テラーノイズ
作者が意味もなく登場人物を殺すのには、理由は無いぞ。
東から太陽が昇る頃。
彼、増田幸太郎はいつものようにタイムカードを切り始発ともに帰宅する。
彼のデスクには、ここ1週間で飲み干されたエナジードリンクの缶が山積みにされ、仕事の悲惨さと過酷さ、彼の普段の生活を表した現代アートのようだった。
「お疲れ様です」
誰に言うわけでもない儀礼的な言葉。
今日の仕事が終わったという確認の意味も込めて、彼は呟く。
エナジードリンク特有の甘い匂いの部屋を後にし、背中を丸めて歩いた。
彼の背中へ手を振るように、室内に置かれたパッシブセンサーが点滅する。
照明と暖房器具は消され、僅かな静けさだけが残った。
数時間後には、他の社員が集まり仕事を始める。
静けさはこの時間の限定的なものであった。
「疲れた」と声に出したどれほど前になるだろうかと彼は考える。
この荒んだ作業に慣れてからは、口に出してはいない。
クタクタのヨレヨレになったスーツを隠すように、コートを身に纏う。
外は静かで、このまま自分が消えてしまっても誰にも気づかれないのではないかと彼は思った。
「・・・」
駅へと向かう道で新聞配達員に、挨拶されたので軽く会釈する。
「・・・」
朝の冷たい空気。
これから仕事に行く会社員、これから帰る自分を対比するようにコンクリートを踏みしめた。
白線の方向に彼が出た会社があり、今は逆を行く奇妙な感覚。
猫背の男は下ばかり見ることに慣れていた。
こうすれば他人と目を合わせないで済む。
自分が傷つかない甘えた選択肢。
彼が取れる最善手。
歩の駒のように、ゆっくりと確実に進む足。
人気のないこの通りなら、別にその必要もなかったので彼は久しぶりに前を見た。
カラスが、動物の死体を啄んでいた。
とても大きな動物だなと彼は思った。
犬でもなければ猫でもない肌色の皮膚をした動物。
全身をくの字に曲げて、血溜まりを作るそれはまるで人のようだった。
彼が近づくとカラスたちは、翼を拡げてそれから離れた。
彼の目に焼き付く死がそこにはある。
それは少女だった。
電柱に止まるカラスが彼へ向けて何かを落とした。
ベチャリ音を発てて彼の肩を汚す。
絵の具ように鮮やかな赤い色彩。
少女の肉片だった。
「ォエェ」
彼の吐瀉物はエナジードリンク特有の甘い匂いを放った。
先ほど通り過ぎた新聞配達員は挨拶ついでに、何か囁いていたのを彼は察する。
「おはようございます、この先で面白いものが見れますよ」
彼は汚物でイヤホンが汚れないように、素早く耳から取り外す。
そして、彼の習慣がまたひとつ終わりを迎えた。
サイレンと怒声と悲鳴、カラスたちの鳴き声。
彼の知る朝はこんなにも、騒がしくさまざまな音に溢れている。
聴いてきたどの音楽より刺激的で、とても魅力的に思えた。
テラーノイズ。
後に彼が会社を辞めて立ち上げる自然音楽バンドの名前とここまでに至る経緯。
ニューシングル『擬音祭り』は、まったく売れなかった。