想い 2
もう一人、眠れぬ夜を過ごす者がいた。
ロードは階下に逃げたエリーに別の部屋を頼んでいた。そこのシングルベッドの中でロードは天井を睨んでいる。
ロードを見つけるなり、エリーは慌てて謝っていた。
「すみませんっ!!あの・・・覗き見するつもりじゃなかったんです!!隣の部屋でランプを取り替えてたら、なんだかクリスさんたちの声が聞こえて・・・気になって・・・。それで、天井裏からちょっと見てみようと・・・」
「覗きじゃねぇか」
「どうもごめんなさいっ!!」
ロードは左手を上げてそれを制すると、やや複雑な表情で言った。
「もういいって。その方が・・・俺も良かったし・・・」
自嘲気味に笑うロードに、エリーは小首を傾げる。
「喧嘩でもなさったんですか?」
「そんなんじゃねぇんだけどよ。ま、こっちにも色々あんだよ」
少し淋しげなロードにエリーは優しく微笑むと、シングルの鍵を渡しながら、
「あんな美人な彼女さん、手放すなんてもったいないですよ!!早くモノにしちゃいなさい!」
「・・・分かってるって」
部屋の天井の隅に小さな蜘蛛の巣を見つけた。星明りにキラリと輝いている。
(・・・クリスがいなくて良かったな)
蜘蛛を見て泣いていた彼女を思い出し、ロードはフッと笑った。そして、ごろりと横を向く。
瞼を閉じるとクリスと初めて逢ったときの光景が映し出された。少女を庇っていた。ブロンドの長い髪が朝陽に反射してまぶしかった。その次は<ティナ>の姿だった。あの時の、ロードの身体を駆け巡った電流。彼女の目を見張るような美しさ。怒った表情も美しかった。
(フツー、急所を蹴るか?すげー女だよ、あいつ・・・)
自然と笑みがこぼれ、再び天井を見る。クリスが<魔法>を放っていた。凛々しくも美しい顔はやがて泣き顔に変わる。雨の晩に全てを打ち明けた彼女は、ロードの胸の中で泣いた。今でもあのときの感触をロードは覚えている。小さな肩を震わせ、声を殺して泣いていた。何とかしてやりたいと思ったのは当たり前のことかもしれない。
(クリスティ=セーラ=ガーディン・・・・キルズ国の王女・・・)
その彼女を草原の真ん中で押し倒そうとしたことを思い出し、ロードは口の端を上げた。スカイ・バードが出現していなかったら、本気で彼女を抱いていたかもしれない。
(エリーたちが来なかったら・・・・最後までいってたのかな・・・)
『嫌か?』と訊いて『分からない』と答えた。『怖い?』と訊くと『分からない』と返した。彼女はそれから、ゆっくりと瞳を閉じ、ロードを受け入れようと心を開いてくれていた。
(でもな・・・)
しかし、ロードはこうも思っていた。旅を続けるには、彼女と関係を持たないほうがいいのではないか、と。しかも相手は一国の王女。本人はどうあれ、国がどこの馬の骨とも知れない男に王女を任せるわけが無い。ロードがどこぞの国の王子ならまだしも、そのような事実は全く持って無かった。
(・・・・クリスが王女に戻ったら・・・俺は――)
そんなことを考え、ロードの胸は急に苦しくなった。慌てて反対側へ寝返りを打つ。明日はとうとうその<セージ城>へと行く日だった。そこまでは半日ほど。ハーグ王に会わなければ、クリスの旅は終わらない。
(・・・とにかく、明日だな・・・)
瞼を閉じ、ロードはクリスを思い描きつつ、夢の世界へと誘われていった。
明け方から降り始めた雨。その雨音が窓を叩く音でロードは目を覚ました。灰色の空の下、人々が通りを走り回っている。
ロードはのろのろと起き上がると、顔を洗い身支度を整えた。そこへ、
「ロード!」
聞き知った少年の声。扉を開けるまでも無い。ロードはフッと笑うと、ゆっくりとそれを押し開けた。
「おはよ。レッド。母ちゃんにいっぱい甘えたか?」
「ロードはクリスとラブラブできたの?」
「うっ・・・・」
痛いところを突かれ、思わず呻いたロードに、大人びた少年はクスクスと笑う。
「さっき、クリスに会ってきたよ。・・・・何か変だったんだけど。ロード、何かしたでしょ?」
「・・・・何でお前、こういう時は勘が良いんだ?」
へへっと笑うレッド。ロードは呆れ顔で少年を見下ろした。いつもはぼさぼさの頭だが、今日は櫛が入っていた。服装はいつものように動きやすそうなシャツと短パンだったが・・・。ロードは壁に立てかけていた長剣を腰に吊るす。
「お前、飯は?食ったか?」
「うん。母ちゃんと食べたけど・・。でも、いいよ。クリスも誘うんでしょ?おいらがいたほうが良さそうだし」
「・・・本当に読みがいいガキだぜ・・・」
苦笑し、ロードはレッドの背を押すと、クリスのいる部屋へと足を運んだ。
コンコン
ロードはクリスの部屋の扉を軽く叩いた。
「俺だ、ロード」
しばらくして、ゆっくりと扉が開かれクリスの美しい顔が覗く。昨夜の出来事を思い出し、ロードはふっと顔を背けた。
「あのね、クリス。みんなでご飯食べようと思って。一緒に行こ。おいら、クリスたちが行っちゃうまで一緒にいたいんだ」
レッドのあどけない笑顔にクリスは微笑んで返すと、
「ちょっと、待っててね」
言うと部屋に引き返し、愛用の剣を手に持って出てくる。
「んじゃ、行こうか」
階段を降り、三人は酒場の奥へ進む。助けてくれた礼も兼ねて、エリーが朝食を作ってくれることになっていた。早朝のため、酒場にはロードたちの他には誰もいない。最も、店を開けても客はほとんど来ないのだが――。
エリーは三人が座った丸テーブルに様々な料理を並べてくれた。それを取り分けつつ、エリーはクリスに囁く。
「昨日は、ほんとにごめんなさい。父さんと一緒になって、覗きみたいなことを・・・・」
「あ・・・」
クリスは思わずロードを見る。ロードはレッドと話し込んでいてエリーの声は届いていないようである。クリスは緩く首を振った。
「いいのよ。気にしないで。ちょっとびっくりしたけど・・・・助かったかもだし・・・」
言い、笑う。エリーはフフと笑うとクリスに皿を渡した。その上ではスクランブルエッグやベーコンなどがおいしそうな湯気を立てている。
「でも、クリスさん。男の人っていきなりその気になったりしますから、十分気をつけたほうがいいですよ」
「本当ね、分かりました」
エリーはロードにも皿を配るとカウンターのほうへと戻って行った。それを見届けると、レッドが早速口を開く。
「で?お二人さん、何があったの?キスまではいった?」
「ブッ!!」
ロードは飲みかけていたコーヒーを噴き出した。
「ぎゃっ!!きったねぇ〜!」
嫌な顔をするレッドをキッと睨みつけるロード。クリスはテーブルにこぼれたコーヒーを黙って拭いている。
「レッド!お前なぁ・・・」
「図星でしょ?いーじゃん、隠さなくたって。でしょ?クリス」
いきなり話を振られ、クリスは耳まで真っ赤になった。彼女の変化にレッドは「やっぱり」とニヤリと笑う。ロードは小さくため息をついた。
「・・・で?だから、何だってんだ?」
「あ!肯定したね」
レッドは嬉しそうに脚をブラブラさせ、ロードの皿からミニトマトをひょいとつまんで口に入れた。
「おいらとしてはね、ちょっとクリスが心配なんだ。それだけ」
「なんで?俺じゃなく、クリスが心配か?」
「だってさ――」
レッドは椅子の背に自分の体重を預けると、
「クリスの相手がこの女ったらしなんてさ。いつクリスを泣かすとも限らないし――」
「うっせーよ」
軽く拳でロードはレッドの額をこつんと叩き、誰にともなく呟いた。
「大丈夫って。信じろよ」
レッドはクリスを見やる。彼女は声には出さなかったが、少年に小さく頷いて見せていた。
「よかった」
大きく頷き、レッドはミルクを飲む。その後は普段どおりに最後の三人だけの朝食を楽しんだ。