冥府の番人
一方でウブンの軍勢の方でもあわただしい動きを始めたリジュンの防壁の様子を感じていた。
何より、激しく打ち鳴らされる鐘の音が彼らがすでに発見された事を雄弁に物語っていた。
「早いな! 奴ら気づいたらしいぞ!」
ウブンの族長ニーグは馬上から小さいころからの守役で腹心であるコムドへ向けてそう声を張り上げる。
速歩程度の速さとはいえ、さすがに軽装歩兵500騎と死霊戦車50騎の軍勢の行軍はかなりの音で、普通にしゃべっていては会話も覚束ない。
「そのようですな! 敵方にも優れた目を持つ者はおりましょう。見張り役なら尚更かと!」
ゆるやかな起伏はあるが、身を隠す場所の無い地形だ。
最ニーグたちとて最初から奇襲を望んでいたわけではない。
「別に発見されぬように進んできたわけでもないからな。このまま弓箭の間合いまで接近するぞ! 早いところ後ろの厄介者を処分してしまうとしよう!」
そう苦々しげな表情で語る。
振り返ったその視線の先には死霊戦車の軍勢があった。
彼らは戦闘能力は高い、おかげで自軍に損耗がない事は素直に感謝してもよかったが、寝ても覚めてもアンデッドの軍勢と共に行動するというのはニーグですら生理的な嫌悪感が付きまとう。
正直言ってニーグの心に真の信仰心というものは無い。
神がいれば・・・と思う場面でことごとく神は現れず、自らの力で道を切り開いてきた彼の心の中で信仰の泉はもはや枯れ果てていた。
ニーグはウブンの太陽神信仰を統治のための便宜上の道具としてしか見ていない。
だからこそ死霊系魔術を用いるという帝国の提案を受け入れたのだ。
だが、ニーグの兵士たちの中には熱心な太陽神である『アッサ』を信仰するものも多い。
厳しい自然の中で生まれたアッサ信仰では死は必ずしも厭うべきものではない、すぐ隣にあり、誰しも避けられない最後の神の祝福である。
が、だからこそ彼らにとって死者の魂を弄び、嘲笑うような存在である死霊戦車の軍勢というのはよほど嫌悪感を抱かせる対象らしい。
実際は死霊戦車にせよ、ユーリアたちが遭遇した死霊騎士であれ、その姿かたちは死霊系の魔術的な形象であるだけで、死霊系魔術の全てに死者の骨や、屍肉がモンスターの骨格として用いられているわけではない。
だがそんな事を説明したところでニーグの部下たちは納得しないだろうことは彼自身もよく分かっていた。
信仰も、嫌悪感も理屈では抗し得ないないことをニーグは十分理解していたからだ。
そしてニーグ自身、好きになれないという点については、信仰心抜きに賛成だった。
「全く同感です! リジュン攻略には役立ちますまい!」
横を駆けるコムドも同じ心境らしい。
「あぁ!『奴』をリジュンにけしかけるのが最低限の我らの役目だ。うまくいけば『刈り取り』の機会もあろうし、うまくいかなかったらいかぬでこれ以上帝国に義理立てする必要もなくなるからな!では行くぞ!」
言うなり後続の軍勢を振り返ると叫ぶ、
「死霊騎士どもよ! 我に続け! ウブンの民たる精強な騎馬兵たちよ! 諸君らはコムドと共に後ろから続くのだ! 私はリジュンの防壁を打ち砕く僕を召喚しよう! 防壁が崩れると同時にリジュンへ突撃だ! 財貨と女の欲しいものはこの機会を逃すなよ! アッサの恵みだ!」
「「「オオッ!」」」
無論それは神の恵みなどではない。
帝国の画策と自らの打算の融合物なのだが、虚飾も神も時には必要な方便として使える時には遠慮なく用いるべきだろう。
ニーグはそう達観していた。
駈足程度の速さになった死霊戦車の軍勢はニーグの指示通りやのどとかないで停止する。
リジュンの兵は、防壁上に群がっているが、攻撃手段もなく、静かにこちらの挙動を見守っているようだ。
ニーグは密集して、禍々しい空気を纏って蠢く死霊戦車の前に降り立つと馬に背負わせた革袋の中から木箱に収められ厳重に封印されたガラス瓶を取り出す。
中にはどす黒い炎のようなものが渦を巻いている。
ニーグは封印を慎重に取り去るとその小瓶を地面に置き、十分な距離を取るとニーグは発動の符牒を叫んだ。
「冥府の主よ! 我が贄を依代に、この世に彼の地の番人を遣わせ! 冥府瘴沼(インファ―ナルバグ)!」
その瞬間小瓶からどす黒い炎が意思を持つように迸り、巨大な炎となって円環状に死霊戦車の軍勢を取り囲むと、ゆっくりと死霊戦車の軍勢を侵食してゆく。
炎に舐められた死霊戦車の軍勢は溶けるようにその姿を失っていった。
カタカタと骨を鳴らしながら炎に呑まれていくその様は、より大きな死の力をまのあたりにした歓喜のようにも、存在が消滅する苦悶に身悶えしているようにも見えた。
やがて円環の中には地獄の坩堝で煮られているようにふつふつと泡立つ『冥府の沼』がゆっくりとできあがってゆく。
五十騎全ての死霊戦車を呑み込んだ死の沼がゆっくりと渦を巻く。
そして死臭と共に赤黒い煙を上げながら、大地が水を吸うようにゆっくりと地面に吸い込まれていく。
渦を巻きながら吸い込まれた中央付近には、この世と冥府とを接続する底を見通せない深く暗く、広い穴がぽっかりと開いていた。
次の瞬間ニーグは身震いを感じた。 その穴から何かが這い出ようとしている、死霊戦車よりも恐ろしい何かが。
「来た・・・! これか、奴らの言っていた防壁を易々と砕く巨人とは?!」
視線の先には冥府からこの世へ這い出ようとする存在が、冥府とこの世を繋ぐ穴に白い手をかけていた。
帝国の協力者は魔道具を差し出しながら自信たっぷりに言っていた、
『これを用いればリジュンなど腐った納屋に過ぎません。』
今までニーグはその言葉を決して額面どおりには受け取っていなかった。
(話どおりの・・・、いや実物はもっと・・・。)
自分は恐れを知らない強者だとニーグは信じてきた。
だがこの禍々しい物体はその自分をして畏怖の感情を抱かせる何かを放出していた。
冥府とを接続する穴からのぞいたその巨大な手は、無数の亡者の骨で組み上げられた巨大なゴーレムのものだった。
亡者といっても人間だけではない、動物の頭骨や様々な部位の骨、さらには明らかに人外のものと思しき骨、骨、骨・・・。
その骨との隙間を埋めるように、赤黒い色の腐肉が見える。
それはビクビクと脈打ちながら、尋常ならざる巨体を支え、構成していた。
正確にはこのような存在をゴーレムと言ってよいのかニーグはわからない。
骨と腐肉で構成された巨人、冥府の番人がその巨体をゆっくりと現し、ニーグの前に立つ。
リジュンの防壁を頭一つ越えるほどの背丈、その人外の規格を持つ分厚い体躯に比して頭部は異様なほど小さい。 そして魔物の頭骨のような細長い頭部には黒いガラスのような空虚な目が嵌め込まれている。
鼻は削げ落ちたように高さはなく、小さな穴が二つ開いているだけだ。
口があるはずの部分は、三日月形に裂けるように吊り上がった口が完全に避けてしまうのを防ぐように縫いとめるように荒々しく黒く太い糸で拘束されている。
見れば無数の白い骨は鎧のように全身を覆っていたが、腐肉との境目は判じることが出来ず、それは思うに鎧状の外殻であるように思われた。
身体の分厚さに比べて、やはり細く長い腕には長大な刃渡りのバルディッシュが握られている。
そのバルディッシュを大地に突き立て、この世のものとは思えない怪しい輝きを放つ刃を地上の光に照らしながら、冥府の番人はゆっくりと視線を下げ、ニーグを真っすぐ見ろした。
その姿は服従しているというよりも、自分を召還したものの器を見極めようとするかのような不敵な雰囲気を漂わせていた。
「くく・・・、本当にこれを制御できるのだろうな。帝国の犬どもめ・・・。」
それは不敵さを装った虚勢であり、巨大な死の存在に対するニーグの本能的な恐怖の呟きだった。
あの巨大な死がひとたび自分に降りかかれば、ひとたまりもない。
自分は一瞬で肉塊に変えられ、一瞬でこの命は刈り取られるだろう、自分たちが弱者に対して常にそう振る舞ってきたように。
(だが俺は強者であり続けねばならん、ウブンの民の為に!)
ここで臆するようならニーグは最初からこのような話に乗りはしない。
自分叱咤すると、懐から邪法によって力を封じられたタリスマンを取り出し、命令する。
発した言葉に共鳴するように、タリスマンが禍々しい輝きを放つ。
「依代を糧に現れし冥府の住人よ! 我が前に服従の証しを見せよ!」
「・・・。」
ニーグは痙攣するような動きで首を傾げた巨人が、その空虚な瞳で自分の目を覗き込んだ気がした。
時間が長く引き伸ばされ、その視線がべったりと自分に纏わりついてくるような感覚を感じる。
その耐えがたい一瞬の空白のち、
【ミシッ・・・】
乾いた物が擦れ合うような音が響き、冥府の番人はニーグの前に膝を折る。
防壁の上から見守るガリアの兵士たちからは勿論、背後に控えるウブンの兵士たちからも、形容のし難いどよめきがニーグの耳に届く。
驚愕と畏怖の感情が敵味方双方から等しく向けられているというのは皮肉な話だ。
それを聞きながら、満足気にニーグは次の言葉を巨人へ投げかける。
「リジュンの防壁を砕け! 巨人よ!やつらの砦を蹂躙しろ!」
理解の色など見えない、というよりも感情の機微を一切感じることのできない頭がまた痙攣するように傾げられる。
そしてゆっくりと立ち上がると、リジュンの防壁に向かって向き直ると右手に持ったバルディッシュをゆっくりと持ち上げ、状態をひねりつつ、左肩口まで腕をしならせると一気に振り抜いた。
【ビュオッ!!】
己の膂力を誇示するような動作のあと、二度ほど左右に頭を痙攣させるように振りバルディッシュを両手に持ちかえると、ゆっくりと無造作な足どりでリジュンの城壁へ向かって進んでゆく。
ある距離に踏み込んだ途端、防壁上の空気は一変した。
その光景に恐れをなし、ただ呆然と冥府の番人を見つめているように見えた王へ騎乗の兵士の腕が引き絞られた弓矢と共に空へ向けて力強く振り上げられる。
巨人が数十歩の距離を進んだ時、晴れた空にニーグたちは音を聞く、何度聞いても背中のざわつく、反射的に身を縮めたくなる音。
【ザアアーッ!】
それは天からの恵みではなく、ガリア王国の兵士が目の前の巨人を討ち果たすべく引き絞った矢の雨だった。
こうしてリジュンの攻防はニーグとコムド以外、この場にいる誰もが予期しない形で始まった。
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