第6夜 暴走の果てに
ーー黒坊主のグレーの眼は、目の前で蒼い鬼火に焼かれて消えてゆく“凶”を見つめていた。
迷彩柄のジャンバーが炎のなかで焼き尽くされてゆく。黒い塊になり、それはやがて炎と共に消えてゆく。
コンクリートの床の上。
黒坊主は右足を楓に向けた。
草履は履いていない。白い足袋。
その大きな足を向けた。身体が楓に半身向く。
そして銀の錫杖の尖った先端も。
遊環が揺れる。
「お主……。“鬼”の癖に何の真似だ?」
黒坊主の低い声とグレーの鋭い眼が、楓を見据える。
さっきまで楓と葉霧を狙い、向かってきていたあやかし達も、蒼い鬼火に目が奪われたのか、大人しくなっていた。
黒坊主と楓の睨み合いの中で、その身体を引いていた。
葉霧は、ちらっと沙羅の方に眼を向けた。
(今なら二人を解放出来る)
あやかし達の動きが止まったからだ。
葉霧は、思うより早く駆け出していた。
黒坊主が錫杖を向ける。
楓の後ろを走る葉霧に。
だが、楓が錫杖の向きに合わせて動く。
刀の切っ先を黒坊主に向けた。
葉霧は楓の後ろを駆け抜け……沙羅と、新庄拓夜の方に向った。
「鬼娘……。」
眉間にシワを寄せる真っ黒な坊主。
その頭は黒曜石の様に丸光りしていた。
毛はない。
「お前に聞きてぇことがある。」
楓の蒼い眼は黒坊主のグレーの眼を、見据える。
悠然と構える大男を前に、怯む気配はない。
「東雲の仲間か?」
楓がそう問いかけると、黒坊主の眉間のシワが緩む。
「東雲? 知らんな。」
その顔は怪訝そうであった。
軽く首を傾げてもいた。
(仲間じゃねぇのか……。“闇喰いの巣”……幻世の穴を通って来たクチか。)
楓が眉間にシワを寄せる番であった。
“闇喰いの巣”とは、あやかし達の棲む幻世から現世に這い出て来れる“闇トンネルの穴”の様なものである。
闇に侵されたあやかしの魂である“闇喰い”が、たむろし集まる場所でもある事から、“闇喰いの巣”と呼ばれている。
葉霧はロープを解いた。
頑丈に括りつけられていたが、沙羅が自らも解こうとして緩めていたのか、手首に巻き付いていたロープは程なくして解けた。
沙羅は黒のレザージャケットを着ている。
薄手の半袖タイプだ。
その胸ポケットから何かを、取り出した。
葉霧は持ち手がピンクになってる銀色のそれから、ナイフをカチッと出したのを見ると
「サバイバルツールか?」
と、そう聞いた。
「ええ。何が起きるかわからないからね。ナイフとハサミと簡単なノコギリ刃。ネジ開けぐらいしかついてないけど。」
沙羅はそう言いながらナイフで、足を縛り付けるロープを切りつけた。切れ味も良好だ。
(さすがだな。)
葉霧は感心していた。
黒坊主は楓に錫杖を向けながら口を開く。
形相は人間よりも恐ろしいが、顔立ちそのものは人間に等しい。異形の者ではない。
「人間に肩入れする“あやかし”がいるとはな。長らく現世にいると、そうなるのか? ここに居る連中もそうだが、本来あるべき姿を誤魔化して生きているとはな。笑いが止まらんかったわい。」
と、言いつつもその表情は虫唾が走る。とでも言いたげた。酷く忌々しそうに、吐き捨てたのだ。
「お前の方こそ幻世から、這い出て来た理由はなんだ? 何がしてぇんだ。」
楓の鋭い口調が飛ぶ。
「あやかしが“人間を襲う理由”が必要か? その発想自体が、ワシからすれば“半端者”。到底理解は出来んがな。」
黒坊主の口元は緩む。
小馬鹿にする様な笑みだ。
楓は周りで立ち竦むあやかし達に、視線を向けた。
「コイツらを従えて“王国”でも創ろうとしてたのかよ。現世で、好き勝手出来ると思うなよ。」
ぶんっ!
楓は夜叉丸を振り降ろす。
「オレがさせねぇ。」
黒坊主を強く睨みつけた。
黒坊主は錫杖を上にあげ、ぶんっぶんっと両手で回す。
まるで大型サーキュレーターの羽の様に、旋回する。
何度か回すと錫杖を脇に構え、
「来い。鬼娘。中途半端な生き様に終止符を、打ってやろう。坊主として。」
と、そう言った。
「それはコッチのセリフだ。クソ坊主!」
楓が、先に仕掛けた。
刀を握り錫杖構える黒坊主に、向かった。
刀と錫杖がぶつかり合う。
それはお互いに振り下ろした事で重なった。
互いに引くと錫杖の尖った先端を、槍の様に突き出す黒坊主。
楓は長い錫杖の突きを、後ろに飛んで避ける。
ひらりと躱す楓に、険しい表情を浮かべる黒坊主は、錫杖を横に薙ぎ払う。
強引に錫杖で楓を払いのけようとするが、それを難なく身軽に躱す。
飛び上がる楓に、黒坊主は錫杖を下から掬い上げる様に、振り回す。
「オイ! 何をしておる! この者共を殺せ! あやかし共!」
ぼさっとしている訳ではないのだろうが、時が止まった様な状態のあやかしの集団たちは、その声に我に返った様子。
ロープを解いた沙羅や、新庄を解放した葉霧に、一斉に向かう。
勿論、黒坊主と戦っている楓にもだ。
「コイツらなんなんだ!?」
楓は錫杖を避け、地面に着地した。
ヒュッ!
振り下ろされる錫杖。
楓は頭上から降ろされる長いそれに、ばっ!と、後ろに飛んだ。
がんっ!
錫杖は地面を、叩きつける。
飛んで避けた楓にあやかし達が、腕を伸ばす。
捕まえようと飛びついてくるのだ。
「邪魔くせぇ!!」
ゴォォォッッ!!
楓の身体から蒼い鬼火がまるで炎の嵐の様に、あやかし達に向かって放たれた。
彼女の力は“憤怒“で、強弱つくらしい。
気性の荒さは”“持ち技”にまで反映するのか。
ギャーッッ!!
あやかし達の悲鳴が聞こえる。
周囲一帯。
蒼い鬼火が嵐の様に燃え広がった。
あやかし達は炎に包まれ、その身を焼け焦がす。
「コイツらは“人間”として生きていた半端者だ。中途半端な生き様晒して、あやかしと名乗りおる。」
ぶんっ!
黒坊主は錫杖を振る。
まるで楓を頭から叩き割るかの様に。
楓は錫杖を刀で、受け止めた。
刃を左手で添え両手で、振り下ろされる錫杖を受け止めたのだ。
「あやかしの醜態を晒す弱者だ。それ故……ワシが本来あるべき姿に、戻す手助けをしてやったまで。人間を襲う本能の塊にな。」
黒坊主の腕が上がる。
錫杖を振り上げた。
楓は周りに向かってくるあやかし達を見ながらも、振り下ろされる一撃を予感した。
チリ……
楓の右腕に蒼い鬼火が点火する。
ボッ!!
楓の身体が鬼火に包まれる。
それは地面をロープの様に這う導火線の様に、あやかしたちに拡がった。
地面にまるで花火の華が咲くように、鬼火が拡がったのだ。
楓の背後から、横から向かって来ていたあやかし達は、その鬼火に瞬く間に、包まれる。
それを横目に錫杖を振り降ろす黒坊主に、楓は刀での勝負を挑んだ。
勝負は一瞬。
振り降ろす錫杖を身体を捻り、避けるとそのまま即座に懐に飛び込む。
黒坊主の腹に刀を突き刺しそのまま、地面を蹴り上げた。
突き刺しと斬り上げの二段攻撃を、黒坊主の大柄な身体に与えたのだ。
それは夜叉丸の刃の鋭利さと、楓の跳躍力が合わさったからこそ生まれたものだ。
力が黒坊主の身体を、真っ二つに斬り裂いた。
「ぐぅ……」
黒坊主は顔面までも真っ二つに斬り裂かれ、血を噴き出しよろよろと、その身体を地面に倒れさせた。
巨体が地面に沈む。
噴き出す血飛沫は、斬り裂いた身体から地面に拡がった。
そこへ、葉霧の一声が届く。
「楓! 右手だ! それがそいつの“急所”だ!」
あやかしの“魂”はその者によって、場所が異なる。
楓は倒れている黒坊主の右手の前で、刀を振り上げた。
「……黒坊主。そろそろ冥府へ逝く時間だ。お前は長く生きすぎた。」
楓の蒼い眼が黒坊主を見下ろす。
動く気配はない。ぱっくりと割れた頭からは今も血が流れている。
それでも死んではいない。
「冥府か……余り……ゾッとせんな。」
と、最期にそう言ったのだ。
楓は右手の甲に刀を突き刺した。
側には銀の錫杖が転がっていた。
カッ!!
貫いた途端にその体は、蒼白く光り破裂した。
黒坊主の魂は、砕け散った。
一緒に錫杖も粉々に砕け散った。
そこには何も遺らない。
血すらも。
完全に消滅する。




