燻る思いは
ウォータークーラーの水は驚くほどに緩かった。これでは喉を潤すどころか、口の中に生温かい粘り気のある液体が流れ込んできて、余計に喉の渇きが加速してしまった。
照りつける日差しが、私の額に汗を滲ませる。夏休みを間近に控えた6月の最終日だった。
「もう7月か......」
不意に出た独り言は、蝉の大合唱によってかき消された。梅雨はとっくに過ぎ、片足どころか両足を突っ込んだ夏の始まりは、私の心をより一層不快にさせる。
ウォータークーラーでは、この不快感を拭いきれないと判断した私は、近くの自販機でサイダーを買った。ペットボトルの蓋を開けると、プシュッという小気味良い音と共に、打ち寄せていた何かがすっと引いていくのを感じる。
そして私は、一気にサイダーを流し込んだ。
強い炭酸が、口内で四方に弾け飛ぶ。それを必死に抑え込んで飲み込むと、この不快な夏の始まりを少しだけ許せた気がした。
やっぱりサイダーは最強だ。強い炭酸と、広がる甘味が全てを洗い流してくれる。
私は放課後を迎えて活気づくグラウンドを横目に、サイダーを飲み干した。ヒリヒリと痛むのだがなんだか心地よくて、あの鋭い日差しなんか簡単に跳ね返せるのではないかと錯覚してしまう。
私は空になったペットボトルをゴミ箱に向かって放り投げた。綺麗な放物線を描いてペットボトルが飛んでいく。
心が飛んでいく。
しかし、吸い込まれるようにゴミ箱へ向かっていったペットボトルは、急に吹いた夏風に攫われて軌道が逸れてしまった。歩むはずだった一直線の道を大きく外れて、墜落していく飛行機のように。
まるで何かを訴えかけてくるような、そんな何かを含んだ不気味な風が、私とペットボトルを襲う。
カランカランという乾いた音がこだまして、外れたペットボトルは地面を跳ねた。
でも、私は外れたペットボトルを拾って捨て直す気にはなれなかった。それは、はみ出てしまった心を元あった位置に正すのと一緒に思えたからだ。外れたペットボトルは外れたままでいいではないか。私は億劫に思うことはしない主義でありたい。
正直なところ、取りに行くのが面倒なだけなのだが、そんなことはこの際どうでもよかった。
雲間から差し込む日差しが、そんな私を見透かしたように笑った。
グラウンドから部員たちの掛け声が飛んでくる。彼らはみな必死に何かに向かって走っていた。それはボールだったり、エンドラインだったり、あるいは夢なのかもしれない。
はたから見てる分には、誰も手を抜いているようには見えなかった。目の前のことに一生懸命になれる彼らと、目の前のことにすら熱くなれない私とでは、明確な境界線があって、わかりあうことはできないのだろう。
あちら側とこちら側。その隔たりは日を追うごとにどんどんと大きくなっていく。
最初は歩兵みたいにみんなで一列に並んでいたはずだ。盤上に綺麗に整列させられ、同じ方向を見据えて、構えていた。いや、最初から私だけ違う方を向いていたのかもしれない。周りを見れば着実に一歩一歩前進しているのに、私だけ後ろに下がり続けて、気がつけば私の立ち位置は場外になっていた。
彼らは先に進んで大人に成るんだろうか?なら私は大人に成れずに一生このままじゃないか。
私も普通の人生を歩めたら、前に進めたのかな?
場外から見るグラウンドは、やはり前進する彼らの踊り場として、燦然と輝いている。
私は外れたペットボトルに視線を移した。歩むべき道をそれ、墜落したそれは、私自身を暗示しているかのようだ。
サイダーの効果が切れてきたのか、憂鬱な考えが頭を支配してきた。
もうじき日が暮れるだろう。もう今日はこの辺にして帰ろう、そう思いたって私は、グラウンドに背を向けて家路を辿ることにした。