臭うんです(物理)
そこでふと大事なことをユーリアは思い出した。
「あれ?でもさ、お前さっき大丈夫とか言ってなかったっけか?」
ジト目で問うユーリアに明らかに動揺するフルー。目が生まれたてのおたまじゃくしのように泳ぎに泳ぎまくっている。
「い、いや、あの時はちょっと、そのぉ、近くの行商の屋台の匂いとか、ね?不穏な気配を感じた私こと補佐官フルーはその疑惑の串焼き屋に目を光らせてたのである!(キリッ!)
全くけしからん!串焼きの香ばしいにおいがけしからnfがっふ!ゴ、ゴ、ゴメンナサイ、タイイタイイタイ!!!」
ユーリアが微笑みとともにこめかみをぐりぐりと圧迫するとフルー苦悶の表情で必死にその両腕から逃れようとする。
「うう、パワハラや、パワハラやで・・・。」
そう言いつつ、軽やかにフルーはノーモーションで荷台へと飛び上がる。
こんな風に、剣技ならともかく正直言って純粋な身体能力はフルーのほうが高い。
まぁそれもおふざけの範疇ということなのだろう。
・・・飼い主と飼い犬の図とも見えるが。
するとやおらフルーは大柄な体を屈めながら積荷を無造作に掴んで馬車の外へ放り投げ始めた。
「あああっ!ちょっ!まてまてまて!このバカ!積荷は丁寧に扱えっていってるだろ!あ~っ!ふんっ!(ガシイッ!)」
「な、何事ですか、いきなり!?あぁっ!その絨毯はアルフェ候様の!!とうっ!(ムンズ!)」
放り出される積荷をバルタスとともに必死に受け止めながら叫ぶユーリア。
その声に冷静さを取り戻し、賢明にもフルーのツルツル脳みそに話は通じないと判断したのかバルタスはユーリアに向かって猛然と抗議を始めた。
「ちょっと!ユーリアさん!いきなりどういうことですか!?
この無礼な補佐官を止めてください!私の大事な商売の種を乱暴に扱って!上官の方へ厳重に抗議させていただきますよ!」
そこには先ほどの気持ち悪い笑顔も低姿勢もかけらも残っていない。
商魂たくましい商人の顔そのものである。
しかし、そこには大切な商品を守ろうとする商人以上の必死さが滲んででいるようにも見えた。
その剣幕と、荷物が次々と荷馬車から放り出される光景にようやく周囲もざわつき始める。
そんな集まり始めた野次馬をしり目にゆっくりと優しく受け止めた木箱を地面におろしながらユーリアは考えた。
この木箱一つ分、いや、下手をすると毛織物一つでもユーリアの月の俸給は消し飛んでしまうだろう。
毎日黒パンと水だけの生活など真っ平だ。
(フルーのリアクションでユーリアも大方この後の展開が見えてはいるんだが。
それにしても万一審査官詰所に不服でも申し立てられて、積荷の弁償ともなればとても支払いきれないよなぁ。)
最も、予想通りの展開ならこの商人達はそんな事を言っている余裕も無くなるだろうけど・・・。
「まぁ、まぁ。落ち着いてください。フルー補佐官が、無礼で、粗野で、脳筋なのは否定しませんが、いちおうこれも我々審査官の職権の範囲ですから。
もうしばらく、お付き合いください。」
微笑しながら同僚をさり気なくディスっている審査官にバルタスは狼狽えていた
「い、いや。誰もそこまで言っては・・・。いや、そんなことよりも!---」
クドクドと抗議を続けようとする彼の前にお役所仕事と同じようにゆるゆると手を挙げてさえぎるとゆっくり、だがはっきりとユーリアは言った。
「まぁ、見ていてください。彼の知性は信用していませんけど、彼の「鼻」に僕は絶対の信頼を置いていますから。」
「は、鼻ですと?(あれ、いま知性は信用してないとか酷いこと言わなかったか・・・?)」
「ええ、普段は隠れていますけど今はあそ・・・失礼、職務に集中しているので見えてしまっていますね・・・。ほら、あのように。」
ユーリアが指さす向こうには前世のシベリアンハスキーばりのフサフサの尻尾をブンブンと高速で振っているフルーの姿がある。
「なっ!じゅ、獣人!!なぜこんなところに獣人が?!」
狼狽えまくるバルタスに、こともなげにユーリアは答えた。
「そうです、獣人です、珍しいとおっしゃるのも無理はないでしょうね。
彼らの種族は閉鎖的な部族社会で、本来ほとんど人里には出て来ないみたいですから。
彼とはひょんなことから知り合いになりましてね。
さて、そういうわけでいい加減お分かりいただけましたか?私が彼の「鼻」を信頼する、そういった理由を。」
淡々ととんでもないことをサクッと説明して、ユーリアが眠たげな目に少しだけ意思のこもった視線でバルタスを見つめると、明らかに彼の顔色が青ざめていくのが分かった。
バルタスの顔色が急激な変化を見せていると、いよいよ大きくなりつつある騒ぎに我慢できなくなったのか、御者台を離れてレギナも駆けてきた。
「いったい何事ですか?この放り出された積荷の山はどういうことなんです?!」
その前にトルテが杖をかざして立っていた。
「今フルー補佐官が荷馬車の中を改めている。これ以上接近せず、待機してほしい。」
テルトが杖を静かに地面に突き立て、レギナの行く手を阻んでいる。
得体のしれない魔術師に行く手を阻まれ、推し通るわけにもいかず、その謎の圧力に困惑していた。
額には既に暑くもないのに汗の玉が浮かび始めている。
その時、フルーはようやく何かを探し当てたようだ。
「えーっと、多分この辺に・・・!お、これだ。」
積荷を降ろし、底板が剥き出しになっている部分、その端にわずかな木製の突起があった。
それをスライドさせるとカツンと僅かな音とともに手ごたえがある。
「ビンゴーって!!じゃっ、あけるぞー♪」
「ちょ、ちょっとまっ!」
緊張感もなく、誰の返事を待たず、勿論うろたえまくりのバルタスの声は完全にスルーして、フルーはご機嫌な様子でぶんぶん尻尾を千切れそうなほど振っている。
・・・完全に「ここ掘れワンワン!」状態である。
セルフだが・・・。
フルーはバルタスの悲痛な叫びを無視して、無造作に底板に手をかける。
荷台の半分ほどの面積の底板部分が開き戸のように跳ね上がった。
「はい、バルタスさん、レギナさん。アウトー。」
フルーが誰に言うでもなく、宣言する。
その開き扉を跳ね上げた中、荷馬車の床は二重底の仕掛けが施されていた。
仕掛け扉の中には静かに寝息を立てる2人の人影が、藁を敷いた上に毛布を掛けられて横たわっていた。
年齢は10歳前後、幼いため性別は定かではない。
これだけの騒ぎでも目を覚まさないところを見ると、薬か魔法の類で眠らされていると考えるべきだろう。
容姿と言えば、褐色の肌で長い睫と、眠っていても分かる切れ長の目、そして漆黒の髪は王国は勿論リタの一般的な顔立ちとも違う。
「これは確か、トライバの民か?また珍しいところから連れてきたものだ。非合法奴隷か・・・。」
ユーリアは荷馬車を覗き込んで見るなりそう呟く。
ユーリアの知識ではリタ王国の南で未だ部族社会で生きる少数民族の顔立ちに似ているように思えた。
ここまで秘密裏に運ばれてきたのだ、まず間違いなく奴隷として、それも希少価値の高いとびきりの珍しい奴隷として。
もちろん、非合法に。
ガリアは長らく大きな戦争を経験していないから、奴隷制度は廃れつつある。
しかし小競り合いなどで戦争での捕になり、身代金を払ってくれる身内がいない場合、兵士や国境沿いの村の人々が奴隷となることがないわけではない。
他にも借金や、犯罪でいわば懲罰的に奴隷身分へ落されるパターン、そして残念なことに「口減らし」の為に金銭と引き換えに農村で奴隷商へ売られる幼子も数は多くないが居るのが現実だ。
しかし、原則として奴隷主は奴隷を虐待したり、生き死にを自由にすることは認められていない。
「奴隷といえど王国の臣民の一人であり、そうである以上奴隷主であっても奴隷を無下に扱うことはまかりならん。」
そう明言した初代の王の言葉があるからである。
王は辺境の貴族の家柄でに生まれ開明的な父と慈悲深い母のもとで育った。
奴隷出身の幼馴染と共に、家庭教師のもとでわけ隔てなく扱われて育った。
その奴隷出身の幼馴染はその家族と彼に報いるため、建国直前に亡くなるまで献身的に王を支え続けた。
王はその幼馴染の死後になって報いるため、それまでの他国と同じ過酷な奴隷の扱いを改めさせたのである。
彼は、奴隷出身であるがゆえに3賢として讃えられはしなかった。
残念ながら当時は奴隷制度の全盛であり、制度自体を廃止することはいかに王と言えど不可能であったが。
現在は奴隷主は経済的な余裕のある貴族や、騎士、大店を構える商人たちが多い。
世間の風評を気にする立場でもあり、初代の王の方針もあって、ノブレス・オブリージュ(高貴なるものの義務)のような精神が働いている結果、労働は徒に命を縮めるようなものではなくなっている。
衣食住が保証され、給金も市民ほどではないが与えられるので真面目に働けば犯罪奴隷以外は自分を買い戻し、自由民になることもできる。
このように、普通の奴隷であれば貧民窟に堕ちることなどに比べればそこまで悲観する立場でもないのだが、非合法な奴隷はそうではない。
王国公認の奴隷商を通さずに売買される今回のような非合法な奴隷は、決して自由が与えられることはない。
奴隷主の館の奥、ある日は地下の牢獄に捕らわれ、ペットか、性奴隷か、ストレスのはけ口として虐待されるかして、飽きられれば秘密裏に処分されてしまうしかない。
違法奴隷とは、そのような一片の救いもない存在である。そこまで思い至ってユーリアは気が重くなった。
前世の世界にも身の回りに無かっただけで、別の国や別の文化に行けばそういった類の酷い話はいくらでも転がっている。
だからと言って、違法奴隷など、平和な前世に生かされてきたユーリアが許せるはずがなかった。
自然、その不快さの張本人への口調は静かな怒りがこもっていた。
「これは、一体どういう事か。説明していただけますか?」
そう静かな怒りとともに問いかけられた二人は、震え始めていた。
お読みいただきありがとうございます。感想などお待ちしております。