Side:Cлава
◇ラーニャ
愛しい人の気配がする。
耳を澄ませ、辺りに紅い花を咲かせながら、ラーニャは歩いた。
ラーニャの魔法系統は、水。――とは言っても、何もないところから水を生み出す事は出来ない。
ラーニャに出来るのは、液体の音――液体を中心に生じているなら、どんな音でも構わない――を聞くことで、その液体を操ること。液体の音さえ聞こえれば、それを好きなように動かすことが出来る。勿論、好きに動かすことも、瞬時に膨張させることも気化することも自在だ。
その魔法を応用して、ラーニャは人間の血液の流れる音を聞き、血管を破裂させて殺している。
魔力を持たない人間が、ラーニャの魔法に抵抗することは不可能だ。並大抵の悪魔でさえ、ラーニャには抵抗出来ないのだから。
雨の匂い。周囲に倒れている、悪魔だったもの。凍りついていく血溜まり。
ラーニャを狂わせた光景がフラッシュバックし、ラーニャは唇の端を吊り上げて笑った。
真っ直ぐ続いていく廊下の向こうから、大好きな人と同じ魔力が流れてくる。ラーニャがここに召喚されたのと同時に、彼女――レオナもまた、呼び寄せられたのだろう。
レオナを使役しようとするなんてどういう了見だ、と問い質したくなるが、幸か不幸か問い質すための相手は既に誰も居なくなっていた。こんなことなら、少しだけでも残しておけば良かったかもしれない。
人気の消え失せた廊下を、ラーニャはひとり進んだ。
窓の外から、雨の音が聞こえる。
どうやらこの世界にも、雨は降るらしい。
◇◇◇
「レオナ!こんなところにいたのね!私、貴女のことを探してたのよ?」
甘えた声で抱きついてみせる。魔界にいた頃からの日課だ。
ラーニャの世界は、レオナを中心に回っている――そう言ったって過言ではないくらいに、ラーニャはレオナが好きだ。一緒にいて楽しいとか、そういうキラキラした素敵な感情ではない。
ただひたすらに、苦しいくらいに、必要なのだ。レオナが。ラーニャが生きるために。
レオナがいなければ、ラーニャは駄目なのだ。自分の手で自分自身を粉々に壊し尽くしたあの日から、ただ刹那の享楽のためだけに生きているラーニャを、本来のラーニャを、受け入れてくれる存在がレオナだったから。
抱きついた状態からぱっと身体を離し、辺りを見渡す。氷の破片と、動かなくなった肉塊が至るところに散らばっている。乾いた冷気が肌を刺し、ラーニャは小さく身震いをした。
目につくものはふたつ。何の表情も浮かべずにレオナの隣に立つ黒い少女と、光を失った転移ゲート。
ゲートは、元の世界に戻るために必要なものだろう。魔法陣が色褪せ光を失っているのを見るに、恐らくエネルギーが枯渇している。あれをもう一度使用するには、動力を自分達で供給しなければならない。
そのためには二柱分の悪魔の魂が必要だが、この世界にはラーニャ達以外にも、ひぃふぅみぃ…九柱の悪魔が召喚されているらしいから、その中から殺して楽しそうな悪魔を見繕って狩れば、それで事足りる。
それよりも問題なのは。
ラーニャがレオナに再会する前からレオナの隣にいたと思われる、漆黒の少女である。
レオナが殺していないからには、きっとラーニャと同じ悪魔なのだろう。レオナの視界に映る存在で、ラーニャの既知でない少女がいるだなんて――唇を噛み締め記憶の糸を手繰る。微かに思い当たることがあった。
確かレオナは以前、奴隷として売られていた闇の魔力を持つ少女を買ったと言っていた――こんなに年端もいかない少女だとは思わなかったけれど。レオナのことだから、実験か何かに使うものだと思っていたけれど。こんなに丁重に扱われていたなんて、考えもしなかった。
レオナの隣には、ラーニャだけがいれば良い。他のものは要らない。邪魔だ。目障りだ。出来るのならすぐにでも排除してしまいたい。
だけど、レオナに咎められることの方が――レオナに否定されることの方が嫌だった。だから何もせず、何も見なかったことにして、いつも通りレオナに話しかけてみせる。
「私達、ここに召喚されたってことよね?」
「…そうだな。どうやら私達の他にも悪魔がいるらしいが――」
いつもと同じレオナの声を聞くだけで、心が弾んだ。
きっとレオナは、ラーニャ達を召喚したこの世界を赦さない。だから、すべてを跡形もなく壊し尽くしたい――そんなラーニャの欲求も、満たしてくれるはずだ。楽しみで堪らない。
唯一の懸念があるとすれば、彼女だろうか。ちらりと横目で黒髪の少女を眺め、レオナに気付かれないよう溜息を吐いた。
闇の魔法を持つ忌まわしい少女は、一言も喋らなかった。




