漫画の世界じゃあるまいし
私の通う高校は至って普通の進学校だ。これといった特色はなく、しいて何か秀でた部分を挙げるとするならば、周りの学校と比べて偏差値が僅かに高いことくらいしかない。それゆえに、平凡な生徒と変にプライドが高い奴が混在している嫌な学校だと私は思う。
周りより少し頭がいいからといってぬるま湯に浸かり、仲間内でも、あいつより自分の方が優秀だと目をギラつかせている。
ものを測る物差しが、内申点しかない盲目野郎の烏合の衆だ。
そんな奴らと一緒になりたくないと思っている自分自身もまた、プライドを飼い慣らせない一般生徒なのかもしれないけれど。
でも、私を含めた一般生徒たちは提出物は真面目にやるし、校則にもちゃんと従う。ましてや授業をサボるなんて行動はもちろんしない。だから、こうして授業が始まっているこの時間帯に廊下を歩いているのは、なんだか新鮮に感じる。
初めて訪れた、見知らぬ街を通っている気分だ。
いつもよく使う道でも、条件が変わればここまで見方が違ってくるもんなんだと、感心してしまう。
それにしても、あの空き教室が佐野と池谷に見つかってしまった以上、新しい憩いの場を探さなければならない。
旧校舎と新校舎は隈なく探して、使えそうなのはあの空き教室だけだったから、残っているプールと体育館、武道館にどこかいいところがあるといいけど。
別に、ずっと居られるぐらいの場所が欲しいわけじゃない。ちょっと体を落ち着かせる、一息つける、そんな小さなスペースが欲しいだけだ。
空き教室を見つける前はトイレに篭っていたけれど、トイレは汚いし、何より惨めな気持ちになるからもう懲り懲りだ。
私は、おそらく一度もこちらに傾いたことのないであろう神様に、いい場所が見つかりますようにと、半ばやけくそにお祈りする。
そうこうしていると、ついにアウェイである二年三組の前にたどり着いた。
中から教師の折鶴先生の特徴的なしゃがれた声が聞こえてくる。教室の中と外、薄っぺらい壁ひとつしか隔たりがないのに、ここまで疎外感があるのが不思議だ。
そんなところにいるなんて、君は未熟なままなんだねと嘲笑われているみたいだ。だけど、それがどうしたというのか。
私はごくりと唾を飲み込むと、意を決して扉の取っ手を掴んだ。
もし、本当に誰にも見えていなかったら?
それは、退屈な日々を脱却できたかもしれないけれど、取り返しのつかないことになっているのも事実だ。 私は急に怖くなって、一歩を踏み出せなくなってしまった。まるで足の裏から根っこが生えて地面と固く結びついているかのようだ。
だって誰にも見られないというのは、私の存在が消えて無くなってしまうのと一緒じゃないか。幽霊になるのはまっぴらごめんだ。
最初は面白がる振りをして強がっていたけれど、やはり私は自分に嘘をつくのが苦手なようで、心の中は恐怖というガスで充満している。
私は目をぎゅっと瞑ると、一気に引き戸を開けた。
教室に足を踏み入れた刹那、最初に飛び込んできたのは折鶴先生の心配の声だった。
「どうしたんだ雨篠。体調が良くなかったのか?」
私はその声を聞いて、ゆっくりと目を見開いた。教室を見渡すとクラスメイトの全員の視線が私に集まっている。その中には佐野と池谷の視線もあった。
私は驚いているのか、安堵しているのかよく分からない気持ちになり、完全に萎縮して、「すみません。体調がすぐれなくて保健室に行ってました」と咄嗟に嘘をついた。
「そうか、ならよかった。今度からは誰かに言伝を頼めるなら頼んでから行くようにするんだぞ」
「わかりました」
私はそう頭を下げて、廊下側の前から三列目である自分の席に腰を下ろす。
とたん、全身に張り詰めていた気力が一気に抜け出た。 それはまるで、満帆に膨らんだ風船から空気が一気に放たれて萎んでいくみたいだった。
みんなから認知されなくなるなんて現実的に考えてあり得ないんだ。そんな漫画じゃあるまいし。
体内から張り詰めた空気が抜け出たせいか、先ほどよりも幾分か冷静さを取り戻すことができているようだ。
でもとっかかる部分が多くて、さっきの現象が単に私の勘違いだったと結論づけるのはまだ早い気がする。
時間や場所が関係するのだろうか?でも、あの時間ピンポイントで見えなくなるなんていくらなんでも都合が良すぎる。と、するならばあの場所だったから見えなくなったと考えるのが妥当かもしれない。私はそう考察しながら先生の声を右から左に受け流していく。
もちろん授業はいつも通り身に入らなかった。