逃亡 1
「ったく・・・何も叩くことねぇじゃねーか!」
「ロードがスケベなのが悪いのよっ!」
小声で言い合いをしながら、クリスは夜着から<ティナ>の姿になっていた。さすがに鎧と剣は没収されて自室には無かったのだが、城下町に下りる時用の服が残っていたのだ。ノースリーブの青いレースの付いたワンピースに身を包んだクリスに、後ろを向いたままのロードから声が飛ぶ。
「早くしろよ。もうそろそろ俺がぶっ倒してきたヤツらも目が覚めるころだ」
「オッケー。あとこのリボンを・・・」
腰の後ろで大きなリボンを結んでいるクリスに気付き、ロードは振り向きざまにため息を洩らした。
「おま・・・・それ、どこのお嬢様だよ。<普段着>って言うからどんなものかと思ってたら・・・ドレスじゃねーか」
「ドレスじゃないわよ。ワンピースだし。あ・・ヒールしかないかな・・・」
クローゼットを尚もごそごそと探す緊張感の全くないお姫様に、ロードは額に手を当て、再びため息。そして、つかつかと彼女に近づくと手近にあった白いヒールを取り上げた。
「どうするのよ、ロード?」
「・・・こうすんだよ」
言うや、ナイフでヒールの部分を切断する。ぽろりとそれは床に落ちた。ヒールの無くなった靴を見て、クリスはぽつりとこぼす。
「・・・お気に入りだったのに・・・」
「ガキみたいなこと言ってんじゃねーよ。早く履け」
ロードの指摘ももっともで、東の空が白み始めてきているのが分かる。クリスは急いでその靴を履くと、ロードに手を差し伸べながら笑顔で言った。
「んじゃ、早く私を連れ出して。王子様」
苦笑し、ロードは彼女の手を握った。
「・・・・なんだよ。ここ・・・・」
ロードの感嘆とも取れる呻きは光り輝く宝石の数々に反射し、明るい室内に小さくこだました。
クリスは驚くロードを尻目に、レッドからもらった白い金袋に宝石を詰め込んでいる。
二人は今、宝物庫に来ていた。
クリスの部屋から出て、廊下にまだ誰もいないことを確認すると、クリスはロードにこんなことを提案していた。
「どうせ逃げるなら、もっと悪いことしてみない?」
「悪いこと?」
何か企んでいるクリスの美しい顔を見て、ロードは一瞬眉を寄せたが、すぐにそれはニヤニヤ笑いに変わった。
「んじゃ、なに?もしかして、やっぱここで俺とセッ――」
「そうじゃなくて!!」
ロードの言わんとしていることが分かり、クリスは真っ赤になってそれを制止した。息を整え、「ついて来て」 と自室の隣の通路を進む。
「・・・なぁ。こっちって確か行き止まりじゃなかったか?」
「あら。よく知ってるわね。地図でも盗んだの?」
足音を殺して歩きながら、クリスはロードを振り返った。ロードは困惑した表情で頭を掻いている。そんな彼の様子に、クリスは昨夜の光景を思い出した。
「そういえば・・・昨日だったかしら。キレーなお姉さんと兵士さんが逢ってるのを見たわ。・・・そのお姉さんと何かカンケーがあるんじゃないでしょうね?」
「あっ・・・あるわけねーだろ!ちょっと用事を頼んでただけだよ」
「ふぅん」
納得してないクリスはしばしロードを睨んでいたが、行き止まりの壁まで来ると、そこに掛けられてある風景画を見上げた。ローズ城から見える朝日が描かれている。
「いい?見ててね」
言うと、クリスはその絵画をぐるりと左に回転させた。小さくカチッと音がする。そして、その壁は内側に開いていった。人一人が通れるような狭い階段を下りると、そこには宝の山に埋め尽くされた小さな小部屋が広がっていた。
そして、クリスは今その宝石を詰めている。
「・・・すげーな・・・」
呟き、ロードは近くに置かれていた金色の鷲の置物を見た。瞳には赤い宝石が埋め込まれている。
「これだけで、金貨何枚くらいするんだ?」
「さぁ?わかんない」
パンパンになった金袋をロードに見せ、クリスは屈託の無い笑顔を向けた。
「どこかの国の王子様からの贈り物よ、確か。私の部屋に置けばよかったんだけど・・・いまいち趣味がね・・」
「そいつ、かわいそうだな」
クッと喉の奥で笑い、ロードは部屋を見渡した。すると黒い鎧が鈍く光っているのを見つけた。顔の無い人形が鎧と盾、剣を手に立っている。
「クリス・・・これは?」
その鎧のところまで行くと、ロードはクリスのほうを見ずに訊いた。指が黒い鎧をなぞる。皮の様でいて皮では無かった。
クリスは「ああ。それね」と言うと、ロードに言った。
「それは私のおじいちゃんの。なんでも<黒竜の鎧>らしいわよ。どんな炎でも焼けないんだって。あと軽いって自慢してたわ。・・・・気に入ったんならもらっちゃえば?おじいちゃんもその方が喜ぶだろうし」
「黒竜の・・・」
クリスの言葉を繰り返し、ロードは再び鎧を触った。竜の鱗とは思われないような滑らかな手触り。ロードはクリスに振り返った。
「・・・ほんとにいいのか?」
「ええ。もちろん。もうここではそれを着る人もいないし。あなたに来てもらえるんなら、鎧としても嬉しいんじゃないかしら?」
笑顔で促され、ロードは来ていたローズ城の白い鎧を脱ぎ捨てた。そして、人形の着ている黒竜の鎧を身に着ける。驚いたことに、それはまるで服のように軽かった。右手に盾を、黒竜の剣を背中に背負う。
「どう?」
「似合う似合う!ロード、かっこいい」
はしゃぐクリスをロードは自分の胸に引き寄せた。赤くなった顔をクリスの髪に埋める。
「全く・・・・。悪いお姫様だ」
「それはお互い様でしょ。王子様」
再び、二人は口づけを交わした。