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Side:Dystopia②

◇アイゼン

ハピリが辺りを炎で覆いつくした後。

魔力を外に漏らさない役割をしていたはずの壁は、すっかりその機能を失っていた。やはり人間の作ったものだ。悪魔が本気を出せば、呆気なく壊れてしまう。

炎は壁を燃やし尽くしたばかりでなく、その周囲にあった施設もろとも焼き尽くしていた。どうやら燃料か何かに引火したのだろう、化学物質の燃えるような嫌なにおいが漂っている。

「それで、チェリ。解析結果はどうなの?」

固有魔法で解析をしていたチェリにハピリが尋ねる。普段は考え事をしているときでも周りにそれを悟らせないチェリだが、今は珍しく難しい顔をして黙り込んでいた。ハピリの声が届いている気配もない。

「……チェリ?」

流石に心配になり、アイゼンも声をかける。何か良くない自体が起こっているのだろうか。膨大な魔力量を持つ萌黄の悪魔--チェリでさえ不安になるような事態が。

アイゼンの問いかけで、チェリはようやく声をかけられていることに気づいたらしい。顔をあげ、囁くような小さな声でそっと呟いた。

「……この世界に来た悪魔は、私達だけじゃ、ない……」

「え?」

--私達以外の悪魔が、この世界に召喚されている?

最初に召喚されたと知ったとき、この世界に来れたことに対する安堵のようなものがあった。別の世界に来てしまえば、もうチェリが悪魔同士の派閥争いに巻き込まれて傷つくことも、アイゼンが劣等感を抱えて惨めな思いをすることもない。学園に通っている悪魔の異界転移は基本的に認められていないため、今まで異世界に逃亡することは不可能だった。だけど、不慮の事故ならば?アイゼン達が咎められるいわれはないし、何しろ咎める相手もいない。こちらの世界に来れたことは、思わぬ幸運だと思っていた。

だが、他の悪魔も同時に召喚されているというのならば、話は別だ。幸運なんていうものではない。状況は最悪だ。悪魔というのは大抵自分の所属する派閥や自分自身のために動いている利己的な存在だ。そんな彼ら彼女らが異界でチェリを見つければ、どうする?保護するなんて大義名分を得た悪魔はチェリ本人の移行を無視して、邪魔する者は殺してでもチェリを手に入れようとするだろう。チェリの魔力には、チェリの魔法には、それだけの価値がある。アイゼンは他の悪魔たちからチェリを守って逃げられるほど強くない。ハピリがいてギリギリ--召喚された悪魔の強さによればそれでも厳しいだろう。

「何よそれ。あたし達以外の悪魔?詳しいことは分かんないの?」

苛立つようなハピリの声には、微かに喜びの色が混じっていた。

ハピリはこちらの世界に来てもなお、真っすぐで悪魔らしい。もともと戦闘狂なところのある彼女だ。戦ってみたい、なんてことを考えているに違いない。アイゼンにとってはまっぴらごめんの事態だが、きっと戦わざるを得なくなるだろう。

「……落ち着いて、ゆっくり、聞いてほしい……」

そういうチェリが一番落ち着きを失っていた。全身が小刻みに震えている。澄んだ桜色の瞳からは今にも涙が溢れそうだ。

そんなチェリの背中を優しく撫でながら、大丈夫だよ、ゆっくりでいいよ、と彼女を落ち着けるべく声をかける。そのことで少し安堵したのか--それとも覚悟を決めたのか、チェリはゆっくりと言葉を紡ぎ出した。


彼女の言葉曰く。

この世界では長きにわたる戦争が行われており、新しい武器に変わる武力として戦争の中心となっている四ヶ国がそれぞれ悪魔を三柱ずつ召喚した。

チェリ達を呼び出した国は四ヶ国の中では最も中立的立場の国で、滅ぼされないために戦争をしている--という構図らしい。

そして、この世界に召喚された十二柱の悪魔。--これが、最悪の情報だった。チェリが落ち着きを失うのも分かる。アイゼンには到底太刀打ちできない、そんな悪魔達が数多くいた。

深碧の悪魔、ヴィリア。チェリを手に入れようとしている派閥の一つに所属しており、傲慢で冷酷。彼女に付き従っている丹色の悪魔シャルロッテは歩く災厄と言っても過言ではなく、頭に破壊衝動しか詰まっていないのではと思えるほどに無邪気に殺戮する。

そして白銀の悪魔、レオナに白藍の悪魔、ラーニャ。

彼女達の噂は学園の情勢に疎いアイゼンの耳にも数多く入ってきていた。

魔法の暴発により、教師を含め数十人規模の悪魔が死亡した大事故。その現場に遭遇した唯一の生き残りであるレオナと、魔法を暴発させた張本人であるラーニャ。優等生だと謳われていた彼女達は事件後、人が変わったかのように傲慢に振る舞うようになった、と聞いている。なまじ所属する派閥の力が強大なせいで学園も教師も処分するどころか咎めることすら出来ない。

魔法も強力でなにより他者を害することに一分の躊躇いもない悪魔らしかった。


最悪だ。最低で最悪だ。だけど、これ以上現状が悪くなる可能性だって大いにある。それを含めて本当に酷い状況。出会ったらまずこちらを攻撃してくるであろう悪魔達が数多くいる。見つかればまず間違いなく殺される。逃げることは余程運が良くない限り難しいだろう。

そして何より、魔界へ帰還するゲートが存在しているということが、何よりも問題だった。

元の世界に帰るには、この先にあるゲートに自分達でエネルギー--即ち、二柱分の悪魔の魂--を供給しなければならないそうだ。

逆に言えば、二柱殺せば元の世界へ帰れる。四柱殺せば、チェリを連れて元の世界へ帰れるということだ。


予備動作なしに、アイゼンはゲートに向けありったけの魔力を注ぎ込んだ。なけなしの保有魔力のすべてを。ゲートを破壊するために、注ぎ込んだ。

魔法陣が溶けるように光を失って消えていく。その場に集っていた魔力がなくなっていくのが分かる。思ったよりも呆気なく、アイゼン達を魔界に帰すための扉は破壊されてしまった。アイゼンの保有魔力で足りるなんて、随分と脆いゲートだ。

「はあ!?ちょっとあんた、何してんのよ!?話聞いてた!?それがないと帰れないのよ!?」

ハピリが信じられない、というような顔をしてまくしたてる。チェリも心做しか普段より不安そうな顔をしている。

あはは、と乾いた笑いが漏れた。いつもの自虐的な笑みではない。挑発的な--アイゼンの嫌いな、悪魔らしい笑みだった。

「なんであんな地獄に帰ろうって思うの?私は、帰る気なんてないよ。ここにいたって、魔界に戻ったって、どっちも地獄なんでしょ?それなら私は、掴み取ってやるよ。私達も、殺される前に殺せばいい。全部のゲートを潰して、全部の悪魔を殺して--そしたらきっと、ちょっとはマシな地獄になるよ」

ハピリが絶句する。戸惑い、なんて生易しい感情ではない。理解不能なものと出会ったときの反応だった。チェリすら、ハピリよりは控えめながらも似たような反応を示している。


二人なら、分かってくれると思ったんだけどな。

アイゼンの中で、大切にしていた何かが砕けたような音がした。

--否、アイゼンの中にはもう既に、壊れていないものなんて残っていなかったのかもしれないけれど。

それでもアイゼンは進むしかない。弱者には、弱者の生き方がある。

アイゼンはここで、自分の望む未来を掴む。何を犠牲にしても。何を壊しても。

罪悪感なんて言葉は、道化を演じるアイゼンには不要なものなのだから。

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