68 天神の一撃
「……圧倒的ね」
目の前に広がる光景に対して、リヴァイアはつぶやいた。
「その程度か人間。ほら、立ってみろ」
「つぅ……」
ガイアは王の間の床に膝をついていた。
目の前に立ち、見下した視線をぶつけてくるデザストルを睨みつけるが、彼女の身体は痺れて動かない。
「今のお前に立てと言うのも酷か……妾の雷撃を受けてまともに動けるものなど……あ、セツがいたか」
「あいつは除外よ」
「それもそうか。ゴホン! 妾の雷撃を受けて、まともに動けるものなどいない」
言い直したせいで幾分か威厳がなくなったが、言っていることは本当である。
実際、戦いが始まってすぐに雷をその身に受けたガイアは、まともに戦うことができないでいた。
せいぜいできることと言えば――――――――
「調子に……乗らないでよ!」
こうして〈土魔法〉で岩石を作り出し、デザストルに向けて放つのみである。
空中に出現した人間大ほどの岩たちは、ガイアの魔力により高速で飛んで行く。
それは完全にデザストルの立ち位置をとらえていた。
「効かぬわ」
しかし、そんな直線的な攻撃が魔王に通用するわけもない。
彼女の全身がバチバチと放電し始めると、透明の膜のようなものが周辺に展開される。
膜も電気を発しており、岩が接触した瞬間に強く放電した。
あまりの光にガイアは眼を逸らしてしまうが、その間に岩たちは勢いを失い、デザストルに当たらずに床に落下する。
「〈雷膜〉……物理を完全に無効化する鉄壁の魔法ね。生半可な攻撃じゃ、打ち破ることもできないわよ」
「むぅ……」
リヴァイアの言葉に、ガイアは唸る。
さっきから何発も同じことをしているが、一向に攻撃が通る気配はない。
「だったらこれだ! 〈岩石の鉄槌〉!」
「っ! ……ほう」
デザストルは頭上を見て、感心した声を上げた。
頭上に現れたのは巨大な岩のハンマー。
そのまま叩きつければ、部屋の床が丸ごとなくなるのは目に見えているだろう。
「これなら止められたって、そのまま質量で押しつぶせるもんね!」
「確かに〈雷膜〉では防ぎきれない……だが」
岩のハンマーが、デザストルの〈雷膜〉にぶつかる。
再びの放電と発光。
それにより、ハンマーの動きが一瞬止まる。
しかし――――――――。
「ほら! そのまま潰れちゃえ!」
「……」
ハンマーはその質量に従い、落下を開始する。
あわや押し潰される寸前で、デザストルはニヤリと笑った。
「発想は悪くないが……これでは妾には届かん」
デザストルは、片手でその岩の塊を受け止める。
重い響きとともに、岩は完全に動きを止めた。
「うそ……」
「魔族の王である妾が、肉弾戦ができないとでも思ったか?」
魔の王とも呼ばれる彼女に魔力の扱いで勝負を挑んで、手が届きかける者はいても、手が届くものはいない。
単純な身体能力では獣王に届かずとも、魔力で強化すれば彼ともまともに殴り合えるほどの力が、デザストルにはある。
「〈雷槍〉」
デザストルは、岩を支えている手から雷の槍を放ち、岩の塊を貫いて砕く。
辺りに散らばる自分の魔法の残骸を見て、ガイアは思わず唇を噛んだ。
「さて……次は妾が攻める番か?」
デザストルの髪の金髪がさらに濃くなり、バチバチと音を上げる。
そして彼女は静かに片手をガイアへ向けた。
「〈雷蛇〉〉
その手から放たれたのは、不規則に動き回る雷。
空中を、床を自在に動き回り、ガイアに向かって行く。
「っ! 〈土壁の巨兵〉!」
ガイアはとっさに魔法を展開、目の前に土でできた大きなゴーレムを作り出す。
雷は正面や側面からそれに当たり、轟音とともに霧散した。
「おお、やるではないか。……だが、これはどうかな?」
デザストルは、その手を天に向ける。
「妾もお返ししてやろう! 〈落雷〉!」
「え……?」
ガイアは、頭上に大きな雷雲が現れていることに気づいた。
そしてもう、何か魔法を撃とうにも間に合わないことにも気づく。
「避けねば死ぬぞ」
ゴロゴロと鳴り続ける雷雲から、特大の雷が放たれる。
部屋に響き渡る轟音と衝撃。
離れて見ていたリヴァイアが、思わず眼を逸らしてしまうほど、その衝撃は凄まじかった。
「……直撃だったと……思ったんだがな」
「はぁ……はぁ……」
それでもガイアは生きていた。
「ふむ、直前で痺れが解け、回避が間に合ったか。なかなか一筋縄ではいかないものだ」
少々残念そうな顔をしただけのデザストルに、ガイアは思わず舌打ちをした。
すれすれで回避できたはいいものの、間近で受けた落雷の爆発のような衝撃で、全身がかなり傷んでいる。
「はぁ……これからあのセツとか言う人とも戦うかもしれないのに……こんなところで使わなきゃいけなくなるなんてね……はー、辛いなぁ」
「……何が言いたい?」
「ボクもちょっと本気だすってこと!」
ガイアの持つ魔力の質が、変わる。
練られている魔力が、土魔法を扱う時よりも多く、そして熱い。
「召喚された勇者くんたちの中には、ボクと同じような魔法を使える子もいるみたいだけど……ボクが本家ってところを見せないとね」
彼女の足元から、グツグツと煮えたぎる何かが何かが滲み出ていく。
それは床に敷いてあった絨毯などを瞬く間に燃やし尽くし、部屋の温度を跳ね上げた。
「……溶岩か」
「ご名答~! ボクの魔法はユニークだったものだけど、力はユニーク魔法と変わらないからね、油断をしない方がいいよ」
そう言いながら、ガイアは片手で溶岩の塊を放つ。
「無駄だ」
当然それは〈雷膜〉によって防がれる。
しかし、ガイアは新たな一手をすでに放っていた。
「この程度じゃダメなことくらい分かってるよ! だから……こうする!」
「っ……また厄介なことを……」
デザストルの目の前には、赤黒い溶岩の壁が自分に向かって迫ってきている光景が映っていた。
いや、壁ではない。
「〈溶岩波〉! どう? 避けられないでしょ?」
「チッ……」
確かにガイアの言う通り、逃げ場はどこにもなかった。
溶岩の津波は王の間の高い天井まで届き、壁も端から端まで完全に塞がれている。
(後ろのリヴァイアは水でどうにでもなるだろう。問題は妾か……さすがにこの質量は〈雷膜〉でも防ぎきれん)
デザストルは冷静であった。
簡単に動揺するようでは王は務まらないのだが、セツがいなくなり弱々しかった彼女とは、まるで別人のようである。
(避けるのは難しい。ならば……)
「ちょっとー、大丈夫なの?」
「案ずるなリヴァイア、お前は自分の心配でもしておけ」
デザストルは眼前に迫ってきているマグマの津波を睨みつけ、とある魔法を口にする。
「〈雷化〉」
その頃、波の向こう側にいるガイアは、半ば勝利を確信していた。
少なくとも、この攻撃は相手にダメージを与えられる。
そうなれば、さすがの魔王でも戦いにくくなるはず。
(さてと……どうなるかな?)
と、その時であった。
突然、溶岩の波の一部が爆ぜる。
驚く間もなく、ガイアは自分の脇腹にある衝撃に気づく。
「――――――――油断大敵だ」
「がっ――――――――」
全身に電気をまとっているデザストルがそこにおり、その拳をガイアの脇腹にめり込ませていた。
何が起こったのか理解しきれていない彼女は、そのまま横に吹き飛び、地面を転がる。
「何……が……?」
壁に叩きつけられるまで転がったガイアは、壁にすがりつきながら何とか立ち上がる。
先ほどまで自分がいたところにデザストルが立っていることから、彼女に殴り飛ばされたことは分かった。
問題はどうやって彼女が溶岩の波を突破したかである。
溶岩の波は今頃床に叩きつけられ、石の床を溶かしていた。
今のように、溶岩の波が消えたあとに接近されたならまだ分かる。
しかし、ガイアは何かが爆ぜる音を聞いた。
……よく見れば、デザストルは全身火傷だらけである。
先ほどの音と、彼女の身体を見て、ガイアはなんとなく察した。
「まさか……あれを力任せに突破した?」
「察しが良いな、その通りだ。意外と分厚くて驚いたぞ。一瞬危ないと思った」
デザストルは、一瞬だけ身体を雷に変える魔法で津波を突破した。
先ほどの爆発音はその時の音である。
しかし思ったより津波が分厚く、寸前で〈雷化〉が切れたことが、彼女を脅かした一因だろう。
(……まずいなぁ。肋骨が折れてる)
逆に、デザストルの一撃でガイアは窮地に立たされていた。
ガイアの身体は他の黒ローブたちと違い、身体改造を受けていない。
それは彼女が地神と言う存在であり、冬真のがわざわざ別の場所から連れてきたからである。
地神と言うことで、普通の人間よりかは遥かに強いが、傷の治りも早くなければ、内臓が多かったり皮膚が丈夫だったりもしない。
そして何より、回復魔法が使えない。
何とかこの状況を乗り越え、仲間と合流しなければ、この骨折が治ることはないのだ。
対してデザストルは、すでにほとんどの傷が治っていた。
魔族はもともと生命力も高く、治癒能力もそれなりに高い。
軽傷であれば、数秒で治ってしまう。
(あの人を倒すためには……一撃で決めるしかない)
はっきり言って、ガイアはこの攻防で限界を迎えていた。
表面は偽っているが、折れた肋骨のダメージは相当なものである。
それに、全身を蝕む痛みでとあることを思い出し、精神的にも追い詰められていた。
(もう……やなこと思い出すなぁ)
ガイアは懸命に頭を振るが、その記憶だけはどうにも拭い去ることができなかった。
彼女は平凡な家庭に生まれた。
当時は地神としての力も身を潜めており、それなりに平和で、良い人生を送っていたと今のガイアも思う。
その日もいつも通りの時が過ぎる……そう思われていた。
「おら! さっさと詰め込め!」
「あいよ!」
「んーッ! んーッ!」
家の庭で日光浴をしていたガイアは、突然現れた男たちの手で馬車に連れ込まれ、抵抗むなしく攫われてしまった。
連れて行かれた先は……奴隷市場。
「ぼ、ボクをお母さんたちのとこに返してよ!」
「そういや例の奴隷どうする?」
「あー……ありゃ〈テラン商会〉に引き渡すってよ。あそこ、人体実験とかやってんだろ? それに必要になるかもしれないんだとよ」
ガイアは自分を攫った奴隷商たちに訴えた。
無視され続けても、喉が枯れるまで、売られる直前まで、枯れた声で叫び続けた。
そして、売られる直前に、ようやく奴隷商の仲間の一人が、彼女に反応した。
「そんなに家に帰りたいか?」
「あ、当たり前だよ!」
「ククク……お前も哀れなガキだ。お前に帰る家はねぇよ。お前はなぁ――――――――実の両親に売られたんだ」
「……え?」
ガイアの家は、一見普通の家だった。
しかし、国の税が上がり、家計は火の車。
明日食べていけるかすら怪しかったのだ。
そこで両親は――――――――ガイアを、実の娘を売った。
貴族に買われたあと、ガイアは変態貴族の玩具になるためにベッドに横たわりながら、攫われた時のことを思い出す。
あの時、両親は家の中から彼女を見ていた。
彼女は自分を見守ってくれてるとばかり思っていた。
見ていたのだから、攫われてもすぐに探しだしてくれるとも思った。
「でも……違ったんだ」
高級なベッドの上で、下着姿の奴隷少女はつぶやく。
あの目は子供を見守る目じゃなくて、子供がしっかり攫われるところを見届けるための目立ったのだ。
「死んじゃえば……いいのに」
自然と、呪う言葉が口から出る。
その時にはすでに、彼女の心は憎しみに支配されていた。
「言うことを聞け! この奴隷が!」
「ごめっ、ごめんなさい! 痛いことしないで!」
「されたくなければ言われた通りに動け! 誰が食わせてやってると思ってるんだ!」
ガイアを買った貴族が、彼女の腹を蹴る。
骨が折れる音がした。
「痛い……痛いよう……」
「ふん! 夜は今まで通り遊んでやる。期待しておくんだな」
そう言い残し、貴族は去って行った。
ガイアは泣きながら部屋の隅に移動し、少しでも楽な格好を取るために、壁により掛かる。
もはや全身怪我がないところがない。
めまいもすることから、熱もあるだろう。
「死んじゃえ……みんな……死んじゃえ……」
夜に貴族が戻ってくるまで、ガイアはひたすら呪詛のようにつぶやき続けていた。
そんな生活を送っていると、数年が過ぎた。
そして数年後のある日――――――――――――。
「や、やめてくれ! 私が悪かったから!」
「やめてってボクが言っても……あなたはやめてくれなかったよね?」
「本当に悪かっ――――――――」
何かが潰れた音が、辺りに響き渡る。
「……これでいいんだよね、冬真様」
「うん、上出来だよ」
ガイアは、散々自分を玩具にしてきた貴族の頭を、岩をまとった拳で破壊した。
突然彼女の前に現れた冬真が、その奴隷の契約を壊し、力の使い方を教えたことで、ついにガイアは再びの自由を勝ち取ったのだ。
「また自由になったところにこんなこと言うのも申し訳ないけど……僕には君が必要なんだ。協力してくれる?」
「もちろん! 冬真様はボクのヒーローだもん! 冬真様のためなら何でもできるよ!」
「そう……ありがとう」
冬真がガイアを抱きしめる。
それだけで、彼女の心は満たされるのを感じた。
自分を助け、必要としてくれるこの男に、ガイアは恋をしていたのだ。
「冬真様のためにも……負ける訳にはいかない」
ガイアはゆっくり胸の前に両腕を突き出す。
骨の痛みを無視し、その両手に今ある魔力のすべてを注ぎ込む。
「あなたにこれが防げるかな? 魔王さん」
「……ほう、やってみろ人間」
全魔力が手のひらに集中する。
大地が揺れるほどの魔力の集合に、デザストルは思わず身震いした。
(これほどの魔力を持っていたとはな……)
彼女の感情が高ぶる。
デザストルは、ようやくガイアのことを強敵と認めた。
「来るがいい……妾がすべて打ち砕いてくれる」
「はぁぁぁぁ!」
ガイアは強く足を踏みしめる。
そして――――――――――。
「〈溶岩砲〉!」
放たれたのは、溶岩の本流。
人を一瞬にして飲み込めるほどの規模のそれは、床を溶かしながらデザストルに迫る。
それほどの熱と威力を、この攻撃は持っていた。
「死んじゃえ!」
「悪くない攻撃だ……しかし」
デザストルはいつの間にか弓を持っていた。
〈天神の魔弓〉――――――――――――この弓は、常に彼女が魔法で作った専用の空間に仕舞ってある、特別な武器である。
「正直、期待はずれだ」
雷で作られた矢が、デザストルの手で引かれる。
魔石が埋め込まれた美しい造形の弓がしなり、キリキリと音を上げた。
「――――――――――――〈雷神一矢〉」
矢が放たれる。
溶岩が爆ぜた。
溶岩の本流の中心を真っすぐ進んだ矢は、それをすべて弾き、ガイアの腹部を貫き、後ろの壁を木っ端微塵に砕き割る。
「が……はっ……そ、そんな……」
「この弓を使わせたことは、誇っていいぞ」
ガイアは血を吐きながら、ヨロヨロと後ろに後退していく。しかしもう、寄りかかれる壁もなかった。
「あ……」
ガイアは足を踏み外し、壊れた壁から外に投げ出された。
デザストルはそれを無言で見届け、振り返える。
後ろにはリヴァイアが立っており、ガイアが落ちていった穴を、少し悔しそうに見ていた。
「……死んだの?」
「おそらく、な。この部屋は思ったよりも高層にある。魔力のないあやつでは、まず助からない」
「そう……」
リヴァイアはしばし無言のまま、ガイアの落ちた穴を見続けていた。
「さよならね……私の妹」




