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がめつい女でいいですか?

作者: 瀬嵐しるん


その日、屋敷中の使用人が途方に暮れていた。

もちろん、使用人の長たる執事さんは一番困っていた。

先代の時から仕えてきたベテランで非常に有能な彼でも、処理できないものがある。


「執事さん、さすがに、このままでは腐ります」


「……わかっている」


わたしも、執事さんがわかっていることはわかっていた。

しかし、他に言いようが無い。


「はあ……」


執事さんはわたしが淹れたお茶を一口飲むと、少しだけ表情を緩めた。


「ああ、お前のお茶には癒されるなぁ」


「ありがとうございます」


今、執事さんが倒れたら使用人全員が往生する。

ちょっとでもリラックスして欲しいという思いを込めて淹れたお茶だった。



わたしが勤めるのは、とある伯爵家の領地屋敷。

伯爵領は温暖で農業が盛ん。大街道にもアクセスがいいので、日持ちのする野菜は他領にも卸されている。それを仲介する商人のために宿を開いたら、採れたて野菜が美味しいと話題になり、宿場街に発展した。


天涯孤独、臨時で働いてお金を貯めては旅をする、という生活をしていたわたしは、宿場町で宿屋を手伝っている時に、執事さんにスカウトされた。

自分で言うのも何だが、うら若き乙女なのでメイドとして採用された。しかし、実際働いてみるといろいろ使い勝手が良かったようで、一年ほど経った今では執事さんの補佐をしている。



ともかく、そこまで苦労したわけでもないのに結果として、伯爵領は穏やかに儲かっていた。


伯爵家は代々、欲をかかずに正直一筋で領民と良い関係を続けている。そのせいか、領民たちも穏やかに豊かである。

農業に手抜きはないが、何事にも急がない。

気候の変化には敏感であるが、徒に将来の不安を抱くことは無い。


現伯爵夫妻は今、他の農業系貴族と共に外遊に出ている。目的は他国の農業実態の視察。

外遊と言えば豪勢だが、音頭をとった侯爵家が時間をかけて、しっかりと企画したものだ。この時のために長年積み立てもされていて、領地経営に差しさわりは全く無いらしい。

伯爵家は人脈も穏やかに素晴らしい。農業系貴族相互協力組合バンザイ。



さて、領主夫妻が留守の間、領地領民を守るのは次期伯爵の長男様である。

この方は農作業に長けたマッチョで、見た目には騎士団中隊長という佇まい。

イノシシ狩りが得意で、重めの手斧で一撃である。

老若男女にモテるが、浮いた噂は無かった。

穏やかな気質のここでは、冗談でも跡継ぎを急かすような輩はいない。


そして、今後も急かされることはない。

一般的な適齢期が終わりかけているにもかかわらず。


なぜなら、伯爵家の一室でベッドに横たわる彼の時間は既に止まっている。

農作業中に突然倒れ、死因は心臓発作と診断された。

若すぎる人生の終わりである。


しかし、人生は終わったが物体としては時間が進む。

つまり、このままでは腐るというのは、彼の遺体のことであった。



人間は死ぬ。時機は選べない。

穏やかに死を悼みたいところではあるが、屋敷の使用人である以上、まずは遺体の保全をせねばならない。


折悪しく、主人夫妻は留守。

留守番だった長男は遺体。

季節は夏。しかも、今年は気温が高めだ。


「一度、埋葬するしかないのでは?」


わたしは非常に常識的な提案をした。



実は、伯爵家にはもう一人、ご子息がいる。次男様だ。

この方は王城で魔法師団に所属しているのだが、任務中ですぐには帰れないという。何やら、相当に重用されているらしく、滅多に帰ってこない。

結局、次男様がやっと休暇を取れたのは一か月後のことだった。


「棺を掘り起こして、お別れをされますか?」


「いや。疑わしいところがあるわけじゃないし、このまま兄を眠らせてあげたいと思う」


「畏まりました」


長男様のご臨終を確認したのは、長らく伯爵家の主治医を務めてきたお医者様で、信頼が厚い。



「俺が、もっと早く帰って来られたら、凍結魔法で両親にも直接お別れさせてやれたのにな」


次男様の得意は氷魔法。瞬間凍結術の速度と精度は、他の誰も真似できないそうだ。



次男様を主体とした、お別れの式の後、執事さんたちは屋敷に戻った。

わたしは、墓地に残る次男様の話し相手を務める。


「お忙しいのですね」


「こき使われてるだけなんだ。

通常の業務のほかにも、仕事が回って来る。

魔獣のサンプル採取に瞬間凍結が便利だから、いつもスケジュールを押さえられてしまう」


「そんなに権力のある方が?」


「魔法師団魔獣研究部の部長は、王弟殿下の御子息で、逆らえるものがいない。しかも、休日を潰されて無報酬ときたもんだ」


他に誰もいないのをいいことに、次男様はうんざりした表情を隠さない。


「え? 有り得ないですね」


市井の魔法使いに瞬間凍結など依頼したら、いくらかかることか。

それを、魔法師団の給料内だと無理強いしているなんて。


「上層部も、どうしようもないらしい。

研究部に請求しても却下されるんだってさ」


身分は違えど、同じ働く者同士。全くもって聞き捨てならない。


「次男様は跡継ぎになられる場合、魔法師団をお辞めになるのですよね?」


「……あ、そうなるね。領地経営はまるで素人だし、早めに勉強を始めないと」


そこまでは頭が回っていなかったのか、次男様はぼんやり答えた。


「お疲れのようですね。屋敷に戻ってお休みください」


「そうだな」


次男様は、久しぶりの故郷の景色を、ゆっくり眺めながら屋敷まで歩く。

余程仕事に追われていて、今後のことを考えている余裕は無かったのかもしれない。

わたしが勤め始めてから数回、顔を見た次男様は痩せ気味で、いつも少し肩を落としたような姿だった。これまでは、そういう人なのかと思っていたが、ちゃんと原因があった。



次男様が領地に戻って三日後、王都から手紙が届いた。


「……魔獣採集に行くから、いつものようについて来い、だと」


本職の魔法師団からは一か月の休暇を貰っているはずなのに、魔獣研究部長殿には通じないようだ。


「行かれますか?」


「行きたくはないが、断れば、腕の立つのを迎えに寄越すかもしれない」


そんな事態を予測するほど、強迫観念まで植え付けられているのか……

そっとしておいては、次男様がますます疲弊する。


「なるほど。では、手を打ちましょう」


「手を打つ?」


「はい。わたしが何とかしますから、次男様は休暇を満喫なさってください」


執事さんは、当主代理だった長男様の代理業で忙しいので、次男様のお世話はわたしに丸投げされている。

今後の進退はともかく、一か月の休暇は守ってみせようではないか。

わたしは行動を起こした。



部長様に断りの返事を出してから二週間後、次男様宛に再び手紙が届いた。


「あれ?」


「どうなさいました?」


「部長殿から、やっと手紙が来たと思ったら、すごく低姿勢なんだ」


読んでみて、と差し出された内容を要約すると『瞬間凍結、おいくらでやっていただけますか?』である。



「どんな手を使ったの?」


目を丸くして、わたしを見つめる次男様は、この休暇でだいぶ回復した。

顔色もいいし、やせ過ぎだった身体に肉もついた。リラックスして、少しあどけなく感じるような表情を見せる。


「ちょっと伝手がございまして、ご子息の横暴ぶりを王弟妃殿下にリークしました」


この伯爵領の農産物を扱っている業者が、王弟殿下のお屋敷にも出入りしているのだ。そこで、鮮度の問題で出しづらかった珍しい野菜果物を、お得意様への贈り物として届けてもらったら、妃殿下に殊の外喜ばれた。

何かお礼を、と伝言をもらったので、実は……と事の次第を報せたのだ。


「ああ、花束みたいな綺麗な色合いでとり合わせて瞬間凍結したあれか」


「はい。妃殿下は健康に気を遣われていて、新鮮な野菜果物に目が無いと伺っていましたので」


「すごい情報収集力。執事が君を自分の後継にしたいと言ってたのがわかる」


「光栄です」


孤児院育ちのわたしは、職を転々として来た。

自慢ではないが勘はいい方で、すぐに役立てるから、どこへ行ってもなんとかなった。自分が飽きたら職を替えて、流れ流れてふらふらと。

執事さんにスカウトされたのも、ご縁。ここらで腰を据えるのも面白そうだ。



そうなったら、給料はいくらかな? なんて横道に逸れていると、目の前に何かが差し出される。


「薔薇の花?」


しかも、珍しい原種系の清楚な白い薔薇だ。


「薔薇は嫌いだった?

なら、ストレージにいろいろあるよ。

デカいのがよければ、ラフレシア、とか?」


「ラフレシア……いえ、薔薇がいいです」


「そう? 気に入ってもらえてよかった」


魔獣採集について行くと、珍しいものがいろいろあるので、つい、合間に採取したのだとか。獣よりも植物。さすが農業系貴族の血筋。


「それで、どんなご用件でしょう?」


男性から花をもらうなんて。察することは出来るが、確認は必要だ。


「もし、嫌でなければ、俺の伴侶になってもらえないだろうか?」


「将来の伯爵夫人、ということですか? どうしてわたしを?」


「君と話していると、俺は癒される」


「癒される?」


「俺の仕事の愚痴も真面目に訊いてくれるし助かった。

おまけに、対処までしてくれたし。

君がいなかったら俺は何も考えずに王都に戻って、過労を重ねてしまったかもしれない」


場合によっては、伯爵家は二人の後継を失っていた可能性もある。

長男様の突然死は、仕方なかった。

けれど、次男様の過労には周囲も気付いていたのに、手を出しづらかったのだ。

わたしからすれば、対価を誤魔化されるのが嫌いだから、ついお節介を焼いただけ。伯爵家の使用人ではあるが日も浅く、ある意味、部外者だから気楽に口出し出来た。

しかし、それよりも。


「色気のない話で恐縮ですが」


「何でも言ってみて」


「では、お言葉に甘えて。

女執事になれば、それなりなお給料がいただけると思うのですが、伯爵夫人の仕事に給料は出ませんよね?」


「そうだね。

仕事に必要な手当ては出るけれど、個人的な報酬は無いだろう」


「愛情が溢れていればそれでもいいかもしれませんが、今のところ、そういったものは芽生えておりませんので」


「なるほど。

愛情を報酬で補填しなくちゃいけないわけだ。

しかし、そうなるとその予算は俺が個人的に用意すべきだな」


「部長様に、せいぜいふっかけますか?」


「いいね、それ」


次男様と額を合わせ、今までの無報酬分を計算していく。

立派な婚約準備であるにもかかわらず、互いに悪だくみする顔になる。

ますます、愛情から離れているのではないだろうか。


きっちりと書類を作成して、次男様の休暇中に予定されていたうち、最後の魔獣採集現場に二人で出向いた。


「よく来てくれた!」


まだ、一体につきいくらの契約は結んでいないにもかかわらず、着いたなり凍結魔法をぶちかます次男様。ちょっとカッコイイ。


「ありがとう! 助かったよ」


満面の笑顔の部長様に、控えていたわたしから書類を差し出した。


「?」


素直に中身を確認して、顔面蒼白になる部長様。

高貴で優美で美麗な血筋のお姿が、見る見る萎んでいく。

実に面白い。


絶句するだけの部長様に、もう一押しのプレゼント。


「これは?」


差し出した箱の中身は、温室で育てた凍結果実だ。


「お母上、王弟妃殿下によろしくお伝えくださいませ」


「…………わかった」


「今日の分は、休暇終わりの肩慣らしということでサービスしておきます」


別人のように軽やかに告げる次男様。項垂れる部長様。

あらいやだ、ちょっと楽しい。



休暇を終えた次男様は、一旦王都に戻った。

いろいろ調整して、魔法師団は一年後に退団することに決まる。


その間、わたしは、少々面倒な淑女教育と対峙していた。これも仕事と割り切れば出来るはず。と、自分を励ます毎日。

半年後には伯爵夫妻もお帰りになり、再びの御弔いやら何やらいろいろあったが、わたしとの婚約については特に異論は出なかった。このあたりは、次男様と執事さんが奮闘してくれたようだ。

更に、平民のままでは手続きがややこしくなるので、子爵位を持っている執事さんの実家の養女にしてもらい無事、婚約となった。



「例の、王弟妃殿下に仲介してくれた商人から、瞬間凍結冷凍品を出荷してもらえないかと打診が来ていますが」


「やるやる。お安い御用だ。

ああ、その凍結料金分を君の報酬に回そう。

足りないかもしれないが」


「いえ、十分です」


婚約者になった次男様と働くのは、とても楽しい。

彼がすっかり元気になったことも、嬉しくてしょうがない。

芽生えてしまえば、あっという間に愛情は深まっていくようだ。

しかし、お金も大事。個人的な貯蓄は、有事の際に心強い。


魔法師団を退団し、領地に戻った次男様あらため次期様は精力的に領地を回る。

長男様とは違って農業はまだ勉強中。だが、彼には魔法と言う強みがある。特に冷凍冷蔵が得意なので、収入アップに直結できそうだ。


わたしは常に次期様の隣で補佐を務めながら、彼への気持ちをどんどん貯め込んだ。



「がめつい女ですけど、本当にいいんですか?」


祭壇の前。婚姻の誓いの場で、今更な質問をした。


「むしろ、その方が安心だ。もし、俺が先に旅立ったとしても、強く生きてくれ」


「わたしを残して逝かないでください」


思いもしなかった言葉が口から出て、自分で驚いた。


目を丸くした彼を、司祭が促す。

やがて、ゆっくりと降りてきた優しいキスで、とうとう、わたしの想いは涙となって溢れたのだった。



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[良い点] 斬新な設定でスラスラ読めて面白かったです!! 信頼関係で結ばれた夫婦の姿。次男様の癒やされ感まで伝わって来ました♪ そして最後まで誰の名前も出さずに押し切られてた点もすごい(笑)
[良い点] 「愛情があふれていればいいけれど」って求婚にうんと言わないところがいいですね、貴族ではないのだから政略結婚でもないわけだし。 その答えに怒らず真摯に向き合おうとする次男さんもなかなかいい男…
[一言] 冷凍冷蔵出切るなんて凄いなぁ!作物の収入アップには欠かせない冷凍冷蔵技術、これで冷蔵加工品もバリバリ領外に売り出してがっぽり稼げる…!! 頼りがいのある有能な男と女が仲良く仕事して互いに好意…
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