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『魔王様、何故止める』
ブレスは無し、と言ったはずだが、どうにも彼女は怒ってしまって忘れてしまっているらしい。えーっと、とりあえず全体的に被害が無いようにお願いし直そう。
「あいつ、畑の方に行った! 畑も、人間の街も守ってくれ!」
もうちょっとだけ腕に力を入れれば、ここから俺だけ上手い事出る、って事は出来るだろうか? ちょっとってどのくらい?
『あいつは魔王様を傷つけた』
「傷ついてないから、畑を傷つけないで!」
俺の目の端で、マンティコアが畑に一直線に向かっている。肉食だと思っていたが、野生になって雑食に目覚めたのだろうか。
あいつに踏み込まれたら、ちょっと齧るピーマン如きじゃどうにもならないし、マンドラゴラの精神攻撃だって利きそうにもない。ここはやはり、レイラに頑張って貰いたいのだ。
俺は俺で、ここから頑張って出るから。
『……わかった』
不満そうではあるが、レイラが羽ばたく。そして、畑へと向かっているマンティコアへと急降下し、首筋に噛みついた。
マンティコアは随分と苦しそうではあるが、瘴気を吐き出し、しっぽの毒で攻撃を続ける。
……あまり遅くなって、レイラに毒を浴びせ続けるのもよくない。やはり少しだけ力を入れて、ここから這い出し、少しだけ力を入れて、あいつから足をもごう。
動けなくすれば、多少は倒しやすくなるはずだ。
せーの! うううううん!!!
あ、周りにちょっとヒビが入った。同時に足の下に亀裂が入った気配がする。
どうしよう。地形、変わるかも?
「サイラス……」
「ん?」
唐突に声を掛けられ、俺は首だけでそちらを見た。
勇者が、心配そうにしゃがみ込んでいた。そう言えばいたな、こいつ。マンティコアを狩って食べる事に意識がいっていたせいで忘れてた。
「それ、出られる?」
「出られるんだが、地形が変わりそうで困ってたんだよ」
力を入れただけで足元にひびが入るって、腕に力を入れるはずがよけいな部分にも入ってるて事だよな。上手くいかない。
「君さえ嫌じゃなければ、助けさせては貰えないかな?」
「願ったり叶ったりだ! 俺はどうすればいい?」
ただ手伝って貰うだけじゃ、申し訳ない。何か出来る事があったら言ってほしい。
……俺は土の中に埋まっているが。
「そ、そのままでいいよ」
「抜けた時に褒めちぎったりしなくてもいい?」
「何で!? いらないよ!」
マンドラゴラが抜けた時に傷つけて来るから、逆に良い気分にしてみてはどうかと考えたが、勇者には不要だったらしい。
「大地の精霊よ。我に力を」
魔王とは縁遠い呪文。そう言えば人間は個体によって魔法を使える奴がいるんだっけ。
俺がそんな事を考えていると、俺の周りの土だけが柔らかくなっていく。あとは這い出るだけか、と考え、手近な地面に手をつくと、もろりと崩れた。
「サイラス、ストップ!」
「え?」
俺が更に近くの地面を触ってもろりと崩したところで、勇者に止められる。
「そのまま手をつくと、アリジゴクだから」
「アリジゴク……」
勇者はウチの納屋から持ってきたらしい、新たな鍬を地面に突き立てると、俺に手を差し伸べる。
「人間程度に力を入れて掴んで」
「わかった」
人間以上に力を入れたら、勇者の手が吹っ飛ぶもんな。
俺が勇者の手を取ると、勇者は突き立てた鍬を掴みながら俺を引っ張り上げる。ずるり、ずるりと、柔らかくさらさらとした土になったその場所から、俺の身体は徐々に出た。
それにしてもこの土……水はけがよさそうだな。今度ちょっと使ってみたい。
「よし、出たよ」
「おお、ありがとう! 凄いなー、勇者は。力の使い方が上手い! しかもちゃんとピンチのタイミングで現われて、本当に勇者さまさまだ」
「褒めなくてもいいから」
褒めなくてもいいの? ありがたかったからいっぱいお礼を言ったつもりだったが、勇者には不要だったらしい。苦笑いを浮かべている。
「大体にして、あんなに強い奴を押し付けてしまったのは僕の方だ」
「いや、強くは無いぞ」
「え? でもあんなに苦戦して……」
「いや、強くは無い」
苦戦といえば苦戦だが、枷になる物があるからこその苦戦であり、イコールで相手が強いとは思っていない。
普通の物よりもサイズが大きいから、食いではあると思っているが。
「魔王パワーでどうにかすると地形が変わるし、マンティコアの存在は消滅するし、場合によっては人間の街に被害が出るから困ってただけで」
「……チート」
「チーズじゃなくて、魔王パワーだって」
「いや、チーズじゃなくて……あっ、もういいです」
チーズだかチートだか知らないが、溢れんばかりの魔力と、強大過ぎてコントロールが難しい力。それが魔王パワーだ。美味しくは無い。
「……改めて頼む。あれを倒して欲しい。僕じゃあアレは倒せない」
勇者が深々と俺に頭を下げた。
「僕も大概チート転生だと思ってたんだけどな」
「いや、勇者は人間。俺は魔王。力の差は仕方ないって」
顔を上げれば、自嘲気味に笑っていた。いやいや、勇者は悪くない。人間にしては凄い方だとは思うけど。
「じゃ、ちょっと夕食を狩ってくるから、その鍬を貸してくれ」
「あ、うん」
今まで勇者が軸にしていた鍬を借りると、俺はマンティコアへと向き直った。
意外な事に、レイラとは接戦だ。
「ちょっと行ってくるから、ここは頼んだぞ」
勇者が頷く。
「あ、そうだ。レイラの服には触るなよ!」
「えっ、あっ、そうか!」
あ、余計なひと言だったかも。いや、今はそれよりもマンティコアのお肉だ。
俺は鍬を片手に加速すると、畑の前で止まる。
マンティコアとレイラが、お互いを噛み合って大変な事になっていた。
……これは流石にちょっとだけでも力を込めねばなるまい。俺の我儘でレイラに傷を負わせているのだ。
「レイラ、もういい」
『しかし、こいつの息の根を止めていない』
「大丈夫だ。俺が息の根を止め、しっかり血抜きしてやる」
俺はレイラを宥め、そしてそっと撫でた。
何度も毒針を刺された場所の鱗は剥げ、血が滴っている。呑気に穴から出られないとか言っている場合じゃなかった。
こいつは俺が狩り、皆で食べる。必ずだ。




