夜噺の折に
来た道を辿るように帰路につく。
岩場をまだ上手く登れないラバーの手を握り引き上げる。
釣りも石探しも駄目だったラバーは不満そうに石を蹴っている。幾らか大人っぽくなってきたと思っていたが、そこは八歳の子供である。ただ、不機嫌そうな顔もアヒルや文鳥が地面を突いてる姿を見て、機嫌は段々と良くなっていた。
「パパぁ、ペットが欲しいな。」
拾った枝を振り回しながら踊る。
「ラバーがお世話出来るようになったら考えてみるよ。」
「ラバー出来るもん! 家の豚さんもちゃんとお世話してるから、近寄ると尻尾ぶんぶん振ってるよ!」
「なら豚さんでいいんじゃないか。」
もう! と起こる姿も可愛かった。
「鳥しゃんか猫しゃんが飼いたいの! それで夜はベッドで一緒に寝るんだ~!」
道に飛び出していた茶トラの猫を見つけると、わーと走り出す。
それに驚いた猫は凄い速度で逃げ出した。
「もう…。」
この子といると、色褪せていた人生に色が少しずつ戻る、そんな感覚だ。
お世話していると思っていたが、俺の方が助けられているんだよな。
ゆっくりと流れる時間を噛み締めながら、自然に笑みがこぼれた。
森は少しずつ冷え、辺りは暗い。
そして昼とは違う動物が泣き出した頃、家についた。
「ただいまー。」
誰もいない部屋に声と足音だけが残る。
ラバーを見届けて、一人家の外で火をおこす。点いた火は消えないように小枝を足し、安定したら鉄の板に乗せて部屋に入った。
家の中は暗すぎて何も見えないのもあるが、それよりも燃え始めの臭いが部屋に充満すると、寝る時まで残り、不快だからだ。
しっかりと乾燥した薪があれば話は違うのかもしれない。だが森の中では湿気った木々しかなく、乾かすにも場所もない。
かまどに鉄の板を入れ斜めにし、火種を落とす。小さな枝を一本引き抜いて、家の中の蝋燭に火を入れていく。四つ程灯すと、部屋の中は火特有の温かみのある橙色に照らされた。
さて、と。かまどへ戻り、深さのある鍋を置いて、昨日頂いた山羊の乳を入れる。
温まるまでの間、干し肉を齧り、ラバーを見ると既に小さないびきを立てている。
温まり泡が立ち始めたところでコップに移し、ラバーを揺すって起こして渡した。
山羊特有の臭みこそ、最初は辛かったが今では慣れたものである。
ラバーはこれで育ったのだから文句も言わずグッと飲み干した。
「今夜は冷えそうだから、ちゃんと布団かけて眠りなさい。」
寝起きで目が細いラバーの頭を撫で、うんと言うとまた布団に戻っていった。
ラバーが眠るのを見届けてから、俺は机に座り一冊の本を棚からとった。
大した収入はないが、昔からの癖で帳簿は付けるようにしている。
今日は予定外の外出に、パンも買ったのだから少し渋い顔をしてしまったが、そこまで困窮した生活ではないので、明日以降調整すれば問題ない。
特に考えることもなく書き終えて、少しラバーの方を見た。
生い立ちが複雑にせよ、ひねくれもせずここまで立派に育ったこの子は、この子だけはしっかり育てようと思う。だから、俺のような人間ではなく、そろそろ真っ当な人間との付き合いも必要だ。
そのためには、やはり学校か…。
だが、通うのも街に住むにしても…。
無理だとは分かりつつも、同じ考えを繰り返してしまう。
せめて、同い年の子どもたちが森に入ればな…。
やるべき事を終え、背を伸ばし少し寛いだ。
ラバーは少しの音では起きなくなっていた。
さて、そろそろ往くか。
棚に置いてある白い陶器の壺を抱え、俺はひっそりと家を出た。
夜の森、もはや怖くはないが日に日に薄れる警戒心が一番怖い。
森に住んでいるうちに、街の頃にあった常識は薄れ、代わりに人との関わりが少ない森特有の感覚が身に馴染んでいった。街の人々から見れば野蛮だの、非常識だと言われるが、この程度は文化の違いだと思って全く気にならなくなる。
俺は森に住んで一番感動したのは夜目が利くようになった事だと思う。最初の一年くらいは全く何も見えない黒だったそこが、今では黒でも違いが分かり、歩き慣れた森をイメージするとほぼ昼間と変わらない速度で歩ける。
流石に陽がある昼とは見えるものが違うから転けたりもするが、それもまた楽しい。
そして全て自己責任で、誰にも迷惑をかけない。それが森である