五話
香子の男疑惑を確かめることができればなどと思っていたせいか、玖路はお風呂上りの香子とバッタリ鉢合わせし固まった。
お風呂上りドッキリは定番ネタである。とは言っても同性よりも異性で、被害者は大抵女性が多い。少年誌のラブコメものが多いかななんて、玖路は勝手なイメージを持っている。
目の中にゴミが入ってしまった玖路が洗面所に向かったところ、お風呂から出てきた香子と鉢合わせしてしまったのだ。香子様がお風呂に入っていたことは知っていたが、まだ大丈夫だろうとドアを開けたらの事故だった。お風呂上りなので香子様は生まれたままの姿で、すっぽんぽん、つまり裸だ。
顎から水が滴り落ち、なだらかな上半身につく。細身に見えて獣人だからだろうか意外と鍛えられていて腹筋は薄ら割れている。足は長く身長の半分は足ではないかと疑ってしまう。何よりも目を惹くのは臍の下、太腿の付け根部分、股間である。
玖路の大好きなBL漫画やゲームでお馴染みの物がぶら下がっている。目を擦り、もう一度見るが変わらない。
やっぱり男だったのか。玖路は思わずガン見してしまう。
「えっと、玖路ちゃん? そんなに見られると恥ずかしいんだけどな」
照れたように頬を掻き、香子はバスタオルを胸元に巻くとギリギリ太腿下まで隠れる。あ、隠れてしまったなどと、ちょっと残念がってしまうのは腐女子の性であろうか。人様のものをガン見なんて行儀が悪い。いや、普通に考えて恥ずかしい行為だ。今更ながら恥ずかしさに顔が熱くなっていく。
「ご、ごめんなさい。失礼致しましたわ」
お邪魔しましたと慌てて洗面所から出て行った。
香子は男だ。股間の物を見たからハッキリしたが、どうして女装をしているのだろうか。オネエになりたいのか、女装が好きなのか、従兄の嵐みたいな男の娘を目指しているのだろうか。その割にはフリフリふわふわな女の子らしい格好は見たことがない。
香子の私服のチョイスはボーイッシュだし、もしかして、身長高くガタイが良いからサイズがないのだろうか。嵐と言う男の娘を知っている同室者として、男の人でも着れるような洋服店を教えたほうが良いのかもしれない。
いや、でも、嵐は男にしては華奢で小柄だ。女性サイズでもイケないことはない。悔しい。玖路の裁縫スキルが高ければ、服を作ってプレゼントできたのに。残念ながら玖路の腕前では、せいぜいボタンの付け替え位だ。嵐に頼もうにも香子の事情を知らないし、何となく頼ってはいけないと勘が言っている。普通のだよって嘘を吐きながら、呪い付きの洋服を渡してきそうな予感がする。
香子の婚約者と言えば風紀委員長の至狼。男に男の婚約者って、生BLがキターっ!と小声で叫んで久しい。どっちが夫で、どっちが妻なのだろうか。転生した世界では同性婚ってどうなっていたっけ。でも、皆から女扱いされている香子のことだ。このまま書類とか偽装して結婚か籍は入れずに式を挙げての事実婚をするのかもしれない。考えるだけで胸のときめきが止まらない。
今のところ、玖路以外に香子が男だと知られていない。だが、今のところだからいつかは知られてしまうかもしれない。これは腐女子として同室者として、自分が何とかしなければならないのではないだろうか。玖路は香子男の娘計画に乗り出そうと決意する。
「香子様、こちらのお店の洋服はどうでしょうか?」
「ん? 私はスカートよりもパンツ系のほうが好きかな」
「香子様、良かったらこちらの髪飾り着けてみませんか?」
「えっと、私には可愛すぎて似合わないな。玖路ちゃんのほうが似合いそう。ほら、可愛いい」
「香子様、至狼様とどこか出かけたりしませんの? わたくし、お勧めの場所がありますのよ」
「お勧めの場所かぁ。どこかな? 至狼よりも玖路ちゃんと行きたいよ」
嵐が好んでいるブランドの洋服店を勧めてみるが、香子は女の子らしい服よりも男っぽい物を好むみたいだ。髪飾りも勧めてみたが、いつの間にか玖路の髪に挿さっていた。至狼とのデートプランを練ってみるも、さらりと躱され一緒に出掛けることになっていた。香子はなかなか手ごわい。
次はどういう手を使おうかなと鼻歌交じりにお風呂に入る。
その前に、二人はどういうカップリングだろうか。至狼×香子、または香子×至狼。どちらがより楽しいだろうか。玖路はだらしなく表情を緩めて考える。
二人を並べて見たとき、至狼×香子が一般的だろう。体格差を考えるとマッチするし、チャラ男ではないが女好きの香子受けは王道だと思う。
「至狼、止めなよ。私は女の子が好きで」
「黙れ、大人しく俺様の下で喘げ」
押し倒されて嫌そうに眉を顰める香子に、構わず進めていこうとする至狼。すっごく良いと思います。萌える。じゅるりと唾を飲み込む。
「俺様の気を引きたくて女を侍らわしていたのか。馬鹿な奴だな」
「うるさいよ。婚約者なんだから、少しくらいは私に構ってよ」
などと言う甘い展開も捨てがたい。どっちにしろ萌えること間違いなし。良いカップリングだと玖路は頷く。
妄想していたのでいつもよりも長引いた風呂から出る。部屋着へと着替えながらタオルで髪を拭き、リビングに入ると正座して何やら思いつめた表情をしている香子がいた。
「上がりましたわ。香子様、次どうぞ入ってくださ、いませ」
珍しい香子の姿に動揺して語尾が乱れてしまう。深刻なのか茸が生えていそうなほどどんよりとしている。
「玖路ちゃん、ちょっとこっち来て」
疑問系ではなく、珍しく命令的な口調。大人しく従い香子の正面に座る。
あ~とかう~とか唸りながら、何やら決心したように一冊の漫画をテーブルの上に置く。過激なタイトルに肌色が多く男が二人絡み合っている姿に、声にならない悲鳴を上げながら玖路は慌てて回収する。どうしてこの本がここにあるのだろうか。ヤバい、中身見られただろうかと、チラチラ香子を盗み見する。
「あのさ、玖路ちゃんて、その、同性愛者なの?」
眉を下げて困惑気味に香子は聞いてくる。玖路は俯き回収した本を見つめた。玖路の愛読しているBL漫画だ。
「……わたくし、百合ではありませんわ」
「ごめん。百合ってどういう意味?」
「女同士の恋愛のことを差しますの。GLとも言いまして、わたくしが好きなのは男同士の恋愛、BLですわ。BLを好きな女性を腐った女子と書いて腐女子と言いまして、わたくしは個人の趣味としてこっそりと楽しんでいますの。こういう腐女子を隠れ腐女子と言いますわ。今まで隠していて申し訳ありません」
男同士の恋愛で突っ込んだり突っ込まれたりなんていうのは、普通の人から見れば引かれますでしょと縮こまる。だから、隠していたのですと項垂れた。
「それに、わたくしは浅ましくも学園の見目麗しい生徒や先生方でカップリングしていますし、香子様もこんな変態がご一緒の部屋など嫌ですわよね」
ボソボソ話す玖路に香子は首を振る。
「う~ん、それってようは衆道のことでしょ。昔からそういうのはあったし、私は別に気にしないけど」
香子を見るとお世辞を言っているようには見えない。
「これからも、わたくしの友達でいてくれますの?」
「もちろん」
「まあ! ありがとうござ」
「待って!」
感極まって抱きつこうとすると強い口調で止められた。驚き目でどうしてと尋ねると香子は困った表情をしている。
「私、前から言おうと思っていたんだけど、玖路ちゃんてけっこう無防備だよね」
視線を向けられて自身の格好を見る。夏だから薄着だ。Tシャツは太腿まで隠せる大き目のサイズのもの一枚。
「下着は穿いていますわよ」
「玖路ちゃん、はしたないよ!」
裾を撒くって見せると香子に怒られた。
「お部屋でくらいよろしいではありませんか」
「あのね、いくら同性でも」
「あら、香子様は殿方をお好きでしょうから、わたくしみたいな女性に欲情なさらないでしょう」
香子の言葉を遮って微笑めば、香子の眉根が寄せられる。
「……私ってどちらかと言うと、女の子が好きな同性愛者だと思われているのになぁ。玖路ちゃんは私が男を好きだって思うんだね」
「だって、香子様は同性愛者の方でしょう。殿方を好きなのはよく分かっていますわ」
香子様が瞬きをしてから目を丸くする。何か考えるように顎に手をやってから、鷹のように鋭い眼差しで玖路を射抜く。
「玖路ちゃんに私ってどう見えているのかな」
「どう見えていてると言われても香子様は香子様でしょう?」
「性別のこと」
「ああ。わたくし、脱衣場で香子様と鉢合わせてしまいましたでしょう? そのときに、お恥ずかしながら、殿方のシンボルを拝見いたしましたの」
思い出すと羞恥に襲われ顔が熱くなってくるので、できるだけ香子のことを見ないようにする。
「そっか、うん。玖路ちゃんには男に見えたんだ」
いつもの柔らかな口調から単調な棒読み染みたものに変化する。ゾワリと肌が泡立ち、心なし寒いような気がして、何だかこの場から逃げ出したい気持ちに駆られた。
「私はね、魔女に呪いをかけられているんだ」
「呪い、ですか?」
香子の言葉を反芻しながら言葉を理解しようと瞬きを繰り返す。
「そう。周囲から女だと認識される類いのものをね。いくら私が男だと喚いても解けることはないんだ。だから、学園にも女子生徒として通っているし、女子生徒だから制服も女性物を着ないと駄目だし、婚約者も男になっている。まあ、至狼の家は知っていて協力してくれているんだけどね」
「え? 男の娘ですから女装していたわけではありませんの?」
「ん? 男の子が女装って流行ってるの? 常識なの? でも、至狼が女装してるのなんて見たことないよ」
「流行っているわけでも常識でもありませんわ。嵐、ではなく、音波先生のように女装が趣味だと思っていましたの。後、至狼様の家に協力ってどういうことですの?」
「趣味って、あー、ないない。私、ノーマルだし。至狼の家とはお互い付き合いあるし、同じような名家だしね。周囲を黙らせるために利用し合ってるんだよ。婚約も高校を卒業すれば解消するしね」
「お、お付き合いをされているわけではなかったのですね」
婚約がカモフラージュなんて、酷い詐欺にあったような気分だ。玖路は肩を落として悔しがる。
反対に香子の目はキラキラと輝き、とても大切な者を見るような目で玖路を見つめる。
「ね、玖路ちゃん。私って呪いのせいで女子が好きでもガッツリ行き過ぎると同性愛者に見られて逃げられたりするし、同性であるはずの男から迫られることもあったし、今まで誰も気付いてくれなかったんだ。なのに、玖路ちゃんが気付いてくれて嬉しい!」
玖路の耳は自分の好ましい部分を拾っていた。すなわち、男が男に迫られると言う話。玖路が頬を染めて薄ら微笑む姿に、何かおかしなものを感じたらしく香子の頬が引きつる。
「そっか、そうだよね。玖路ちゃんは男同士の恋愛が好きなんだっけ」
苦笑いしながら釘を刺す。
「玖路ちゃん。妄想するのは良いけど、私は可愛い女の子が好きなんだからね。そこのところは覚えておいてね」
「はい、分かりましたわ」
「う~ん、あんまり聞いてないでしょ」
妄想の許可が出たことに喜び、後半部分聞いていなかったのを見破られた。
「いえ、その、これからも宜しくお願い致しますわね」
「うん、こちらこそよろしくね。私の本当の名前は鷹飛って言うんだ。二人だけのときでも良いから、私の名前をその可愛い声で呼んでね」
お互いの秘密を分かち合い、何だか今まで以上に親しくなった気がして、これからも仲良くやっていける気がした。