ローズ城
「お父様!私は反対ですっ!」
淡い桃色のドレスのすそを踏まないように気をつけながら、彼女は自分の父親に対し不満を言う。
「もう一度、よくお考えください!お父様!!」
彼女の前を半ば走るように歩いていた男は、その言葉にぴたりと止まった。
「私と妻、リディアで考えたことだ」
そして、娘に向き直ると、「お前には関係のないことだ!」と、ぴしゃりと言い放ち、また走るように自室へと向かう。
「でも、お父様!以前は『死刑』には反対だって・・・お母様も――」
「うるさいっ!」
背中越しに怒鳴られ、彼女は一瞬身をこわばらせる。父親はもはや聞く耳もたん、といった態度で、かなり大きな音を立てて、自室の扉を閉めた。
その音に、廊下にいた見張りの兵士が思わず振り返る。
彼女は憤慨していた。
「なによっ!」
頬を紅潮させ、大きく足音をたて、彼女もまた城の反対側の自室へと向かう。
「なによっ!」
もう一度つぶやく。自然と歩幅は広くなっていった。
「いつも『私とリディアで決めたことだ』よ!お父様はどうしてあんな女と再婚したのかしら?」
ドレスを持ち上げ、苛立たしげに歩く彼女。彼女と通り過ぎるものは皆、一様に目を丸くしている。無論、彼女自身は気がついてはいないが・・・。
「信じらんないっ!」
叫び、扉が壊れるのではないかと思われるほど、大きな音をたてて閉めた。
「『犯罪者は皆、死刑』だなんて・・」
つぶやき、後ろ手で部屋の鍵をかける。かちゃりという金属音がした。
彼女は深いため息をつくと、大きなベッドに腰掛けた。そこからは窓を通して城下町が一望できた。淡い夜空にキラキラと星が瞬き始めている。
「昔はあんな人じゃなかったのに・・・」
以前まで、この国の法律は、「殺人等の第一級犯罪は死刑になることがある」と決められていた。しかし、実際にはこの刑を施行されることはほとんどなく、禁固数十年や数百年―と、いっても、ローズ城下でそのような犯罪なぞ起こってもいなかったが・・・。
「お母様・・・」
彼女の遺したプラチナソード。彼女は国を守る騎士団の団長を務めていた。
彼女亡き今、その制度も無くなり、治安が悪くなっていったという噂もある。
また、彼女を失った寂しさから、その夫は酒と女に溺れ、人格が一変したという噂も多々ある。これは、娘の耳にも入っていた事実であったし、父親の変化は誰が見ても明らかだった。
「どうしたらいいの?この法律じゃ、ただ食いしただけでも死刑になっちゃう・・・。
これで、犯罪が減るとは思えないわ。むしろ――」
恐ろしいのは国民の反応。この法律に国民がどのような反応をするのか。
反乱が起これば、この城はひとたまりもないだろう。内部分裂も起こるかもしれない。それほど、事態は深刻な、一刻を争うものだった。
「・・・あの人に説得してもらおうかしら・・」
彼女の脳裏に、その人の優しく、頼もしい笑顔が浮かび上がる。
「そうと決まれば・・」
彼女は独り言を言うと、服装を普段着から、動きやすいものへと替えた。そして、クローゼットの中から埃をかぶった木箱を取り出す。
そこには、母の形見がしまわれていた。
「磨けば、まだ使えるわね」
それを身につけ、引き出しにあった丈夫なロープを取り出した。
何度かひっぱり、切れないことを確認する。と、視界の端に小さな黒い何かがもそもそと動いている。
「まさかっ・・!!」
背中に嫌な汗が流れるのがわかった。
それは、やはり小さな蜘蛛であった。
彼女は出しかけた悲鳴をなんとかこらえ、それから半ば逃げるように窓枠にしがみつく。
やっとのことで息を整えると、ロープを窓枠に縛り付け始めた。そして、残りを外へ垂らす。
夜空には月は無く、星だけが煌めいていた。
(死刑だなんて・・・許せない)
犯罪は犯罪だが、死刑はあまりにもやりすぎだった。
ゆっくりと物音を立てないようにロープを降りる彼女。彼らはおそらく、見張り塔の地下一階にいるはずだった。
音も無く地に降り立つと、足音を殺しながら館の裏へ回り込む。運が良かったのか、守衛の姿はどこにもなかった。
(休憩なのかしら?)
半ば訝しく思いながらも、闇に浮かぶ金髪をなびかせ、狐のようにさっと飛び出ると、彼女は石畳の階段をつま先で下りていく。
見張り塔に来るのは初めてのことだった。
地下は空気がよどんでいるのか、ひどく湿った感じがしてカビ臭い匂いもする。
降りた先には鉄格子の付いた牢屋がいくつもあった。
その中に老若男女がひしめき合っている。
彼らは彼女の姿を見ると、格子にへばりつくように、懇願してきた。
「助けてくれ!お願いだ!!」
「家で女房と子供が待ってるんだ!」
「つい、出来心なんだ!」
口々に騒ぎ立てる彼ら。金髪のその人は、指を口に当て「静かに」と注意をする。
そして、ポケットから長い針を取り出した。
しばらくの後、ガチャリという鈍い音。牢の扉はゆっくりと開いていった。
「もう罪を犯さないと誓えるのなら・・・行きなさい」
彼女の言葉に、彼らは頷くと一斉に出口に向かった。
「静かに!見つかるわよ!」
次々に、彼女は牢屋を空けていった。と、昼間、目撃した少年が笑顔でそばに立っていた。
「ありがと。おいらたちを助けてくれて」
「あなたみたいな子供を死刑にするのに反対なだけよ」
石の階段を駆け上がり、逃げ出したおよそ50人は夜の館を後にする。
―と、
突然、館の反対側から火の手が上がった。庭の木々が燃えているらしい。闇夜が赤々と照らされる。
「さ、今のうちに」
彼女は彼らを促すと、それぞれの家へ帰るように言う。彼らはお礼を言うと、街に消えていった。
「ねえ、さっき何したの?」
昼間の少年が彼女を見上げる。彼女はフフッと笑って答えた。
「ナイショ」