91 どうでもいいだろ
「なんだこれは……」
「気づかなかっただろ? 俺はお前らと対面した時にはもう仕込みを済ませておいたんだよ」
クエイクの身体はもう動かない。
懸命に動かそうとはしているのだが、まるで神経が繋がっていないかのようにピクリともしないのだ。
「俺の魔法ってのはいわゆる「初見殺し」ってやつでな、初対面のやつにはまず負けねぇ。誰も術中にハマったってことに気づけねぇからだ」
「く……」
クエイクは彼の言葉を信じる他なかった。
本来の力を解き放つ〈抜刀〉ですら、今のクエイクの身体は反応しない。
「俺の術は幻術……って思われがちだが、実際のところ違う。正確に言えば、それだけじゃねぇんだわ」
ジオンが手を突き出し、指をクイッと上げる。
すると、動かないクエイクの身体がなめらかに立ち上がった。
「なに……?」
「暗示や催眠、単純なやつなら洗脳すらできる。今のお前にかかっているのは、暗示だ。自分の意思では動けないって暗示。おもしれぇだろ?」
ジオンが手を下ろす。
するとクエイクは力が抜けたように地面に倒れ込んだ。
そして再び動かなくなる。
「ぐ……ぬおぉ……」
「足掻いても無駄だっつーの。暗示はお前の内面にあるもんだ、一度かかっちまえばもうオシマイ」
どうしても気持ち悪い感覚であった。
首から下に身体があることは分かる。
しかし自分のものではないかのごとく、動かない。
「さて、こっからさらに面白くなるぜ」
「な、何をする気だ……」
ジオンは一本のナイフを取り出す。
そしてクエイクの身体に腰を下ろし、そのナイフを突き立てた。
「……!」
「ほら、痛みがねぇだろ? てめぇの痛覚にはちょっと眠っていおいてもらったぜ。まあ、それだけなんだが」
ナイフが抜かれるが、クエイクはまったく痛みを感じなかった。
感じたのは気持ちの悪い異物感である。
「んで、本題はこっからなんだが……何でお前を殺さずに遊んでいるんだと思う?」
「な、何が言いたいのだ……」
「簡単な話、お前にはこれから自分たちのことについて何もかも喋ってもらおうと思ってな。分かるだろ? 情報が欲しいんだよ」
ジオンはクエイクの首にナイフを突きつける。
その表情は、見た目と相まって悪魔のようであった。
「ぐ……貴様なんぞに誰が喋るものか!」
「ああ、いいよそういうのは。お前はどうせ全部喋るんだ。意思とは関係なくな」
クエイクはすぐに口を紡ぐ。
しかし、次の瞬間には大きく開いていた。
それを閉じることはもうできない。
「てめぇらのやったことは俺の堪忍袋の緒を切ったんだよ。楽に死ねると思ってんじゃねぇぞダルマァ……」
◆◆◆
「居合の一、〈牙〉!」
「そのような太刀で私を斬るというのか! 足りぬぞ!」
身体を横に倒しながら、横に斬るのではなく縦に斬りつける居合い斬り。
「待ち」ではなく「攻め」の居合技であるこれは、重力をも乗せたその攻撃的な姿勢と真上から食らいつく形から、牙と呼ばれている。
だが、エアロは出現させた己の剣で、それを軽々受け止めた。
「そのような軽い武器では、私を跪かせることもできない……さあ、今度はこちらの番だ」
「何!」
エアロがラミナを押し返し、剣を薙ぐ。
彼女の能力である風が、それに反応して吹き荒れた。
「ぐっ!」
それはラミナの身体を吹き飛ばし、ついでとばかりに切り傷をつける。
「頑丈ではあるようだな。でなければ今の一撃で終わっていたぞ」
「……」
彼女の全身から血が流れる。
幸い傷は深くなく、致命傷は一つもない。
ただ現在進行形で失っている血液は、決して無視できるものではなかった。
「あとどれだけ切り裂けば貴様は死ぬだろうか!」
「……居合の三」
エアロが剣を振り、再び風の刃を放つ。
それがラミナの身体に当たる瞬間――――――――――。
「〈瞬拍〉」
「なっ」
――――――――それらはすべて霧散し、エアロの眼前にラミナが現れた。
〈瞬拍〉、この技は居合による踏み込みを利用した短距離においての超高速移動技である。
これも「待ち」ではなく「攻め」の技であり、居合を警戒し近づいてこない敵に対して、一瞬の拍内で接近し首を刎ねるのだ。
だが今回、ラミナはこれを移動のためだけに使った。
その理由としては、まず刀を鞘に納める時間がなかったこと、そして
「〈重鉄の太刀〉」
「がっ――――――――――」
この重い一撃を、やつに叩きこむためである。
エアロの身体は真横に吹き飛んだ。
何とか剣による防御が間に合ったのにも関わらず、だ。
転がりつつも体勢を立て直した彼女は、自分の腕が痺れていることに気づく。
まるで巨大な鉄槌で横殴りにされたようだった。
〈重鉄の太刀〉は居合ではない通常の剣術。
あえて刀の峰で敵の武器を打つことで、武器の破壊、またはそれを持つ腕にダメージを与える技だ。
ただしそれは、未熟者の太刀である。
ラミナほどになれば、魔力を最大限効率よく伝え、その重さを何十倍にも跳ねあげることができる。
それは彼女の刀を巨人が使うような大剣かと錯覚させるほどに、桁外れな威力を叩き出す。
「どうだ、想像以上に重いだろう?」
「くっ……だが、貴様とて無事では済まなかったようだな」
「……」
しかし、この一撃を生み出すためだけに、ラミナの身体の傷は増えていた。
あのエアロの暴風の中を突っ切ったのだ。
もはや彼女の身体に傷がないところはない。
「その身体で何ができる? もう一度風の刃を受ければ、今度こそ死ぬかもしれんぞ」
「……例え、それで死のうと……」
ラミナは刀を納め、姿勢を低くして構える。
「貴様の首を取れるならばそれでいい。私は任されたのだから」
「……その心意気は見事。だが、私とて首を渡すわけには行かない」
エアロの周りで風が渦巻く。
それは、彼女をさらなる段階へと押し上げる前兆。
「貴様を全力で葬ろう。――――――――〈抜刀〉」
◆◆◆
ミラージュの姿が変わった。
銀箔のドレスに身を包み、その周りに無数の巨大な鏡が浮かんでいる。
あの鏡はなんだ……?
何か、嫌な予感がする。
「どうした、来ないのか?」
「へっ……うるせぇ、今行くところだ!」
迷っていても仕方がない。
あれの正体を探るためにも、こっちから仕掛ける。
「つぁ!」
「前向きな姿勢はよし、だがこれは悪手だぞ」
俺の突き出した拳と、ミラージュの間に鏡が割り込んでくる。
これじゃやつには届かないが、この鏡ごと吹き飛ばしちまえば――――――――――。
「鏡は、すべてを映しとる」
「っ!」
鏡には、俺が映っていた。
いや、当然なんだが……何だ、この違和感。
まるで、鏡の中俺も殴りつけて来ているような――――――――。
「っ! ぐわっ!」
次の瞬間、俺の身体は拳の痛みとともに大きく後ろへ吹き飛ばされた。
何だったんだ今のは。
鏡を殴った感触じゃなかった。
拳と拳をぶつけあった、あの感触が一番近い……ってまさか。
「おいおい……ありか、そんな能力」
「気づいたか。そう、私の能力は、鏡に映ったもののすべてを複製する能力だ。鏡を殴れば同じ威力の拳が放たれ、何か魔法を放てば相殺される。これは私を守る絶対の盾なのだ」
名前からして鏡を使うやつだってのは分かっていたが、思ったよりも厄介な能力だ。
てか鏡の反応速度が一番の脅威なのかもしれない。
隙間を突いて仕掛けても、多分すぐ防がれるだろう。
未完成だが……もうアレを使うべきか?
「何を呆然としている。来ないのならばこっちから行くぞ」
「ッチ! ちょっとくらい考えさせろや!」
鏡が俺を囲うように並ぶ。
警戒していると、そこに映っている〈俺〉が、ひとりでに動き始めた。
いや、待て待て……何で鏡の中の俺が勝手に動いてるんだよ!?
「貴様の能力を完璧に写しとった分身体だ。存分に戦え」
「ちくしょう……めんどくせぇことしやがって!」
無数の俺が飛びかかってくる。
速い。自分で言うのもあれだが、速い。
前から来た二体を何とか捌くと、後ろから殴りつけてきたやつの拳を受け止める。
だが、さらに後ろに回りこんできた他の個体に、俺は羽交い締めにされた。
「クソが! 離せ!」
力が拮抗しているせいか、まったく外すことができない。
ちくしょう、これじゃ――――――――。
「がっ!」
拘束されている俺を、他の俺が殴りつける。
いてぇ。
そりゃそうだよな、身体能力は俺と同じなんだから。
「さて、つまらぬが、そのまま殴り殺されてしまえ。私は貴様に構い続けているわけにも行かないのでな」
ミラージュの声が遠くに聞こえる。
まずいな、これじゃすぐにリタイアだ。
「へっ……そうだよな。出し惜しみしてる場合じゃねぇよ」
俺は腹に力を込める。
そろそろ見せとかないとな、修行の成果ってやつを。
俺は一つひとつストローの言葉を思い出す。
『いいか? 神力は使い方だけならば魔力と大して変わらん』
まずは神力を練り上げる。
『お前の神力はまだ少ない。じゃから、必要な部位に必要なだけ流すのじゃ。もし……それでも倒せない敵がいるというのなら――――――――』
神力を……全身へ。
『全身に神力をまとわせ、一時の間……神となれ』
俺の感情が消えていく。
消え去る前に……目的を、ミラージュを倒すことに設定しておく。
今はそれだけ守れればいい。
やつさえ倒せれば、それでいい。
「貴様……なぜ、神力を扱える!?」
ミラージュが驚いている。
何をそんな騒いでいるんだ?
「どうでもいいだろ、そんなこと」
「はっ」
気づくと、俺はミラージュの腹を殴りつけていた。




