透明人間?
踵に力を込め、日頃の恨みだと言わんばかりに扉を蹴飛ばして私はロッカーから飛び出した。
一瞬時が止まったかのような感覚に陥ると同時に、体の中に押さえ込まれていた負の感情が一斉に弾けた。
喧騒とは無縁な静けさが充満するこの場所で、こんな派手に飛び出したら誰だって腰を抜かすだろう。
しかし、結果は私の思い描いていた構図とはあまりにもかけ離れていて、チンケなものだった。
扉を勢いよく蹴飛ばし、轟音を響かせながら私は飛び出したが、二人はまるで反応を示さなかった。
まるで私のことなど見えていないようだ。二人の視線がこちらに動くことはなく、互いの顔を向き合って会話を続けていた。
無視しようと企てているようには到底思えない。
これは一体どういうこと?
私は疑問と動揺が入り混じったなんとも言えない感情を突き動かし、彼らに近づいた。
そして、彼らの正面に立ち「佐野と池谷!」と大きな声で叫んでみるが、やはり彼らがこちらに視線を向けることはなかった。
私という存在がこの世界からまるまる消えてしまったような感覚だ。
私は彼らの肩を叩いたり、近くで大きな音を何度も立てたが、結果は変わらなかった。
私は唖然とその場に立ち尽くした。一体何が起こっているのか見当もつかない。
たしかに私はクラスに馴染めているかと問われれば、馴染めてなんかないし、浮いていると自分でも思う。けれど、虐めを受けているという自覚まではなかった。
いや、それは私が気づいていないだけで、本当は虐めてやろうという心づもりはとっくにあったのかもしれない。何が何だかわからずに頭が追いついてこなかった。
「それより次の化学、ノート提出あるの忘れてたわ。俺やってないからもうそろ行かねぇと」
「なんだよ、お前まだやってなかったのかよ。そんじゃ戻るか」
彼らはそう言い残して空き教室を去っていく。ついに最後まで二人の視線がこちらに向くことはなかった。
いつもの空き教室に、ポツンと取り残された私は天井を見上げた。そこに、私の疑念を晴らしてくれる何かがあるわけではないが、自然と上を向いてしまったのだ。
視界は天井を突き破り、雲を越えて遙か天高くを見据えている。
つまるところ、何も考えられずにぼうっとしていた。
いきなり体を動かしたからか、それとも単なる恐怖からか、私の息は上がっていて背中から冷ややかな汗が滴り落ちた。
私を乗せた笹船は、ついに三途の川を渡り始めたのかもしれない。冥界に迷い込んだ、そんな気分だった。
私はなんだかこの状況が滑稽に思えてしまい、くすりと笑みが溢れた。
だっておかしいじゃないか。あんなに目の前で騒いだのに、こちらに気づく気配がいっこうにないんだから。
退屈で真っ暗だった日常に少しだけ光が差し込んだみたいだ。でも、こんなことあるわけないじゃないかと歯止めをかける自分が少なからずいるのも事実だ。これからどうすればいいのか考えあぐねていると、昼休みの終わりを告げるチャイムが聞こえてきた。一気に現実に引き戻される。
と、とりあえず行かなきゃ。私は授業に出るという新しい目的を作ってこの問題に蓋をした。考えをまとめるには時間が必要だ。もっと冷静になってからこの問題と向き合いたかった。
次の化学の授業は、いつもに増して身が入らないだろうなと、私は自嘲的なため息を漏らすと、少しだけ歩みを早めてアウェイである二年三組に向かった。