを求める渇望だけが感じられた。
「あれか!」
黒く変色して半分枯れた木立を進むと、その最奥ともいえる場所にその古城が現れた。
石造りの黒い城は半分朽ちたようにひび割れが目立ち、来るものを阻むように枯れて黒くなった蔦が覆っている。
ルシアンは古城の前に来ると手綱を強く引いて馬を止めた。
全速力で駆けて来た馬は急に手綱を引かれ、驚きのあまりに嘶くが、それには構わずにルシアンは飛び降りると、懐から鍵を取り出した。
城門は巨大な石でできていた。ルシアンはその中央にある鍵穴にそっと鍵を差し込むと、ガチャリという音がして、鍵が開いたことが分かった。
入口の石の扉をぐっと押す。
「くっ……重い……!」
大人の男が渾身の力を込めて押しても人一人分しか開かない程重い扉は、侵入者を拒むようにも感じられる。
ようやく少しだけ空いた隙間に身を滑り込ませるようにしてルシアンは城内へと足を踏み入れた。
すぐに駆け出し、迷うこともなく一直線に城の長い廊下を走る。
だが、そんなルシアンは急に足を取られて転びそうになるのを何とか耐えた。
「なんだ?」
見ると壁に這っていた蔓が生き物のように蠢き、ルシアンに狙いを定めるようにして大地を這いながら伸びてきたのだ。
それに触れたら危険だと本能が察知し、反射的に飛び越して避ける。
だが蔦はルシアンが着地した場所へと、まるで導かれるようにと蔓を伸ばしてきた。
ルシアンは走りだすが、背後から蔦が追って来る。
まるで生き物のようにルシアンに向かって襲い掛かる蔦は、やがて床だけではなく壁にも蔓を這わせ、しまいには明らかにルシアンの動きを止めようと蔦が襲いかかってきた。
蔦の動きを避けて加速して走るルシアンだったが、とうとう腕を取られてしまった。
引っ張られてそのまま背後に倒される形になり、それを好機ととらえた蔦はルシアンの体にもまとわりついた。
「くそっ! 放せ!」
ルシアンは腰に佩いていた剣で蔦を切り裂き、剣を振って周囲から襲ってくる蔦を切りながら、そのまま一気に廊下を駆け抜けた。
(早く! リディの元に行かなくては!)
こんなところで足止めを食っている場合ではないのだ。
リディが贄としてこの城に送り込まれてから既に4日は経ってしまっている。
その間に贄になり命を落としていたら……。
最悪の事態が頭を過ぎる。
体を駆け抜ける不安を頭の隅に押しやるようにして、ルシアンは蔦を振り切って走った。
そして廊下の先に黒光りするガラスの扉が見えた。
ルシアンはその扉を躊躇なく開き、そのまま部屋の中へと駆け込んだ。
蔦は部屋の中までは襲ってこないようで、扉を閉めると部屋は静寂に包まれた。
ルシアンはほっと息をついて顔を上げると、暗闇の部屋の中、煌々とした光が降り注ぐ部屋の中央に、ルシアンの会いたかった最愛の女性が静かに横たわっているのが見えた。
「リディ! 生きてるか? リディ!」
ルシアンは弾かれたようにリディの元へと駆け寄り、その体を抱き起こした。
リディが生きているか不安になったルシアンだったが、リディの体の熱が服越しに伝わってきて、ルシアンはほっと胸を撫でおろした。
(良かった……生きている)
贄として捧げられ、既に死んでしまったのではという不安が消え去って行った。
だがリディの目は固く閉じられたままである。
「リディ、しっかりしろ。目を覚ましてくれ」
ルシアンはリディの肩を小さく揺すって、覚醒を促すのだがリディからの反応はない。
「リディ、迎えに来た。目を覚ましてくれ、一緒に帰ろう」
だがリディの目は開かれることはなかった。
明らかに普通ではないこの状況に、ルシアンの心に再び焦りと不安が生まれる。
リディの名前を呼ぶ声が徐々に大きくなっていく。
「リディ! 声が聞こえるか? リディ!」
「お前がルシアン・バークレーかな」
静かに、そして威厳のある声がルシアンの名前を呼んだ。
見上げればどこから現れたのか長身の男が立っていた。
艶やかな黒く長い髪に、同じく黒衣を纏った男は夜の帝王といった雰囲気と人間離れした美しさは明らかに人ではないことが察せられた。
「……そうだ。貴殿は?」
「妖精王オベロン」
「貴方がオベロン? ……リディは生きているのですか?」
「そうだね。まだ人間としての彼女は生きている。心は妖精界に居るってとこかな」
「心は?」
と言うことは、このリディの体は抜け殻であることを示唆している。
よって、妖精界にあるという心をこの体に戻さない限りは呼びかけに応じることはないし、リディを目覚めさせることはできないということになる。
「逆に聞くが君は何をしに来たんだい」
オベロンは不愉快そうに眉間に皺を寄せて、ルシアンを冷ややかに見下ろした。
纏う空気が重く、ルシアンは思わず息を呑んだ。
だが、ここで怯むわけにはいかない。
「リディを返していただきたい」
「あの子を差し出したのは君たち人間だよ?」
「それについては弁解のしようもない。もし贄が必要なら俺がなる。でもリディは返して欲しい」
「勝手だな。……あの子は人間には過ぎたものだ。返すわけにはいかないな。早々に立ち去るといい」
オベロンが冷たく言い放った瞬間、強い力がルシアンの手からリディを引き離した。
そしてルシアンがあっと叫ぶよりも早く、オベロンが指を鳴らした瞬間に体が吹き飛ばされていた。
(何が起こったんだ?)
体をしたたかに打ちながらなんとか体を起こす。
見ればリディの体は芝生の上に静かに横たわったままだ。だがルシアンからは遠く離れており、それが今のルシアンとリディの関係のようにも見えた。
「帰りたまえ」
「断る! せめてリディに会わせてくれ!」
愛する女性を奪われて、帰れと言われて黙って帰るわけがない。
それにたとえリディの体がそこにあっても心はないのだ。
まだリディに会っていないも同然だ。
リディがルシアンの事を嫌い、そして拒絶するのであれば話は別であるが、オベロンに言われたからと言って従うなどありえない。
(リディに想いを伝えたい。たとえ拒絶されるとしても、もう一度あんたに会いたいんだ)
ボルドーの瞳にもう一度自分を映して欲しい。
その思いでルシアンがリディへと行こうと足を踏み出した瞬間に、突如として薔薇の枝が床から生えた。
「なっ……」
「そこから先には進ませないよ。まぁ来れるなら来てみなよ」
「っ!? ……くそっ! はぁあああっ!」
ルシアンは剣を抜いて茨を切り結ぶ。
だが切ったはなから枝は勢いよく伸びて、ルシアンの行く手を何重にも阻むように立ち塞がった。
(この程度の妨害でリディを諦めるわけないだろ?)
その程度の想いと覚悟でここまで来てはいない。
ルシアンは一心不乱に枝を斬り続けた。だが切っても切っても枝は伸び、リディへ近づくことができない。
切って、切って、切りまくる。それ以外の道はない。
「諦めたらどうだい? リディ以外にも君に相応しい女性はいるだろう? 痛い思いをする前に帰った方が賢明だよ」
「ふざけるな!俺にはリディしかいない。リディしか欲しくないんだ!リディが居たから俺は生きて行こうと思えた。リディのいない人生なんてなんの意味もない!……諦めてたまるものか!」
「ふーん。気概だけはあるようだけど……じゃあ、これだとどうかな?」
オベロンの言葉に従うように、ルシアンの手に鋭い棘のある枝が巻き付く。
その痛みからルシアンは剣を持つ手を一瞬だけ緩めてしまった。
その隙をつくようにして、生き物のように動く薔薇の枝がルシアンから剣を奪って行った。
こうなってはバラの枝を切ることはできない。
だからと言って諦めるルシアンではない。
剣は無くても手がある。
ルシアンはリディを守る柵のような薔薇の枝を両手で握るとそのまま力の限り引きちぎった。
棘が手に突き刺さり、強烈な痛みがルシアンを襲う。
だがそんなことは気にせずにルシアンは叫び声を上げながら狂ったように薔薇の枝を千切って、リディの元へと行こうとした。
「はあああああああっ!」
(目の前にリディがいるのに! 諦めない! 絶対にリディに会う。そしてここから一緒に生きて帰る!)
リディに会って、想いを告げるためならば、この程度の痛みなど痛みの内に入らない。
流れゆく鮮血がぼとぼとと床の上に落ちて、まるで薔薇の花びらが撒かれたように散っていった。
そのルシアンの様子にオベロンが苛立った声を上げた。
「しつこい!」
「……くっ! うあっ」
今度は行く手を阻んでいた薔薇の枝が伸びてルシアンの体に巻き付いて来たのだ。
余りの痛みにルシアンの顔が歪む。
痛みを堪えるようにルシアンは歯を食いしばるが、枝は容赦なくルシアンの体を締め上げ、棘が体に食い込んでいく。
それでもルシアンはリディだけを見つめて手を伸ばそうと足掻いた。
目の前にいるのに。
傍に行きたいのに。
それができないもどかしさ。
「大人しく帰れ。そうすれば命まではやらない」
「嫌だ。帰るならばリディと一緒に帰る。お前などにリディは渡さない!」
(オベロンなどに、リディを渡してなるものか!)
そう強い意志を持ってオベロンを睨むと、オベロンは渋面になった後に、酷く冷酷な笑みを浮かべてパチリと指を鳴らした。
その瞬間、ビリリという痛みが脳天から足のつま先にかけて走って行った。
雷が体をかけて行くような感覚。
一瞬意識が飛び、心臓が止まるようだった。
気づいた時には音を立てて心臓が激しく動き、同時に体中に激しい痛みを覚えた。
棘の鋭い痛みと共に、ひりひりという火傷の痛みが全身を襲う。
自然と呼吸が浅くなり、意識が朦朧として来た。
失血し過ぎたせいかもしれない。
(このままリディに会えないまま死ぬのか? 気持ちも告げていないのに。愛していると一言も言えていないのに!)
その時、何処からともなくリディの悲壮な声が聞えて来て、薄れゆく意識を何とか保った。
「止めて……オベロン様……止めて。ルシアン様をこれ以上傷つけないで!!」
だが目の前に見えるリディは眠ったままのように見える。
(これは妖精界にいるリディの声なのか?)
リディはどこからかこの様子を見ているのかもしれないという可能性が思い浮かんだ。
ならばこちらの声もリディに聞こえるのではないだろうか?
微かな希望が生まれる。
そしてルシアンはなんとか意識を取り戻して、力の限り叫んだ。
「リディ? いるのか? もし聞こえるなら一言だけ言わせて欲しい。リディ、君を愛してる!」
そして後悔の念を伝えた。
不甲斐ない自分の事を、ずっと逃げていたことを、臆病な自分の事を、だけど……リディを愛していると。
「今更かもしれない。だけど……せめて彼女の口から答えが知りたい。その上で、もう一度オベロン、貴方に取引を申し込む。俺の命はやる。だからリディを返して欲しい」
「そんなのは駄目です! ルシアン様が贄になるなんて、そんな……!」
姿は見えない。だが確実にルシアンの声はリディに聞こえているのだ。
「リディ……やっぱりいるんだな。君に会いたい」
会いたい。会いたい。会いたい。
花が綻ぶような、春の日差しのような、あの優しい笑顔が見たい。
ルシアンの目裏にライラックの花の下でほほ笑むリディの幻影が見えた気がした。
だが、再びオベロンの力によってルシアンの体には電流が走り、筋肉が硬直して体が反り返ったのが分かった。
一瞬意識が飛んでいたのだろう。
真っ白になっていた視界が、再び色を取り戻したことでそれが分かった。
強制的に硬直させられていた体は、弛緩するとその反動からか力が入らなくなった。
そして身を拘束していた薔薇の枝が無くなると、ルシアンの体は重力に引かれるように床へと倒れ込んだ。
「ルシアン様!」
リディが自分の名を呼ぶ声がする。
甘い香りと共に誰かが駆けてくる気配がして、ルシアンは力を振り絞って体を起こした。
「リディ……なのか?」
リディがルシアンの顔を心配そうに見つめている。
夢や幻ではなく本当にリディなのかを確かめたくて、その頬に触れた。
「どうしてこんな……。無茶をされて……死んだらどうするんですか?」
「死ぬつもりはないけど、リディを諦めるつもりもない。もし死んだとしたら……一緒にまた転生しようと思っただけだ」
「そんな無茶苦茶な」
リディを失ったら生きる意味などないのだ。
ルシアンもリディも転生者だ。
きっと生まれ変わってもまた会えるだろうし、会えるまで探し続けただろう。
だけどそんな心配は杞憂だった。
いま、目の前には愛しい存在が確かにいるのだ。
「リディ……愛してる」
何度も告げようとして言えなかった言葉を、ようやく面と向かって告げることが出来た。
「ルシアン様……私も、愛してます」
ルシアンの耳元でリディはそう告げた。
泣きそうに、でも愛おしそうに、リディが言った言葉をルシアンは信じられない思いで聞いた。
幻聴ではないだろうか?
まさかリディも自分の事を想ってくれているなど、都合のいい夢を見ているのではないか。
だが、リディがルシアンの体をぎゅっと抱きしめてくれる感触は現実のもので、リディの言葉もまた幻聴ではないことを物語っていた。
「嬉しい……よ」
ようやく思いを伝えられて、リディに受け入れてもらえて。
(あぁ……なんて幸せなんだ)
ずっと焦がれていたボルドーの瞳の少女はルシアンの想いを受け入れてくれて、今確かにルシアンの傍にいるのだ。
眩暈がするほどの幸福を覚えつつ、ルシアンは意識を手放した。
次回、最終話になります!
最後までお付き合いいただけると嬉しいです!




