第四十六話「既視」
長蛇の行列を捌き切り、無事お弁当も完売したところで一息つく。
額の汗をハンカチで拭いつつ壁掛け時計を確認する。気づけば、時刻は十六時を回っていた。
「それにしても、すごいお客さんの数でしたね」
「めっちゃ疲れたっす……」
疲弊した様子の白井さんが、ペットボトルのお茶を飲みながらため息をつく。
共に手伝ってくれた不良少女たちと共に、妙な達成感に浸っていた。
「皆ーお疲れお疲れ! ほら、差し入れのアイスでも食べて!」
上機嫌の桜雪さんが私たちにアイスを配り、そのまま白井さんの頭を撫でる。
「特に恵梨ちゃん! あなたのおかげで今日は大盛況! 小春ちゃんと一緒に明日から看板娘として働かない?」
私が既に決定事項なのはいただけないが、白井さんの雇用については是非ミニドリップでも検討して欲しいところである。
「も、もうこりごりっす……」
辟易した様子の白井さんと、キラキラした笑顔の桜雪さん。そんな中で、沢崎さんがハンディタイプのバニラシェイクを飲みながら苦言を呈する。
「ったく何で握手とかいう変なシステムを入れたんだ……おかげで柏餅がやたら俺を指名してきやがったじゃねえか」
「あの人、ずっと沢崎さん指名で並んでましたね」
途中から列を分けたこともあってか、終始沢崎さんの列に並び続けていた柏木さん。握手をする際も、スタッフとして働いていた不良少女が引き剥がすまで、ずっと沢崎さんの手を離さなかったのもまた印象的だった。
なお本人いわく、食べきれないお弁当は付き人に配るとのこと。
「あの様子じゃ、この前俺が文句言ったこと相当根に持ってるぜ……」
「あれってやっぱりそういうことなんですかね? にしては、態度に違和感が……」
「何? 真夜、あんたまた何かやったの?」
私と沢崎さんの話が聞こえたのか、桜雪さんが母親モードに切り替わる。
「ち、ちげえよ! あいつが春姉に絡んでいたから、俺が一発喝をだな」
「何でも良いけど、この前担任の先生から呼び出された時にした約束、ちゃんと覚えているんでしょうね?」
「ぐ……」
桜雪さんの言葉に、段々と表情が曇っていく沢崎さん。一体どんな約束を交わしたのだろう。
「ちなみに、どんな約束をしたんですか?」
「次学校から呼び出されたら、バニーガールで市中引き回しの刑になってるの」
冷たい笑顔で恐ろしいことを呟く桜雪さん。目が本気である。
「なるほど……奇遇ですね桜雪さん。私も真夜さんを兎にしたかったところです」
「あら? 小春ちゃんも? ちなみに色は黒? それとも白?」
「やはり黒が似合うかと。しかし、黒髪と白バニーのコントラストも捨てがたいですね……」
「え! 姉御をバニーガールにするんすか!? 詳しく聞かせてほしいっす!」
「おい待て! 不穏な話で意気投合するんじゃない! 白井も混ざるな!」
「ともかく、真夜があまりにも親の言うことを聞かないから。一番嫌がる効果的なことをしようと思ってね。言ってきかない子は殴ってわからせるしかないという乱暴な理屈も、残念ながら真夜には通用しないし」
やれやれといった様子の桜雪さん。確かに、私でも沢崎さんを力でねじ伏せるのは現実的ではないと思ってしまう。
仮に沢崎さんを力でねじ伏せる場合、一般家庭と比べて十倍くらい屈強な両親を用意しないといけない気がする。とてもじゃないが、桜雪さんでは難しいだろう。
「だからって娘を辱めるのはおかしいだろ……二度と町歩けなくなるっつうの」
「あのね。そもそも、呼び出されるようなことをしなければ良いんでしょ。まったく、誰に似たんだか」
やかましい、と言わんばかりに沢崎さんの頭を小突く桜雪さん。
「う、うるせえ。育ち盛りなんだよ」
「姉御……その言葉、微妙に使い方が違うと思うっす」
******
一通り手伝いを終えた私は、家まで送るという沢崎さんの提案を丁重に断り、銀杏並木を一人で歩いていた。
緑から、うっすらと黄金に染まりつつある銀杏の葉を眺めながら、今日を振り返る。
沢崎さんのお母さん、桜雪さんは非常に濃い人物だった。ただ、気さくで話しやすい性格は人見知りの身として、とても助かった。さらに、あの沢崎さんが振り回されているのも新鮮な光景だった。
あれがきっと、一般的な母と娘のありかた、親子というモノなのかもしれない。
――反対に、私に残っている両親の記憶は遠く、薄く、もっと言えばひどく曖昧だ。
ただ、手を握りながら、一言『ごめんね』と孤児院の前で私に呟いたこと。それだけは強く記憶に残っていた。
なのに、あの時呟いた人物が母親だったのか、それとも父親だったのか。今では記憶に靄がかかっているかのようにうまく思い出せない。
「……最近は全然考えなかったのに」
思わず、自己嫌悪の感情が心の奥に渦巻く。私の悪い癖だ。
養父から強引にお店を任される前は、度々この記憶を思い出していた。そして思い出す度に、言い得ぬ気持ちに襲われていた。虚無感、焦燥感、足の裏が泡立つような感覚。
特に幼少期は頻繁に思い出しては泣き、養父を困らせていた。今でこそ平静を装えるが、年端もいかない頃の私が抱えるには些か重すぎる過去だったと言える。
「そう簡単に、消えるものでもない……か」
まだ、この傷とは向き合っていかなくちゃいけないようだ。私は、気持ちを落ち着かせるように胸で浅く息を吸った。無意識に強く握っていた掌を、ゆっくりとほどく。
両親との記憶が希薄なことも、今ではもう関係ない。何故なら養父と過ごした時間の方が長く、私も養父を本当の父親のように慕っているからだ。その感情に、嘘偽りはない。
ただ、養父に対して、私は今日に至るまで過去を詮索したことがないのもまた事実としてあった。
知っている情報といえば、香笛学という名前、おおよその年齢、喫茶ミニドリップを趣味で営んでいること、孤児院に長く寄付をしているということくらい。
他に家族はいないのか、結婚はしているのか、どうして私を拾ってくれたのか、気にならないと言えば嘘になる。ただ、それを聞いてしまったら養父までもいなくなってしまうような気がして……私はずっと、未だに聞けないでいた。
一年以上前、オーロラを見に行くと言ったきり音沙汰がない養父。そろそろ帰ってきても良い気はするが、いつ帰ってくるつもりなのだろう。
『もう少し、人と交流をしてみるといい。このお店を通じて色んな人と』
ふと、あの日養父が私に言い放った言葉を思い出す。きっとあれは養父の紛れもない本心であり、僅かばかりの願いであったと窺えた。
一年以上経った今、だいぶ成長したと個人的には思っているが、養父から見ればまだまだなのかもしれない。
「残念なOLの愚痴相手もできるようになりましたし、町一番の不良と友達にだってなれたんですけどね」
昔の自分では考えられないことである。特に沢崎さんとの初対面なんて、それはそれは怖かった。正直あの時は無事に帰れないと覚悟すらしていたほどに。
銀杏並木の道中にあるベンチに腰掛け、うなだれるように天を仰いでいた金髪の不良。今でこそ彼女を知っているから怖くないが、何も知らない状態ではやはり近づきたくないのが本心だ。
――ゆっくりと銀杏並木を歩きながら、私は自身の過去を心の奥深くにしまい、沢崎さんとの出会いを振り返り始める。
そして、ちょうど当時沢崎さんが腰掛けていたベンチが視界に入る。
偶然にも柄の悪そうな体格の良い男性がだらしなく天を仰いで座っており、思わず懐かしい気持ちになる私。
そうそう、あの時の沢崎さんも、あんな感じで座っていた。
あの時の私は無視して通り過ぎようとしたものの、結局失敗したんだった。
確かあの時、沢崎さんが何か天を仰ぎながら呟いていたような。
「はぁ……終わった……」
そうそう、思い出した。あの時の沢崎さんもそんな台詞を呟いて、絶望に浸っていて……って、あれ?
「なあ、そこのあんた」
「へっ?」
ベンチでうなだれる大柄な男性に話しかけられ、思わず変な声が出てしまう私。
「俺を見て、どう思う?」
「い、いや……えっと……」
発言と光景に強い既視感を覚えながら、私はバレずに通報する方法を必死に模索していた……。




