やらないか?(審査官を)
少年にとって悲劇の一日が明けた次の日の朝・・・
「・・・。おはようございます、父さん。」
「お、おう、な、なんか口調も元に戻ったな。お前、顔がすごいことになってるけど大丈夫か?」
「えぇ・・・、なんとか。」
ジュトスにユーリアは低い声音で答える。目の下には黒い隈が浮かび、目は血走っていた。結局夜中身もだえしてロクに眠れなかったのだ。
しかしそのやつれた様子とは裏腹に、瞳には覚悟のようなものが宿っている。
そして決心したようにジュトスに向かって取引先に不始末を詫びる新人サラリーマンばりの勢いで頭を下げながらほとんど叫ぶように言った。
「父さん、今まで変なことばっかり言ってごめんなさい!」
しょんぼりしていたはずの息子にいきなり大声を出されて、のけぞりかける父。
「うぉっ?!げ、元気じゃねぇか。い、いやぁ、別に気にしてねぇよ。まぁ、騎士とか英雄とかそういうのに憧れることもあるよなぁ。」
昨日の今日である、あっさり更生(?)した息子に全力で謝罪されて逆に狼狽える父親。
その脇で、兄のジェイガンも何事かと弟の様子をうかがう中、少年はさらに言葉を継ぐ。
「いいえ!こんな地方の村の、貧乏鍛冶屋の次男が剣と魔法の世界の主人公になって最強主人公のハーレム状態になれるわけないことくらい、ちょっと考えたらわかるはずなのに!!僕のバカバカバカ!」
『がんがんがんがん』
そういいながら柱に頭を打ち付ける息子。
あわてて息子を羽交い絞めにしながら、言ってやる、
「まてまてまてっ! 落ち着け! なっ?! そしてなんでだろ・・・、なんか父さんすごく胸が痛い・・・。えーと、それは置いといて、だ。そんないつまでも気にすんな!勇者にゃなれなくてもお前は十分強くなれるさ!ハハハ!俺がみっちりしごいてやるよ。」
息子の悪気のない自己分析の巻き添えでジュトスは地味に傷ついていたが、同時に安心した。
昨日の様子なら暫くは立ち直れまいと思っていたが、我が息子ながら以外に立ち直りが早い。
クシャクシャとあの時のように乱暴に髪を撫でてやりながら、満足そうにジュトスは言うのであった。
それから、一度バーレナ老が訪ねてきた。
勿論ユーリアは穴があったら入りたい、という心境だったので父に用事があるというバーレナ老の姿を見かけただけで、脱兎のごとく戸外へ逃走していた。
ひとり木陰で体育座りをしながら、
「転生してきてごめんなさい、転生してきてごめんなさい、てんs・・・」
と数時間呟き続けて戻って来ると、ジュトスは何やら神妙な顔をしていたが、墓穴を掘るのも嫌で、何も訪ねることはしなかった。
父もそれについて何かを告げるわけでもなく、そのまま記憶の片隅にこの些細な出来事は埃をかぶる・・・。
こうして、剣と魔法の主人公ポジションの完全否定という、大きな挫折を味わったユーリア。
父の出張が終わり、村に戻ってから彼は「厨二病」モードの時とは違った意味で変わり始め、周囲を地味に驚かせていった。
ユーリアは再び変わった。 村に戻るなり、
「母さん、僕読み書きの勉強がしたい!」
そう言って、家事の合間や寝るまでの時間に母のユナから積極的に読み書きや簡単な計算を教わるようになった。
もともと王都の鍛冶屋の娘で店の商いも手伝っていた母。
今まで勉強嫌いで自分が水を向けてもちっとも勉強しようとしなかった息子が自分から勉強がしたいと言い出したことを随分喜んでくれた。
しかし喜んで教えながらユナは驚く。
息子は驚異的な速さで読み書きを覚え、計算はまるで最初から分かっていたかのように、一瞬で理解していったのだ。
「まぁまぁ、もう私がユーリアに教えられる事は無くなっちゃったわねぇ。ちょっと寂しいわねぇ・・・。」
そして数か月ほどで、ユナが教えられることは全て無くなってしまう。
早々と若干の寂しさを覚えながらも、もっと勉強をしたいとせがむ息子を母は喜び、引退して村に住んでいた元王都の徴税役人だったローグの家へ通わせる事にした。
「ほう? この幼さでそこまで勉強熱心とは感心な事じゃ! よろしい、ユナさん、お任せ下され!」
勉強ができるのはある意味当然である。
腐っても、ゆとりだなんだといわれても、少年のもと居た世界の高等教育の水準は、いま彼が生きている識字率が1ケタレベルのこの世界に比べてはるかに高い。
「あの呪われた無駄知識さえ無かったら、素直にあの世界の僕に感謝できるのになぁ・・・。」
ユーリアの声には11歳とは思えないしみじみとした感情が混じっていた。
まぁ前世では18歳くらいの年齢だったのだから多少は大人びていないと困るのだが。
いま冷静になって考えれば、どうやら彼の前世はあの世界の住人の中でもかなり偏った趣味の持ち主だったようである。
だが今さらそれを言ってみたところでどうしようもない。
黒歴史が消えるわけではないのだ・・・。
『あの時の自分は特別な存在なのだという前世の某菓子メーカーの謳い文句のような勘違いをしていた事に今は気づいたのだからまだまし。』
そう自分に言い聞かせることにした。
さて、通い始めた最初の頃こそ、ジュトスの稼ぎからローグ老人に心づけ程度の報酬を支払っていた。
だがすぐにユーリアは村人の手紙を読んで聞かせたり、代筆したり、村長の事務仕事を手伝ったりしながら手間賃を貰い、自分で老人へ月謝を払うようになった。
「これ、今日村長さんのお手伝いをした分のお駄賃ね!それと、エスタちゃんのお父さんの手紙を書いたお礼にって貰ったよ!」
そして余分に稼いだ金や、現金収入のない村人からもらった野菜などの現物報酬は全て家族へ渡していた。
「あらまぁ、村長さんから銅貨を頂いたの?それにジャガイモに人参も!ユーリアにお勉強を教えて、まさかお母さんにこんな良い事があるなんてね、うふふふ。」
「ふーん、お前の勉強バカもちっとは役に立つじゃんか。」
鍛冶を生業にしている分、ジュトスのもつ畑はユナと家族が鍛冶仕事の片手間にやっている規模なのであまり大きくはない。
自家栽培で足りない分は鍛冶仕事や、少ない現金収入と引き換えに村人から融通してもらっていた。
それだけにユナや兄などは表現こそ違え、ユーリアが勉強熱心になったことによる思わぬ副産物に素直に喜んでくれた。
そしてさらに勉強好きの少年の誕生を喜んでいたのは、意外にもローグ老人である。
引退後の蓄えと僅かな田畑を頼りにした悠々自適の人生。
とはいえ、王都で出会ったこの村出身の妻にも先年先立たれ、日がな一日ぼんやりと刺激のない日々を過ごしていたので、いきなり飛び込んできた知的好奇心旺盛な少年の訪問を随分喜んだ。
「フォッ、フォッ、フォッ。ジュトスのところの息子は本当に覚えが良いのう。どれ、じゃあ今日は何を教えようかのう・・・。」
役人時代に培った会計術を活かした数学や、村長の家とローグ老人の家にしかない書物を使っての歴史や地理の授業をしてくれた。
そして・・・、
「その時じゃ!ワシはその悪徳商人の武器庫の裏に隠された大量の隠し財産を発見したんじゃ。なぁに、帳簿を多少いじったところで、かぁーっ!!甘いっ!!こぉおの『王都の金庫番』と言われたワシの目はごまかせんのじゃっ!!よいか?!まずじゃな、丁稚に小遣いを握らせるじゃろ?そして裏帳簿やら、隠し倉庫の在りかをあらかじめ押さえておくのじゃ!さ~ら~に!!・・・」
「わ、わぁ。す、すご~い。さすがローグ先生!(棒読み)」
・・・、身振り手振りを交え、血管が切れそうな勢いでいかに自分が徴税役人として辣腕を振るったかという武勇伝(?)のような生々しすぎるちょっとアレな知識まで。それはもうユーリアが引くくらい嬉々として、いろいろと教えてくれたのであった。
こうして今まで通り、いや今まで以上に父に熱心に父に剣術や槍術を教わる傍ら、ローグ老人に前世の中~高等レベルの学問やちょっとアレな知識まで仕込まれつつ、歳月は流れユーリアは16歳になっていた。
この春にはジェイガンが家族の元を離れ、王都のジュトスが師事した鍛冶公房に徒弟として旅立っていった。
そんな家族3人で暮らすようになったある日の晩、アーダン村長が珍しくジュトスの家へ訪ねてきた。
日ごろ村長宅に出入りして、雑務の手伝いもしているのでユーリアにとって村長は親しみの沸く人だが、家を訪ねてくることは普段はほとんどない。
そして勧められるままに恰幅の良い体をゆすりながら椅子に掛けると、おもむろにユーリアに話を切り出す、
「ユーリア君。どうだ、突然なのだが王都で審査官の試験を受けてみる気はないかね?」
そう人のよさそうな笑みを浮かべながら聞く村長にユーリアは問い返した、
「審査官、ですか?」
それは、本当に、突然降って沸いたような話だった。
だが、その村長の一言がユーリアのこの先の人生を大きく変えていくことになる。