毒リンゴが蝕んで
気付いていた。
微妙に噛み合わない二人。
微かに軋む歯車。
けれども――、
なにもしなかった――――。
確かな不和の種がそこにあったのに、行動を起こさなかった。
する必要がない――
当たり前のようにそう思っていた。
思っていた――――。
――不和を無くし、皆が仲良くなんて幻想
人間と人間の相性の良し悪しはあるのだろうと――。
皆が皆、仲良くなることなんて不可能なのだろうと――。
性格は人の数だけあるのだろうから――。
相性の良し悪しは性格により不可逆なのだろうと――。
運命的なものなのだろうと――。
思っていた――――。
相性が悪い。
その程度のことはありふれているから――。
そこら中で起こっていることだから――。
放置しておいても平気なはずだった。
それなのに――――。
発端は些細な行き違いだった。
僅かに軋む音をたてながらも、円滑に回っていたはずの歯車。
どこからか異物が紛れ込んで―――。
提供されたのは悪意にまみれた毒リンゴ。
その甘美な味わいにいつの間にか蝕まれて。
いつからか、えぐ味すらも美味に感じていた。
歯車は噛み合わなくなっていく……。
――――。
――ブロガー『あくとく』の記事。
探偵ブロガーあくとくのズバッと切り込み、バシッとあばく!
「『チョコッと』リストカット事件」に対する私の見解。
皆の記憶に新しいと思うが、ある人(以下Aとする)がとあるネットアプリから去り、この世からも去った。Aがやっていたそれはトーク主体のアプリであった。アプリ名は『チョコッとトーク』。よく知らない人のために解説するが、アバター(自分の分身)を作成し、チャットルーム(プレイヤーが飾り付けたサーバ上に存在する仮想の家。もしくは、普通のチャット)を用い、ミニマムキャラでわちゃわちゃとチャット形式で会話するアプリだ。
ネット上でのコミュニケーション界隈で重宝され、その界隈では少し著名なアプリである。
Aは、ネット上での友人にも、現実の友人、そして家族にも別れを告げずに去ったという。
最後にTwitterに投稿された『手首切って、自殺します。ごめんなさい』の一言。そして添えられた、カミソリ・手首・浴槽の写った画像・・・。現場がどれほど壮絶で悲惨なものだったのかは想像に難くない・・・。
あまりにも唐突かつ壮絶な死に、ネットいじめではないかと、たちまち話題になった。無論、テレビで大々的には報じられてはいないが、自殺が起こったということはネットのニュースで記され、それに真偽不明な情報やら憶測やらがネット内で出回った。
曰く、ネット上の彼女に振られて気を病んだ。とか恋愛絡みの説が主流で、愚かにもそれが有力であるとされている。
・・・ばかばかしい。
私はそんな胡散臭いところの胡散臭い情報なんか信じない。
なので聞き込みだ。努力の末に割ったAのリアル情報をもとにワトソン君に警察の振りをしてAの家を訪ねてもらい、家族にAの話を伺ってもらった。そして私は、件の『チョコッとトーク』に降り立ち、Aと関係のあったとおぼしき者たちに手当たり次第、取材し、情報を集めた。空振りも多かったが、有力な情報もたくさんある。
Aと関わりのあった人々曰く、不可解な点があるらしい。
最初は楽しんでいたのに、ある日を境に悄然とし、そして忽然と消えたとのことだ。しかも、アカウントを削除までして。
まあ自殺をしたのだから、アカウントを削除くらいするだろう。だが、明らかに急に変化したAの様子が不可解だ。
家族曰く、現実で嫌なことが起こったのではないらしい。家族がAの全てを把握しているわけではないだろうが。Aは内向的だったらしく、有り体に言えばネット弁慶らしい。ならば、『チョコッとトーク』で何かがあったらしいと推察できる。高確率でこの推察は当たっているだろう。なにせ、ネット弁慶だから。
Aは、なぜ、そのようなことになったのか。
もっと深く関わりのあった人たちも事情を口にしない。むしろ、触れることがタブーであるかのように、硬くつぐんでいるかのように思えた。見るに、何らかの事情により、口外することが憚られる物事なのだと思われた。
その事情を紐解くにはもっと情報を得る必要がある。有力な情報源といえば、ひとつ手掛かりがある。だが、そのためにはA、本人の協力が不可欠だ。しかし、それを取り付けるのはもはや不可能なので、私は泣く泣く非合法な手段をとる。Aの家に侵入し、家族がAの死を未だ受け入れられず、片付けを惜しんだのか、死後もそのままになっている部屋を発見し、忍びこんだ。ばれないように押し入れに隠れ、Aのノートパソコンを立ち上げ、メールアドレス等の個人情報をもとに『チョコッと』の運営に掛け合ってAのアカウントを復元して、乗っ取ると・・・、『さようなら。』という題で、Aは未投稿の日記を残していた。
残念なことに、聡明な私が推理するまでもなく、その日記がAの死の謎を解明していた。
このブログの読者のために、私が発見したその日記を、内容が内容であるため、情報を精査した後に、キャラ名等の不味い部分は伏せて公開しよう。
―――
Aのつれづれなるままに
さようなら。
気付けば大変なことになってしまった。
発端はとあるトークルームでの些細な行き違いだったように思う。長くなるので、主要人物以外は省く。
それは、知人Bに対する知人Cの態度だ。明確に悪いのだという断定は難しいが、決してよくはなかったように思う。
しかしながら、CがBを良く思っていないということは、後から考えると、あからさまだった。
そういう考えに至ったのは、ある諍いがあったからだ。
ある日のこと。突然、CはBの話を遮った。そして苛立ちを表に出した。Cは別の場で耳にタコができてしまうくらいにそれに関連する話を聞いていたから、むかっとしてしまったようだった。ヲタクへの敵視って奴もあるかもしれないが、実際どうだかはわからない。ただ、饒舌に自らの好きな物事を語っている人に対して苛立つ人がいるというのも、よくある話なのだろう。
そしてその時のCはBに敵意の矛先を向けていたように私には思えた。尖る鏃が今にもBの喉元に突き刺さるのではないかと幻視した程だ。
だから私はその場で注意をした。トークルームという性質上、他のメンバーもその場面を見ている。私は、Bを守ろうとしたというよりも、Cの尖った発言を看過できなかったのだ。
無論、そのままそこでやりあうわけにはいかない。
そうして私とCは個人チャットの場に移り、口論をした。
詳細は敢えて記さないが、この口論で私はCと完全に仲違いを起こした。代わりといってはなんだがBに信奉されるようになる。他のメンバーも私の行動は概ね正しかったと認めてくれた。
だけれども、この出来事で私は心を痛める。
Cとは少し前までは一応、仲良くはしていたため、私はCと仲違いしたことを悔やんでいたのだろう。
おまけに、・・・というか正直なところこちらが本命かもしれない。そこそこの人気者であった私は、Cとの仲違いに、有り体に言えば、自分のメンツを気にしていたのだ。
その傷も言えぬ間に、ある日、Dが現れた。唐突だった。
すると、DはCが悪人だという情報をもたらした。自分もCの被害者なんです、と言わんばかりに・・・。
それはCと仲違いをしてしまったという負い目のある私にとって都合のいい・・・いや都合の良すぎる情報だった。
Cと口論をして決別したことは、正しかったのだと思いたかったのだ。
ネット上には、あるいはリアルにも、場の空気で人々(少数だったり、大勢だったりする)に悪と断じられると、真相はともあれ、ソイツは悪人で攻撃しても良い(免罪符を得れる)という一つの悪い慣習があるようだが、私の心にもそういう流れに乗ってしまう部分があったのだろう。
Dの、今思えばたちの悪いゴシップのようなそれを、あろうことかこの時点の私は殆ど鵜呑みにしてしまっていた。
Dは距離の詰め方が不気味に思えた。私は内心密かにDを怪しくは思っていたのだ。
けれどもしかし、Dを訝しく思えども、もたらされた魅力的な情報はどんな財宝よりも輝いて見えてしまい、私の目を眩ませていた。
そしてあろうことか、私はいつの間にか自らを正義だと思ってしまっていたのだろうか、Dにもたらされた情報をもとに、Cを直接ではないが糾弾していた。否、このときの私がそう信じていただけで・・・、糾弾ではなく、正しくは悪罵なのだろう。Cにとっては謂れのない事だったのだから・・・。
最初は止める側であったBもいつの間にかそれに加わる。消極的ではあるが、Dも。
そして他のメンバーも私たちの行動を強くは止めなかった。私とCの口論のきっかけ(Bが突然空気を乱した)によるものと、それに加え、皆が皆、CよりもBと仲良くしていた傾向があったのもあるだろう。
そんな他のメンバーの静観を良いことに、あちらこちらでCは悪人なのだと言いふらした。一度始めると、もはや歯止めが効かなかった。自分たちはCの被害者。そう思い込んでしまっていたのかもしれない。
やがて。Cの耳に入り、Cは私とBの行いに激しく怒った。Dに矛先が向かないのは、Dがうまく逃れたからだ。
そうして。私とBがまいたCの悪評は、仕込まれていたのかというくらいあっという間に、事実無根だと証明されてしまい。私とBは糾弾される側となり、あっという間に追い込まれた。なぜか、Cが抗議に入った途端に、仕込まれていたのかというくらい、スムーズに私たちが不利になっていた。形勢が傾くと、Cに味方をする者も、仕込まれていたのかというくらい、一挙に現れた。しかも、どこから現れるのかどんどん増えていったのだ。アカウントが複数作れる上に、あくまでもアバターという前提である以上、一人が多数を装っている可能性もある。・・・というのは、私の被害妄想だろうか。
ともあれ、追い込まれて私は目を覚ました。勢いでBをかなり侮辱してしまったことに気付いたのだ。
ここに来て、糾弾が突き刺さる。私は悪いことをした。卑怯者の謗りを受けて当然だ。今、胸中は深い後悔に包まれている。過去の行いを悔いている。出来ることならば、口論する前からやり直したい。きっと私は今まき起こっている悪いこと全てをそうならないように避けるだろう。
一方Bはひどく混乱していた。
攻撃はやまない。Bが言葉で抗おうとしても、それは滅裂な言動と受け取られ、Bには特に苛烈な言葉の鏃が放たれた。
Bは、やがて精神を乱してしまった。
私とBは、なぜこうなったのだと問答する。Dのもたらした悪評は全て嘘だったのだ。
Bは最期に、どういうことだ、と問うてきた。もはやわけがわからないのだろう。そのまま姿を消してしまった。
私だって、どういうことだ、とDに問いたい。
だが、情報源のDはいつの間にか消えていた。ネットでこういう界隈に存在していれば、普通は少しくらいしがらみとかがあるだろうに、幻だったのかと錯覚するくらい痕跡を残さずにきれいさっぱりと。Dは砂上の蜃気楼のようだった。Dはさながらオアシスのように都合良く現れたからだ。
私とBは困惑し、狐に化かされた気分に陥った。
Dの言葉を鵜呑みにしなければ・・・、というのも今さらいってももう遅いだろう。
誰かが魚拓を取ったので、私とBの激しいCに対する罵詈雑言は今でもネットの履歴に残っている。
それは私にとって目を背けたくなる罪だ。だけれども、その罪と一生涯、向き合わなくてはいけないのだ。
どうしてこうなったのかわからない。
私は人気があるあまりに嫉妬に駆られたと思われるD=悪意の第三者にはめられたのか。
そもそも、D=Cであったのか。
それとももっと大きな悪意によるもので・・・。
いくら推理したところで答えは出てこない。
ネットの匿名性が今は怖い。
Dはいったい何者なのか。
なんにせよ、醜い老婆に化けてお姫様に毒リンゴを渡すどっかの女王のような悪辣さだ。
気味が悪い・・・。
最後の最後で、私は気付いた。たとえ正義があろうとも、それを盲信し、人を攻撃してはいけないのだ。
私はDからの悪意に満ちた毒リンゴを受け取り、その悪意に蝕まれたのだ。
あるいは、Dは、私の心の底に燻る闇を白日のもとに曝すことが目的だったのか・・・。
私は、Cを言葉の刃で攻撃した途端に、完全なる悪に転じていたのだ。
Bさん、ごめんなさい。巻き込んでしまって、ごめんなさい。苦しめてしまって、ごめんなさい。
私の死をもって償いとします。
20XX/XX/XX。A。
―――
・・・言うまでもなく、この日記が答えだろう。Aは自らが悪人になったのだ。と強く認識してしまったことと、罪の意識に苛まれ、気を病んだ。そして・・・
――ブロガーあくとくの記事はここで終わっている。
――――。
最後に。
木で出来たマカナ(棍棒)であろうと人を殺せるように、言葉でも人は殺せる。言葉の殺傷力を侮ってはいけないよ。
風評が、どんなに真実味を帯びて見えても、もともとその目が嫌悪感やらで濁っているかもしれない。真偽のわからない事柄を安易に鵜呑みにしてはいけないよ。下手すると、それは毒リンゴかもしれない。
アバターの中身には相手(人間)がいるということは心せよ。蔑んだり、罵ったりする前に、心せよ。
これは誰しもの身の回りにも起こりうる明日の出来事だ。