45 呪術感染
認めたくない。
途中から、己の力がこの男には一切通用しないことは理解できた。
しかし、獣人が人間に敗北するなどあってはならないこと。
だからこそ負けを認めるわけには行かない。
死に物狂いでかかった。
魔力も体力もすっからかんだ。
だが、やつは息の一つも乱していない。
力の差を思い知る。
それでも認めるわけには行かない。
ロアさん……彼女の夫に相応しい男がやつだなんて認められない。
あれは俺の女だ……俺のものだ――――――
『ふむ……だいぶ愛憎が溜まってきたようだね』
誰だろうか……?
項垂れているこんな俺に、声をかける人物などいるわけがないと言うのに……
獣人は敗者に厳しい。
特に、人間に圧倒されている俺などに声をかけるものなどいないはずだ。
だがこの声は……何やら頭の中に直接聞こえるような……
『獣人の習性なんて知りたくもないけれど、君はあの女の子が欲しいんでしょ? ならこんなところで諦めていいのかな?』
よくはない……だが正攻法ではやつには――――――
『まったく……何のためにその〈愛蔵のタトゥー〉を植え付けてやったと思ってるんだ』
タトゥー? 何を言っているんだ?
『あ、そうか……ごめんごめん。不可視状態にしてたから見えるわけないよね。まあセツは見えてたみたいだけど……』
さっきから貴様は何を言っている……? 貴様は何者だ。
『ん? 僕? うーんとね……通りすがりの呪術師ってところかな? 君はどうしてもあの女の子が欲しい?』
欲しい……だが……
『命をかけてでも欲しい?』
……彼女が手に入るならば……この命、いくらでも渡せるだろう。
『その覚悟さえあれば十分さ、僕が君に力をあげるよ』
……なぜそんなことをする?
『僕もね、どうしても欲しいモノがあるんだ。命、財産、夢、仲間、何を犠牲にしてもそれが欲しいんだ。そしてそれは、君があの男に勝つことで手に入る。まあこれは利害の一致ってことだね。君が勝つためならば、いくらでも力を与えるよ。だから――――――絶対勝ってね? 何を犠牲にしようとも……』
◇ ◇ ◇
「何だ?」
何やらルーガの様子がおかしい。
警戒し一歩後ずさると、突然やつの肩にあったタトゥーが蠢きだした。
「が……アァァァァァァァァァァァ!!」
「!?」
蠢きだしたタトゥーは、禍々しい瘴気を放ちながらルーガの全身に伸びていく。
黒い模様が全身に巡ると、やつの筋肉が膨張し始め、徐々にその骨格すらも変化させた。
(この魔力……やっぱり冬真の野郎か……っ!)
ルーガから溢れ出す瘴気は、間違いなく冬真の呪いの魔力と同じもの。
いったいこいつはどこであいつと接触を持ったんだ……。
いや……それは考えても仕方ないだろう。
あいつは神出鬼没で、どこで何に関わっているか分からない。
こんなところで獣人と関わりがあっても、何ら不思議なことではないだろう。
シロネコに絡んでいるくらいだからな。
それにしても他種族嫌いのあいつが、よくもまあ関わろうとしたな……。
それほど切羽詰っているということなのか?
「ガァァァァァァアァァァ!!」
「おっと……余計なこと考えてる場合じゃねぇな」
全身に広がったタトゥーは、少しずつやつの体に溶け込むように薄れている。
逆に溶け込むことで、その体を黒く染め上げ、今では元のルーガの部分を探す方が困難になってきた。
上半身は、筋肉が膨張したことで不格好になっており、膨張していない下半身と釣り合いが取れておらず、両腕を地面についてバランスを取っている。
イメージはゴリラってところだが……犬だった時の方がよかったな……。
「……苦しいだろうに」
「ガァ!! ガァァァ!!」
ルーガの叫びの中には、悲痛な声色も混じっており、そのうち喉も裂けたのか口元から血が溢れ出している。
それでも叫びを止めない。
見ていて痛々しいったらありゃしないぞ、これは……。
「っち……何とかしてやるか――――――ってうおっ!?」
「ヌガァァ!!」
速い、さっきまでの比ではないほどに。
俺が気を別のところへ向けた一瞬で距離を詰め、その豪腕を叩きつけてきた。
腕を交差させて防御姿勢を取ったはいいが、思ったよりも力が強く、その腕力だけで俺をコロッセオの壁に叩きつける。
「こほっ……ちょっといてぇじゃねェか」
『おぉぉぉ!! いいぞォ!!』
『攻めろ攻めろ!!』
「ガァァァァ!!」
観客どもは呑気なもんだ。
ルーガの変異も、ただ強くなったようにしか見えてないんだろう。
「セツ! あれって冬真の!!」
「分かってる! ロア! 下りてこなくていいからな!」
「え!? わ、分かった……」
飛び出してこようとしたロアを止める。
このままじゃ怪我を負わせちまうかもしれないからな……。
さっきのパンチから考えるに、今のルーガは獣王に匹敵するパワーとスピードを持ってるだろう。
十中八九あのタトゥーがパワーアップの原因のはずだ。
そしてそれは冬真が与えたもの……だとしたらパワーアップだけで済むはずがない。
さっき言ったと思うが、獣王や魔王のレベルには、それこそ命をかけて力を求めなければたどり着けない。
やつらは上に立つ才能を持ち、それに加えて寿命を削るほどの努力を重ねてきた末の実力者だ。
つまりその才能……というか素質のないルーガがそこにたどり着きかけているということは……。
「あいつ……命を燃やしてやがる……っ!」
「ガァァァァ!!」
やつの筋肉が膨張の末に裂け、ところどころから血が噴き出し始めた。
だが裂けた部分はすぐに再生し、再び別の部分が裂け、そこもすぐに再生する。
驚異的な細胞分裂を繰り返し、破壊、再生を瞬時に行うことで、一秒ごとに力を上げているようだ。
保健体育は得意でも苦手でもなかったが、筋肉が強くなっていく原理と一緒だろう。
それをこんな速度で行って、体が持つはずがない。
「ゴロズ……ゼンブ……コロズッ!!」
「物騒なこと言ってんじゃねぇよ!!」
魔法袋から黒丸を抜き放ち、異形と化したルーガ目掛けて駆け出す。
「ゴロズ!」
なぎ払うように振られた腕を、前かがみになってかわし、懐に入り込む。
「あぶねぇな!」
「ギャァ!」
黒丸で切り上げるようにして、ルーガの太い腕を切り飛ばした。
これでバランスを崩して身動き取れなくなるはず――――――
「なっ……! 一瞬で再生して」
「ガァァ!」
その目論見は見事に外れ、切り口から腕が一瞬で生え直し、そのまま俺の右脇腹を打った。
「っち!」
さすがに二回も殴り飛ばされるわけにいかない。
黒丸を放り投げ、自分の胴よりもふた回りほど太い腕を両手で抱え込み、足に力を込めて踏ん張る。
「ぜあッ!」
「がっ」
腕を払い、もう一度懐に潜り込んで胴を蹴り飛ばす。
壁に近かったこともあり、ルーガの体は深くコロッセオの壁にめり込んだ。
だが――――――
「……ノーダメージ……ってか?」
「ギィィィィィ!!」
いや、多少は効いているか、すぐに再生してしまっただけだろう。
それでも結構力を込めたつもりだったんだがな。
「ジネ……ゼンブ……ジネェェェェ!」
「ッ! やべぇ!」
ルーガが雄叫びを上げる。
同時にやつの体から漆黒の波動が放たれ、周囲に広がっていく。
それを浴びた観客の様子が、どんどんおかしくなっていった。
『なんだ……これ……』
『体が重い……』
『く、苦しいよぉ……』
「こりゃ〈呪術感染〉か!?」
〈呪術感染〉――――――冬真の扱える凶悪な技の一つで、呪いを植え付けたものが感染源となり、その周囲に呪いを撒き散らすというもの。
やつ自身が直接呪いを植え付けるわけじゃないため、呪いの完成まではかなり時間を必要とするが、それでも今の観客たちのように動けないほどの体調不良を起こさせる。
俺はこの程度の呪いは自力で弾けるが、周りのやつらはモロに浴びている時間が長くなると大変なことになるだろう。
「さっさと潰さないとまずい……!」
だが……俺の手でルーガを殺すわけには……
拘ってる場合じゃないことはわかっているが……それでも――――――
「セツさん!」
「!? ミネコ!?」
観客席をミネコが駆けている。
なぜあいつは普通に動けてるんだ?
「姉さんと獣王様とロアさんが急に倒れてしまって……!」
「っち、あいつらでもダメか……。お前なんで動けてるんだ?」
俺の隣へと飛び降りてきたミネコは、少し顔色が悪いだけで、身のこなしには異常がないように見える。
こんな間近まで来たはずなのに、どうしてだ?
「いえ……少しだるさはありますけど、呪いに犯されてた時よりは数十倍マシです」
「……なるほどな」
呪いへの抗体……長い期間、その身を強力な呪いに犯され続けたことで、ミネコの体はかなり呪術に強くなっているのかもしれない。
特にこう言った身体に悪影響を与える系統のものだと、病原体と同じような働きをするものが多く、体に抗体ができたとしても不思議ではない。
これは……不幸中の幸いだ。
「ミネコ……ちょっと力貸せ」
「え? は、はい!」
「ガァァァァ!!」
いまだ雄叫びをあげ、呪いを撒き散らすルーガに、俺たちは向き合う。
もう少しだけ……手荒く行くぞ。
そろそろセツの信条が足を引っ張る頃ですね……




