ウブン襲来
リジュンの防壁の上に立ち、男は一人呟いた。
「ふむ、そういえばもう昼飯時だな。」
日が昇りきったこの時刻、街中では煮炊きの煙が街のそこかしこで立ち上っている。
貿易の中継地点であり、要塞都市でもあるリジュンの防壁の上に立った衛士のビゴワは町の内部に目をやると煙を目にしてそう呟き、反射的に自分の腹へと手をやる。
「そろそろ交代の時間だが・・・、腹がすいたな。」
彼は傭兵上がりで衛士の職にありつき、もう5年目だ。
がっしりした体躯にチェインメイル。頭は後ろを刈り上げ、前髪から横にかけてを一直線に切り揃え、ひいき目に見れば端正と言えるやや鷲鼻の下には見事な髭をたくわえている。
ビゴワは最近では小金も貯まったことだし、もう幾年か経って十分な働きができなくなったときの事を考え、王都の近くの村に畑でも買ってのんびりと過ごそうかと考えている。
ここリジュンでは衛士も、傭兵もその肩書きを名乗るに足る『本物』しかいない。
騎士などの戦力が少ないぶん、衛士はそれを補うだけの力量を求められたし、ウブンによる『刈り取り』だけでなく、雑多な無法者の寄り合いである盗賊や、モンスターすら出没するこの界隈では、実力の無い者は自然に淘汰されるのが道理だ。
自分もあと数年もすれば衛士の任に堪えないと判断されるだろうと、ビゴワは考えていた、誰しも老いからは逃れられない。
このような生業についているのなら尚の事それを突きつけられる。
(あと数年の勤めでこの稼業とも手を切るつもりだったって言うのに、物騒なことになったものだ。)
内心でビゴワが愚痴るとおり、採用のハードルこそ高いものの、いったん衛士の職を得れば、傭兵稼業などより今までは安泰に月日を送る事ができた。
衛士の職を得てから、リジュンの中で店を構える商会の娘と良い仲になり、2年前に10も年の離れた嫁として迎えた。
二人の間に子はまだないが、幸せな生活を送っている。
それもこれもこのリジュンの堅固な護りのおかげだ。
城壁は王都に比べれば質素なものだが、それでも石造りのそれは人の背丈に倍するよりも遥かに高く、少々の攻撃では小揺るぎもしない頑健さを主張していた。
城壁が完成して以降、不適な挑戦者は未だかつて現れていなかった。
しかし今回は今までとは勝手が違う。
彼の眼下に見える町の広場には天幕が張られ、多くの人々が身を寄せている様が見て取れた。
広場には大鍋がいくつかと、大きなパン籠が置かれ、炊き出しが行われている。
その鍋の前には、一切れの黒パンとスープを求めて、避難してきた人々が列をなしていた。
ここからは内部の様子までは窺い知れないが、教会や、商人ギルドの倉庫などにも避難民が集められており、そこでも同じような光景が起こっているに違いなかった。
その光景を見る限り、不慣れな生活に疲労の色は見えても、避難民の中に大きな不安や動揺は感じられない。
やはりビゴワが立つこの城壁と、それを守備する兵士の存在があり、リジュンの備蓄からの食料の供給が人々を安心させているからだろう。
リジュンの防衛を受け持つ竜炎騎士団が周辺の村々や街道の宿場町でウブンの軍勢が接近しつつあることを触れ回ったことで、周辺の村々から多くの住民がこの要塞都市へと逃れてきた。
商いの旅の途中でこの事態に遭遇した行商人や隊商のキャラバンも自らの不運を呪いながら避難して来ている。
その避難民たちの数およそ1,000人、そこへ元々の町の住民が1,000人が加わり、さらに常駐の竜炎騎士団100名。防衛のために派遣された有力な傭兵団を伴った王都に所属する竜炎騎士団30名を含む約100名。王都の衛士達、そして普段は対象の護衛などを主な生業とする護衛の傭兵などが防衛戦力に組み入れられた総計500人。
今やリジュンは2500人を擁するまでに膨張していた。
「しかし、本当にくるのだろうか・・・?」
ビゴワは、未だウブンがこのリジュン目指して進路を取っていることに信じられない思いだった。
確かにリジュンは要塞都市であるとともに、貿易の中継地点でもあり、地方都市の規模のわりに街は富み栄えている。
だが当然その甘い蜜を手に入れるまでには、そびえる防壁と、これを守護する竜炎騎士団率いる防衛部隊を撃破する必要がある。
とてもではないが自分がウブンの軽装騎兵なら、自殺願望でもない限りそんなところへ攻めかかるなど勘弁してもらいたいところだろう。
彼らはアッサという太陽の神を信仰しているというが、
「ウブンの民は太陽の神を信仰するというが、その教義では自殺でも奨励されているのかね・・・?」
そんな愚にもつかないことを考えながら、今度は城壁の外を見やる。
南の地平から順番に右から左、南から北へと視線をめぐらせる、未だ異常は見られない。
「?」
そのとき、僅かに視野の中央のあたりがざわつくような感覚に捕らわれる。
視界に物体として像を結ぶものはまだ見えない、だが間違い無く違和感を感じる。
周りを見るが、まだ他に異常に気づいた者はいないようだ。
「・・・。」
息を潜め、意識を集中させて目を凝らす。
「・・・。・・・。」
自然に押し殺していた呼吸が苦しくなってきたころ、ほんの少しのあるかなきかの違和感がだんだんと大きくなっていく。
視界の彼方のほんの少しの違和感は少しずつ実体化し、もやがかかったような微かな土煙が最初に見え始めた。
そしてさらにその土煙のもやの下、黒く蠢く塊が小さく見える。
「本気で来やがったか・・・。くっ・・・。」
ビゴワは無謀な敵を鼻で笑おうとして、喉が掠れてしまい、失敗する。
思ったよりも、事態に緊張しているらしく喉の渇きを覚え、手は緊張の汗をかき始めていた。
だが長年傭兵で鍛えてきた体と本能は、ビゴワの体を訓練どおりに動かした。
周りが何事かといぶかしがる中を一直線に走り抜けると、防壁の上に据えつけられた鐘に取り付き、乱打する。
【ガァン!ガァン!ガァン!】
「敵襲だ! 護りを固めろ! 今のうちに武器の手入れをしておけ! 若造共、時間は十分ある。 さっきの俺みたいに無様に慌てなくてもいいぞ、飯を食う時間も十分あるからな!」
そのビゴワの不敵な言葉に、鐘の音を聞いて緊張に顔を強張らせていた兵士たちはお互いに顔を見合わせ表情を和らげる。
ビゴワはその言葉で自分をも鼓舞しながらも、蠢く黒い影に言い知れぬ禍々しさを感じて一抹の不安を拭えずにいた。
(負けねぇ、負けるはずがねぇ。このリジュンの防壁に拠る限り、ウブンの兵がいくら来ようと何も心配することはねぇ・・・。じゃあ何故だ、なぜ奴らは向かってくる?)
内心で湧き上がる不安を吐き出すように、ビゴワはウブンの軍勢を睨みつけて言う、
「クソッタレめ! 俺は物わかりの悪い奴は大嫌いなんだよ! 人の飯の時間を邪魔する奴もな!」
やがてビゴワの警鐘を聞きつけ、兵士たちが続々と城壁の上に集まりつつある。
集まって来たのは防壁を守護する弓兵と、槍兵、騎士や傭兵の中で弓の腕に覚えのある連中だ。
彼らの顔は緊張が見えるものの、引き締まった顔で指揮官の指示のもと、或いは各々淡々と弓を放つべく準備を進めていく。
まだウブンの軍勢がここへ殺到してくるまでにはそれなりの時間があるがこれは最初の儀式のようなものだ。
お互いのそういった所作が集団心理を作り出し、互いの恐怖を鎮静化し、勇気を鼓舞する。
ビゴワも周囲の姿に今までの不安を忘れ、自分も背中に負った弓に手をかけると、自らもいつでも矢を放てるよう、準備を進める。
偉そうに言っておいてと自分でも思うが、取り敢えずそこまで済ませておかなければビゴワも多くの兵士同様食事をする気にはなれなかった。
その顔は精悍な戦士のそれであり、先ほどまでの感情の揺らめきはそこには読み取れなかった。
(来るなからこい! 自殺願望の蛮族め!)
ビゴワは回って来たパン籠からひったくるように黒パンを掴み取ると、景気づけのように豪快にかぶりついた。
地平の向こうの点は、少しずつ、だが確実に大きくなりつつあった。
お読みくださりありがとうございます。
ユーリアたちの幕間を挟んで、ウブンの視点から描きます。
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