よさみと名乗る少女
いつのまにか眠ってしまったらしい。
窓の外は夕焼けを通り越して、暗闇になりかけていた。
閉館の時刻が近づいたことを知らせるクラシックが鼓膜を優しく揺すってくる。
周りを見回しても誰もいない。平日の閉館間際は伽藍堂としていて、自分以外の人間がいなくなってしまったのではないかとか、まさかもう時刻を過ぎてしまって閉じ込められたのではないかとか、そう錯覚してしまいそうなほどしんとしている。
本は読めなかったけど、結構時間を潰せたはずだ。時刻は十九時前、今から帰れば晩御飯の時間にちょうどよく施設に着くだろう。
私が席を立とうとすると隣から「それ、もしかして借りてしまわれるのですか?」と、声をかけられて私は思わず肩をびくつかせてしまった。
さっき見た時はたしかに誰もいなかったのに。まるで最初からそこにいたかのように、堂々と鎮座しているのは、同い年くらいの女の子だった。
私は驚きを隠せないうわずった声で、「そうだけど」と答えた。
真っ白なワンピースにセミロングの黒髪は、着せ替え人形をそのまま大きくしたようなフォルムで、どこか現実離れしているというか、掴めそうで掴めない落ちてくる桜の花びらを連想させた。
私がじっと見つめていると、「私の顔に何かついていますか?」と彼女は首を傾げた。その仕草もまた、人形のようで現実味が更に薄まっていく。
「私はよさみっていいます。あなたは雨篠雹利さんですよね?」
「なんで私の名前……?」
「だってこの図書館に置いてある小説の半分以上に雨篠さんって方が借りた履歴が載っていて……。それで気になって司書さんに尋ねたら、毎日ここに来る雹利ちゃんって子がいるって教えてくれたんです。あなた毎日ここにいらしてるでしょ?もしかしたら、あの雨篠さんなのかなって思って」
ここに通い出したのは小学三年生のときぐらいからだった気がする。未だに貸し出しシートに名前を書いて提出するという昔ながらの方式だし、利用者もめっきりいないため何年も前に借りた記録が残っているのだろう。
それを辿れば、確かに私にたどり着くかもしれない。
でも、私になんのようがあるのだろう?
「ふふっ、実は一度お話してみたかったんです。私の周り、本を読む人が全くいないから面白い小説を見つけても、共有できる人がいないのがとても寂しかったんです。でも、私が好きな小説は、ほぼ雨篠さんが借りてたからもしかしたらお話できるかもって」
「買い被り過ぎだって。私はただ面白そうなのを片っ端から読んだだけ。話、合わないかもよ?実際全部が全部好きってわけじゃないし」
「そんなの全然気にしません。面白かった話、つまらなかった話沢山あると思います。雨篠さんがどう感じたのかが知りたいんです。」
目を見て話す子だなと感じた。人形のように脆くか弱いと思っていたけれど、実のところ根の部分に強くて、太い芯のようなものがある気がする。
私は、このよさみという子のことをもっと知りたいと思うようになっていた。
どんな生活を送って、どんなことを思って、どんな本を読むんだろう。興味が沸々と湧き出し、抑えられそうにない。
私たちの頭上を歩くクラシックが、この会話の時間を更に優雅なものにさせている。
でも、もう閉館の時刻だ。
「もう閉館ですね。また明日会いに来ますから、その時はよろしくお願いします」
よさみはぺこりと頭を下げた。両手を前で重ねるそのお辞儀は、やはり人形のようだった。
すると、「そこの君、もう閉めるから急いで外に出てくれないか」と、警備員のおじさんに声をかけられた。
「すみません。今出ますので」そう警備員さんに告げ、私は椅子に置いてある鞄を手に取り図書館を後にしようとした。
生じた違和感に気づいたのはその時だった。この警備員さんは君と言ったのか?君達ではなくて?
私はすぐさま後ろを振り返ったが、さっきまでそこにいたはずのよさみは居なくなっていた。