商業都市<オレット> 2
酒場<マッドブル>には旅人や酒好きの男たちでごった返していた。ロードは空いているカウンターの席に座ると、つまみのセットと<リトル・ロック>を注文する。<リトル・ロック>はアルコール度数が高く、酒の強いロードでも水割りが丁度良い。まして、昼から飲むとなると、ストレートで飲んでしまった日には夜までもたないだろう。
「んめ〜〜!」
出された<リトル・ロック>の水割りを一気に飲み干し、二杯目を注文する。その間にチキンのから揚げを突き、酒を用意をしている店主に肝心なことを訊いてみる。
「なぁ、<マリア=フォックス>っつー赤毛の女、知らねぇか?年は20代後半くらいで」
「その娘、探してるのか?」
大きな腹を揺すり、店主はロードの前に二杯目のグラスを置いた。
「何かやらかしたのか?」
「いや、そんなんじゃねぇんだけどよ。知ってるか?」
「マリアねぇ・・・そんな名前はここらじゃたくさんいるからな〜」
「・・まぁな」
つまみのナッツを食べ、酒を煽る。店主はしばらく考えていたが、「あ!」と声を発するとロードにずずいと顔を近づけた。脂ぎった丸い顔がにやにやしている。
「あんたが探してるマリアかどうかは分からんが、<ムーン・シャドー>ってとこに確か赤毛の女がいたはずだ。なかなかテクが良くてな。あんたも一度試してみると良い」
言うと器用にウインクをロードに送り、店主は客に呼ばれロードの視界から姿を消した。
(<ムーン・シャドー>か・・・)
グラスを傾け、氷を口に含む。店主の話からそこが売春宿だとは容易に分かった。
(・・赤毛の女か・・・。ま、ダメもとだし、行ってみっかな)
店の奥で男たちの怒鳴り声がしている。ふとクリスの顔が浮かびロードは口の端を上げた。
(あいつ、すぐに絡まれるからな)
緩くかぶりを振ると、ロードは3杯目を頼み、陽が傾くまで時間をつぶした。
「おいしかったな」
「うん。ありがと、クリス」
昼食を食べた後、クリスとレッドの二人は町を歩いていた。強い酒の匂いが町中に立ち込めている。それだけで、あまり酒に強くないクリスや子供のレッドは酔いそうなほどだった。
「ねぇ。ここって男の人、多くない?」
「そうだな。みんな<リトル・ロック>が目当てなんだろ」
土煙を巻き上げながら小さめの馬車が行き過ぎる。それは一軒の酒場の前で止まると、男たちは連れ立って馬鹿笑いと共に店の中に姿を消した。<リリィ>での嫌な記憶がよみがえり、クリスは少々眉を寄せ、そちらから視線を逸らせた。
「宝石を金に替えてから宿を探そうか」
「そうだね」
レッドがそう返事をした、その時――
どんっ
「きゃっ」
「あいてっ!」
いきなり路地裏から飛び出してきた女性がレッドにぶつかり、ふたりはそれぞれ尻餅をついた。レッドは尻餅どころではなく、地面に突っ伏した格好のまま動かない。
「レッド、大丈夫?そちらのお嬢さんも大丈夫ですか?」
クリスはまず、レッドを立たせると服の埃を払ってやった。文句を言いかけるレッドだったが、尻餅をついている女性を見て開きかけた口を思わず閉じてしまっていた。
「・・・お嬢さん、大丈夫ですか?」
「うっ・・・うっ・・・・」
静かに彼女は泣いていた。そのために前を見て走ってはいなかったのだろう。クリスは彼女の栗色の髪をやさしく撫でる。
「・・・どうかしたんですか?」
その問いかけに、ようやく彼女も顔を上げクリスを見た。そして――
「うわ〜〜ん!!」
彼女はクリスの胸に顔を埋めて大声を上げて泣いた。通りを行き交う人々がクリスたちに注目している。恥ずかしいやら困ったやらで、複雑な表情のクリスにレッドはポツリと囁いた。
「・・・また、面倒なコトに巻き込まれちゃったね」
少年のため息と女性の大きな泣き声は、青い空に溶けていった。
女性はエリーと名乗った。道の真ん中で立ち話もなんだからというとこで、クリスたちが訪れたのは<エリーの酒場>というなんとも古めかしい店だった。
「ここは私の父が経営しているお店なんです」
瞼を晴らした彼女は入り口近くのカウンターにクリスたちを促した。
「何か飲み物を作りますね」
「あ、おかまいなく」
カウンターの中に入り、グラスにジュースを注いでいる。レッドは椅子の上で足をぶらぶらさせながら天井を見上げた。
「・・・クリス。ここ、ほんとにやってるの?」
「しっ!聞こえるよ!レッド!」
口に指を当て、クリスが釘を刺す。しかし、レッドの言う通り、この店は今にも潰れそうなほど古かった。外にある看板の文字は風雨にさらされて、もはや何が書いてあるのか分からなくなっており、店内を見渡せばテーブルや椅子には埃という名のカバーがかけられている。天井の至るところにはクモの巣が張り巡らされており、クリスはそれを見ないようにするほうが難しかった。
「はい、どうぞ」
出されたオレンジュースらしきもの。レッドはグラスを手に持つとマジマジと色を確認し、匂いを嗅ぐ。一口飲むと、少年の顔にはすぐに笑みが広がった。どうやら本物のオレンジジュースらしい。
クリスはおいしそうに飲むレッドを横目に見て、カウンターのエリーに声を掛けた。
「エリー。それで・・・どうして泣いてたの?助けて欲しいって言ってたよね?」
「はい・・・実は・・・」
エリーの話はこういうものだった。
エリーの父・ロフトフは店の経営に行き詰まり、借金を抱えるようになった。そこで、彼は再び金を借りて店を建て直そうと考える。この考え自体が危険なものだとは―借金が借金を生むという結果になるということを―おそらく本人は気付いていなかったのだろ。担保の無いロフトフに金を貸すところはどこにも無かった。そこでついに彼は高利貸しに手を出してしまう。金利は高いが条件は良かった。その場で彼はすぐにサインをしたのだという。
「今日で借りてたお金は全て返したはずなんです。でも――」
『あと金貨100枚持ってこい。そうしないと店は潰す』と言われたのだというのだ。
クリスとレッドは顔を見合わせた。
小さくため息をつき、レッドは年上の女性に口を開いた。
「お姉さん、きっと騙されたんだよ」
「えっ?!」
驚くエリーにクリスは続けて言った。
「ちゃんとロフトフさんは借用書読んだんでしょうか?そこには書いてあったんじゃないんですか?『全額返済できないときは店をもらう』とか『金利分は後払い』だとか・・・。」
「・・・よくわかりません」
うなだれるエリー。クリスとレッドは再び顔を見合わせ、お互いに困った顔をする。
思い沈黙が続くと思われた矢先、トントンと階段を下りる靴音が3人の耳に入ってきた。
「あ!父さん!・・・大丈夫なの?」
エリーが心配げに父親のロフトフを見やる。白髪交じりの髪はぼさぼさで、髭の手入れもしていない。頬もこけ、まるで生気を感じられなかった。
ロフトフは怯えたような視線を一瞬クリスとレッドに向けるが、借金取りではないとこが分かると、少しクリスたちとは離れて座った。
「・・・ロフトフさんですよね?」
「・・・はい。もう、この店は終わりです。辛うじてしている二階の宿の収入も全てあいつらに搾り取られてしまう!店を潰すだけじゃきっとあいつらは終わらないんだ!エリーまで連れて行かれたら・・・・わたしはミーナになんて言えばいいんだ・・・!!」
言うとカウンターに突っ伏す。エリーがそっと父親の頭を撫でながら、そっと耳元で囁いている。
「私は大丈夫よ。死んだ母さんは、今の父さんを心配してると思うわ。それに、その借金のことだけど、クリスさんたちが何とかしてくれそうなの。ね?そうでしょ?クリスさん」
「えっ・・・え〜っと・・・」
急な話の展開にクリスは戸惑った。正直言って他人がどうこう出来る域をかなり超えていたのだが、エリーは期待に満ち満ちた目をクリスたちに向けている。
「それは本当ですか?!」
父親までもが顔を上げ、目を輝かせてクリスを見た。
レッドはクリスのマントの端をちょいちょいと引っ張ると、
「・・・首を突っ込んじゃったんだから、やったほうがいいんじゃないの?」
「でも・・・俺、自信ないんだけど・・・」
「ダイジョーブだって」
レッドはニカッと笑って見せた。
「俺に任せといてよ」