紅刃ノ死神
たまには、考察を楽しむようなものを。
ぜひ、楽しんでください。
僕には可愛い幼馴染が居る。
名を、芙美嶋 透弥。
くりくりとした、翡翠を思わせる程の美しく、大きな丸い目に、青色の髪。
愛らしい顔を支える首は細く、体はとても小さい。
華奢で、儚げな雰囲気を香水の如く身に纏うその貌には、それを払拭させるかのような八重歯が覗かせる。
その歯をしまうのは、桜色の薄く、今にも破れるのではないかとさえ思う唇。
唇以外の肌は、冬の雪化粧さえも色あせる、白い肌。
もはや、人ならざる者である事を伺わせるほどの美貌から――いつからか、ついた異名が『天護町の死神』。
本人もその異名を気に入っており、冗談交じりにことあるごとによく「こんの死神、またなんかやったのか」と呼んでは頬を紅く染め笑い、「またまたやっちゃいました!」と言い合っていた。
そんな彼――いや、彼女というべきだろうか? 僕とはここ六年の付き合いになるわけだが、未だに性別が分かっていない。
それどころか、幼馴染であるという関係性以外、一切の記憶がない。
それでも確かに、僕には幼馴染としての、あの子の存在認識があった。
ただ、そういった関係性に至るまでの経緯が、思い出せないだけで。
提出を迫られている課題を前に、鉛筆を取らずそう物思いに耽っていると、スマートフォンが僕の机を小刻みに揺らした。
持っているだけで動かしもしない鉛筆を放り投げて、スマートフォンを手に取りボタンを押すと、振動の正体がSNSのメッセージの通知であることが分かる。
表示されたメッセージの送り主は、丁度僕の脳にずっと居座っていた存在、透弥だった。
送られてきたメッセージの内容は、僕の詰まっていた息を一気に吐き出させ、一瞬訪れた不可解を消し飛ばす。
内容はこうである。
「おーい、起きてる? 僕ちょっと今日の課題分かんないとこあってさ、通話しながら一緒にやらない?」
起きてるか、 と問うのも無理は無かった。
というのも、スマートフォンに示された現在時刻は午前一時を回っていたからである。
そして、透弥の悪い癖が発動していた。
――授業は寝てばかりであるが故に、出た数学のプリント課題の文章内容すら、理解できていない様子だった。
僕は、その様を想像して思わず口許に弧を描く。
そして、SNSのアプリを開いて既読を付けてメッセージを送ってやった。
「ああ、いいよ。丁度僕も暇だったし」
メッセージを送ると、体感一秒足らずで返信が来た。
「やった! 数学は苦手なんよ」
それだけ送られてくると、スマートフォンの画面は切り替わり、通話画面へと移る。
通話画面へと切り替わると、すぐさま僕は応答した。
他愛もない会話が始まる。
いつもの、くだらない会話を挟みつつ、互いに文章と計算式の羅列を前に、放り投げていた鉛筆を走らせていった。
この間一緒に遊んだゲームはクリアできたか、図書館で貸りた本はちゃんと期限内に返せたか、など。
しばし、談笑の合間に僕はその場の空気感に身を任せ、失礼を承知でふと頭によぎった疑問をぶつける。
「なぁ、透弥。僕らって、一体いつ頃からこうしてたっけ?」
訊ねた瞬間、透弥側から聞こえてくる音は無音へと変わった。
たった一言の質問によって、それまで流れていた緩い空気は、数分間もの無言の応答でもって凍てつき始めていく。
僕は瞬発的に、質問したタイミングで難しい問題に当たっていたのだと思う事にして、唸ったり深呼吸してみたりと雰囲気を崩さぬようにした。
反射的に現れた言動は、自分自身もわざとらしく思える程のもので、その図はさながら大根役者。
なんとか会話を繋げなければ、と思い始めたところで、透弥の方から声が返ってきた。
「……覚えてないんだ? まぁしょうがないよね、最初の出会いは最悪だったし」
何が返ってくるかと身構えていたら、出てきたのはため息交じりの呆れたような声色だった。
僕は笑いながら返事をする。
「どんな出会いだったっけ?」
そう僕が言うと、透弥は気まずそうな声を漏らし、通話越しにガタガタという物音がなった。
音からして、恐らくは棚に置いてあるものが落下する音だろう。
「わああっと! もうこんな時間だ! 僕もう寝るね! おやすみなさいっ!」
慌てた様子で、透弥が通話を切る。
スマホの画面に目を向けると、時刻は午前二時半を回っていた。
大方、気まずさの果てに内容を隠し通すにも、話題を変えるための材料も無くなり切ったのだろう。
邪推に笑んでいると、ふとした更なる疑問が、まどろみの中に横入りしてきた。
(隠す程に酷い出会い方を、したのか?)と。
僕は欠伸を抑えながら、一応は成立していると思われる答えの連なったプリントから顔を背け、机から離れた。
軽くペン立てに鉛筆を入れると、僕の体は柔らかなベッドへ飛び込んでいった。
余程疲れているらしく、僕の瞼は机の蛍光灯を消す間も無く、閉じられた。
暗闇が、僕の一日の一時の終わりを告げる―――――。
午前三時。
それは、魔性共が跋扈し、夜明け前の暗躍が張り巡らされる時間。
丑三つ時を裏切り、七つ立ちに照らしえぬ異形が町に蔓延る。
「さて、そろそろ俺の時間だな―――夜風を感じるには、ここがやっぱり丁度いい」
電波塔の壁に、張り付き座る影があった。
紫の入り混じった、艶やかな青髪を風になびかせて。
一息の白い息が闇夜に消えると、青髪の‘それ’は重力に逆らい続ける体を前へ飛び出していった。
姿勢を低くさせ、重力に身を任せて壁を走り抜けていく。
それの目の前に、小さく映っていた天護町は地面へ下りるにつれて次第に大きくなっていった。
地面へ衝突する寸前に、それは電波塔の壁を蹴り、住宅街の屋根を飛び越えていく。
一切の光が消えた町の中を跳躍して進むそれの先には―――生臭く、魚を腐らせた魚市場のような悪臭が立ち込め始めた。
普通の人間であれば鼻をつんざき顔をしかめる程の悪臭の中を、それは進んでいく。
それが進んでいく先に行けば行くほどに、悪臭は濃くなっていった。
天護町の住宅街を駆け抜け、田畑の続く地帯に、細い足を焦げ茶へ染め、走り抜けて。
跳ねる泥水しぶきすら、それを捕えることはなく。
やがて、それの足が止まった。
辿り着いた先は、港。
そこは、天護町で流通する魚の仕入れ先として最も地元で有名な漁港であった。
漁港の波止場には、凄まじい量の魚が入った投網が乱雑に置かれており、その傍には背中を丸めた、漁師と思しき人物が五人立っている。
それが見たところでは、投網には蠅がたかり、漁師の顔は虚ろであった。
「こんな時間までご苦労様、海の男の仕事は時間を選ばないってか?」
それが、漁師と思しき人物の一人に話しかける。
すると、漁師と思しき男はそれの前に顔を見せた。
男の顔は、浅黒く、粘液のような液体が常に滴っており、歯はまばらに生えていた。
そして、その男の顔には―――魚のそれに酷似した鱗が覆っている。
男が“それ”の前で振り向くと、男の持っていた投網の中身が一気に流れ出した。
中身は、半ば白骨化し虫のたかった魚の死体と、人のバラバラになった死体が入り混じっていた。
「なるほどね。多分これ俺の推察だけど―――お前らは、人を殺しておいて死臭と見た目で騒ぎにならないようにわざと魚と一緒にして腐らせて、こんなでろでろに溶けた状態になったところで海に投げ捨てようとしてたのか。違う?」
それが投網を見て笑って言うと、鱗の男は歯ぎしりして見せる。
すると、鱗の男は自身より小さな体躯のそれの首を鷲掴みにした。
首に対して伸ばされた、加えられていく力に震える四本指の手には鋭い爪が生えており、それの首に血を滲ませていった。
今にも折れてしまいそうな首を、持ち上げられそれの足が地面から離れる。
それの口から、血反吐が吐かれた刹那。
紅い三日月月光が、鱗の男を裁いた。
男の体は、真っ二つになり宙を舞うと、やがて暗闇に溶け消えていく。
「調子に乗るな、魚人共風情が」
同時にそれが腕から解放され地面から降り立つと、残る四人の魚人は、その姿を前にたじろぎだす。
それの左腕は、皮膚を破き、血管の絡まる鎌のような形状の骨が飛び出ており―――妖しく威圧させる煌めきを放っていた。
その様はまさしく、紅の三日月と呼ぶに相応しく。
「太陽は夜の帳を光で切り裂く。そして、俺という三日月は貴様らを―――紅で以て、切り裁く」
「断罪の一閃に思い出せ、これより刻む俺の名を」
日の出を待つことなく、朝を迎える事すら容赦せずその鎌は―――魚人達の灯を、吹き消していった。
港の悪臭が、元凶の存在ごと消臭された時。
マグロの解体後のように、そこには赤い液体が水たまりを作っていたという。
朝日が、天護町を照らす。
それと共に、一人の青年が一切れの食パンを咥えて、家を飛び出し歩道を走り抜ける様が日の下にあった。
彼の名は、杉本 柳渡。
天護町内にある学園『天護学園』の生徒である。
人々行き交い、車の走行音が脇から聞こえてくる、白じゅうたんの如き歩道を、慌てた様子で走る。
額からの汗を輝かせ、寝癖の残る黒髪をしっとりと濡らして。
切れかけの息を全て吐ききらんばかりに、ただでさえ擦り減っている靴底を更に使い潰さんばかりに駆けていると、やがて天護学園の校門は目前となる。
(間に合ってくれ頼む頼む頼む!)
柳渡の願いは虚しく、正面にそびえ立つ校舎の時計は残酷にも――午前九時を示していた。
授業は、普段通りならば既に始まっている時刻であった。
柳渡は閉まった校門を無理やりよじ登り、歩道側から反対方向に渡る。
地面まで数センチといったところまで降りると、掴まっていた手を離して、校門から軽く跳ねた。
着地したそばから、柳渡は校内へ向かって一直線で駆けていく。
急ぎ靴を履き替える柳渡に、鳴り響くチャイムは、無機質に遅刻を宣言した。
(あぁ、後で担任にどう伝えよう。寝坊したと素直に白状すべきか否か)
かくして、誰も居ない廊下にて柳渡の朝は憂鬱に、始まりを告げていった。
「おはよう杉本、遅刻か」
教室へ入った瞬間、教師と目が合い、出合い頭に声をかけられる。
「おはようございます……はい、すみません」
対して柳渡は、頭を俯かせるだけの一礼をして、肩をすぼめつつ自分の席に座った。
物言わずして突き刺さるたくさんの白い目は、柳渡の顔を赤くさせるのに充分だった。
柳渡は席に座り、正面の黒板を一瞬だけ見て、授業内容を察する。
(今日は、数学だったか)
肩にかけたカバンを机のフックに下げ、ジッパーを開いた。
乱雑に敷き詰められ、しわだらけになった教科書とノート、ペンケース、課題のプリントの入ったファイルを取り出すと、カバンのジッパーを閉める。
ペンケースから鉛筆を出した瞬間、後ろから細い何かが柳渡の首筋をつついた。
「おはよっ」
後ろを向くと、見慣れた、いたずらな笑顔が覗かせる。
柳渡は、その笑顔に笑みをたたえ、挨拶代わりに額に軽い手刀を打った。
「おはよう」
こつり、という音がなると、柳渡は前を向く。
「うぃぃ………」
透弥は痛がる素振りを見せるが、見るものは誰も居らず。
寂しさを見せるであろうその顔には――安堵の笑みが浮かんでいた。
それは、いつもの繰り返されてきた日常へのものか、はたまた。