旧 第一話
人生、いつ何が起こるかわからない。
人生の転機とは突然やってくるものだ。
「よしっ、準備完了」
僕の名前は綾樫妖。名前の影響もあって、人より少しだけ妖怪なんかに詳しいだけの男子高校生。呼び名が名前の妖じゃなくて綾ちゃんだったり、よく可愛いとか女々しいとか言われるが、断じて男だ。昔から文化祭なんかのイベントの度に女装を強要されたという苦い思い出を抱いているが、イジられ気質なだけだ…………男らしくなりたいと切に願う。
それはともかく、今日は近くで行われる妖怪博覧会に出掛ける。有名な霊媒師さんや作家さんなんかがやってくるとあって大人気だ。
僕ももちろん予約した。しかし結果は……抽選落ち。僕は自分の不運を呪った。妖怪好きから足を洗おうとすら考えた。それほどのショックを受け、絶望していた。
でも、人生は何が起こるかわからない。
なんと、落ち込んでいた僕の為に叔父さんが知り合いに頼んで入場券を用意してくれた。
正真正銘本物の入場券。神様がくれたご褒美。
僕は決めた。将来は妖怪に関する職に就く。そして世界中の人に妖怪の面白さ、怖さ、可愛らしさを知ってもらうんだ。
まさに人生の転機。妖怪を趣味で止めようと思っていたけれど、妖怪好きを職にしている人に会えるまたとない機会だ。
「行ってきます!」
僕は走り出した。博覧会の会場に向かって。何よりも、僕の夢に向かって。
人生は何が起こるかわからない。
人生の転機とは突然やってくるものだ。
それがたとえ、死だとしても。
その場の空間の様子が手に取るようにわかる。
すべてがスローモーションのように感じられた。
横断歩道の途中で固まる僕の体。
目の前に迫る、日を遮る大きな車体。
ブオオオオ!!というトラックの重くのしかかるようなクラクションの音。
車体を止めようと回転を停止して道路と擦れるタイヤの音。
周りの人達の悲鳴。
運転手の焦った顔。
必死でハンドルを切る手の動き。
自分の体のことですらまるで他人事のように感じられる。
まるで動かない足。
声の出し方も忘れ、それどころか呼吸の仕方すらわからない。
それでも僕の意識はハッキリしていた。トラックの車体が僕の体に触れ、僕の体が宙に舞う。その時まで。
(んぅ……こ、ここは?)
僕は目を覚ました。ここは多分天国。
(天国といえば白い光に包まれて、とても広くて暖かい天上の国――じゃない!!!)
僕の想像する天国とまるで違うことは一瞬でわかった。
真っ暗で狭い空間。
鉄の匂いとオイルの匂い。
(天国とは真逆の場所……つまり……地獄!!??)
冗談じゃない!!
自分で言うのもなんだが、地獄に堕ちるような悪人ではないはずだ。
人にはなるべく優しく接していたし、暴力なんて……子供の時以来振るったことはない。きわめて善良な人間だ。
抗議の気持ちから体が前のめりになる。
(体が……前のめり?ということは、肉体がある!)
頭では理解していても体は咄嗟に動かない。
僕の体は目の前の壁に激突――しない。
壁は僕の体が触れるとスーッとその身を引いた。
「う、うわああああああ!!!」
壁がその役目を放棄した結果、僕の体を受け止めたのは硬く冷たい床だった。
「痛つつ……こ、ここは……?」
したたかに打った肩を擦りながらうつ伏せのまま辺りを見渡す。
見渡す限りに見たことの無い意味不明な機械が並んでいる。
「おおおお!!!我が愛しのチャッピー!!!」
突然、どこからともなく女の子の声がした。
「えっ、ふぐうう!!」
振り返る間もなく、僕の頭は声の主によってガッチリとホールドされてしまった。
(あっ、女の子なだけあって柔らか――くないっ!!!)
今まで女の子とここまで触れ合った事の無かった僕の幻想は瞬時に打ち砕かれた。
柔らかいと感じたのはほんの一瞬。女の子が力を込めると同時に肋骨がゴリゴリと顔に当たる。
皮膚と僅かな脂肪に遮られるだけでは肋骨の硬さは誤魔化せない。
「痛だだだだだっ!!!や、やめっ」
「ん?声?き、貴様チャッピーじゃないなっ?!」
僕が悲痛の叫びをあげると、女の子は僕の頭を放って飛び退いた。
「痛つつ~……えっ……」
ジンジンと痛む左頬を擦りながら女の子の方を見上げた僕は言葉を失った。
金髪に長いツインテール。澄んだ碧色の瞳に大きく綺麗な釣り目。尖った耳に小さな鼻。小さな口とそこから覗く八重歯。ヒラヒラとした黄緑色の服。その服を纏った推定一桁か二桁の境目程度という小さな体。そして何よりも、小さな体から生えている透明な羽。
まさしく妖精のような――いや、妖精の女の子がそこにいた。
妖精といえば自由気ままで可憐な少女の姿で描かれることが多いが、この女の子はまさにそのイメージ通りの妖精だ。
華奢な体から溢れる溌剌とした元気。それでいて可憐さは失わず、さらには――
「おい貴様、私のチャッピーをどこへやった。このクズ野郎」
そう、毒舌で…………毒、舌?
「何寝ぼけた顔をしているんだ?私のチャッピーをどこへやったかと聞いているんだっ!」
「うぐっ!」
うつ伏せの僕の無防備な脇腹に蹴りが突き刺さる。女の子の力といえども、これは痛い。
「ぐううう……」
「さっさと吐け。チャッピー不足の私は、そう気が長くないんだ」
僕は反論も出来ず、ただ痛む腹を押さえて蹲ることしかできない。
「チッ、仕方ない」
妖精の女の子は舌打ちをしてその場を離れた。どうやら見逃してくれたりは――しないようだ。
ギュイイイイイイイイ!!!という禍々しい金属音が聞こえてくる。決して心地のいい音ではない。その音が不安を煽る。
「拷問でもしてみるか」
そんな物騒な言葉を口にしながら妖精の女の子は戻ってきた。
その手には丸ノコと呼ばれる電動ノコギリが握られている。妖精と電動ノコギリというアンマッチさがさらに恐怖を増幅させる。
「指を一本ずつ落としてみるか?」
電動ノコギリが僕の指先に迫る。
死んだと思ったら今度は拷問。あまりにも壮絶すぎる人生の転機に僕は絶望した。
この一件で僕の妖精に対する印象は大きく変わった。
容姿は変わらず自由気ままで可憐な少女。しかし、その内面は毒舌で暴力的。そして――
「ほら、動くなっ。もっとチャッピーらしくしてろっ」
「は、はい……」
とてつもなく横暴だ。
電動ノコギリを突き付けられた僕は必死で弁明した。意外にも話が通じる人物で、拷問は回避できた。
しかし、チャッピーとやらの代わりを務めさせられ、軽くヘッドロックをかけられている。
どうしてこんな目に……。
「どこにもミスは……」
妖精の女の子はさっきから機械のパネルをいじっている。まるで何をしているかわからないが、イライラとした空気は感じ取れた。
「ん?あーもうっ!私としたことが、座標の設定を間違えていたなんて……」
自身のケアレスミスに気付いた妖精の女の子は頭を抱えて叫んだ。
どうやら、非は僕ではなく妖精の女の子の方にあるようだ。これで僕も解放されるだろう。
「これで――よしっ、スイッチオン!!」
座標の設定をやり直した妖精の女の子は意気込んで起動スイッチと書かれたスイッチを押した。
「…………」
「…………」
何も起きない。
「だーっ!もうっなんでだっ」
妖精の女の子はイライラとパネルを殴りつけた。
「邪魔だ、退け!」
「は、はい」
妖精の女の子は僕を突き飛ばして他と比べても一回り大きな機械の方へと歩いていく。一応解放はされたものの、イライラとした空気が突き刺さって居心地は最悪だ。
「いったいどこに問題が……」
ブツブツと文句を言いながら扉の付いたカプセル状の何かの中を確認している。
「あっ、もしかして……」
何かに気付いたのかすごい勢いでカプセルから出てきて、横に備え付けられた大きな機械の小さな扉を開いた。
「ああああっ!!!やっぱり!!!」
小さな扉の中を確認した途端に妖精の女の子は叫んだ。
「おい貴様、来てみろ」
「は、はい……って痛い痛いっ」
妖精の女の子に促されるままに近寄っていくと急に髪の毛を掴まれて無理矢理に扉の中を覗かされる。
中には二本のコードと謎の台座。そして周りに散らばったキラキラとした欠片。それ以外の物は見当たらない。ただでさえよくわからないものなのに、痛みもあって見たままの状態しか頭に入ってこないのでさらにわからない。
「えっと、これが?」
「わからないのか?!マテリアが粉々に砕けているんだ!」
まるで『お前はそれだけの罪を犯したんだぞ』と自覚させようとしているようだが、そう言われてもさっぱりわからない。わからないものはわからない。
「あの……マテリアって何ですか?」
「はあ?マテリアは魔力の結晶だろ?そして高純度の雷のマテリアがこの機械の動力源だったんだ。それが粉々に――」
そこまで言葉を発したところで妖精の女の子は何か考え事を始めた。
「さっきの座標……」
「あ、あの――」
「言うな!自力で導き出せる」
妖精の女の子は俺の言葉を遮って考え事を再開する。
「世間知らず?違う……遠い土地の民族?いや、マテリアを知らずには生きられない……そうかっ!さっきの座標、あれは異世界のものだったのか。それなら貴様がマテリアを知らないのも頷ける。しかし……まだ……」
一度パッと表情が明るくなったと思ったらまた考え事を始めた。
「お、おい貴様っ!」
「うわっ」
妖精の女の子は興奮した様子で飛び掛かるようにして僕の胸倉を掴んできた。その拍子に僕はバランスを崩して後ろに倒れ、押し倒されるような状態になってしまった。
「貴様の世界はどんなものだ?本来ならばこの『物質転移装置』は生物を転移できない。なのに貴様は生きたままこちらに来た。いったいどんな状態でこちらに来たのだ?」
妖精の女の子は未知の事象に遭遇した興奮からか、小さな体を弾ませる。
胸と違って適度な脂肪の付いたお尻が僕の腹部へと押し付けられる。肋骨とは違って今度こそ柔らかい。
「ぐうっ、ぐうっ、ぐえっ」
いくら柔らかいといえどこちらは腹。ほとんど内臓でしかない部分に体重をかけられれば当然苦しいものだった。
「なるほど、そういうことだったか」
僕は床に正座させられて色々と説明をさせられた。色々と知りたいのは僕の方なのに。
「そのトラックとかいう殺人兵器によって命を落としたはずが、何故かこちらの世界に来ていた、と」
妖精の女の子はテクテクと歩き回りながら僕の説明を整理して繰り返した。
「まぁ殺人兵器じゃなくて移動用の乗り物なんですけど……」
「何が違う?お前を殺し得るものであった以上、それは兵器以外になんだというのだ」
「いやぁ……まぁ……」
僕は何も反論できなかった。
(車は高速で移動する為には必要な発明で……でも事故を起こすと人を殺めてしまうくらい危険で……それは兵器と変わりなくて……ん?なんかもうこんがらがってきた)
なんとか反論しようと必死で頭を捻るが、余計にわからなくなってしまった。
「まだ仮説に過ぎないが、死に瀕していたことで貴様の中で生死の境目が曖昧になってしまった。よって生物が転移できないはずの『物体転移装置』によってこちら側に転移させられた、と」
妖精の女の子はブツブツと論じているが、僕にはまるで理解できない。自分の身に起きたことでも、最も理解できていないのは僕自身だ。
「とにかく、生物である貴様が転移されたことでマテリアに対して想定外の負荷がかかった。それによりマテリアは砕け散った。つ・ま・り……」
妖精の女の子の指が僕の眉間に突き付けられる。
「貴様の所為だ。損失したマテリアの弁償はしてもらう。あれは高く付くぞ」
「そ、そんなぁ……」
僕は涙目になって抗議するが、妖精の女の子はまるで同情などする気配はない。
「そうだな。天才発明家である私の元で働いてもらおう。助手にするのもいいが……そうだっ!貴様、私の発明品を売ってこい」
人生の転機。
決していい方向にばかり転がるものではない。
新天地で新しい職に就く。確かに希望していた妖怪に関する仕事。しかし、妖精が雇い主だなんて仕事は他にない。ましてや、その妖精が性悪だなんてなおさらだ。
「雇い主として命じる。名を名乗れ」
妖精の女の子は部屋の端に置かれていた、とても大きくてフカフカそうなソファに腰掛けて足を組む。
これでもかという程の上から目線。それでも僕の雇い主。逆らうわけにはいかない。
「綾樫妖です。これからよろしくお願いします」
「ああ……よろしく。アヤカシヨウ……貴様でいいか」
せっかく名前名乗ったというのに、貴様という呼び名からの昇格はなし。なんていい加減な……。
「それでは仕事内容を――」
「あ、あのっ」
「ん?なんだ?」
早速説明を始めようとしたのを咄嗟に遮る。
「お名前を教えてもらってもいいですか?」
いつまでも妖精の女の子では不便極まりない。この際だからお互いに名前を把握しておくのがいいと考えてのことだ。
「私の名前か……」
妖精の女の子は何故か言いよどむ。名前に嫌な思い出でもあるのだろうか?
「確か……ティナ、だったかな?そう呼ばれていた気がする」
自分の名前だというのに、何故かハッキリしない。
「ティナさん、ですね?何故ハッキリしないんですか?」
「そうか。貴様は何も知らないんだったな。仕方ない、まず初めに私が色々と教えてやろう」
そう言ってティナさんは雑に積まれた機械的な何かの山の中から何かのボードを取り出した。
「こいつは『カキカキボード』といってな。かなり前に発明した物だな。だが機能はしっかりしている。専用の石で文字を書くことができる。擦れば文字を消すこともできるのだ」
ティナさんは『カキカキボード』と言っているが、見た目も機能もそのまま元居た世界でいう小さな『黒板』だった。
「まずはこの世界について。この世界は『マガティム』と呼ばれる世界」
ティナさんは『カキカキボード』に『マガティム』と書いて、そこから大きな円を描く。どうやら図解付きで説明してくれるらしい。
粗暴な性格とは真逆に字はとても綺麗だ。性格は字に現れるというが、存外アテにならないらしい。
「そしてマガティムには多くの『アニマ』が住んでいる」
今度は『マガティム』の円の中に『アニマ』と書き入れる。さらにそこから円を描く。
「アニマの中にも色々な種類がいる。私のような『ヨウセイ』。他にも『バケネコ』や『キュウケツキ』なんかもいる」
『アニマ』の円の中に『ヨウセイ』『バケネコ』『キュウケツキ』と書き入れる。
どれも聞いたことのある妖怪なんかの名前。しかしカタカナで書かれている。『物体転移装置』を聞くに漢字がないわけではないだろう。カタカナである意味がわからない。僕の知る『妖精』や『化け猫』なんかとは何かが違うのだろうか?目の前の『ヨウセイ』を見る限り、『妖精』との差は……大いにあるように思える。
僕の知っている『妖精』よりも十割増しで性悪だ。
「主だった構成はこんなものだ。他にも多くのアニマがいるが、全部挙げていたら朝になる。そして私の名前がハッキリしない理由。それは固有の名前を持つアニマばかりじゃないからだ」
「固有の名前を持たないアニマがいるんですか?」
「ああ、例えばバケネコの娘だとか、キュウケツキのせがれだとか。そんな調子で呼ばれる者がいる。だから私達アニマは名前に固執しないんだ」
「な、なるほど」
納得といえば納得の理由だ。というか、そういう文化だと言われてしまえば反論ができないのが事実。
「とりあえず、こんなものか」
一通り説明したからか、黒板消しで書いた文字を一掃してしまう。
「さて、次は貴様が弁償する『マテリア』についてだ」
ティナさんは黒板の上部に『マテリア』と書いた。
「マテリアは魔力と属性で構成される結晶体。魔力の純度が高いほどに効果も、価値も高くなる。すべてを高純度としたくなるが、必ず属性が付きまとう。アニマはそれぞれ属性を持ち、マテリアにもそれが現れる」
『マテリア』の文字の下に『魔力』と『属性』と書く。
「たとえば私は『風』の属性を持っている。だから私の生成したマテリアには風を起こす力が宿る。他にも『水』『火』『土』『木』などの属性がある。そして貴様が調達するべきは『雷』の属性を持ち、それでいて高純度なマテリアだ」
「な、なるほど……」
実際のところはさっぱり頭に入ってこない。大まかにこういうものだと捉えられていても、理解できているかと聞かれればできていない。そんな微妙な感じ。
「とにかく貴様は資金を稼げ。もしくは雷の属性を持ち、高純度なマテリアを生成できるアニマと知り合いになるかだな」
この世界のアニマ達がどんな人達なのかはわからない。仲良くなれるかも不明なのだから、ひとまずは資金を稼ぐのが先決だろう。
「とりあえずここまで説明しておけば大丈夫だろう。後は生活をしていくうちに慣れろ」
ティナさんは持っていた黒板を放り投げた。
それを見て自分でも無意識のうちに体が動いた。
「ああもうっ、ダメじゃないですか。そうやって逐一片付けないからこうやって山になるんです」
放り投げられた黒板を拾い上げる。
「別にいいだろう。そこの空間は普段利用しない。生活の妨げにもならないし、次に使うのもどうせ遠い未来だ」
いい加減な物言いだ。だが、片付けをしない自分を正当化するのに必要な言葉を的確に選んでいる。
そんなティナさんの態度がなおさら僕の感情を刺激する。世話を焼きたいという感情を。
「今日は片付けをします。見る限り酷い有様なので」
「いや、その必要は……そうだな。そうしよう」
一瞬だけ躊躇った様子だったが、すぐにニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「片付けをしながら私の発明品の説明をしよう。それなら一石二鳥というわけだ」
なるほど。理に敵ってはいる。
「じゃあさっそく始めますよ」
「よいしょっと」
僕は手近にあった箱を抱え上げる。
「それは『振動加熱機』だ。微細な振動を与えることで色々なものを温めることができる」
見ると扉と目盛り。見るからに電子レンジだ。電動ノコギリや黒板と同じように、元居た世界にあったようなものもあるようだ。
「純度が低い『雷』属性の『マテリア』でも十分に稼働する。安価で便利な効果が得られる」
自分の中でなるほどと思いつつ脇に寄せる。後でキッチンに持って行こうと考えたからだ。
「わっ!」
次に手に取ったのは銃の様なものだった。
適当に手に取ったものがあまりにも物騒なものだったので驚いて取り落としそうになる。なぜこんなに危ないものを放り投げておけるのか神経を疑いたくなる。
「それは『鎮静化光線銃』。光線を当てたものは落ち着く。怒りが静まったり、焦りが収まったりするんだ」
見た目とは裏腹に穏便な銃だったようだ。それでも暴発したら危険そうなのでわかりやすいように近くにあった机の上に置いておく。
今度はふと気になったコードを引っ張ってみた。すると思っていたよりも簡単に山から引き抜けた。
コードの先にあったのは謎の小さな箱。僕が首を傾げているとすかさず説明が入る。
「それはマテリアをセットするケースだ。本体は反対側」
ティナさんの示す通りにコードの反対側を引っ張り出す。
「こ、これって……」
引っ張り出したコードの先には見覚えのある機械が付いていた。
「それは失敗作だな。『高速振動殴打機』だ。振動するだけで使い道は無かった。試しに頭に当てたら痛かったから『殴打機』と名付けたが、それは売れないだろう」
頭に当てたら痛いのも当然。これは元居た世界で言うところの『電気マッサージ器』だ。
「これ、動くんですか?」
「速攻で投げ捨てたから『マテリア』はまだ入ってると思う」
その言葉を信じてスイッチを入れてみると、思った通りブブブブブという振動音を響かせながら細かく振動し始めた。
「これ使ってみてくださいよ」
「嫌だ。さっき言っただろう?痛いと」
「まぁまぁ、そう言わずに」
拒むティナさんを無視してティナさんの肩に『高速振動殴打機』をあてがう。
僕には確信があった。何故なら、本来の用途を知っているからだ。
「お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛き゛も゛ち゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛」
『高速振動殴打機』の振動によって声を震わせながら恍惚とした表情を浮かべる。それだけ気持ちよかったのだろう。
「き、貴様っ!!」
『高速振動殴打機』を僕の手から奪い取り、ティナさんが睨み付けてくる。その間にも『高速振動殴打機』はティナさんの手の中てブルブルと振動し続けている。
「咄嗟にこのような使用法を思い付くとは……やはり貴様を発明品の販売員に選んだ私の目に狂いは無かったようだな」
「あ、ありがとうございます」
正確には『思い付いた』ではなく『知っていた』なのだが、せっかくティナさんが褒めてくれているのでそういうことにしてしまおう。
「よしよしっ、では片付けを続けろ。私はもう少しコレを堪能す゛る゛こ゛と゛に゛す゛る゛う゛う゛う゛う゛」
大層お気に召したようで、肩だけでなく首や腕にまで当てて、言葉通り堪能しているようだ。
それから明らかによくわからない機械には触れないようにして片付けを続けていると、見たことのある機械がいくつか発掘できた。
洗濯機、掃除機、コンロ、蛇口。どれも電気やガス、水道が通っていない独立した状態でも僕の知る通りに機能して見せた。
僕の想像している以上に『マテリア』とは便利な代物らしい。
「ふあああっ!!」
片付けをしていると突然、部屋に艶っぽい声が響いた。どうにも嫌な予感がしてくる。声の主は一人しかいない。
僕が声の主の方へと目を向けると、
「んっ、こ、これ……イイかも……」
あろうことか股に『高速振動殴打機』を挟んでいるティナさんの姿があった。
目はどこか遠くを見つめるように焦点が定まっておらず、口元には今にも零れ落ちそうな程に唾液を溜め、背筋はピンと張って強張り、手は『高速振動殴打機』をギュウっと握りしめており、相当強くあてがっていることがわかる。
見るからに青少年の目に映してはいけない絵面だと感じ取った。
これまた咄嗟に僕の体が動いた。
「だああああああ!!!没収っ!!!」
僕は瞬時にティナさんに駆け寄り、その手から『高速振動殴打機』を奪い取ってスイッチを切った。
「な、なにしゅる……スゴイ気持ちよかったのに……」
蕩けきった表情をしているティナさんが物欲しげに僕の『高速振動殴打機』に手を伸ばす。いや、僕の持っている『高速振動殴打機』に手を伸ばす。
「ダメですっ!そんな使い方するなら渡せませんっ!」
僕は『高速振動殴打機』をティナさんから遠ざけようと自分の背中に隠した。
「何故だ?より良い使用法を模索するのは当然だろう?」
妖精の純真無垢な瞳が僕を攻めたてる。実際言っている事は正しいのだが、今回の場合は許すわけにはいかない。
「わかったら返せ。私の発明品だぞっ」
ティナさんは『高速振動殴打機』を求めて僕の方へと手を伸ばす。
「ダメですってっ!」
僕は後退ってティナさんから遠ざかろうとする。
「あっ!」
こういう場合は往々にして手を滑らせるものだから、僕は細心の注意を払って強く握っていたはずだった。それでも、何故か『高速振動殴打機』は僕の手からツルッと滑り落ちた。
そして落ちた反動で僕の足元へと滑り込んだ『高速振動殴打機』は踏み出した僕の足の下でバキッ!!!という音を立ててへし折れた。
「ああああああ!!!!なんてことをっ!これも弁償だからな!」
「わかりました。弁償しますからコレの事は忘れてください!」
「わ、わかった。意外と素直だな。『マテリア』が高額過ぎて吹っ切れたか?」
僕にとってこの事態は意外と好都合だった。もうティナさんがコレで遊ぶことはないだろう。
マテリアが高額だと口にしたのには気付いたが、この世界の通貨が円なのかはわからないし、相場もわからない。ツッコむよりもこの場をどうにかするので手一杯だ。
「しかし、なかなかにいい収穫だった。次はもっとこう……」
ティナさんの発明家としての探求心は留まるところを知らないようで、もう次の発明品の構想を練り始めていた。
「ねじりを織り交ぜた動きや複数ヵ所を同時に刺激できるような……あっ、小型化してみるのもいいな。そうすれば固定して服の下で常にーー」
「ど、どれもダメですからあああああ!!!!!!」
僕は快楽への無邪気な好奇心というのはこれほどまでに恐ろしいものだと思い知らされたのだった。
「ふふんっ」
我ながらよくやったと思う。
ティナさんの部屋、というよりもワンルームの一軒家を丸ごと掃除したのだから。
発明品の山はスッカリ整理整頓した。しかし、掃除をしていく中で募っていた不安感が弾けそうになっていた。
「あの……色々と聞きたいんですが」
「なんだ?」
「その……キッチンは?」
「うちには無いぞ。食事なんてしたのは何年前だったか」
「トイレは?」
「『ヨウセイ』はトイレなんて行きませんっ!」
「ベッドは?」
「ソファで十分」
「衣服は?」
「汚れないしこれ一着だけだ」
「食材は?」
「だから食事なんて何年も前だと言っただろう」
不安に思ったときは質問する事が大事なのだと痛感する。でもこれでハッキリした。
「この家って人間が生活できる環境が整ってないじゃないですかあああああああ!!!!」
まさに僕の魂の叫びが木霊した。
あまりの大声にティナさんは両手で自分の耳を塞いでいるほどだ。
「ハァ……叫んだら余計にお腹が空いた」
ため息を吐くと胃袋がキュウっと締め付けられる。腹ペコだ。
「そうか。普通は食事が必要だもんな。スッカリ失念していた」
無意識にティナさんに普通の人間の感覚を求めていた僕が悪かった。ティナさんは妖精なんだ、食事が必要無くても不思議ではない。だというのに、考えが至らなかった己の不明さを呪う。
「買い出しに行こうにもなぁ……」
「買い出し?……そうだっ!」
僕はまたしても見落としていた。手元に無いからといって手に入らないわけじゃない。売買の概念があるならば、食材を買ってくればいい。
僕は意気揚々と玄関へ向かう。この部屋にある扉は一つ。わかりきっている。
「お、おい、待てって」
「大丈夫ですって、買い物くらいできますから」
空腹で仕方がない僕はティナさんの制止をまるで気にせず玄関の扉を開けた。
ヒヤリとした夜風が頬を撫でる。風に揺れた木々がざわめく。得体の知れない生物の鳴き声が聞こえてくる。そして視界の先一杯に広がる闇。
かなり熱中していたのである程度暗くなっているのは覚悟していた。だが、それ以上の驚きが待っていた。
この家は鬱蒼をした森のど真ん中に建っていた。
「ああ、あったあった。ほら私の財布だ。長らく使っていないからいくら入っているかわからんが、一食分くらいは買えるだろう。しかし、貴様も抜けてるな。金も持たずに買い物に出掛けようとするなんてな」
巾着袋を嬉々として渡してくるティナさん。しかし、今の僕の前には金銭以上に越えられない壁が立ち塞がっていた。
「ほら、行ってこい。春先でも夜は冷えるからな。道端で凍え死んだりするなよ?なーんてなっ、あっはっはっはっ」
「はは……ははは……」
妖精には笑えるジョークなようで、ティナさんは快活に笑う。でも人間の僕には笑えない。こんな寒い夜に森になんて入ったら二度と出てこられないだろうから。
「なんだとっ?!『ニンゲン』とは貧弱な生き物だな。飛べもしなければ夜目も効かないのか。その上、今日程度の寒さでも凍え死ぬとはな」
ティナさんは大層驚いた様子だ。こちらの世界のアニマには人間ほど貧弱な種族はいないらしい。
「仕方ない。私が付き添ってやるか」
「いや、この寒さじゃ僕が無理です。せめて何か羽織るものがないと」
「羽織るもの……」
辺りをキョロキョロと見渡すティナさん。
掃除をして綺麗になったからといって見つかるはずもない。衣服は着ている服一着だけだと確認済みだからだ。
結局、一つの結論に辿り着いたようだ。
「着るか?」
ティナさんは自分の着ている服をチョイと摘まんで聞いてくる。
「いえっ!結構ですっ」
当然お断りする。この世界の常識がどうかはわからないが、女の子を裸同然で歩かせるなんてできない。というか、女の子の服なんて着られるはずがない。
「ハァ……」
結局、僕は食べ物にありつくこともできず、なるべくエネルギーを消耗しないように部屋の端で体育座りをしていた。
「寝床はどうする?」
「大丈夫です。このまま寝ます」
「ソ、ソファ使うか?」
「いえ、ティナさんが使ってください」
ティナさんが気を遣って話しかけてくれるが、今の僕は省エネモードに入っているのでまともな応答ができない。
「…………」
話しかけても無駄だと思ったのか、ティナさんはすぐに話しかけるのをやめた。
心の中は申し訳なさで一杯だ。気を遣ってくれているのはわかっているのに、それに応えることができない。もどかしい。
それから何度か眠りそうになるが、空腹が僕を寝かせてくれない。
「……っ」
急にソファの方でじっとしていたティナさんの気配が玄関の方へと移動していく。
「っ!」
一瞬、冷たい空気に包まれて身震いする。
少し遅れてその冷たい空気の意味を理解する。
「ティナ……さん?」
声を掛けるがティナさんの姿は見えず、気配も感じられなかった。
それから何分経っただろうか。空腹時というのはすべての時間が長く感じられる。ティナさんが出ていったことで眠ってしまえなくなったもの大きい。
「ティナさん……」
僕が堪らず彼女の名を呼んだ時、バンッという大きな音と共に冷気の塊が部屋の中に投げ込まれた。
「かか、買って、ききき、きた、ぞ、しょしょしょ、しょく、食材」
ティナさんは寒さに震え、歯をガチガチと鳴らせながら、食材が入っているであろう袋を差し出した。
「ティナさん、なんで……」
僕は空腹も忘れて駆け寄り、震える彼女を抱き留めると、その体はまるで氷の様に冷え切っていた。
「よよ、夜目がが、効かな、いか、からと、い、いって、たか、高くと、飛ぶも、のでは、なな、ないな」
ティナさんは妖精だから飛べるが夜目は効かない。だから木にぶつからないように高所を飛んだということだろう。なんて自殺行為だろうか。地上よりは空気は暖かいだろうが、風がある分、見るからに薄着のこの格好では体温が奪われる速度は段違いだろうに……。
僕がティナさんの顔を覗き込むと、彼女はガチガチと歯を鳴らしながらも、それを取り繕うようにニッと笑って見せた。
しかし、僕にはその笑顔の奥に辛そうな表情が隠れていることが感じ取れた。
(妖精といえども、こんな低体温が続けば死んでしまう)
そう思った瞬間、自分にもできることが頭に浮かび、即座に行動に移す。
「温めましょう。すぐに」
僕はすぐに服を脱ぎ、上半身裸になった。そのままティナさんを抱きしめ、着ていた服をティナさんの体を包むように肩に掛ける。
「なな、なにを……」
「このままだと死んでしまいます」
「だ、だ大丈夫だ、だ。そん、な、ヤワ、じゃ、じゃな、い」
この期に及んで、まだ強がっている。
ティナさんの体の冷たさがまるで針で刺すような痛みに感じられるが、生死が関わる現状。そんな事を気にしている場合じゃない。何よりも、ティナさんはこの何倍も辛いはずだ。
僕はティナさんに迷惑をかけた申し訳なさと自分の情けなさに打ち震えながら彼女を抱きしめ続けた。
「も、もう大丈夫だ」
抱きしめてから何分か経過した後、ティナさんがようやく普通に声を発した。
「本当に大丈夫ですか?」
「ああ、体温も戻っている」
その安心した様子の表情から、今度は強がっていない事を確認する。
「よ、よかったです。恩人を死なせてしまうような結果にならなくて」
「恩人って、大袈裟過ぎないか?」
「ぜんっぜん!僕が外に出れないとゴネたばっかりに、ティナさんだって寒さに強くないのに飛んで食材を買ってきてくれて……」
言っているうちに視界がぼやけていく。
「ティナさんに何かあったら、僕……」
感極まって涙が頬を伝う。
自分でもまったく制御できない。
「お、おい、泣くなよ。言っただろう?ヤワじゃないって。私は絶対に凍え死んだりしないから安心しろ」
「本当ですか?」
「ああ、本当本当。だから泣き止め、な?」
「はい、ありがとうございます」
情けなくもティナさんに励まされ、僕は袖で乱暴に涙を拭った。
すると、
ぐうぅぅぅぅぅ~~~
という音が聞こえてきた。紛れもなく僕の腹の虫が鳴いた音だった。
「安心したらお腹空いちゃいました」
「なら、食事にするか」
ティナさんは食材の入った袋を掲げてニッと笑って見せた。
「ジャガイモにニンジン。意外と普通なものばかりですね」
「ああ、なるべく一般的で癖のないものを選んだからな」
袋の中身を取り出していくと、元居た世界で見たことあるような食材ばかりだった。
「さて何か簡単なものでも作りますか」
「お?料理とかできるタイプなのか」
「まぁ、本当に簡単なものだけですが……」
僕はジャガイモを取り出して置いた瞬間に思考が止まった。
「ん?どうした?」
「あの……切る道具とかあります?」
僕の手元には包丁が無かった。いくら食材があっても、これでは料理なんてできない。
「切る道具?ああ、『回転一刀両断機』があるぞ」
「いや、やっぱりいいですっ!」
「そうか?」
名前を聞いた瞬間にすべてを理解した。ジャガイモを切るのに電動ノコギリを使うなんて聞いたことが無い。
「というか、この机の上でどうやって料理するんだ……」
絶望だ。設備が整っていなさすぎる。
こういう場合に発明家の創意工夫というのは大変役に立つ。
結局、適当に見つけた鍋の代わりになりそうな汚れていない何かのパーツに『水』属性の『マテリア』から出した水を入れ、掃除中に見つけたコンロにかけ、ジャガイモを茹でるという道を辿り、散々苦労した挙句、ありついたのは茹でたジャガイモという結果になった。
「すまない、我が家の設備が貧相なばっかりに」
「いえ、こうして何か食べられるだけで幸せです」
空腹の僕は目一杯口を開けて、ジャガイモを頬張った。
ガリッ
「~~~~~っ!!!」
「あっそうだ、植物の中にも『マテリア』が生成されているから食べる時は気を付けてな」
(もっと早くに言ってほしかったです)
異世界での生活は前途多難。でも、ティナさんというとても優しくて頼もしい、でも時に悪魔のような、妖精の女の子に出会えたお蔭で、とても楽しい生活になりそうです。
まず、ここまで読み進めていただきありがとうございます。
この作品はある種の気分転換によって生み出されたものです。今後の構想については浮かんではいるのですが、遅筆故に続きは遅くなる可能性が高いです。
でも書いていて楽しい、妄想していて楽しい作品ですのでゆっくりにでも書き進めていきたいと思います。