二話
寮監室で手続きをして、自分の部屋を目指す。中等部と同じく高等部も寮だが、中等部とは同室者が異なる。もっと他の者と交流を持てと言うのか知らないが、くじで決めているともっぱらの噂だ。ただし、同室となる者は同じ種族同士だ。違う種族だと三竦みの関係上、虐げられる者が出てくるためである。
中等部では同じ猫の獣人と一緒で、面倒見が良く世話を焼いてもらっていた。けっこう仲が良かったし気心も知れているので、同じ相手でも良いのになぁと思う。同室になる者は部屋に着くまで分からない。高等部では誰と一緒になるのだろうか。
すれ違う生徒は私服姿が多い。制服を着ているのは二年生以上で部活に入っている生徒だろうか。玖路が家族に見せるために着たときよりも、よく馴染んでいて似合っている。たまに知っている人がいるので挨拶して、誰と一緒だったのかとか、高等部のご飯は美味しいのかなどと他愛無い話をしながら部屋に向かう。
意外に時間がかかったなと思いながら、カードキーと同じ番号の部屋に着く。ネームプレートを確認してから、同室者に目を通して思わず固まってしまう。見間違いかともう一度しっかり見るが変わらない。
「……天野香子様」
どう頑張ってもそうとしか読めない。夢かと頬を抓れば痛みに顔を顰める。獣人の中でも上位にいる鷹の天野香子と同室になってしまったようだ。
香子は女子にしては背が高く顔立ちも美形なので、宝塚の男役みたいと女子に人気の生徒だ。そんな有名人と同室だなんて想像するだけでもゾッとする。
玖路の趣味はBLウォッチング。男同士の絡みを影からこっそりと観察をしたいので、極力目立ちたくないのだ。
他の人と部屋を変わってもらえないだろうかと頭を巡らす。香子が同室ならどの子も喜んで変わってくれそうだが、寮監や先生に何と話せばいいのだろうか。BL観察したいから目立ちたくないので有名人と一緒はちょっと、なんて本音を語ったら駄目なことくらい隠れ腐女子の玖路だって分かる。近年、腐女子が増えてきていると言っても、まだまだ肩身が狭いと言うか、オープン腐女子にはなれない。同士っぽい女子を見かけても恥ずかしくて友達になれない玖路には敷居が高い。
どうしようかと部屋のドアの前で唸っていると、急にドアが開かれる。
中から涼やかな美形、香子本人の登場に心構えができていなかった玖路は不審者よろしく挙動不審になってしまう。
「こんにちは。花宮玖路ちゃんだよね? さあ、どうぞ……て、私が言うのも変だけど、いつまでも突っ立ってないで入りなよ」
にこやかな微笑と共に手荷物が奪われ、スマートに部屋へと通される。凄い、手慣れている。さすが、見かける度に女の子に囲まれている香子だ。
居間に入ると段ボールが置かれている。あらかじめ先に送っていた荷物だ。中には人様には見せられない腐ったお宝物も入っている。
だが、玖路は置かれた段ボールよりも香子のほうを見る。
茶色い髪は短く襟元に着くくらい、髪よりも濃い同色の目は切れ長の一重。モデル顔負けの長身で、手足も長く所作もカッコイイ。女子の間では王子様なんて呼ばれているけど、玖路は眉を寄せて考える。
……どう見ても男にしか見えないのは何でだろうか。
BLというジャンルを好きだから女装と言うか、男の娘という存在を知っているけれども、香子はそれとも違うように思う。だって、皆香子を男ではなく女扱いしている。まるで、玖路以外の皆に魔法にかけられたかのようで誰にも相談できない。もしかして、本当に魔法で香子がそういう類の魔法を使っているのかもしれないと密かに思っていたが、香子からは強い魔力を感じない。疑っていただけに当てが外れてしまったと内心舌を出す。
「ねえ、玖路ちゃん……って玖路ちゃんって呼んでもいいかな?」
「え? あ、はい」
考えに没頭していて何も聞いていなかった。とりあえず、頷いてしまったが大丈夫だろうか。玖路は窺うように香子を見るが、ニコニコ笑うだけで何を話していたかは分からない。
「部屋割りなんだけど、玖路ちゃんは右でいいかな? 私、入寮が早かったから、先に左を使っちゃったんだけど」
「大丈夫ですわ。わたくしは右、ですわね」
今世の両親の教育方針で言葉遣いはお嬢様口調だ。習慣とは怖い物で逆に崩して使うほうが今では困難になってしまった。
「良かったら手伝うよ」
「ありがとうございます。でも、そこまで量はないので大丈夫ですわ」
「そう? せっかく同室になったんだから、親交を深めたいって思ったんだけどな。ほら、幼稚舎から同じ学校とは言っても、あまり話したことはなかったでしょ」
なるほど、お喋りが目的か。確かに玖路も香子に興味はある。会話をすることで為人が少しは分かるかもしれない。幸いBL系は纏めて隠して印のある段ボールに入っているので、今は開けずに後で整理すればいい。
「では、お言葉に甘えてお願いしますね」
「了解。任せてね、可愛いお姫様」
従者が主にするように礼をする。臭いセリフと仕草なのに、驚くほど自然で香子に似合っていた。さすが、王子様と異名されるだけはある。
香子が軽々と積んだ段ボールを持ち上げ、玖路の部屋へと運んでくれる。自分でも持ってみたが一つがやっとだ。それも、若干よろめいて頼りない足つきでだ。獣人が身体能力高いと言っても、やっぱり男なんじゃないかと勘繰ってしまう。ただ、玖路と比べても意味がないのだが。
プライベートルームはシンプルな造りをしているが中等部より若干広めに感じる。殺風景なのでちょっと寂しいが、そのうち、カーテンやベッドカバーを変えよう。壁紙はさすがに面倒だけど、もう少し可愛くしてみたいと玖路は思う。
「私ね、玖路ちゃんのことがずっと気になっていたんだ」
段ボールを開けながら香子が言う。
「玖路ちゃんって至狼と仲が良いでしょ? だから、話してみたいってずっと思っていたんだ。だからさ、同室になれて本当に嬉しいな」
香子が目を細めて微笑む。背後にキラキラとした光や花が飛ぶような笑顔に玖路はうっとりと見惚れてしまい、慌てて頭を振り違うと否定の言葉を心の中で唱える。
天野様は男、天野様は男……違う、女、女と熱を振り払おうとするが頬は熱いまま。唸りながら誤魔化すように段ボールの整理に精を出す。
「玖路ちゃんさ、中等部のとき亜理紗ちゃんと同室だったでしょ。高等部に上がって離れちゃったから、凄く心配していたよ」
亜理紗は中等部のときの同室者だ。同じ猫であるが弱すぎる玖路の面倒をよく見てくれていた姉御肌の獣人。そう言えば、中等部の卒業式のときに、こちらが引くくらい泣かれたっけな。高等部で無事にやっていけるか、玖路の両親よりも心配していたし、少しばかり過保護な子で困ってしまう。しまったな。春休みの間、すぐに高等部に進学するからと連絡はしていない。何度か電話が来ていたがタイミング悪くて出ることもできなかったし、怒っていることはないだろうがむくれているかもしれない。
「天野様は亜理紗さんとお知り合いでしたか?」
「まあね。私、けっこう顔が広いんだよ。それよりも、気軽に香子って呼んでほしいな」
「そ、そうですわね。でしたら、香子様とお呼びしますね」
さすがに香子なんて馴れ馴れしく呼び捨てにできない。そんなことをすれば、女子達から総スカンを食らう。ハブられたらこの後の学園生活は地獄だ。玖路は同性だからこそ、同じ女子の怖さを知っている。肌を擦りながら気を配んなきゃな生き残れないと身を引き締める。
「至狼にも頼まれているし、何かあったらすぐに言ってほしいな。できる限り、私は玖路ちゃんの力になるよ」
「ありがとうございます。わたくし、獣人にしては鈍くさいので、香子様が呆れられないと良いのですが」
「大丈夫」
香子が玖路の頬を撫でる。
「君のことを、これからは私が守るよ」
ゾワリと肌が泡立つ。後方に倒れそうになり、意識が遠のきそうになる。恐ろしい。何とも気障ったらしいが、似合いすぎて困る。同室でこれから自分の心臓が持つのだろうかと玖路は慄く。いや、それよりも、香子の相手が自分ではなく男だったら、ドアの隙間からコッソリ覗いていたい。
玖路の脳内で香子は男子の制服を着た凛々しい男子生徒になっていた。香子が相手の男に甘い言葉を囁き、相手が動揺して頬を染めて恥ずかしがる。徐々に近寄っていくお互いの顔。気付けば口づけを交わす二人の男。
良い、すっごく良い。うっとりと妄想を広げていく。
玖路は獣人としての能力は低いが、腐女子の嗜みとしてBL観察のために鍛え上げられた隠密能力は高い。これだけは玖路が胸を張って他人に自慢できる。
しかし、戦闘能力は限りなく低い。見つかって捕まり戦いになったら勝てない。 獣人は脳筋が多いので、皆概ね戦いが好きだ。また、仲間意識が高くて身内だと認識した弱い者には庇護欲が強くなる。玖路は友達間では保護対象になっている。
「亜理紗ちゃんや至狼には劣るかもしれないけど、お願いだから君のことを守らせてよ。ね、お姫様」
香子の背後にぶわっと大輪の薔薇が咲き誇る幻覚が見える。何やらやる気満々のようだ。目はキラキラと輝き胸を張る姿は、逃げられそうにもない。
玖路としてはひっそりこっそりとBL観察をして妄想を楽しみたいのだが、それも無理そうだ。どうせだったら、香子を男体化させて妄想の糧にしてしまおう。玖路は引きつった笑みで考えた。