悪巧み 1
「はぁ・・・。緊張する・・・」
クリスは歩きながら大きく深呼吸をした。そして、レッドが決めた作戦を思い出す。
(私が借用書を持った男の人を誘い出して、町中でレッドとぶつかって、その人から盗んで・・・。後は私がその人をやっつけて逃げる・・・うまくいくかしら?)
「はぁ〜」
再び大きく息を吐く。
レッドの作戦は至って簡単。名付けて『メロメロダッシュ』。
つまり、クリスの色仕掛けで高利貸しの男たちをメロメロにしている間に、レッドがこっそり頂戴するというものだった。エリーにクリスが女であることを言うと、ロフトフは目をこれ以上開かないというところまで大きく開き、女の格好をしたクリスを見るや感嘆の声を漏らした。そのときの光景が今でも忘れられない。
二階の一室を借りてクリスたちは準備をした。レッドとエリーは『メロメロにしなきゃいけないんだから』と古着屋で娼婦が着るような黒いドレスを買って来た。それだけならいざ知らず、『男を誘惑するならこれよ』と付けられた安っぽいアクセサリーに甘ったるい香水。ブロンドのままでも良かったのだが短く切ってしまっていたので、頭にはカツラをかぶるのも忘れなかった。長い黒髪を左サイドでまとめ、右の耳の上辺りに大きな花の付いた髪留めをつける。クリスはどこかエキゾチックな娼婦へと見事に変身していた。
呼吸をするごとに大きく盛り上がった胸が上下する。普段着ているドレスでさえ、こんなに胸は出ないだろうと突っ込みたくなるような服である。しかも何故かドレスにはスリットが入っており、その切れ込み方が尋常ではない。左足の付け根寸前まであるのだ。歩くたびに中が見えそうで、クリスはそのスリットを手で押さえていた。
「はぁ〜」
三度目の深呼吸。陽はだいぶ西に傾き、クリスの影が東に長く伸びている。とぼとぼと歩いているうちに、とうとう目的地にまで着いてしまった。きらびやかな屋根に白い壁の長屋のような建物がクリスを手招いているように立っている。
「よし!」
意を決し、クリスは門を潜ると大きな扉のノッカーを叩いた。
「ごめんくださぁ〜い」
やや鼻にかけた甘い声でクリスは言う。しばらくすると中からどす黒い声が返ってきた。
「何だ?」
「ロフトフさんにぃ〜お願いされてぇ〜来たんだけどぉ〜」
自分でも笑い出してしまいそうな話しかたでクリスは答える。すると、やおらスッと目の前の両開きの扉が開いた。中にいたのは中肉中背のまだ若そうな男。その男はクリスを凝視すると「入れ」とばかりにグイッとクリスの腕を掴む。
「えっ・・ちょ・・・・いたぁ〜い!」
進入に成功したクリスは辺りをキョロキョロと見回した。壁には自画像らしい男の絵画が何枚もかけられている。そして、悪趣味な壺やら花瓶やらが陳列されている。
(ふぅ〜ん・・・。どこもこういう人たちは同じ趣味なのね)
クリスの内心を知らない男は好色な目を彼女に向けたまま、「ついて来い」と、一言。さっさと歩き出してしまう。慌ててその男について行くと、立派な木製の扉の前に立たされた。
「ボス。ロフトフからのプレゼントだそうですが」
「うむ」
扉越しの会話―プレゼント発言―にカチンとくるクリスであったが、顔には出さずに笑顔を作る。木製の重そうな扉はゆっくりと内側へ開かれていく。そしてクリスの想像していた通り、部屋の中央のソファーにはボスが、その両側には二人の体格の良い男が付き従っていた。
「ロフトフの件のことか?」
扉が閉まったのを確認すると、中央のボスが声を出した。蛙をひき殺したような声に、クリスは思わず顔をしかめて返答する。
「ええ・・。私と借用書を交換してくれって」
にっこりと笑って見せると、ボスの両側の男たちが色めきたった。
「ボスっ!!」
「いい女じゃないですかっ!あの店なんかよりずっと良い思いができますぜ?」
「ふむ・・・」
ボスは太い顎に手をやる。ロフトフから聴くところによると、名前は確かコステロ。黒髪をオールバックにし、でっぷりと太った身体を派手な服で隠している。太く短い指には大小様々な宝石がこれでもかとついていた。
その手がクリスを指差した。そして「こちらへ来い」と合図をする。クリスは仕方なくその蛙のボスのような男の隣に腰を下ろした。途端に腰に手を回され、身体を密着させてくる。
「綺麗な顔だな・・。名前は?」
「・・・ティナよ」
コステロは左手を彼女の腰に、右手で露わになった太ももを撫で回している。クリスは振り払いたいのを懸命に耐え、彼の耳元で囁いた。
「ねぇ・・・借用書、見せて欲しいなぁ〜」
「おい、早くロフトフのを持って来い!」
「あ・・・はいっ!」
素早く行動に移す右側の男。コステロはクリスの肌理の細やかな肌を撫でる手を休めぬまま、
「オレの女にならないか?うん?」
「借用書くれたら考えてあげる」
擦り寄ってくるボスに嫌気をさしながらも、クリスは笑顔を作り続ける。スリットの切れ目からごつごつした手が入ろうとしてくるのを、クリスはぺしっと叩いた。コステロはガハハと声に出して笑う。
「ロフトフのはもういい。お前にくれてやるよ」
手下に持ってこさせた紙切れをテーブルの上に広げてみせる。それには確かにロフトフのサインがしてあった。
「これで間違いないみたいね」
頷き、それを取ろうとクリスが手を伸ばしたその時、
「おっと。これはお楽しみの後だ」
そういうと自分の胸ポケットにコステロは借用書を入れた。残念な顔をしているクリスに蛙の大ボスは下卑た笑みを広げると、太い腹でクリスの上に圧し掛かってくる。クリスは顎を持ち上げられたまま、努めて平静を保った。
「ここでするの?私、キレーな所のほうが燃えるんだけどな〜」
重い腹を押し、自分の身体からコステロを引き離すと、ボスは「そうかそうか」と一人でニヤニヤと頷いた。
「ボス、二階が空いてますが?」
「え〜?この家でするのぉ?どっか素敵なとこ行きましょうよ」
左に控えている手下の提案を即座に却下し、クリスはコステロの腕を取り自らはソファーから立ち上がる。このまま外へ連れ出さないことにはレッドの『メロメロダッシュ』は成功しない。
「しょうがないヤツだな」
めんどくさそうに、しかし楽しそうにコステロはつぶやくと、重い身体をソファーから浮き上がらせた。手下が出かける準備を始めるのをボスは手で制する。
「お前たちは来なくていい。一人で行く」
「ですが・・・」
「心配するな。飽きたらお前らにくれてやる」
クリスはコステロの言葉に吐き気を覚えるも、顔に出すわけにはいかず、成り行きを黙って見つめている。ガウンを羽織ると、コステロはクリスの腰に手を回した。
「いいところがある。行こうか」
クリスはコクンと小さく頷いた。
「マリア?今日はお休みだよ」
<ムーン・シャドー>の店内でロードは開口一番そう言われた。
「っつーことは、<マリア=フォックス>って女はいるんだな?」
「<フォックス>って名じゃないんだけどね。赤毛だろ?年は27だし・・・。何なら住所教えるけど?」
「ありがてー!」
女将さんに住所のメモをもらい、礼を言うロード。嬉しそうにしている彼に女将は言った。
「今日はその娘休みだからさ、別の娘にしたらどうだい?みんなかわいいよ」
「あー・・・ん〜〜・・・。ごめん、そういう目的じゃ無ぇんだ」
言うとロードは店の扉を開けた。
「ありがとな!助かったぜ!」
元気良く店を出ると、もう真っ暗だった。鮮やかな灯りがロードの頭上で光っている。メモをポケットに入れ、ロードはその住所のほうへと一歩踏み出し、そしてそのまま固まった。
黒髪のどこかミステリアスな美女がでっぷりと太った男と仲良く歩いている。どう見ても娼婦とその客なのだが、ロードには少しひっかかるものがあった。
(・・・あの黒髪の女・・・。何か違うな・・・)
蛙のボスのような男に腰を抱かれてはいるものの、彼女のほうからは寄り添ってはいない。しかも時折、スリットから覗く白い脚を左手で隠している。
(・・・プロじゃねぇな)
しかしプロじゃないにしても美しいことに変わりは無い。スラリと伸びた手足に、きゅっと引き締まった腰。男じゃなくとも彼女の胸の谷間に視線が行ってしまうほど、そのドレスは際どかった。
(・・・クリスもあんなドレスとか着るのかな・・・。すっげぇ恥ずかしがりそうだけど)
彼女が嫌がる場面を想像し、ロードは口の端を持ち上げた。
「ばかばかしい。考えるのやめよ」
美女から釘付けになっていた視線をやっと剥ぎ取り、ロードは踵を返そうとした、その時――
「おっと、ごめんよぉ!」
あどけない少年の声。それはロードの聞きなれたものであった。
思わず振り向き、見る。
ロードの思っていた通り、その声の主はレッドであった。
先程の太った男性にぶつかってしまったらしい。やや体勢を崩している男と、それに片手を上げて謝りながら走り去る少年。
(あいつ・・・やりやがったな)
舌打ちし、ロードは少年を追うべく裏路地を駆け出した。