暗愚王の幻夢(前編)
小雨のしとしとと降る中を足取りも重く、チャス王国の兵士たちはぬかるんだ道の中を黙々と下を向いて進む。
凱旋ならば小雨など意に介さず、意気揚々と仲間と自分の手柄と、出るかもしれない恩賞について語ることもできたろう。
仮に敗戦でも互いに励まし合い、肩を貸し、歯を食いしばって進めたかもしれない。
しかし今千を数える兵士たちの胸中にあるのはただ虚しさと敗北感、それだけである。
しかもグエン国王の無謀な命令に反抗して多くの騎士団遠征に参加しなかったために王国軍の構成の過半を占めている無理やり軍務を課せられて連れてこられた民兵と、金で雇われた傭兵たちの不満は鬱積するばかりだった。
民兵である農民たちはロクな手当ても支払われず、故郷はおろか国を守るための戦でも何でもない戦に駆り出されたことに不満を強い憤りを感じていた。
中には、
『無事に帰れるだけでもありがたいと思うことにしよう。』
と訳知り顔で呟くものもいたが、無論多数派であるはずがない、周囲の敵意に満ちた視線に射抜かれ口を閉ざすのがせいぜいだった。
傭兵たちも傭兵たちで戦勝の恩賞もなく、『活躍=略奪』の機会も与えられなかったことに不満は爆発寸前だった。
騎士団の不服従と言う、不測の事態に慌てたグエンが命令した傭兵の徴募。
手っ取り早く人数を充足させるために上手い話でグエンの勅命を受けた徴募官が彼らを引っ張ってきたまでは彼の見事な手腕と評価してよかったが、そのうますぎる話が今は逆に不満を充満させる結果となっていた。
グエン国王はそんな剣呑な空気を敏感に感じ取ったのか、中央に配した自らの乗る馬車の前後を近衛騎士団で固め、そんな彼らを最前列に民兵、最後尾に傭兵とまるで結託した暴動を恐れるかのように分断し、監視するという隊列に組直してしていた。
だが賢しげで姑息な自らの民や軍への露骨な不信感が透けて見える行為は、兵士たちの反発心を呼び、行軍を一層重苦しいものにしていた。
その中でひときわ快適な場所に居ながら、誰よりも怨嗟の声を上げている者がいる。
言うまでもなく、色欲に目がくらみ親征を余儀なくされたグエン国王その人であった。
「クソッ! クソッ! クソッ・・・!」
豪華で気品のある内装に誂えた馬車の中にまるで品の無い馬車の所有者の声が響く。
「皆が余に恥をかかせおって・・・! 余はこのチャス王国の国王なのだぞ?!」
三カ国合同の演習にかこつけた示威行動のための遠征はいたずらに三カ国それぞれの士気を下げただけに終わった。
国境を接して自分たちが行った演習とは比べ物にならない苛烈な演習がセント川を挟んだ対岸のガリア竜
隣騎士団によって行われ、三カ国の兵士たちはその様をまざまざと見せつけられたからである。
武威を示すはずが、逆に一戦も交えず強烈な敗北感を3ヶ国の兵士たちは植え付けられる結果になってしまった。
帝国から経費の手当てはされ、糧秣や、給金の心配はないものの、士気の阻喪は無形であるがゆえに深刻な損失だ。
王国の見せたものこそまさしく『武威』と呼ぶにふさわしい迫力と殺気を備えたものであり、三カ国の兵士たちはその錬度の高さ、装備の充実ぶり、魔術水準の高さに瞠目したことだろう。
竜骨山脈より出没する魔物に対してはともかく、王国騎士団に戦いを挑もうなどとは狂人の戯言だと三カ国の兵士たちは身を以て体感したわけである。
その中でも、グエン率いるチャスの軍勢はひときわ惨めだった。
夜通し対岸から上がる鬨の声や、魔法の爆裂音に満足に睡眠もとれずに怯える民兵たちが続出し、実際何人かは一種の精神的な病を患って故郷へ帰還する許可を出さざるを得なかった。
更に悪いことに、契約した当初に吹き込まれていた『楽な小競り合い』も、略奪の機会もなく、ただ王国の虚飾の為に利用されているだけだと知った傭兵が次々と戦場から官給品の装備など金目のものとともに公然と逃亡する者が現れ、幾人かを見せしめの為に処刑せざるを得なかったくらいなのだ。
当然軍紀が乱れ、士気は下がり、演習でも三か国中常に錬度も低く統率の取れていないチャスの兵士たちは足を引っ張り続け、冷たい視線が容赦なくネージとダーノの将兵から浴びせられた。
三カ国を統率する盟主としてシーンのいう通り、全軍に号令をかけ支配者としての愉悦を味わったのはほんの束の間、あとはひたすら二カ国の嘲笑と、自軍の将兵からの怨嗟の声に耐える日々だったのだ。
「王の親征をなんと心得る、愚物どもめ! 俗物どもめ! 怖気づきおって!」
傍らに侍らせた美童、ガルバートに這わせた手にも自然に力が入り、彼が身を固くする感覚がグエンにも伝わる。
馬車には自分と少年の二人しか乗ってはいない。
帝国から来た使者であるシーンにも同乗を勧めてはみたが、それは消極的で儀礼的な物に過ぎない。
「わたくしは帝国の騎士身分端に連なる使者とは言え、尊き御身とは比べようも無き下賤な身分。・・それに、陛下もお疲れでありましょうからガルバートにゆっくりと『介抱』させるのが宜しかろうと存じます。」
と、健気に言うのでそれ以上は特に強いることもなく、下賤な騎士身分に似合わず謙虚な彼の好きにさせておいた。
高貴な身分の自分からすれば彼の言い分は分を弁えた当然のものであったし、何よりその『介抱』という提案は魅力的だったからだ。
「おぉ、ゆるせガルバートよ。余は決して其方を怖がらせようとしたわけではないのだぞ?」
ようやく自分が我を忘れていたことに気づき、言い訳がましく猫なで声を作る。
「はい・・・陛下の大変なお立場は理解しております・・・。」
保護欲をそそるか細い声でけなげに答えるその少年の様子に少しだけ気がまぎれたようにグエンは感じられた。
「どうぞ、陛下。」
「あぁ。」
差し出された銀杯の中身を呷り、心を落ち着かせようと努力する。
魔法の力で冷やされた冷水が心地よく喉を通り、鎮静化された感情に少しだけ冷静な思考が戻る。
だがそれは自らの愚行に対する反省や、自戒へと向かう事はなく、この原因を誰に帰するべきかと言う思考へと差し向けられていた。
勿論、それは自分であろうはずがない、あの男・・・オストだ。
彼が素直に自分の命に従い、遠征軍を指揮していさえすればこんな事にはならなかった。
自分は王宮で何の心配もなく、ガルバートと戯れていられたのだ。
仮に何か失策があったとしてもそれは全てオストの責任であり、むしろそれを日ごろからあからさまに反抗的な態度をとるオストを失脚させる格好の材料として用いることもできただろう。
考えれば考えるほど、自分に落ち度はなく、オストの身分を弁えない愚かさが全ての事態を招いたのだと、グエンは『確信』するに至る。
他人から見ればそれは特権意識に凝り固まった、国王自らの歪んだ心が生み出した『被害妄想』
に過ぎないとしても、彼にとってはそれが真実であり、真の罪人であった。
「王都についたら見ておれ、過去の栄光と先帝の威光を振りかざすあの老いぼれめ! ただでは置かんぞ・・・!」
そこまで思考を進めるとようやく激情からくる体の緊張が薄れたのか、慣れない親征の疲れが一気に噴き出し、グエンはいつの間にか馬車に揺られて心地よい眠りへと誘われていた。
「よい夢を御覧なされませ、陛下。」
まどろみの中で、ガルバートの優しげな声が聞こえた気がした。
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いつの間にか眠りに落ち、随分と時間が経過したように感じられる。
目を開けるとそこにはガルバートの優しげな笑みがグエンを迎えるように待っていた。
「よい夢をご覧になられましたか陛下?」
「あ、あぁ・・・。 つい眠りに落ちてしまったようだな。」
場所はもちろん変わりない馬車の中である。
どれだけ眠りに落ちていたのかは定かではないが、外からうっすらと光が差し込んでいることから考えてそう長い時間ではないはずだ。
しかし・・・。
その違和感の正体に気づいてグエンは目の前のガルバートに問いかける。
「馬車が動いていないようだが? 大休止か何かか? そろそろ王都チェンドラにつくはずだったが。」
グエンの記憶ではその日の日没までに隊列は王都のチェンドラに帰着する予定であり、今夜は久々に快適な夜をガルバートと過ごせるはずだった。
だが今現在馬車は停止しており、外では多くの人々がざわめくような声が聞こえる。
いぶかしげな表情のグエンにガルバートはあくまでも笑顔で答える。
「えぇ、恐らくここがチェンドラへ至る最後の関所のはずです、陛下。」
「だから停まっているというのか?」
「えぇ。」
「しかし、隊列に先行させて近衛の先ぶれが向かっておるはずだ。 王たる私がこのような場所で留め置かれるなどあり得んはずだ!」
「それは、御自分の目でお確かめになるのが宜しいかと思われます。さぁ、参りましょう、陛下。」
グエンを虜にするような微笑を浮かべながらガルバートは線の細い、白い手を差し出す。
「あ、あぁ・・・。」
本来ならば無礼な提案と一蹴してもよいはずだが、グエンはその美しさと、心地よい声音に引き寄せられるようにその手を取り、ガルバートに導かれるままに馬車の扉を潜り、地上へと降りたった。
「・・・なんだこれは・・・。」
馬車から降り立ったグエンの目の前には信じがたい光景が広がっていた。
・・・グエンは、親征軍は軍勢に包囲されていた。




