67 夕炎の衣
「所詮は虫! この程度かしら?」
「……」
ルーナと戦う夕陽は、今攻めあぐねていた。
理由は簡単である。
攻撃が一切届かないのだ。
「〈夕弾〉!」
「無駄よ! 虫の分際で!」
夕陽が人間大の炎の玉を放つが、それは決してルーナに当たることはない。
彼女の眼前で、すべての攻撃は下に落ちる。
「この〈重力魔法〉がある限り、あなたは私に勝てないのよ」
地面に押しつぶされた〈夕弾〉は、本来の効果を発揮することなく、そのまま霧散する。
その様子を観察した夕陽は、自分の魔力の残量を確認しつつ思考を開始した。
(さっきから五発は撃った……どの角度からでも押しつぶされちゃう……もし結界のように、あの人の周りを重力の強い場所が囲っていたら、私の攻撃は実質届かない……押しつぶされない攻撃を撃つには……意識外……背後に回り込んでみようかな)
おおよその考えをまとめ、夕陽は駆け出す。
魔力で強化された彼女の足は速く、人間のそれを超えている。
(速いわね……)
実際、ルーナはこの状況に危機感を感じた。
彼女の魔法はユニークであるが故の弱点がある。
まずどんなものでも押しつぶす代わりに、距離と範囲に制限があった。
自分の周りに重力の結界を作る程度なら簡単だが、重力を強くできるところは範囲によるが、おおよそ二箇所。
射程は10メートルほど。
その程度の距離ならば、一瞬にして敵をプレスすることが可能である。
ただし、現状高速で動き回る夕陽をとらえるは不可能だった。
本来、ルーナは単騎ではそこまで成績を残したことがない。
彼女の真価は、仲間といて初めて発揮される。
この状況を作り出したのは自分である以上、責任を持って夕陽を撃破しなければならないが、早くも奥の手を使わざるを得ない状況まで追い込まれかけていた。
(くっ……敵の動きを阻害してくれる人がいないと当てにくいわね……!)
ルーナが魔法を発動させる。
降り注ぐ雨がその部分だけ強くなり、そこの地面が凹みだす。
しかしもう、夕陽はそこにはいない。
それでも、彼女はニヤリと笑った。
「後ろね!」
「……ッ!」
夕陽は考え通りに背後を突き、魔法を放とうとしていた。
しかし、その考えは簡単に見破られ、ルーナの思う壺であったのだ。
「確かに真後ろだと魔法の発動は遅れるわ! でも、そこに来るって分かっていたなら話は別よ!」
彼女の魔法は発動も遅ければ範囲も大きいわけではない。
ならば、当てるために敵の動きを予想するしかない。
そこで普段から背後に隙があることをそれとなくバラし、わざと狙わせる。
そうして飛び込んできた虫を――――――――――――。
「こうして仕留める! 〈重力の鉄槌〉!」
逃げようと思ったときにはもう遅い。
攻撃のために足を止めてしまった夕陽は、真上からのとんでもないプレッシャーに押し潰される。
「ぐっ……うぅ……」
「もがいても無駄よ。その重力からは逃げられない」
彼女の身体が地面にめり込んでいく。
身体を潰す音が聞こえ始め、今にも地面と一体化してしまいそうであった。
「さあ、潰れなさい」
「がっ――――――――――」
ついに、夕陽の身体が完全に潰れる。
見るも無残な光景であった……しかし、異変が起こった。
「なっ……」
潰れたはずの彼女の身体が、燃え始めたのだ。
いや違う。
その身体が、炎だったのだ。
夕陽の身体だと思われていたものが、地面で霧散して消える。
「――――――――見事に私の〈炎分身〉に引っかかったね」
「う、上!?」
ルーナが顔を上げる。
自身の真上、そこに夕陽はいた。
「あなたの魔法が重力を強くするってものなら、真上は安全でしょ?」
「くっ……」
敵が遠距離中距離戦を挑んでくる場合であれば、ルーナは絶大な防御力を発揮する。
だが、一度でも近距離に持ち込まれ、真上を取られてしまった場合、彼女の魔法はほぼ無力化されてしまう。
なぜなら、真上の敵に向けて〈重力魔法〉を使えば、自分まで押しつぶされてしまうからだ。
「〈夕弾〉!」
「チィ!」
懇親の夕弾が放たれる。
それは確かな感触とともに爆発し、水蒸気をあげた。
「手応えあり……だね」
少しだけ距離を取り着地した夕陽は、水蒸気が晴れるのを待つ。
確かに夕弾は当たった。
しかし命を奪った感触はなかった。
死亡を確認しない限りは油断するな、これはエルカの教えの一つである。
そして案の定、ルーナは生きていた。
「はぁ……はぁ……こんの……虫がァァァァァ!」
「それだけ生命力があるあなたの方が虫っぽいのになぁ」
ギリギリで直撃をずらしたのか、右半身の服が燃え尽き、酷い火傷をところどころに負っている以外は、目立った外傷がない。
肩でほとんど受け止めたようで、特に肩の火傷が目立った。
ダメージは深刻だ。
しかし彼女の眼は、怒りと闘志で燃えている。
「絶対に殺してあげるわ……ッ! 〈限界突破〉!」
「なっ……!?」
怒りの叫びとともに、ルーナの魔力が爆発したように吹き出す。
見た目の変化はない。
しかし夕陽は、明らかな違和感を感じ取った。
「身体が……横に引っ張られる……?」
「〈無数の重力〉……! あなたはこれから横に落ちるのよ!」
まるで地面が傾いている感覚。
夕陽の足は簡単に抵抗をなくし、真横への落下を開始した。
「ッ! 〈空歩〉」
近場にすぐ掴まれるものもなく、とっさに夕陽は虚空に着地する。
〈空歩〉、宙を歩くことができるようになる魔法である。
しかし――――――――――
「そんな悪あがき! 私の世界では通用しないわ!」
夕陽に対する重力が、再び変えられる。
今度は、空に向かってその身体が落ち始めた。
「なっ!?」
この時、夕陽がこの戦いで初めての焦りを覚えた。
空に向かって落ちるということは、その上、宇宙に向かって落ちるということ。
この世界に宇宙があるという話自体は聞いたことがなかったが、星が見える以上はあるのだろう。
さすがに試したことがないが、宇宙空間で生きていける気は夕陽でも、さすがのセツでもしない。
「重力とは絶対の力! そのまま落ちなさい……どこまでも!」
夕陽は再び〈空歩〉を使用する。
しかし、それを許すルーナではない。
「無駄よ!」
またも重力が変わり、夕陽は再び横に落ちる。
さらに――――――――
「虫にはこんな動きも予想できないでしょうね!」
「っ!」
三度目の〈空歩〉で着地した夕陽の眼前に、突然ルーナが現れる。
重力の向きを利用した高速移動、重力を操る彼女であれば、息をするように使える技だ。
「〈重脚〉!」
魔力によって強化されたかかと落としが、夕陽に叩きつけられる。
腕で直撃を免れたものの、その瞬間に重力の向きまでも変えられ、体勢を大きく崩すはめになった。
「あっ」
「もう一発!」
そこに、もう片方の足での〈重脚〉が炸裂する。
「がはっ……」
無防備になった腹部へのかかと落としと、通常の向きに戻った重力で、彼女の身体は高速で地面に叩きつけられる。
息が止まるほどの衝撃。
この世界に来たばかりの夕陽であったなら、この一撃で死んでいた。
(ダメだ……! 内臓と骨を痛めてる……回復しないと……!)
「まだよ!」
回復する間もなく、夕陽の身体が地面から離れる。
再び真上に落ち始めた彼女に対し、ルーナも通常の重力の向きで落下を開始した。
つまり、二重の重力により二人はかなりの速度で接近しているということ――――――――。
「終わりよ! 〈グラビティブレイク〉!」
二重の重力の乗った渾身の蹴りが、夕陽の腹部をとらえる。
意識が飛びそうなほどの激痛が走り、彼女へのダメージはついに危険な領域まで蓄積した。
「ごふっ」
タイミングよく重力の向きが変わり、またもや地面に叩きつけられる夕陽。
地面に大きな凹みを作り、彼女は口から大量の血を吐く。
内臓を傷めたどころか、どこかが破裂したのが分かった。
彼女の身体はもう、動かない。
――――――――――そうルーナは判断した……のだが。
「あ……ぐ……痛いなぁ……」
「あ、あなた……まだ動けるの……!?」
骨を砕いた、内臓を壊した。
それでも、戦闘不能の判断は間違っていた。
「……エルカさんに、何度も骨を砕かれた」
何度も内臓を壊された。
何度も四肢を落とされた。
何度も身を焼かれ、氷漬けにされた。
何度も身を切り裂かれた。
「私は一度、身体の何もかもを壊してもらったの。このくらい屁でも……あるけど、動けないほどのものじゃないよ」
「ば、化物なの……あなた」
「……ううん、違う」
この程度では化物にはほど遠い。
彼女が愛し、追いかけ続けている彼こそが、化物なのだ。
夕陽はそれになりたい。
彼の横にいるために、化物になりたい。
セツを支えられるほどの、最高の女になりたい。
「私は化物じゃない。だから……あなたは「人」に負けるんだよ」
夕陽の魔力が、体内で渦を巻く。
それは徐々に大きさを増やし、やがて体内から溢れだす。
そして、燃え始めた。
「――――――――――〈限界突破〉」
夕陽の全身が炎上する。
炎は彼女の身体にまとわりつき、まるで服のように形を変え始めた。
オレンジ色の、炎の衣である。
「〈夕炎の衣〉」
ついにはその皮膚からも炎がチラつき始める。
髪も炎のようにゆらめきだす。
美しくも恐ろしさを感じさせるそれは、まさに太陽のようであった。
「何よ……炎に包まれて自傷行為でもしてるの? あなたの奥の手はとんだ暴れん坊ね!」
ゆっくりと地面に着地したルーナは、冷や汗を流しつつも強がる。
夕陽は動じない、ただ無表情であった。
「――――――――――――――試してみる?」
「っ!」
ルーナはとっさに、強い重力を真横から夕陽にかける。
とにかく距離を取れと、本能が言っていた。
〈限界突破〉している今ならば、距離の制限はあってないようなもの。
遠距離で戦えば、危なげなく勝てるはずだ。
……この本能と思考が、夕陽に恐怖を抱いていることの証明であったが、それを自覚するほど、ルーナのプライドは低くなかった。
「無駄だよ」
しかし、夕陽はピクリともその場を動かない。
「な、何でよ!」
「今の私の身体は……炎でできているから」
夕陽は表情のない顔でそう言った。
高エネルギーを圧縮して放つ〈夕弾〉などの魔法と違い、今の彼女の身体は、質量のない炎そのものである。
炎自体に重さはない、つまり、重力にほとんど影響されないのだ。
「そ、それがどうしたのよ! そうなったらあなただって私に手を出せないじゃない!」
「……まだ気づかないの?」
「はっ……何を言って――――――――――」
鼻で笑い飛ばそうとしたルーナは、その途中に気づく。
あれだけ降り注いでいた雨が、一切身体に当たらないことに。
そして……ぐちゃぐちゃになっていたはずの地面が、乾ききっていることに。
「ま、まさか……ッ!?」
空気はすでに高温となっていた。
それも、まだ上がり続けている。
「この魔法は、私自身を炎に変換するせいで、まったく動けなくなっちゃう。代わりに、私がいるこの場の気温を、人が生きられないほどに跳ね上げることができる」
落ちてくる雨が空中で蒸発し、水溜りすらも一瞬で干上がる温度。
少なくとも、水が蒸発する時点で、気温は100度を超えている。
「な、何よ……その程度なら私は干上がらないわよ!」
普通の人間ならば即死レベル、しかしルーナは違う。
身体改造を幾重にも繰り返されている彼女は、皮膚から体質までありえないほどに強くなっている。
炎の中に落とされでもしない限り、彼女の皮膚が悲鳴をあげることはないだろう。
だと、言うのに。
「あ、あれ?」
ルーナは膝をついた。
立ち上がるどころか、〈重力魔法〉を使う力すらも、いつの間にか失っている。
まだ気温は活動限界に達していないというのに。
「息、苦しいでしょ?」
「っ……」
息が、吸えなくなっていた。
いや、微量の酸素は吸える。
しかし、まともに活動できるほどの呼吸が困難になっていた。
(まさか……空気中の酸素が……!?)
「火って、酸素がないと燃えないんだよね」
ルーナは朦朧とし始めた意識の中で、恐ろしいことに気づいてしまった。
酸素は基本的に無限である。
それほど大量に存在するものであるはずが、この場において供給が間に合っていない。
供給された側から、夕陽が自分の燃料として使ってしまっているのだ。
「はーっ……はーっ……」
ルーナがうずくまる。
汗が吹き出すと同時に蒸発するが、それが繰り返されるだけで体温は下がらない。
ついには服までもが燃え始め、彼女の皮膚はすでに火傷を負い始めている。
振り払う力も、この場から離れることも、すでにできる身体ではない。
「まけ……られない……のに……」
燃え盛る身体になり、ルーナはうわ言のようにつぶやき始める。
「冬真さまに……認めてもらうため……」
「……」
夕陽はもう何も言わない。
彼女の姿を見ても、感情は動かない、動かせない。
自分の身を炎とするこの魔法のせいで、感情が動けば形を保っていられないからだ。
だから、何も言えない。
自分が逆の立場だった可能性があったことに気づきつつ、夕陽は決して口を開かなかった。
「とう……ま……さまの……となり……に……」
ついに、体内から発火する。
炎の塊になってしまい、うめき声一つ聞こえなくなったそれを、夕陽は燃え尽きるまで眺めていた。
「あなた……私に似てたよ」
おそらく、想い人への気の持ちようは、通じるものがあったのだろう。
炭になってしまった塊の前で、夕陽はぽつりとつぶやいた。




