ep1:手痛い歓迎
「はぁ………まいったなぁ、到着早々こんな目に会うなんて……」
立花太一は大きくため息を付いた。
こんなどうしようもない気持ちになるのは、人生で二度目だった。
一度目は、大学卒業間近となって就職先が全く決まっていなかった時。その時もお先真っ暗な絶望に打ちひしがれていた。
そして今、折角就職が決まって新天地に降り立ち、さあ明日は入社式だ!という今になって、また同じくらいお先真っ暗な気持ちになった。これが二度目だ。
まさか、島に到着して早々に財布をスられてしまうとは――
幸い、財布には最低限の現金しか入れて無かったし、キャッシュカードにクレジットカードや保険証、ログカードに関しては別のカバンにしまっておいたので、さほど大きな被害は無かった。しかし、着いて早々治安の悪さを実感させられたことで、これからの新生活への不安だけはこれでもかと大きくなった。
「噂には聞いてたけど……海京都……とんでもない土地だよ……ここ本当に日本かな……?」
とぼとぼと繁華街への道を歩きながら、太一はぶつぶつと独り言を呟いていた。
果たしてこんな土地でやっていけるのだろうか。
さらに太一を不安にさせたのは、交番での警察官の対応だった。
数分前――
◇
「で、我々にどうしてほしいの?」
目の前の警察官はこちらの顔も見ずに、太一に言った。
「は?いや、だから……財布を盗られて……困ってるん、です……けど」
「だから……それで我々はどうしたらいいの?」
太一は面食らった。何なんだこの態度は。
いったん外に出て自分が今いた建物を確認する。交番だ。お巡りさんのいる交番に間違いはない。ということは目の前にいるのは、国家公務員であるところの警察官、のはずだ。
「どうしたらって……探してくださいよ!僕の財布!!当たり前ですけど、大事なモノなんです!!お金だって少しですけど入ってますし、取り戻したいんです!!海上バスで港に着いたらいつのまにか無くなってて……スられたんです、盗られたんです!盗ったのは多分、こんな感じのおばあさんで……」
「あのね」
交番の警察官はいかにもけだるげに、めんどくさそうな声を上げながら、ようやく太一の方を向いた。
まるでわがままを言う子供を相手するような、ぎゃんぎゃん吠えるだけの犬を憐れむかのような、そんな表情だった。
ふぅ、とため息を一つつくと、お巡りさんは太一の目の前で煙草に火を付けた。
「あのね、キミ、ここはどこか分かってる?本土じゃなくて、海京都、電影都市なんだよ?分かってここに来たんだよね?知らずに来れるような場所じゃないんだから。だったら、こんなことでいちいち騒いでも意味無いのわかるよね?悪いけど、坊やに付き合って上げられるほど、本官はヒマじゃないんだよ?」
「こ、こんなことって……ちょ、ちょっと!警察なら普通窃盗は大事でしょ?犯罪ですよ?軽犯罪かもしれないですけど、れっきとした法律違反があったんですよ!?それが、こんな、こと、扱いなんですか!?」
「オイオイ落ち着けよ兄ちゃん。言いたいことは分かるけどよ、そりゃ本土の話だろ?そりゃ”ふつー”の警察なら、そんな理屈も通るだろうけどね。だがあいにく、ここは”ふつー”の場所じゃないの。君も知ってるだろ、ここは『特別経済区特殊法案』で守られてる土地だから、”ふつー”の法律は通用しないわけ。そんな財布を”失くした”くらいでいちいち騒がないでくれるかなぁ」
ふぅーーーー
と大きく煙と共に吐き出された言葉は、太一には到底理解できなかった。
「だ、だから失くしたんじゃなくて、盗られたんで……」
「うるっさいなぁ!オイ!」
ドンッ!と大きな音を立てて、お巡りさんは机を拳でぶっ叩いた。
「さっきからウダウダウダウダうるせぇんだよ!そんなもんなぁ、あんたがちゃんと持ってないからそのばあさんとやらに持ってかれたんだろ?だったら悪いのは、あんただよ!!あんたが不注意で落っことしたのと変わらないんだよそれは!!それがここの”ふつー”なんだよ!!これ以上ガタガタ騒ぐと、あんたを公務執行妨害でしょっ引くゾ!!!」
とてつもなくデカい声でまくし立てられ、太一は完全にフリーズした。
まさかそんなことで逮捕だなんて……そう太一は思ったが、ギロリと鋭い目で睨みつけてきたその表情は、彼が知っている法と正義の執行者のモノでは無かった。
「あ、と……あの、その……失礼しました…………」
仕方なく、太一はすごすごと交番を後にするしかなかったのだった――
◇
「クソッ!!なんだよあの警察官……何も怒鳴ることないじゃないかよっ!!ングッ!」
太一は今になって怒りがこみ上げてきたが、その怒りをぶつける先は手に持ったチーズバーガーにしかなかった。
現在、彼は近くにあったハンバーガーショップで昼飯にありついていた。
とりあえず落ち着こう、と飛び込んだのはどこにでもあるチェーン店だ。
世界中どこに行っても同じ外観、同じ内装、同じ味は、本土にいた時には単なるグローバリズムの象徴としか感じなかったが、異国の地で震えている彼にとっては、まるで召喚された異世界で同じ世界の出身者に出会ったような、喜びと癒しを与えてくれた。
「でも、まさか値段が倍以上するとは思わなかったよ……」
一番お得なセットですら紙幣1、2枚では足らない料金だったのは手痛い誤算だったが、ちゃんとクレジットカードも使えた上に、落ち着いて食事が出来たことを思うと、妥当な価格だったかもしれない、そう太一は思った。
「まぁ、流石にあそこで食事する勇気は、まだないなぁ……」
セットのシェイクを啜りながら、太一は外を見下ろした。二階席からは、ハンバーガーショップのあるオフィスビル街と道を挟んで向かいに並ぶアーケード街がよく見える。
ズラリと屋台が立ち並び、ひしめき合うようにして皆が食事を貪っている姿は、ここが日本の一部であることを忘れさせるような光景だった。
屋台のノボリには漢字や平仮名、カタカナに混ざって中国語や英語、太一の学力では分からない異国情緒溢れる文字が並んでいた。ここからでは何を食べているかまでは見えなかったが、好奇心はあってもそこまで覗きに行く勇気は、太一にはなかった。
「しかし、噂には聞いてたけど……本当にすごい光景だな……」
太一が驚くのも無理はない。
先ほどからひしめき合っている人々の姿は、本土では決して見ることの出来ない様相だったからだ。
色取りどりに国籍不明な人々がいるのも当然見慣れた風景ではなかったのだが、もっとそれ以上に太一には初めて目にする光景があった。
食事をしている客の中には本当に様々な者がいたからだ。
ある者は片腕に生えた二本のメタルアームを器用に動かし、生身の腕と合わせ合計三本の手で丼飯と箸とジョッキを操っている。
またある者は、見た目は完全に機械の塊ではあるが、ずるずると何やら麺状のモノを啜っている。啜り終える度に頭の上のパトランプがオレンジに輝くのは、一体なにを表しているのだろうか。
そしてパッと見には全く普通のサラリーマンのように見える男が、自ら額をこじ開けて、何やらコードとバッテリーらしきものを繋いでいる、そんな様子も見られた。
そんな食事と補給と、有機物と無機物が混ざり合ったような、不思議な空間が眼下には広がっていたのだった。
「凄いな……あれのどこまでが普通にヒトで、どこからが『新世代』なんだろ……全然見分けがつかないや……」
本土では全国で人口比約10%と言われているこの『新世代』だが、今目の前にある現実はその数字を軽く上回っていた。というか、客も店主も殆どが新世代に見えた。
これが電影都市の日常なのか――太一は、自分も今日からここの一員になるのが未だに信じられなかった。
「はぁ……とりあえず、ホテルに行こう。明日は大事な入社式だし……気を取り直して行こう!!」
トレーに乗ったゴミをまとめて捨てると、太一は颯爽と自動ドアをくぐり再び街へと繰り出すことにした。
「ありがとうございましたー!」
太一は店を出ですぐに、にこやかな笑顔で送り出してくれた可愛い店員さんを再び振り返った。
ツインテールに纏められた鮮やかなピンク色の髪に、虹色のメッシュがピカピカとLED光を点滅させている。にっこりと笑った笑顔は、花のように鮮やかだった。
彼女が『人間』なのか『新世代』なのか、彼には判断することが出来なかった。
◇
「……はい、立花です」
トゥルルルル――
トゥルルルルルル――
トゥルルルルルルルル――
今どき珍しい体外式通信機の呼び音に起こされた太一は、寝ぼけ眼で受話器を取った。
ホテルに着いてベッドに倒れ込んで、少し眠るか――と思ったとこまでは記憶があったが、今の今まで意識が飛んでいた。いや、眠っていたようだ。
今日は色々あったし疲れてたんだな……太一はぼんやりとした頭を少しずつ働かせながらそう思った。
『もしもし?もしもーし!!?聞こえてますかー!!!?』
「え?あ、はい!すみません……聞こえてます」
受話器からギャンギャン響いてくるやかましい声に、つい答えてしまった。
瞳孔ブラウザの端に映る時計アプリが、深夜1時を知らせてくれている。
こんな真夜中だというのに、一体全体なんなんだ!太一が文句を言おうと思ったが、間髪入れず受話器の声が続けてきた。
『もしもし?なんだ聞こえてるんじゃないですかあ!早く答えて下さいよ!あ、307号室のタチバナ様ですね?ご注文のサービスが届きましたので、今からそちらに向かいますねー!』
「へ?いや……なにも頼んでないけど……?なんかの、間違いじゃ……?」
『チャイムは二回鳴らしますからね。時間は90分。全部アリアリコースで。それからチェンジは三回までです。じゃああとはごゆっくり――』
ガチャリ
と一方的に話を進めると、勝手に通信を切ってしまった。
「……?なんなんだ一体……?」
呆気に取られている太一だったが、とりあえず受話器を置くとまた眠気が襲ってきた。
夕方から今までたっぷり時間はあったはずだが、中途半端に寝たせいか全然スッキリしていない。
むしろなんだか余計に疲れた気もする。
邪魔が入ったが、とりあえず気を取り直して、ちゃんと寝よう、明日も早いのだから……そう思って朝から着たきりだったスーツを太一が脱ぎ始めた時だった。
ピンポーーーーン
ピンポーーーーーーン
二度のチャイムが狭いシングルルームにこだました。
「あ!そういえばサービスがどうとか言ってたか……クソッ、めんどくさいなぁ……とりあえず間違いだって言って持って帰ってもらおう」
そうぶつぶつ言いながら太一は玄関の扉を開けた。
「すみません、ルームサービスを頼んだのは僕じゃなくて、多分他の部屋の間違いで……」
「あ、ご指名ありがとうございマース!『電気羊の夢』のリルカです!今日はよろしくお願いしマース!」
玄関の扉を開けると、太一が予想してたのとは違う光景があった。
そこには鮮やかな花が咲いていた。
正確には、花のような笑顔があった。
「へっ?あ…………き、君は…………」
「あら?待ちきれなくてもう先に脱いでるんですか?んもー気が早いですよ♪」
クスクスと笑うのと同時に、ふわり、とピンク色のツインテールが揺れた。
太一の目にはそのピンク色の中でキラキラと輝く虹色LEDライトが、痛いほど眩しく、突き刺さった。
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