70 最凶最悪
「うっ……ん……?」
「よかった、エルカ起きた」
目を覚ましたエルカは、大きな木の下に自分がいることと、メルアーとの戦闘が終わったことをすぐに把握した。
「身体は完治しているはずだ。起き上がっていいぞ」
「ブラッド……そうですか、あなたが援軍に来てくれたんですね」
「援軍はお前らのほうだと思うがな……まあそういうわけだ」
ティアに支えられながら、エルカは身体を起こす。
そして、となりに寝ているアリゼを見た。
「アリゼは……」
「もう正常。ただ、あの魔物使いのせいで脳にダメージが残ってるかもしれない」
メルアーを倒したあと、ブラッドはすぐに二人の治療を開始した。
あらゆるサポートも完璧にこなす彼の回復魔法は優秀で、比較的〈操縦魔法〉の浸蝕が浅かったエルカの傷は、完治させることに成功。
しかしアリゼは、脳もかなりダメージを負っていた。
傷は治せても、その間に脳に障害が残ってしまっていてもおかしくない。
「今はグレインがあのデカブツに止めを刺しに行っている」
ブラッドが指した方向には、巨大な怪物が立っていた。
脳であるメルアーを失い、動けなくなってしまったキマイラである。
今、その身体が両断されて地面に落ちた。
「ふぅ……あ、エルカ起きたんだね。よかったよかった」
「お騒がせしました」
たった今、キマイラに止めを刺してきたグレインが戻ってくる。
その背中には男が背負われていた。
「ん、その人誰?」
「アリゼの近くにいたカラクリの中身だよ。お互い離れようとしてなかったから、もしかしてアリゼの知り合いかなって」
その男、ラーメルは気絶していた。
目立った怪我は肋骨の骨折程度で、後は身体がところどころ変色し、両腕両足に無数の筋が入っている。
重傷ではあるが、呼吸は安定していて命に別状はなさそうだ。
(……あの変色……どこかで……)
少しして、ブラッドは思い出す。
(デザストル様に求婚した男……テランとか言ったか、あいつが連れていたローブの連中と同じだな……なるほど、あのカラクリどもの中身は改造人間……ずいぶん胸糞悪いことをしてくれる)
ブラッドは思わず拳を握りしめた。
しばらくして、彼は自分のやるべきことを思い出す。
「おっと……その男も治療しよう、そこに寝かせてくれ」
「分かったよ」
グレインは言われた通りに、木の下のあまり湿っていない草の上にラーメルを寝かせる。
「私たち、これからどうする?」
「そうだね……僕の傷ももう癒えてるし、エルカ次第でセツさんを探そうか」
「私ならもう大丈夫です。貧血気味で少しフラつきますが、それだけなので」
そう言ってエルカは立ち上がる。
その言葉に嘘はないようで、しっかりと地面を踏みしめて見せた。
「俺も行こう」
「でもブラッドがここを離れたら、その二人どうする?」
「道中で魔族の兵士に回収を頼む。この二人も魔族だ。お前たちの仲間でもあるようだし、とりあえずは魔王城へと連れて行かせる」
ラーメルの治療も終わり、ブラッドも立ち上がる。
「じゃあ……行こうか」
四人が駆け出す。
探ってもセツの魔力が感じ取れないのには不安を抱いたが、エルカの謎のセツだけを感知する嗅覚を頼りに、戦場を駆け抜けた。
(そう言えば……あの夕陽とか言う女はどうなったか……)
「っ……はぁ……はぁ……」
夕陽は少し時間をかけつつも、肉体を生身に戻した。
その途端に膝をつき、息を荒らげる。
一度全身を炎に変化させて再構築しているため、ルーナに負わされた怪我のダメージが原因ではない。
「やっぱりちょっと……しんどいなぁ」
彼女の〈限界突破〉は強力であるが、その分消費が激しい。
集中力を切らせば、自分の肉体が飛び散ることにもなるため、精神力の消耗も想像以上なのだ。
エルカからも、長時間の使用は禁じられている。
「……弱音吐いてちゃ……いけないよね」
休むのもそこそこに、夕陽は立ち上がる。
魔力も体力も三割と言ったところではあるが、セツの元に戻らなければいけない。
「ユキくんならもうとっくに終わらせてるはずだもん……すぐに追いつかなきゃ」
魔力で軽く身体を強化しつつ、夕陽はセツのいた場所に駈け出した。
「デザス、これからどうするの?」
「そうだな……妾たちも前線に上がるか」
デザストルは王の間にあるテラスに向かいながら、言う。
「何で自分から危ないところに行こうとするのよ……」
「そんなもの……セツに会いたいからに決まってるじゃないか」
「……あなた、本当に正直ね」
少し羨ましいわ――――――――――。
「ん? 何か言ったか?」
「いえ……何も」
リヴァイアは少し顔を赤く染めながらも、首を横に振る。
「いいわ、あなたが行くというなら私も行くだけだし。それに――――――――――多分……もうすぐこの戦争も終わるわ」
「? なぜ分かる?」
「あなたより何年生きてると思ってるの? 年長者の勘よ、勘」
「ふむ、それは宛になりそうだ」
デザストルはニヤリと笑いながら、テラスから飛び出す。
リヴァイアもそれに続き、外へと飛び出した。
「……うーん……」
冬真は悩んでいた。
目の前で光の球体に包まれてしまったセツに、どうやっても手を出すことができないせいで。
カゲロウを殺してしまったことで、発狂するまでは彼の想像の範疇だった。
しかし、まさかこのような防御策を取ってくるとは流石に想像以上である。
ちなみに、現状あらゆる手段を試し、すべてことごとく弾かれてしまった。
〈呪術魔法〉すら、為す術はない。
「困ったなぁ……聖剣抜くしかないかも」
冬真は頭を捻るが、いい案は思いつかない。
仕方なく、聖剣を抜こうとした時であった――――――――――。
「き、貴様は!」
「んー? あれ、君たちは五大魔将じゃないか。カゲロウに殺されたって聞いてたんだけどなぁ」
「そ、そう簡単には死なないよ」
そこに現れたのは、リリーとイデス。
彼らは他の兵士の肩を借りながら、そこに立っていた。
「なーんだ……死んでなかったのかー。じゃあしょうがない。僕が殺してあげるよ」
(……まずいよ……)
リリーの頬を冷や汗が流れる。
彼らは現状、立っているのがやっとであった。
ブラッドに言われ、夕陽の元へ向かっていた兵士たちが瀕死の彼らを見つけなければ、おそらく今頃死んでいただろう。
ギリギリの応急処置で一命は取り留めたものの、とてもじゃないが戦える状態ではない。
「……全員退避だ」
張り詰めた空気の中、イデスがポツリとつぶやく。
「なっ……イデス様! 何を言っているんですか!」
「戦いますよ! 我らも!」
兵士たちは、その言葉に不満を露わにする。
しかし、それをリリーが制した。
「みんなが戦うって言っても、あいつには何の妨害にもならないよ。無駄死は認められない」
「その通りだ。我々なら、少しは時間を稼げるかもしれない」
「そ、そんな……」
「命令だ」
イデスが凄む。
ビクッと身体を震わせた兵士たちは、怖ず怖ずと言った様子で、後方へ下がった。
だが――――――――。
「逃すと、思うの?」
この場にいる全員の足が止まる。
兵士の中には、この男が発する殺気で気絶してしまう者までおり、一瞬にして場が恐怖に支配された。
この中には、冬真の存在を知らないものが多い。
それが逆に、身構えるのと退避を遅れさせた原因であった。
「逃げてッ!」
リリーが飛び出し、兵士たちの盾になるように立つ。
「今すぐデザストル様にこの男の存在を伝えろ! それがお前たちの役目だ!」
まさに命がけの壁。
これでも、冬真に対しては一秒稼げるかどうか――――――――。
「無駄なのに……じゃあ――――――――死ね」
「ッ!」
冬真の手が、イデスとリリーに向けられる。
軽々しく向けられたはずの手であるのに、そこに集った魔力は、容易に彼らを消し飛ばせるほどの力を秘めていた。
「っ! ……化物め!」
「バイバイ」
イデスとリリーは、覚悟を決めて眼を閉じる。
その姿を見た兵士たちは、ようやく自分の使命を認識し、全力で逃走を始めた。
しかし、もう遅い。
彼らが逃げ切るよりも早く、その手から魔法が放たれ――――――――――。
「はぁぁぁ! 〈重脚〉!」
「っ!」
真上から、冬真目掛けて足が振り下ろされる。
魔法を放つ寸前だった彼は手を引き戻し、後ろへ跳んでかわす。
「逃さないです」
そこに追い打ちを仕掛ける影。
一瞬で距離を詰めたその人物は、長く伸びた爪で怒涛の攻撃を繰り出す。
「危ないなぁ……そんなにはしゃがないでよ!」
「っ! チッ……」
その攻撃は当たらず、冬真はそれをかわしつつその人物に手を伸ばす。
いち早く危険を察知した彼女は、ギリギリで後ろに跳んでかわした。
「いいところだったのに……やめてよ、シロネコ、ミネコ」
「ふざけるなです」
「これ以上、あなたの好き勝手にはさせない!」
ミネコとシロネコが並ぶ。
イデスとリリーは、それを唖然とした表情で見ていた。
「お前たちは……」
「とりあえず、援軍として来たです」
「二人とも怪我しているみたいですし、今は私たちに任せて下がってください」
「っ、ご、ごめんね!」
二人は言われた通りに下がる。
彼らも実力者。
自分たちの力が通用しないと分かれば、逃走も視野に入れられる判断力は持っている。
「裏切り者二人が何の用? 邪魔しないでほしいなぁ」
「裏切ったのはお前です。ミネコの薬をくれるって言ったから協力してたです。それをお前は――――――――――」
「そう言うのは騙された方が悪いんだよ?」
冬真が下衆な笑みを浮かべる。
それを見たミネコは血がにじむほど拳を握りしめた。
「姉さんがどんな気持ちで……あなたに協力してたと……ッ!」
「知らないよ。君たちに別段興味があるわけじゃない。その力に利用価値があっただけ。僕の興味は……全部セツに注がれている!」
そう言いながら、冬真はセツの入っている球体を抱きしめる。
相変わらず球体は微動だにせず、彼は少しだけ寂しそうな顔になった。
「はぁ……僕はこんなに愛を注いでいるのに、セツはなかなか答えてくれない。早く僕のものになってくれればいいのに……」
冬真が、その球体を舐める。
二人はその姿を見て、思わず鳥肌が立った。
「その中に……セツさんがいるんですか……?」
「まさか……お前が――――――――――」
「おっと、勘違いしないでシロネコ。こうなったのは僕のせいじゃない。全部セツが自分でやったことだよ」
その言葉には嘘はない。
しかしどうにも胡散臭さがつきまとい、シロネコとミネコは彼を信用することができないでいた。
「まあいいや、それより……どうしてここが分かったの? 僕は魔力を消してたし、セツもこの球体に包まれてから、一切魔力を感じさせなくなった」
冬真ほどの実力者であれば、魔力を他者に感知させなくするくらいわけはない。
セツもできなくはないのだが、少なくとも、こんな風に球体に包まれてまで消すような真似はしない。
それでも、しっかりと魔力は消えていた。
つまり、この場を感知するすべはないはずだ。
「私たちは鼻も利くです」
「なるほど、そういうことね」
雨で洗い流されたところで、魔力で自由に強化できる嗅覚を使えば、彼女らにとってセツを見つけることぐらい容易である。
つまり……同じく獣人である彼女も――――――――――。
「見っけたぞぉぉぉ!」
「っ! 君も来るよね、やっぱり!」
突然真上に現れたロアが、拳を放つ。
冬真はそれを受け止め、後ろに向かって投げ飛ばした。
地面に叩きつけられる寸前で、彼女は滑りこんできた男に受け止められる。
「あっぶね……お! グレインじゃん!」
「まったく……昔から突っ込んでく癖は直らないね、ロア」
グレインがロアを離す。
その横には、エルカとティアも並んでいた。
「イデス! リリー!」
同じく到着したブラッドが、後ろで身体を休めている二人の元へ治療しに行く。
冬真はそれには手を出さず、薄笑いを浮かべながらエルカたちを見ていた。
「勢揃いだね、みんな。この様子だと、僕の仲間は全滅したみたいだ」
「仲間なんて……あなたはそんなこと言う人じゃないでしょう。ただのコマ、そんなふうにしか思っていないはず」
「失礼だなぁ……ちゃんと仲間だと思ってたよ。都合のいい……ね」
「相変わらずゲスい」
ティアの一言に、冬真は嬉しそうに笑う。
「そりゃそうだよ。僕がセツ以外に優しくするはずないでしょ? 優しくしたとしても――――――――――――それは必要な行為だからだよ」
全員に動揺が走る。
彼らが戦ってきた連中は、少なくとも冬真に助けられ、冬真を慕い、崇め、すべてを捧げる覚悟で戦っていた。
彼らがそうなった理由は、冬真の優しさ、愛を受けたからだと、誰でも想像がつく。
それを、この男はすべて否定した。
彼らの思いを、踏みにじった。
彼らと拳を、剣を交えた者は、その者の思いや信条をぶつけられたため、誰よりもその心を痛めるはめになる。
「あなたって人は――――――――――」
「だから……君たちも、少しでも生き残れるなんて思わないことだ」
冬真の殺気が周囲を支配する。
思わず構えてしまった彼らの中心で、冬真はゆっくり手を広げた。
「君たちには、優しくする必要もないからね」
その恐怖は、ゆっくりと彼らを浸蝕する。
「セツが起きるまでに……片付けてあげるね」
最凶最悪の勇者が、動き出す――――――――――。